2015年5月30日土曜日

【第15回】主権の再検討①

ウェストファリアは終わらない』の第3章第3節の冒頭にダニエル・ベルの言葉を挙げました。「主権国家は大きな問題に対するには小さ過ぎ、小さな問題に対するには大きすぎる」というセリフです。

この一節は、大学時代から国際政治の勉強をする際に、常に私の頭の中にあったものです。中世の終りから近代の初頭に西ヨーロッパに出現し、19世紀の終りにほぼ現在の形が定まり、20世紀半ばを過ぎて地球全体を覆うようになった主権国家は、20世紀の後半にはすでに機能不全を起こしつつあり、新しい何者かに取って代わられる必要があるのではないか、という疑問です。

国際政治学という学問分野においても、主権国家に代わる新しい主体の出現が盛んに議論されていました。たとえば、今のEU(少し前はEC、もっと前はEECなどと呼ばれていました)や国境を超えて活発に活動する多国籍企業やNGO(非政府組織)や国連を始めとする国際組織などがそうした例として挙げられていました。
1980年代後半から1990年代になると、グローバル経済ということが言われ、特に経済分野において国家の果たす役割が軽視されるようになりました。「国家の退場」(スーザン・ストレンジ)などと言われたりしました。主権国家は時代遅れの代物であるというのがかなり一般的なコンセンサスになりつつありました。

現在の国際システムが主権国家を中心としたものであるとすれば、主権国家が退場した後の国際システムはまったく異なったものになるはずで、それはどのようなものになる可能性があるのかが私の大きな問題意識でした。

そこで、ゼミ初年度(2006年度)のテーマは、この積年の問題を考えてみようということで、「主権の再検討」としました。イメージとしては、主権国家によっては対応の難しい大きな問題や、それとは逆に小さな問題に着目して、そうした問題に主権国家がいかに対応したり、あるいは、対応できなかったりしているのかを描くことで、主権国家に代わり得る新しい主体を構想してみようというものでした。

大きな問題の分かりやすい例としては、地球環境問題(昔は公害問題と言いました。公害は射程が国内に限定されていたように思います。)が挙げられると思います。環境問題にも流行り廃りがありますが、オゾン層の問題や地球温暖化の問題が典型的な例です。
地球環境問題は、一国の努力によっては如何ともし難い問題です。中国のPM2.5が偏西風に乗って楽々と海を越え国境を越えて日本にやって来るように、環境問題に国境はありません。温暖化の問題も世界中の国家が協力をして問題に取り組まなければ改善されないことは明らかです。しかし、主権国家は、こうした問題を認識しながらもなお、単に問題解決に取り組むのみでなく、そこにおいても自国の利益を追求する存在です。
環境問題のような「大きな問題」には主権国家は小さ過ぎることは明らかです。より大きな主体が必要とされるように見えます。

小さな問題とは、私たちの身近な問題が典型的なものです。たとえば、高齢社会の問題や少子化の問題が分かりやすい例であると思います。老人の介護や子供の保育の問題には、国家よりは、地方自治体や、あるいは、場合によっては、町内会みたいな規模の主体の方がうまく対応できるように思います。世界でも高齢化の最先端を行っている今の日本で盛んに地方分権が論じられている背景には、国家よりも小さな主体がこうした問題には相応しいということが自覚されていることがあります。
「小さな問題」にも主権国家の規模が相応しくなくなっていることは明らかです。より小さな主体こそが求められているように見えます。

最大の問題は、大きな問題に相応しい主体と小さな問題にうまく対応できる主体の関係がどのようなものになるのかということです。主権国家よりも大きな主体と小さな主体はどのようにして結び付けられるのでしょうか。

ゼミ初年度に学生たちに投げかけたのは以上のような問題意識でした。次回、こうした問いかけを受けて、学生たちが取り上げた問題をご紹介致します。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。


2015年5月18日月曜日

【第14回】テーマの変遷

前回まで、その年のテーマに実際に入る前の段階で学生に話す話題を取り上げてきました。ゼミに入ってきた学生に自分の専門とする学問が国際政治学なのだということを意識してもらうのが主な狙いです。3年と4年が同居するのが私たちのゼミの特色ですから、毎年手を変え品を変えてこうした話をしなければなりません。同じ話を毎年する先生が私の学生時代には珍しくありませんでしたが、少なくとも私はそれはすまいと思っています。

次回から、ゼミでどのようなテーマを取り上げてきたかを11年振り返っていこうと思いますが、その前に今回は、この10年のテーマを一度並べてみようと思います。そうすることで、私自身の問題意識の変化を鳥瞰することができそうです。間違いなく、『ウェストファリアは終わらない』はこれらのテーマから生まれたのです。

2006年度 「主権の再検討」
2007年度 「正しい戦争」
2008年度 「難民は夢をみるか」
2009年度 「保護する責任」
2010年度 「1989 時代は角を曲がるか」
2011年度 「なぜ彼らは核兵器を持つか」
2012年度 「20世紀の悪魔 民族自決」
2013年度 「ひとを殺す道具」
2014年度 「紛争のルーツ 植民地主義」
2015年度 「戦争で負けるとはどういうことか」


興味関心をそそられるテーマがありますか。次回より、年度ごとにゼミでの議論をご紹介していきたいと思います。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。