2017年7月30日日曜日

第67回【彼らはなぜ核兵器を持つか⑦】

兵器には、攻撃、防御、強制、抑止の4つの使用方法があります。

核兵器の最大の特色は、攻撃、防御には使えない可能性が非常に高いことです。核兵器は使用する側もされる側も最終的には壊滅的な被害を被らざるを得ないという点でまさに使えない兵器であるわけです。少なくとも、米ソの核対立にはそのような暗黙の了解のようなものがあったと思います。ですから、核兵器の使い道としては、強制と抑止以外にないわけですが、一般に、核兵器を持った国が核兵器を持たない国に対して、核兵器で脅しをかけて何事かを実現するということはしない了解がこれまでの国際社会にはありました。つまり、強制は行わないということです。これもまた暗黙の了解に近いものですが、そうでなければ、すべての国が核兵器を持つようになるのが必然で、核兵器を持つごく少数の国は、そのような核兵器の拡散を恐れて、核兵器を自国の国益の増進のために非核兵器国に対して使うことはしないできたわけです。核拡散防止条約(NPT)の基礎にはこうした考え方が存在しています。

そうなると、核兵器が何のためにあるかと言えば、核兵器を持つ国同士における抑止以外にないということになります。ただ、核兵器は、それを持ちさえすれば抑止が働くという単純なものではありません。

核兵器はその運搬手段と一体の兵器です。核弾頭だけがあっても、それを敵国の内部に運び込むことが出来なければ意味がありません。運搬手段には、飛行機、地上からのミサイル、戦艦および潜水艦からのミサイルなどが考えられます。もちろん、スーツケース爆弾のような核兵器の可能性も考えられますから、人間が手にもって徒歩で核兵器を敵国に運び込むことも論理的には可能です。核兵器を持つ国にとって運搬手段の開発は必須です。

運搬手段などについてはここで詳しく論じることはしません(ゼミではこれについても詳しい議論を行いました)。問題は、抑止の条件とはどのようなものか、ということです。
まず第1に、核兵器を持つ国は、幾分矛盾しますが、一旦緩急あれば、この兵器を使う覚悟がなければなりません。冷戦時代に米ソは、核兵器は使えない兵器であるとみなしていたと考えられますが、しかし、究極的にはそれを使う覚悟を持っていたように思います。そうでなければ、核兵器は宝の持ち腐れです。そして、使う覚悟をお互いが持っている以上、最大限に運搬手段の開発を行いました。相手が先に自国を攻撃するようなことがあってもなお生き残る運搬手段を持とうとし、そして、現にそれを手にしました。相手を最大限の核攻撃に晒してもなおその相手から報復を受けるという可能性が自国の核の使用を抑制するのです。変な話ですが、自己を抑制するものは敵である相手の真面目な戦略的努力ということになるわけです。逆に、相手の抑制を導くものこそ自国の戦略的な備えであるのです。

こうした戦略は「MAD(相互確証破壊)」と呼ばれました。仮に、自国が核攻撃を受けても十分な核兵器が生き残り、敵に対して耐え難い報復を行うことができる、そんな戦力を保持するというものです。

冷戦時代の米ソは、相手の核兵器のすべてを破壊できるような攻撃力を開発することを目標としていました。精度の高いミサイルの開発もその一環でしたし、核兵器の数が増えたのもそのせいです。また、それとは逆に、すべての核兵器を一度に破壊されることがないように戦略を練りました。陸上の核兵器サイトはぶ厚いコンクリートで覆われました。冗談みたいに思えますが、アメリカ本土にある核兵器が仮に全滅しても報復のために核兵器が生き残るように、核兵器を積んだ潜水艦が海のどこかに常に潜んでいますし、同様に、核兵器を積んだ戦略爆撃機が常に上空を飛んでいるのです。今この時も潜水艦はそのために潜り、戦闘機はそのために飛んでいるのです。陸上の核兵器も、場所を特定されないように常時移動しているものがあります。

たぶん、米ソ両国の核戦略関係者は、こうしたことのすべてが馬鹿げたことであることを知っていたのだと思います。この戦略が「MAD」と呼ばれているのはその表れだと思います。

