2015年10月30日金曜日

【第25回】正しい戦争⑥

柴田ゼミ2年目は「正しい戦争」というテーマで1年間学生たちとの勉強をしてきたわけですが、1年間のまとめの講義を、私は、暴力と性、戦争と売春というテーマで行いました。学生たちには、大変に刺激的な講義だったようです。以下、前回の話を続けます。

こうした人間、つまり、不完全な部分を残さざるを得ない存在としての人間が、自己の暴力や性をコントロールしなければならないわけで、それは、実は、容易なことではありません。まずは、社会における「性」の問題から考えてみましょう。

日本では「性」の問題を、古い時代から、「必要悪」として、ある地域に封じ込めて管理しようという傾向が強くありました。「性」が仮に「悪」の側面を持つにしても、それは絶対悪ではないので、その存在を認めようという立場です。ただ、放っておくことのできない「取扱い注意」の代物なので、その範囲をできるだけ限定しようというわけです。私はこの考え方を非常に賢いものであると考えます。この際の「悪」の第1の意味は性病でした。不特定多数の異性と交わることで、取り返しのつかない病気に罹る可能性があるので、その可能性を局限しようとしたわけですが、もちろん、性病以外の多様な関心がそこにあったことも事実です。それは後で示唆します。

日本では、17世紀の初頭に「遊郭」が誕生しました。江戸時代の初期ということになります。吉原は1613年には、新宿は1698年には、賑わいをみせていたと言われています。いわゆる「粋」(九鬼周造『粋の構造』)の文化がここで花開きました。こうした花街の文化は江戸時代から20世紀の半ばまでほとんど変化がなかったと言えます。大きな変化があったとすれば関東大震災でしょうか。それでも、戦後の変化に比べればそれはまだ変化とは言えないものだったかもしれません。

ちなみに、言っておかないと分からない女性がいるので敢えて言っておきますが、男なら誰でもこうした遊郭に通うのが好きだと思ったら大間違いです。昔も今も、こういうところにいる女性のお世話になっても構わないと思っている男性は、たぶん、私の判断では半分くらいだと思います。残りの半分の男性はこういう場所もこういう所の女性も不潔で近寄る気がしないはずです。

日本の遊郭が特異であるのは、極めて優れた文化を生み出した点だと思います。これについては詳しくは論じませんが。
さて、第2次大戦後になると、遊郭に代わって「赤線」が登場しました。赤線と呼ばれるのは、警察署や交番にある地図でこうした地域が赤の線で囲われていたからだと言われています。戦争が終わってアメリカ軍の占領が開始されると、占領軍が最初に日本政府に命じた命令のひとつは、占領軍向けの女性を組織せよ、というものでした。すなわち、慰安婦です。韓国との間で問題になっていますが、男性が数万単位で居つくとすれば、女性問題は避けられない問題で、慰安婦という存在はそのひとつの有力な解決策でした。日本の主に地方政府(要するに、市町村)はアメリカ軍向けの慰安婦を募集して、それを限られた地域に住まわせ、アメリカ軍人向けの遊興施設を作ったのでした。これが赤線地帯です。東京だけでも約70か所に赤線がありました。私は、昔、八王子に住んでいたことがありましたが、駅から家まで歩く途中に非常に不思議な空間があって、ちょっと調べてみると、そこは昔の赤線地帯だったのでした。いきなり旅館があったりするんです。

新吉原、新宿、品川、千住、玉の井、亀戸、鳩の街(向島)、立川の錦町と羽衣町、八王子、調布などです。ちなみに、赤線とは、警察の監視の下での集娼地区のことで、特殊飲食店の指定がされていました。今のソープランドが特殊浴場として認可されているのと同様です。赤線の他にも、特殊飲食店の指定のない「青線」、完全にもぐりの「白線(パイセン)」というのもありました。白線は旅館などにしけこんで密かに売春を行うものでした。昔も今も売春はいけないものとされていたわけですが、赤線、青線の領域の中だけではそれが許されていたわけです。今の言い方で言えば「売春特区」でしょうか。

