2015年3月29日日曜日

【第11回】「今」はどんな時代か?⑥

ハンチントンは、冷戦後の世界では、イデオロギーに代わって「文明と文明の対立」が主たる対立の焦点になると主張しました。

ハンチントンは世界に7つないしは8つの文明があるとしましたが、主な対立は西欧キリスト教文明とイスラム文明、西欧キリスト教文明と儒教(中華)文明の間に起きる可能性が高いとしました。

ちなみに、日本は、日本文明として一か国で一文明をなす存在とされ、唯一の例外に位置づけられました。
確かに、聖徳太子の時代から、日本はアジアにおいて極めて特殊な位置づけにある国で、中華文明の端っこに存在するかのように見えながら、それに対抗する独立した存在であったということができます。現在の日中の対立もより長い歴史の視点で捉える必要があることをこうしたことが教えてくれるように思います。

ところで、ハンチントンの言うような文明の対立が立ち現われた場合には、日本はどこに自らを位置づければよいでしょうか。西欧キリスト教文明でしょうか。それとも、儒教(中華)文明でしょうか。イスラム文明ということはさすがにないと思いますが、中立ということはあり得るのでしょうか。

ハンチントンは文明と文明がぶつかり合うフォルト・ライン(「境目」のところをこう呼びます)において紛争がもっとも起きやすいと論じました。
冷戦終結直後から紛争が起きたバルカン半島や現在紛争の頻発している中東がまさにこれに当たります。インドとパキスタンの間も典型的なフォルト・ラインです。

ハンチントンの予言は的中したのでしょうか。

現在世界中で起きている紛争・戦争の多くは、民族や宗教をベースにしたもののように見えることが珍しくありません。ISIL(または、ISISIS、イスラム国)はイスラム文明が西欧キリスト教文明に挑戦をしていることの現れなのでしょうか。ISILは確かにイスラムを語ってはいますが、イスラムを代表しているわけではないと考えるのが正しいように思います。サウジアラビアもエジプトもヨルダンもISILと対立していますし、イランもISIL退治に加わっています。

ハンチントンの「文明の衝突」というアイディアの最大の特色は、その予言の的中にあるのではなく、私たちの思考を節約させて誤らせることにあるように思います。

人間というものは、残念ながら、面倒くさがる動物です。それは思考において極めて顕著です。余計に考えなくていいような便利なツールがあると、ついそれに過剰に依存して考えることをやめて惰性で物事を判断するようになります。

ハンチントンの「文明の衝突」というアイディアの最大の問題は、このアイディアがこうした思考の節約の極めて優れたツールであるということです。世界中の多様な紛争を、いかにも誰にでも分かるように単純化して説明をしてみせます。「これも文明の衝突と言えますねえ」などと言って。

紛争・戦争の原因はそれぞれ極めて多様です。それなのに、自己充足的予言と言いますが、「実は、これも文明の衝突だ」と周りが繰り返し言い続けると、当事者もそれが原因であるかのように考え始め、そのために紛争の解決が難しくなったりすることもあります。文明の衝突というアイディアが厄介なのは、どんな紛争にも幾分かはそうした要素が含まれているということです。ハンチントンは、実は、最大公約数的な要素を指摘したに過ぎないのです。

私たちは、確かに、文明が衝突しているかのような時代を生きているわけですが、重要なことは、大事なことがもっと別にあるかもしれないと考える癖を養うことであると思います。あらゆる紛争を解決する万能薬が存在しないのと同様に、あらゆる紛争の原因を解説してみせる万能の理論も存在しないのです。

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2015年3月15日日曜日

【第10回】「今」はどんな時代か?⑤

「自分たちが今どんな時代を生きているか」をゼミ生に考えさせるために、毎年4冊の本を紹介して議論をします。「今」とはいったいどんな時代でしょうか。

サミュエル・ハンチントンが『文明の衝突?という論文をForeign Affairsというアメリカの雑誌に書いたのが1993年のことでした。その後1996年に、この論文をベースに大きな本として出版されました。

冷戦が終わり(198911月)、ドイツの統一が成り(199010月)、ソ連が崩壊して消滅(199112月)した後の議論ということになります。
前に紹介しましたフランシス・フクヤマの『歴史の終り』に反論するかのような印象がありました。先生から弟子への反論ということになります。

フクヤマの議論は本人の意図とは別に、冷戦が終わり世界に平和がやって来るかのような印象を多くの人々に与えました。ところが、冷戦の直後には湾岸戦争が勃発し(19908月から19912月まで)、冷戦が終わっても牧歌的な平和はやはりやって来ないということを私たちに痛感させました。

しかし、湾岸戦争においては、冷戦時代とは違って、国連が紛争解決の主導権を握りました。それ故、いよいよ国連が結成時(194510月)に意図したような機能を果たすようになるのではないかという希望を抱かせました。

そもそも、あまり意識されていませんが、現代は戦争が禁止された時代です。国連憲章によれば、国際問題を解決する手段としての武力の行使は禁止されています。
それ故、現代においては、武力が行使される機会というのは、それが不正に使用される場合は侵略、正当に使用される場合は自衛ということになります。この正・不正を判断するのが安全保障理事会(安保理)なのですが、冷戦時代は、米ソの対立によって、安保理が機能しませんでした。

建前を述べれば、不正と思われる武力の行使が行われた場合、それに対抗する側は自衛としての武力の行使でそれに対処すると同時に、国連に相手の武力行使が不正であるとの訴えを起こします。
安保理がそれを不正の武力行使であると認めれば、当事国の自衛のための武力の行使に代わって、集団安全保障が機能して国連の構成国による国連軍が結成され、不正の武力行使を国連軍が排除することとなります。

こうした国連の理想は、冷戦により一度も機能したことがないわけですが(例外的な事例として朝鮮戦争があるのですが、ここでは触れません)、湾岸戦争の時には、これに似た手続きが取られたために、国連が活性化し、また、多くの人々がその後の国連に期待を寄せるようになりました。
湾岸戦争は、確かに、冷戦が終わったからと言って自動的に平和がやって来るわけではないということを私たちに知らせることになったわけですが、冷戦時代とは違って、紛争が国連を中心に解決されるようになるかもしれないという希望も抱かせたのです。

ハンチントンの『文明の衝突』は、冷戦が終わったからといって平和はやって来ない、また新しい別の対立が生まれるに過ぎないとして、その新しい対立がどこから生まれるかを考察したものでした

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