2017年8月30日水曜日

第69回【彼らはなぜ核兵器を持つか⑨】

「なぜ彼らは核兵器を持つか」というテーマで1年勉強したわけですが、ここからは、ゼミ生の論文のご紹介を致します。

まずは、昨今話題の北朝鮮を取り上げたゼミ生がひとりいました。2011年の北朝鮮の核問題は今よりもはるかに分かりにくいものでした。201112月に金正日が死去、現在の北朝鮮の指導者、金正恩が跡を継いだのですが、将来はまったく不透明でした。

ゼミ生は、北朝鮮が核兵器を持とうとしていることは間違いないけれど、その動機にどのようにアプローチしてよいか、まったく分からないと言って相談に来ました。私は、まずは、どんな可能性があるか並べてみて、そこから可能性のあるものを選んで、仮説を立ててアプローチしてみるように指示をしました。ゼミ生は、北朝鮮の核兵器開発の動機として5つの仮説を提出してきました。すなわち、①アメリカへの抑止、②瀬戸際外交のカード、③先軍思想からの論理的帰結、④国民の象徴としての核兵器、⑤産業としての核兵器、以上です。

私は、ゼミ生に対して、北朝鮮「死の商人」説でアプローチしてはどうかとアドバイスをしました。その線で書かれた論文の内容は以下のようなものでした。

北朝鮮の経済規模は、日本人の私たちにはちょっと想像できないほど小さなものです。GDPが約150億ドル(16000億円程度)に過ぎません。東京都の予算が約10兆円であることを考えてみても、人口約2500万人の国のGDPがこの程度というのは驚くべきことです。北朝鮮は、国家自身が覚醒剤を製造し販売したり、偽札を製造して使用したりと、普通の国家では考えられないようなことをしてきました。最近では、ハッキングによる犯罪にも手を染めていると言われています。

核やミサイルの技術を、国際的に孤立した国家に援助し売っていることも公然の秘密です。イランやミャンマー、シリアなどに技術を流失させたと言われてきました。パキスタンとの繋がりも太いものがあるようです。そのパキスタンも核技術と原材料の流出で有名です。

核兵器の値段を知ることは大変に難しいことですが(なぜなら、普通は売ったり買ったりしないからです)、また、核兵器の完成品を売るのと製造のシステムを売るのとでは、値段が相当に異なるものと思われますが、大雑把に言って、1000億円から5000億円と試算されます。この金額は、もちろん、小さくはありませんが、国際的な孤立を招く行為としては安過ぎるように思えます。しかし、北朝鮮の極端に小さな経済規模とすでに孤立していることを思うと、この数字は魅力的に映るように思えます。北朝鮮の核兵器開発の先には、核技術を販売する構想があるのではないかと想像できます。

以上の北朝鮮「死の商人」説は、けっして荒唐無稽なものではありません。北朝鮮は、たぶん、核の技術を、アメリカやソ連や、分裂後のロシアやウクライナや、あるいは、中国から盗んで来ていると考えられます。また、日本で教育を受けた核関連の技術者が、北朝鮮に核の技術をもたらしたことは間違いありません。その上で、開発した核やミサイルを国家の、いわば、事業に仕立てるつもりであるというのは、たぶん、そう的を外れた議論ではないと思います。

昨今、北朝鮮の核兵器の脅威が現実のものとなり、世界中が一種の緊張を強いられているわけですが、その先には、北朝鮮が「死の商人」として、核を世界中に拡散する可能性が潜んでいることは間違いありません。

北朝鮮の核とミサイル自体が脅威であることは間違いありませんが、私は、本当の脅威は、北朝鮮が核兵器を保有することで、NPTという核管理体制が崩壊し、核が一気に拡散することであると思います。その時、北朝鮮は、核拡散の中心的存在になると考えられます。国際社会は、北朝鮮に核兵器とミサイルを放棄させることができるでしょうか。できるとすれば、それはどのようにして可能となるでしょうか。

