2017年6月30日金曜日

第65回【彼らはなぜ核兵器を持つか⑤】

2011年度は「なぜ彼らは核兵器を持つのか」と題して、核兵器保有国が核兵器を持つ理由について考え、それを通じて、核兵器にまつわる多様な意味を考えようとしました。

人類はいくつかの難問(difficulties)に直面していますが、核兵器の問題がそのひとつであることは明らかです。核兵器とはそもそも何なのでしょうか。核兵器はどのように管理されているのでしょうか。核兵器を廃絶することは可能なのでしょうか。なくならないとすれば、それはなぜなのでしょうか。なぜ日本は核兵器を持たないのでしょうか。イランや北朝鮮はなぜ核兵器を獲得しようとしているのでしょうか。

米ソは冷戦時代、人類を何度も絶滅させるほどの核兵器を保有していました。減ったとはいえ今も米ロの核兵器は十分に削減されていません。なぜこのような愚かなことが起きるのでしょうか。現在、北朝鮮は核を保有し、それの実戦配備を急いでいるように見えますが、国民が飢えていると言われる中でそのような行動をするのはなぜなのでしょうか。

核兵器を国際条約で許容される形で保有しているのは5カ国で、そのすべてが国連の安全保障理事会の常任理事国です。これを許している条約が核拡散防止条約(NPT)で、なぜこのような露骨な差別条約が世界中のほぼすべての国家を加盟国として成立しているのでしょうか。核兵器保有5カ国を除くすべての国家は、この条約によって核兵器の獲得を禁止され、平和利用においても、国際原子力機関(IAEA)の査察を受け入れる約束になっています。保有5カ国だけが核兵器の保有を許されていますが、保有国は、非保有国が保有を禁止されているのと引き換えに、核兵器の削減を義務付けられています。ただ、削減や廃絶のタイムテーブルは用意されていません。非保有国が条約に反すれば大きな不利益を被るのですが、保有国は核兵器を保有し続けても何ら制裁などは受けません。現に、保有国は減っていません。

NPTに加盟しない核兵器保有国も存在します。明らかに核兵器を保有しているのが、インドとパキスタンで、保有を疑われる国としてはイスラエルがあります。最近では、北朝鮮の保有が疑いのないものとなっていますが、北朝鮮は、NPTの加盟国です。1993年と2003年に条約からの脱退を宣言して核兵器の保有に突っ走っていますが、条約加盟諸国は北朝鮮の脱退を承認していません。NPTはこれまで条約違反をした加盟国がなかったのですが、北朝鮮はその初めての国となりそうです。

この他に、南アフリカが過去に核兵器を保有したもののすべて廃棄したことを明らかにしています。保有した核兵器を廃絶した国は南アフリカのみです。保有している期間中は、南アフリカの核保有に気が付いた国はありませんでした。短い期間でしたし、結局は真偽不明のままだったのですが、ミャンマーの核兵器開発がうわさされたこともありました。イランは核兵器の開発を目指していますが、昨年、アメリカを始めとする国々と合意が成立して、開発を一時停止ないしは減速するとされています。この合意が非常に危うい基盤の上に成り立っていることは明らかで、今後どうなるかについての予想はつきません。

それにしても、核兵器を保有する国や獲得しようとする国は、なぜ核兵器を持つのでしょうか、あるいは、持とうとするのでしょうか。

ゼミ生たちには、核兵器を持つ国、あるいは、持とうとしている国をひとりひとつ取り上げて、その国が核兵器を保有する理由を探求するように指示しました。

その作業に取り組む前に、私たちが勉強したのは、核抑止とは何かというテーマでした。次回から核抑止について論じます。

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2017年6月15日木曜日

第64回【彼らはなぜ核兵器を持つか④】

では、国際政治とは何でしょうか。私は、国際政治とは次のようなゲームだと考えています。この「ゲーム」と考える考え方が重要であるように思います。ただし、これは命がけのゲームですが。

それぞれの主権国家には「国益」があります。この国益にはとてつもなく重要なものと、まあそれほど重要でないものとがあります。国家によって優先順位が異なります。自国の優先順位を知ることと同様に他国の優先順位を知ることが重要です。また、国益は時間と共に変化する場合があります。ある時重要だったことが別の時には重要でなくなったり、その逆のことも起きます。国際政治の場とは、これらの国益と国益がぶつかり合う場所なわけです。放置するものは放置し、処理すべきものは処理すべきなわけですが、相手のあることですからどこかで妥協しなくてはなりません。どこで妥協するかを決めるものがパワー(日本語に訳する権力)で、パワーは多様です。軍事力のこともあれば経済力のこともあれば、他の何か無形の力であることもあるかもしれません。ただ、何らかの力(パワー)なくして自己に有利な処理は行われません。処理に第3国や国際機関が関与することもあるかもしれません。

すなわち、国際政治とは、国益をめぐって多様なパワーやアクターが織り成すゲームだということです。ゲームには習熟しなければなりません。ゲームで優位を占めるためにはパワーを貯え多様な人脈を築かなければなりません。総合的な力が試されるわけです。

このゲームを戦うのに忘れてならないことは、このゲームが永遠に続くということです。疲れる話です。勝利も敗北も一時のことです。すなわち、一時の勝利が未来にどう影響するかをも考えなければならないということです。一時の敗北が未来に与える影響も考えねばなりません。つまり、勝ちすぎてはいけないこともあれば、負けたからと言って悲観しなくてもいい場合もあります。絶対に負けてはならない場面も存在するはずです。

ゲームの参加者も永遠です。ある時ある問題でぶつかった相手は、それ以後も交際を続ける相手であり続けます。私たちは国際社会では大人である必要があります。自分とはまったく異なる相手の立場を理解しなくてはいけないし、ぶつかりあった相手ともその後何食わぬ顔で付き合い続けなくてはなりません。

私は、国際政治には「絶対」はないと言いました。しかし、絶対に近いものこそ、永遠に近いものこそ「国益」なのだと思います。ただし、国益は時々刻々変化します。これはゴリゴリのリアリストのものの考え方ですが、長年勉強して私はこれが国際政治の真の姿だと思うようになりました。いや、むしろ、国際政治は、国益のぶつかり合うゲームだと割り切ってものを考えるべきだと思うようになりました。国益をベースに殴りあった相手と次の瞬間には笑顔で握手を交わし、それでいながら次の殴り合いに備えるというような、そんなゲームです。相手も自国と同じように国益をベースにしてものを考え自分と争っている、自分とまったく同じ存在だと心から思うのが心の健康を保つ秘訣です。国家の健康とはそういうものです。

以上の観点からすると、日本はいささか不健康、ないしは、病気です。外から見ると、日本人が本当は何をしたいのかが見えてきません。これは実に気持ち悪い存在です。普通なら何か隠しているのでは、と思われるところで、実際にそのように思っている人が国際社会では珍しくないのですが、私は日本人だから知っていますが、実は、何も考えていないのです。ボーっとしているだけです。私は、そろそろ日本人は日本人として国際社会で何をし何を実現したいかを明確にすべきだと思います。そのためにも、国際政治とは、国益と国益がぶつかり合うゲームだということを肝に銘じて知らねばならないと思います。


脱線が長引きました。次回、6年目のテーマ「なぜ彼らは核兵器を持つか」に戻ります。

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