そんなこんなを突き詰めて考えてみると、核抑止は敵味方が一体となる部分を多様に秘めていてどこか八百長的です。アメリカは本当に隙あらばソ連に核攻撃をしようと考えていたのでしょうか。ソ連はチャンスが到来すればアメリカに核をぶち込む気でいたのでしょうか。どちらも結局核を使用していないために、抑止が効いていたからどちらも核攻撃をしなかったのか、抑止とは関係なく、最初から双方に核攻撃をする気がなかったからそういうことが起きなかったのか、証明することができません。もちろん、証明の時が訪れなかったことは人類にとって幸いであったわけですが。

抑止の条件の第2は、核兵器を持つ国は、相手の核攻撃を完璧に防御しようとしてはならないというものです。国家は国民を守るために存在しているわけですが、核兵器に関してはそれをあたかも放棄するかのように行動しなくてなりません。相手の核攻撃を完璧に防御できるとすれば、自国は相手に核攻撃をし、しかも、相手の報復を免れることができるわけですから、核による攻撃を自制できなくなります。あるいは、そうした防御体制の確立の前に、敵国は必ず攻撃をしかけるはずです。なぜならば、防御体制確立の後では、自国の核保有は意味のないものとなるからです。そこで、核保有国は、自国が敵国に核攻撃をしないことを明確に示すために自国の防御をしないことが必要になります。米ソ間のABM条約では、国内2ヶ所に限り防御ができるとの約束を交わしました。逆に言えば、2ヶ所以外は守らないということを約束したことになります。敵国からの報復が有効に行われる状態をあえて作り出すことによって、自国が核による先制攻撃をしないという証を立てるわけです。彼らは本当に核兵器を使う気があったのでしょうか。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。






2017年7月15日土曜日

第66回【彼らはなぜ核兵器を持つか⑥】

核兵器は、初めて製造をされてから、実験では何千回も使用されているわけですが、実戦では、広島と長崎に使用されたのみです。その用途は、「抑止」のみにあると言われたりすることもあります。他の兵器とは明らかに異なった性質の兵器です。

そもそも、抑止とは理解の難しい概念です。
核兵器に限らず兵器には4通りの使い道があります。
1に、それを使用する方法。第2に、それを実際には使わずに済ます方法です。
さらに、使用する方法に2つの用途があります。その第1が、「攻撃」。そして、第2が、「防御」となります。攻撃と防御は明確に違うようにも思いますが、実は、何が攻撃で何が防御かを区別することは簡単なことではありません。野球やアメリカン・フットボールでは攻撃側と守備側がはっきりと分かれていますが、サッカーやラグビーでは必ずしもはっきりとしません。フォワードがバックスの横パスを奪おうとすることは攻撃でしょうか、それとも、守備でしょうか。軍事において、放っておくと自国を攻撃してくるに違いない敵国の基地を予め攻撃することは攻撃でしょうか、それとも、防御でしょうか。このようにして、古来すべての戦争は「自衛」を理由として開始されます。そして、それはまんざら嘘ではないのです。

使用しない方法にも2つのあり方があります。その第1が「強制」です。武力にものを言わせて相手国を自国の望むように動かすのが強制です。こちらが言わなければけっして相手がしないようなことを相手にさせるのが強制です。概念理解のためには何となく分かるではいけないので、口説く説明しますが、強制の特徴は相手に「to do something」を強いることと言えます。これに対して、使用しない方法の第2が「抑止」です。抑止とは、相手に何事かをしないことを強いるということになります。すなわち、「to do nothing」を強いるのが抑止というわけです。動いていない相手に「そこを動くな」と言うのが抑止なわけですが、難しいのは、動いていない相手に「動くな」と言うわけですから、相手が引き続き動かないのがそう言われたから動かないのか、言われたことと関係なく最初から動くつもりがないから動かないのかが証明できないということです。軍事力の使い道でもっとも検証困難なのが抑止であるということがわかると思います。抑止が効いていたかどうかが証明されるのはその抑止が破られる瞬間ということになるのです。

このように、軍事力には、攻撃、防御、強制、抑止の4つの使い道があるのです。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。


http://www.kohyusha.co.jp/books/item/978-4-7709-0059-3.html