2018年4月30日月曜日

第85回【20世紀の悪魔・民族自決⑤】

話を少し理論的にします。
国家を平和的な方向に導くものとは何でしょうか。もちろん、それは非常に多様なものが考えられます。私がここで提示するものはその中のひとつに過ぎませんが、非常に重要なものであると思っています。

大国(定義するのは大変に難しい)は孤立して、場合によっては、単独でも生きていくことが可能ですが、小国(これも定義するのは大変に難しい)は単独で生きることはできません。ですから、一般に、国家はどこかに仲間を求めるものです。たとえば、現在の上海協力機構のような存在は、どうにも怪しげで、他では仲間ができないような性質の国々が集まっています(検索して下さい)。これはどんな国でも仲間が必要ということの幾分かの証拠であるように思います。ただ、こうした集まりが長期的に有効に機能することは普通ありません。国家は怪しげな集団ではなく、よりまともな集団にひきつけられる性質をそもそも持っているからです。怪しげな集団間でよりもまともな集団間での方が多様な利益を獲得できる可能性が高いからです。なぜならば、怪しげな集団の個々の国家はそれぞれ孤立しているわけで、その国を超えたところでの利益の広がりに欠けるからです。まともな集団に属することのできる国家は多様な利益のネットワークの中で生きることが可能です。このネットワークの一員になることの利益は、実は、計り知れません。

孤立しては生きていかれない非・大国(小国論の中には米中露印以外は結局皆小国というような定義をするものもありますが、それではあんまりなので、ここでは大国の定義なしで大国以外の国をこう呼んで「小国」とは呼ばないことにします)は、ですから、何らかの国際組織に抱かれながら生きることを真に望むということができます。その中でも、もっとも重要な国際組織が「地域的組織」であると私は考えます。地域的組織に所属するための資格は、その地域に存在すること、という努力ではいかんともしがたいものとなりますが、この地域的組織が包括的であればあるほど「まとも」たらざるをえません。なぜならば、これらが「怪しげ」であればまともな国家は加盟しないでしょうし、また、ある地域全体が「怪しげ」な国家のみということはちょっと考えられません。すなわち、運命的に所属せざるをえない地域組織のまともなメンバーとなるためには、しかも、その組織で一人前のメンバーと認められるためには、国家は「まとも」たらざるをえないし、組織に加盟した以上は「まとも」になっていかざるをえないわけです。

国連のような普遍的な国際組織からみると中間的とも言える地域的組織は、このようにして、国家を平和的・民主的に導く可能性があります。しかも、こうした地域的組織は仮に任意に加盟・非加盟が選択できるにしても、加盟しないことはやはりその国家がその地域において何らかの理由で孤立していることを際立たせます。私は、世界がより平和的になるためには、こうした地域的組織の存在が不可欠であると考えます。

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2018年4月15日日曜日

第84回【20世紀の悪魔・民族自決④】

ミャンマーにとってASEANは非常に重要な組織であると思います。ミャンマーは軍事政権が長く続き、しかも、アウン・サン・スー・チーのような民主化運動の指導者を長年軟禁状態に置きました。国際社会では完全に孤立した状態で、同じような問題を抱える大国である中国だけが頼りという状態で、近年では、北朝鮮のような孤立国家としかまともな(これを「まとも」と呼ぶとすれば)交流をすることができないでいました。ASEANは長年国内政治には相互に介入しないことを約していましたが、それは、加盟国の多くが国内政治においては脛に傷を持つ存在で、干渉をし始めれば手が付けられなくなる可能性があるからでした。しかし、ASEANの諸国が経済的に発展するにつれてこうした状況は大きく変化しました。ASEAN諸国の民主化は明らかに進みました。

国際社会で孤立した状態のミャンマーもこのままでいいと考えていたわけではないと思います。問題はどこを突破口にするかということだったわけですが、大統領が交代すると同時に変化を見せ始めました。スー・チー女史の処遇の変化がその典型的な変化の表れでした。しかし、それは根本的な変化の表れであるのか、それとも、まやかしの変化の見せかけであるのかが問題であったわけです。私はこの変化を根本的な変化の表れであると判断しました。

その理由は、ミャンマーが2014年のASEANの議長国となることを真剣に希望していることを知ったからです。ASEANの議長国は基本的に持ち回りですが、各国の同意を必要とします。ミャンマーは軍事政権故に議長国の資格なしとして加盟以来議長国を任されないできました。順番からすると2014年に議長国となるはずだったのですが、議長国を決定するのは2011年でした。ASEANの議長国になるために民主化が急速に進んでると私は判断しました。


ミャンマーのような小国にとって地域的組織は非常に重要であると思います。ましてASEANは歴史もあり、他のどの地域的組織よりも実績があります。周辺の大国を巻き込んだ様々な役割も果たすようになっています。ミャンマーにとってASEANは非常に魅力的で重要な存在であるはずで、そこで一段下の扱いではなく、他の加盟国と対等な立場を獲得したいと強く望んでいるに違いないと私は考えていました。議長国に選出されるということは、まさにそのための重要なステップで、次の機会を待つと10年後ということになります。ミャンマーが今回のこのチャンスを逃すはずがないというのが私の予想でした。案の定、去年の終わりにミャンマーは2014年の議長国に選出されたわけですが、そうであるならば、民主化の後戻りはあり得ないというのが私の判断でした。実際に議長国になるまでの2年間というのは短い期間ではありませんし、その2年間の民主化の実績が重要になります。ミャンマーが本気で議長国を務めるつもりであるとすれば、民主化を進めないわけにはいきませんし、いったん進んだ民主化を後戻りさせることは案外容易ではありません。

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