2018年9月15日土曜日

第94回【20世紀の悪魔・民族自決⑭】

2012年度のゼミの総括の講義の再録を続けます。

20世紀の戦争においては、軍人よりも民間人の死者が圧倒的に多くなりました。その原因の大半は、都市に対する空爆が一般化したことが挙げられます。もちろん、これは国際法違反です。もっとも残酷と言っていい都市に対する空爆は、東京大空襲とドレスデン爆撃であったろうと思いますが、こうした民間人をターゲットにした攻撃が20世紀の大きな特色で、だからこそ人類史上もっとも野蛮な世紀であると言えるわけです。その極めつけが広島と長崎への原爆の投下でした。

国際法違反の戦闘でその他に代表的と思われるのがゲリラ戦です。戦争とは、ある国家の正規軍と他の対立する国家の正規軍の戦いで、その戦い方のルールが戦時国際法なのですが、そして、戦時と平時を区別することこそが現代の国際社会の大原則なのですが、20世紀においては、不正規軍(ゲリラ)がむしろ主力として戦う戦争が珍しくなくなりました。ベトナム戦争が典型的な例です。その結果、軍人と民間人の区別があいまいになりました。戦時と平時が混ざり合い区別が困難になりました。民間人が戦争に巻き込まれる確率が高くなり、兵士はあらゆる場面で気の抜けない戦いを強いられるようになりました。

まさに国際法が踏みにじられるような戦い方が一般的になったわけですが、それでも、私は国際法の発展にしか未来はないと思います。なぜなら、世界政府などというものは不可能だし不適切だと思うからです。これについての議論はここではしませんが。

第3に、大量に人間を殺すことを正当化するようなイデオロギーが20世紀においては蔓延りました。ひとを大量に殺すことは、実は、大変なことで、しかも、それを正気を失わずにやることは至難の業です。そのためには、人を大量に殺すことが正しいと信じることができる「何か」を熱狂的に信じなければなりません。あるいは、人を大量に殺すことに心を込めないような、つまり、毎日行っている単なる仕事=ルーティンにしてしまわなければなりません。後者が真面目な公務員の仕事と言えます。アウシュビッツに努めるドイツの公務員は、朝、妻や息子や娘と朝食を食べ、「行ってきます」と手を振り出掛け、仕事をきっちりとして、夕方「ただいま」と家に帰り、家族で夕食を食べ、夜は読書をしたり、音楽を聴いたり、たまには妻との勤めを果たして真面目に暮らしていたわけです。ただ、たまたまその仕事の内容が、ユダヤ人を500人とか1000人その日のうちに殺すことだっただけです。こういう公務員はいつでも存在します。犬や猫が大好きで獣医になり、そして、公務員になる。仕事は、野犬や野良猫の処理、ということはいくらでも起きるのです。気を付けないと、私たちは真面目にこういう仕事をしてしまうのです。真面目に生きてはいけません。

前者、つまり、人を大量に殺すことを正当化する「何か」ですが、これこそイデオロギーということになります。ある社会が狂信的にあるイデオロギーを信じるようになると、こういうことが起きます。20世紀はまさにイデオロギーの世紀だったと言えると思います。

ナチスのユダヤ人虐殺の背景には強烈な反ユダヤ主義が存在しました。ナチス・ドイツは戦争をしながら、あるいは、戦争を脇に置いて、ユダヤ人の絶滅に向けて虐殺を続けました。アメリカがアフガニスタンやイランなど世界中に介入し続け、そこで結局は人を大量に殺してしまう背景にはデモクラシーを世界に広げるのはいいことだと信じるイデオロギーが存在しています。ナチスと一緒にしたら怒る人もいるかもしれませんが、同じ病気の仲間だと私は思っています。デモクラシーでさえあまりにもそれを熱狂的に信じてはいけないのです。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。