2017年3月15日水曜日

第58回【1989 時代は角を曲がるか⑬】

1年間のゼミの最後に恒例の講義を行いました。後に著書のタイトルにもなる「ウェストファリアは終わらない」は、この時のタイトルに使ったものです。以下、講義の内容をできるだけ実際に近い形で再録致します。

前口上があんまり長くなるのもなんですが、今年のゼミの位置づけを結果論的にお話しするところから話を始めます。

柴田ゼミは今年が5年目。5年間、テーマは変われども一貫して「国際システムは根底的に変化しつつあるのか」と問うてきました。最初はそんなつもりはなかったのですが、どうやら今年度で、この問題には結論が私なりに出たように思いますので、来年度からは、少し問題意識を変えていこうと考えています。

ちなみに、これまでのテーマを並べてみますと、「主権の再検討」「正しい戦争」「難民は夢を見るか」「保護する責任」そして「1989年」となります。私の根底的なテーマは突き詰めると、主権国家からなる国際政治構造が今変容しつつあるのか、それとも、変化なんかしていないのかということになると思います。私は、私なりの結論に達しました。変化なんかこれっぽっちもしていない!以上です。

ちなみに、国際政治学者の間では、これを正面切って言う人は多くないように思います。主権国家には問題が多いし、確かに変化しているように見える部分がたくさんあるしで、今は過渡期だというのが一種の定説のような感じになっています。私は、この定説を明確に否定します。(『ウェストファリアは終わらない』がまさにこれをテーマにしたものです。)

そこで、まず第一に、国際政治における「構造」とは何であり、「システム」とは何であるかということから話を始めましょう。

構造主義人類学の始祖であるレヴィ・ストロースによれば、構造(structure)とは「要素と要素間の関係とからなる全体のことであり、「この関係は、一連の変形過程を通じて不変の特性を保持する」というものです。これに対して、システム(system)とは「要素と要素間の関係とからなる全体」のことであり、「ただし、体系には変形が可能でない」とされています。分かり難いことこの上ありませんが、長くなるので説明はしません(『ウェストファリアは終わらない』をお読み下さい)。国際政治学においては「構造」と「システム」は専門用語としてきちんと区別して使われている例はないと思います。国際政治「システム」とか西欧国家「体系」とか冷戦「構造」とか言ったりしますが、構造とシステムをきちんと使い分けて使用している例を私は見たことがありません。

では、国際政治における構造とは何であり、システムとは何でしょうか。私は、これをきちんと区別して用いようと思います。

地球全体として考えると、国際政治構造と呼べるものが登場したのは近代になって以後であると思います。それ以前は、細々とそれらが繋がっていたとはいえ、世界のいくつかの地域にばらばらに「一種の国際政治構造」が並存していたと考えられます。その代表的なものが西欧の神聖ローマ帝国とカトリック教会の2つの頂点をもつ構造とアジアの中国を中心とした冊封体制という構造です。これらをひとつに結び付けてばらばらの地域の歴史をひとつに繋いだのがモンゴルの征服で、ここに世界史の出発点があります。モンゴルこそが世界をひとつにしたのです。

近代になって、西欧は主権国家が誕生、成長し、その結果、その構造がまったく転換を成し遂げたのですが、それ以外の地域(アジア、インド、イスラム、アフリカ、南北アメリカなど)の構造は大きく変化しませんでした。西欧は、構造の変化を通じて力をつけ、他の地域を侵略、征服、植民地化していきました。そして、色々あったことは省きますが、第2次世界大戦を経て、西欧に発する主権国家からなる国際政治構造が全世界を覆い尽くすことになったわけです。

考えてみれば、植民地の独立を唱えて西欧諸国に挑んだ日本も、それに勝ったにもかかわらず植民地を手放した西欧諸国も、植民地から独立したアジア・アフリカ諸国も、結局は、近代に西欧で生まれた主権国家の構造を選び取り、世界全体が西欧で生まれた国際政治構造で覆われることになったのです。私たちは現在、西欧で生まれた主権国家による国際政治構造の上で生きています。例外はありません。それがいかに残念なことだとしても(私はそれほど残念ではありません)、私たちは西欧生まれの構造の中で生きています。

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