2018年5月30日水曜日

第87回【20世紀の悪魔・民族自決⑦】

2012年度のテーマは「20世紀の悪魔 民族自決」でした。
学生が個々の「ゼミ論」を書くにあたり、私は以下のようなアドバイスを学生に対してしました。「民族自決」という問題が雲を掴むようなテーマにも思えたからです。

「自決」のどこを捉え、どのような切り口で勉強するかについては、色々なアプローチが考えられますが、私はここで「自決」の過去・現在・未来という整理の仕方をしてみます。たぶん、自分のテーマを見つけるヒントになるはずだと思います。

私が与えるヒントにどっぷりつかる必要はありません。私のヒントを生かしてももちろんいいわけですが、全然違うアプローチで問題に迫っても構いません。私なら先生の言う通りになんてしません、絶対。

「自決」の〈過去〉
民族自決が国際政治上に登場したのは、遡ればフランス革命に行き着きますが、実際的には、第1次世界大戦の前後のことでした。ロシア革命後のレーニンが最初にこれを提案したわけですが、これにはソ連建国と深い関係があります。ロシアは伝統的に民族問題を抱えていたわけですが、これと自決の提案とは密接な関係があるはずです。これに対して、アメリカの大統領ウィルソンがやはり民族自決の提案をしました。民族自決というアイディアがあまりにも正しいので大急ぎでレーニンと同じ提案をしたという印象があります。
また、第1次大戦を有利に戦う戦術のひとつとしても「自決」というアイディアは使用されました。中近東の諸国に対する独立の承認と引き換えに戦争への協力を取り付ける、なんていうのもそれで、こうした空約束が今のパレスティナ問題にまで影響を与えているわけです。

自決の提案は、しかし、第1次大戦後のヴェルサイユ講和会議において、普遍的な価値を必ずしも持つものではないことが明らかになります。ヴェルサイユ会議において、確かに、東欧諸国は自決を果たし独立を実現しました。なんと、バルト三国までが独立を果たしたのです(この短い独立の経験が、冷戦後のソ連からの独立に多大の影響を与えました)。しかしながら、自決原則はアジア・アフリカ諸国へは適用されませんでした。植民地主義は克服されなかったわけです。自決原則は限られた範囲でのみ適用される原則に過ぎなかったわけで、要するに、アジア・アフリカ諸国にとってみれば、期待外れだったわけです。

しかし、こうした普遍的な装いを持った原則というものは、提案者の意図を超えて成長するものです。他にも様々な例を挙げることができると思いますが、一度導入された抽象的な価値は、導入された時の意図を離れて必ず独り歩きし始めるものです。

2次世界大戦後のアジア・アフリカ諸国の独立はそうしたことの証明であると思われます。第2次大戦においては、日本はほとんど世界中を敵に回して戦ったわけですが、戦争の目的のひとつにアジアの解放を主張しました。この主張がどこまで本気だったかについては様々な議論ができるとは思いますが、戦後のアジア・アフリカ諸国の独立という事実に多大の影響を与えたことは否定できないものと思います。日本は、ある意味、第1次大戦時に登場した「自決」の価値を振りかざして第2次大戦を戦ったということが言えます。大東亜会議などはその表れと思います。また、ヴェルサイユ講和会議に「人種的差別撤廃提案」を提出して欧米諸国によって否決されていた経験もこうしたことのアリバイになるかもしれません。

2次大戦後のアジア・アフリカ諸国の独立は、植民地主義の終焉であると同時に、ヨーロッパ生まれの国際政治構造の世界化でもありました。アジア・アフリカ諸国はそれまで自分たちを植民地として支配していた宗主国の作り出した国際構造に自ら踏み込んだわけです。この辺のねじれみたいなものが私には非常に面白く感じられます。

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2018年5月15日火曜日

第86回【20世紀の悪魔・民族自決⑥】

以上の理論的(かなり初歩的なものですが)な考察からわかることは、ミャンマーがASEANにおいて議長国を務めることを強く望んでいるのであるとすれば、民主化を真剣に考えざるを得ないし、議長国に決定するのが議長に実際に就任する3年近く前であることを考えれば、スタートした民主化は不可逆的であり、しかも、民主化の進展を証明する必要からそれは一気に進まざるを得ないはずだ、ということです。なかなか証明しにくいのですが、その根底には、国家の生理のようなものがあります。つまり、自国を取り巻く国際社会から認知してもらいたいという抜きがたい意識のことです。私は、今回のミャンマーの動きの初期にこれを強く感じたので、民主化は進む、後戻りはない、根拠はあると断言したわけです。

以上が、私の判断とその根拠でした。私の予想がはずれるようなことがあれば、それがはっきりした時点で、なぜうまく予想できなかったかを考えて、理論の修正をしなければならないと考えていましたが、どうもそれは必要ないようです。まもなく(確か今日)、スー・チー女史がノルウェーで20年以上遅れてのノーベル平和賞受賞の記念の演説を行うようです。ミャンマーの民主化はどうやら一線を超えて進展しつつあるようです。

物事、特に、複雑な事象を考える場合には、抽象的な理論を背景に持たなければなりません。そして、現実の動きの中で常にその理論を修正し鍛え上げなければなりません。ちょっとだけ種明かしをすると、私の今回の理論的枠組みは、学生時代に勉強したスイスの中立政策と小国の理論化、そして、非同盟の研究があります。これだけで10年の歳月勉強しました。いずれにしても、現実の事象にだけ目を奪われるのでなく、その背景に潜むパターンに注目しましょう。

脱線が長くなりましたが、国際政治の多くの事象を考えるヒントになればと思います。
次回より、2012年度のテーマを巡る議論をご報告致します。

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