北朝鮮が何があっても核を放棄することがないとすれば、かなり悲観的な予想をする以外にないかもしれません。軍事的な解決か、あるいは、核拡散を許容する新しい世界システムかということになると思います。新しいシステムにおいては、それを許容する以上、アメリカの地位は劇的に相対化されることとなります。アメリカはそれを甘受するでしょうか。ロシアと中国が静観するどころか、北朝鮮を目立たない形で陰で援助しているように見えますが、彼らのような現状変革勢力としては、アメリカの転落の可能性がある以上、それに棹差すのは当然のことです。


この年度のゼミのテーマから少し外れました。これ以上、「今」の問題に深入りするのはやめておきますが、アメリカは、日本は、どうしたらよいのでしょうか。

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2017年8月15日火曜日

第68回【彼らはなぜ核兵器を持つか⑧】

核抑止は非常に複雑で分かりにくい概念、というか、現実です。様々にねじれています。究極的には核兵器を使用する強い意思があるにもかかわらず、先に使用することをとことん嫌悪し、さらに、先制使用はしないということを敵に分からせ、それを信用させようとします。それなのに、その両者の間には、修復しがたい溝、相手がとことん信用できないという現実があったのです。非常に不条理な状況が現実でした。それでもなお米ソの間には、核の均衡と抑止が成立していたのです。信用していないのに信頼している、というような、実に変な関係が数十年続いたわけです。

以上のような関係が出来上がった背景には、核兵器に対するリアルな認識があったと思います。すなわち、これを使うようになったらお仕舞いだという確信です。それを使わないためであれば、たとえ正義にもとるとしても仕方ないというような諦めが存在したと私は思います。それを批判することは容易いことですが、私はこれこそ人生だと思うのです。米ソは正義よりも平和を優先しました。ここで言う平和とは、米ソの間に核兵器を使用するような戦争が起きないという消極的なものです。しかし、実際に核戦争が起きたことを考えれば、この消極的平和に勝る平和が存在するでしょうか。どんな正義がこの平和に優先されるべきでしょうか。私たちはそんな時代を生きていたわけです。あるいは、今も生きているのです。

冷戦が終わって25年。世界は変わりました。ソ連の後継国ロシアとアメリカの関係は大幅に変化しました。米ロ核戦争の可能性はゼロではありませんが、冷戦時代とは比較にならないほど小さくなりました。核をめぐる問題は、米ソ対立の問題から核拡散の問題に移っています。抑止などにまったく関心を持たない、手にしたらそれをすぐにでも使いかねないような国が核兵器の開発をしています。米ソの間にはどこか八百長めいた感じが漂っていましたが、現在の核疑惑国と有力国の間に八百長の雰囲気はありません。核をめぐる問題は冷戦時代よりもはるかに複雑に、そして、難しくなっています。北朝鮮やイランは核を持ってどうするつもりなのでしょう。あるいは、何のために核を持とうとしているのでしょうか。それは抑止のためだ、というような議論がありますが、本当でしょうか。核抑止とは、相手に核を使わせないだけでなく、自分も先制的な攻撃手段としては実は使う気はないのだということを明らかにして初めて成立するものです。しかも、究極的には、使う覚悟がなければならない、という矛盾したものです。疑惑国にそのような綱を渡りきる政治的技(わざ)があるでしょうか。

アメリカはソ連をとことん信用していませんでしたが、それでも、相互抑止という点では、アメリカは、ソ連も同じように考えているはずだと信じていたように思います。そうでなければ相互抑止は機能しなかったはずです。現在の疑惑国をそのように捉えることは可能でしょうか。私は悲観的です。私たちは冷戦時代よりもはるかに難しく危険な時代を生きているのかもしれません。時々ですが、冷戦時代は平和であったとふと思ったりすることがあります。

抑止は非常に難しい概念です。なぜなら、それは一般的な意味の正義に反する部分を含んでいるからです。私たちは、正義が不正義になり、不正義が正義に通じるメビウスの輪のような時代を生きていることを肝に銘じる必要があります。もう単純な昔には帰れないのです。現代に生きるとは、そうしたことを意識してなお生きるということなのです。

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