考えてみれば、繰り返しますが、売春はいけないものです。地域を限ればいいというものではありません。売春がいけないということは、だから、絶対的な正義の主張となります。占領が終わると、売春を禁止しようという機運が高まりました。当然のことかもしれません。そして、昭和32年(1957年)に「売春防止法」が施行され、売春は全面的に禁止されるようになりました。これにケチをつけるのはなかなか難しかったと思います。売春はあってもいいんじゃないの、とか、売春にも存在意義がある、とか、売春婦を差別するなと言った議論はなかなか難しかったのではないかと思うわけです。売春防止法施行においては、たぶん、売春という行為は絶対悪として取り扱われ、「悪」を根絶する試みと受け止められたはずで、それは今でもそのように考えられています。今でも売春肯定の議論は、確かに、しにくいものです。


この話、もう少し続きます。戦争と善と悪の話になるまでご辛抱下さい。

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2015年10月15日木曜日

【第24回】正しい戦争⑤

2007年度のテーマは「正しい戦争」でした。大変に難しいテーマだったと思います。私は年度末のゼミの最後でゼミ生に対して2つの講義をしました。ひとつ目は「ナウシカの政治学―――悪の根絶を躊躇う政治学」というタイトルです。たぶん、これまででもっとも私らしい話になったと思うのですが、これを再現するのは大変難しい。以下、ゼミでの講義をできるだけ再現してみます。

講義の始めに、ヘーゲルの言葉を掲げました。「たとえ世界が滅ぶとも正義をなすべし」です。日本では表の顔としてこうしたことを平気で言う人がたくさんいます。もちろん、日本人は表と裏とを使い分けますから、口でこんなこと言っていても心の中ではこうしたことをまったく欠片も信じていないという例は珍しくありません。私は、悪の効用を論じる男ですから、こういう使い分けは原則としてしません。ただ、心のどこかに「たとえ世界が滅ぶとも正義をなすべし」という気持ちが存在していて、たま~にですが、それが顔を出すことがあります。

柴田ゼミは戦争を主たるテーマとしています。あるいは、暴力でしょうか。藪から棒ですが、戦争は売春に似ています。同様に、暴力は性と近親の関係にあります。

暴力と性は人間におけるいわば「取扱い注意」の対象で、しかも、それらは人間から切り離すことは不可能な人間の本質の一部です。そもそも、人間の脳において、暴力を司る部分と性を司る部分は隣り合っているそうで、人間の脳は生まれてから徐々に発達して完成に至るので、人によってはこれらが混線して異常を来たすことがあるようです。

たとえば、「サカキバラ事件」の犯人は、鳩や猫を殺してバラバラにするということを人を殺す前にしていたと言われますが、こうした場合、こういう性向の人間は、こういうことをしながら性的に興奮しているということです。つまり、勃起し射精するそうです。人を殺す際にもそうしたことがあったはずで、性的な興奮は鳩や猫を殺すよりも遥かに大きかったはずです。こういう人間がいる、こういう人間が形成されるということを私たちは肝に銘じて知らねばなりません。それは、人間がいかに不完全な形で生まれ、その後、完成された人間になるに際して相当の時間が掛り、しかも、その形成に失敗することがままあるということを知らねばならないということです。

戦争や暴力のことを考えようと思えば、人間とは何かを考えることが、当然のことながら、非常に重要になります。人間は非常に不完全な形で生まれます。三つ子の魂百までと言いますから、3歳くらいには人はすでにその人なのでしょうが、それでもやはり、きちんとした人間になるまでに15年や20年はかかるものです。その間に、親を最筆頭にして様々な周囲の影響を多大に受けながら成長し完成する存在、それが人間なわけです。生まれてすぐ立ち上がり走りだし群れについて行く馬とは相当に違った存在です。しかも、人間の厄介なところは、こうした成長のプロセスを本能によってはたどれないことだと思います。

他のすべての動物が本能によってこの世界に適応するのに対して、ひとり人間のみは本能とは異なったものによって世界を知りそれに適応するのです。つまり、人間の本能は機能していない、壊れていると考えられます。では、本能に代わって人間に世界を教え世界に適応させるものが何かと言えば、それこそが広い意味での「文化」ということになります。私たちは人として生まれるのではなく、生まれてから後、徐々に人になっていくのです。ですから、人間としてきちんと世界に適応し得るようになるまでには、様々な困難があるわけです。それ故、人が成長に失敗することは珍しくないのです。簡単に言えば、変態は案外いるということです。

さて、この後、暴力と性、戦争と売春、という人間にとっての「取扱い注意」の話が続くのですが、この講義は、卒業生が集まると今でも話題になるようなものになりました。長くなりますが、少し辛抱してお付き合い下さい。


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