2018年3月30日金曜日

第83回【20世紀の悪魔・民族自決③】

脱線を続けます。ミャンマーの民主化の問題です。

ある国家を平和的で民主的な国家に変化させるための条件とはいかなるものでしょうか。もちろん、多様な条件が存在します。国民の民度の問題は重要ですし、そのための教育やメディアの問題も重要でしょう。国際社会がこれらの動きを外から援助することも重要になるかもしれません。そうした様々な条件の中で、私は、地域的な国際組織の重要性を指摘したいと思います。

国家は国際社会の中で様々な組織の構成員になっているのが普通です。こうした組織とまったくかかわりを持たず、完全に孤立している国家というのは現在では存在していませんし、存在しようがありません。

国際組織には様々なものがあります。国連のような普遍的で、多様な問題を扱う組織からIWC(国際捕鯨委員会)のようにワン・イシューをもっぱら扱う国際組織まであります。WTO(世界貿易機関)のような貿易をテーマとした組織は「機能的組織」と呼べます。ミャンマーもその加盟国であるASEAN(東南アジア諸国連合)のような組織は「地域的組織」と呼ぶことができます。国連などは「普遍的組織」と呼べます。

ある国家にとって自国が加盟している国際組織の中でもっとも重要な組織は何か、という問題はその国家によって異なるというのが正しい答えですが、一般に、小国にとって、自国が単独で何らかの影響力を及ぼすことのできる組織ということになると「地域的組織」ということになります。加盟国が多くなるに従って、また、組織に大きなパワーを持った大国が含まれると、小国の影響力は必然的に限られたものとならざるを得ません。地域的組織では、加盟国の数は地域が限定されている以上一定以上に増加する可能性はありません。また、そこに含まれる大国の数も限定されます。ASEANにおいては、アメリカ、中国、日本、ロシア、インドのような大国は、そもそも地域的に言って、加盟の資格がありませんので、組織に大国が含まれることがない組織ということができます。

また、国連を始めとする普遍的組織や経済問題や軍縮問題を扱うような機能的組織への加盟は、自国の国益に鑑みて加盟の是非を検討することができますが、地域的組織への加盟は、ある意味で、運命ということになります。国家は引っ越しができませんから、周辺の国家の存在は選択の余地のない運命ということができます。地域的組織への加盟・非加盟にも確かに選択の余地はありますが、地域的組織が形成されるような基盤が整った地域において、それに加盟せず孤立の道を選ぶとすれば、あるいは、加盟国から加盟を許されないとすれば、加盟しない・できない国家に何らかの問題があることは明らかで、たとえば、ASEANにおいては、冷戦の終結にともなってベトナムやラオス、カンボジアが加盟し、最後にミャンマーが加盟することで東南アジアのすべての国家がこれに加盟することになったわけですが、確かに、後から加盟した諸国家には様々な問題があったし、現在でもそれは完全には解決されていません。それでも、組織の中に抱擁することで長期的にその国家に変化をもたらすことに価値を見出しているように見えますし、それは成功しているようにも見えます。

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2018年3月15日木曜日

第82回【20世紀の悪魔・民族自決②】

2012年度のテーマ「20世紀の悪魔・民族自決」のご報告を開始していきなり脱線というのも申し訳ありませんが、ご容赦下さい。

柴田ゼミには、以前にも触れたことがありますが、ゼミ生および卒業生のみがアクセスできるSNS「ゼミクシィ」があります。めったにないことですが、たまに、ゼミ生から私に挑戦状が突きつけられる場合があります。

2012年度は春の早い時期に4年生から挑戦がありました。前年度の「核兵器」のテーマでミャンマーを扱ったゼミ生です。彼は、開始まもなくのミャンマーの民主化の動きに懐疑的でした。それに対して、私は「ミャンマーの民主化は不可逆的である。根拠もある。でも、今は言わない。」とゼミで言いました。話せば長くなるからです。ゼミではあまり脱線はできません。新たな年度になって、その「根拠」を開示せよ、と迫られたのです。

2012年になると、誰もがミャンマーの民主化の後戻りはないと考えるようになっていました。予想が当たるのはいいことですが、重要なのは、根拠です。理論的な根拠を基に近い将来を予想し、当たろうが当たるまいが現実を観察して、理論にそれを反映するのが理論家の仕事です。

学生の挑戦に対して「ゼミクシィ」で以下のような文章を「国家を平和に導くもの」と題して書きました。国際政治を観る目を養うためにもためになると思いますので、少し長くなりますが、以下にご紹介致します。

ミャンマーの民主化をめぐる問題でM君から質問がありました。この問題は、4年生は知っていると思いますが、去年のテーマを勉強している時に、進んでいるように見えるミャンマーの民主化に懐疑的な意見に対して、私が「民主化に後戻りはない、私にはそれを裏付ける仮説がある、だけど、今は言わない」と言った、その問題です。現在のミャンマーを見れば、この予測はほぼ当たっていたわけで、種明かしをせよ、というのがM君の質問です。予想が当たるとか当たらないというのは、政治学においては実はそれほど重要ではありません。もちろん、当たった方がいいのは確かですが。真の問題は、なぜ当たったか、なぜ当たらなかったかの理由の方で、そこに仮説の検証と修正の作業の必要性が生まれます。重要なのは、理論的な仮説の有無であると思います。

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