2017年1月15日日曜日

第54回【1989 時代は角を曲がるか⑨】

11月」にゼミ生たちは以下のような記事を取り上げました。
「ソ連ボクサー6人 日本でプロに転向 『ペレストロイカ』ここまで」「SDIの削減確定 米大統領、法案に署名」「鄧氏、党軍事委主席を辞任 後継に江総書記」「夢に見た『西』 よぎる不安」「セクシュアルハラスメント 法廷の論戦火ぶた」「『共産党』改名を イタリア 党で提案」
この月の9日はベルリンの壁崩壊の日とされています。ゼミでは、これ以外の記事で、という指示をしました。とはいえ、それと関連のある記事が選ばれているようにも思えます。無関係なのは「セクハラ」くらいでしょうか。ゼミ生は、中国の政権交代も世界の激動の影響として報告をしました。

私は「ミニとロング 仲良く共存」という記事を取り上げました。ミニスカートの女性とロングスカートの女性が仲良く並んで歩いている写真に、「はっきりとした流行がなくなってきた」というコメントが付けられています。
芸術家、特に、ファッションやフィクションを専門とするデザイナーや小説家は、時代のカナリアと言ってもいい人たちです。言葉に出して説明はできなくても、時代の変化のにおいを嗅ぎ取り、時代の変化の風を感じて、それを作品に表現するのがこうした芸術家なのです。80年代は、明らかに、日本が変化した時代でした。それが、ファッションやテレビ・コマーシャルなどに端的に現れてきていたと思います。ファッションにおいては、70年代までの画一的な感じから多様化が顕著になりました。誰もがミニスカートをはいた時代とバラバラに好みの服を着る時代の変化です。それに伴って、生産様式も大量生産から多品種少量生産へと変化しました。そして、迎えたのがバブル経済だったのです。

テレビ・コマーシャルの変化は、お金の掛かったコマーシャルの登場人物のほとんどが外国人だった時代から、登場人物のすべてが日本人であるのに「カッコいい」コマーシャルへと変化したのが80年代だったと思います。コマーシャルには時代とその変化が深く刻印されているように思います。

いよいよ最後の「12月」、ゼミ生たちは以下のような記事を取り上げました。
「日本人狙われてます」「自衛隊 女性で“補強” 来春の採用、700人増へ」「東西融和で大幅上昇 今年の東証株価」「TV時評 肝心なところで及び腰」「『消費税廃止』参院で可決 衆院、きょう審議入り」「スーパードイツの誕生 『東方』と『通貨』が共鳴しパワー増大」

昭和天皇の崩御に始まり、ベルリンの壁の崩壊で幕を閉じた1989年でした。今振り返ってみても、1年にこれだけのことが起きた年はちょっと見当たりません。この年の最大の役者はゴルバチョフ、彼のひとつひとつの発言、行動が世界に多くの変化をもたらしました。ただ、変化の行方は、もちろん、まだ見通せませんでした。冷戦が終わったことで、世界はこれから平和になる、と多くの人びとは考えました。平和を実現すること、それはなかなか難しいもののようです。

12月」に私は、「東欧各国洗った大激流」という写真を一面にコラージュした記事を取り上げ、おまけにNTTの一面広告を取り上げました。NTTの広告は、自動車電話とショルダーホン(肩から掛けて運べる電話)と携帯電話が330,000台になり、いよいよ移動電話の時代がやってくるとし、サービスエリアを全国に広げるというものです。携帯電話が当たり前になった今の時代の学生たちにとっては、一度読んだだけでは何を言っているのか理解が難しい広告です。写真の携帯電話も虎屋の羊羹の箱並みに大きくて、一見それが何だか分からないようなものです。時代は大きく変化しました。この25年でもっとも変化したのは、通信・情報の分野ではないでしょうか。その出発が1989年だったように思います。


ゼミ生たちには、この1年を振り返って、「1989 世界は確かに曲がり角を曲がった、なぜならば・・・」の「・・・」の部分を埋めてみなさいというレポートを提出してもらいました。ゼミ生たちがどのような点に着目したか、次回ご報告致します。

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2016年12月28日水曜日

第53回【1989 時代は角を曲がるか⑧】

8月」にゼミ生は以下のような記事を取り上げました。
「東側から西側への脱出急増 ハンガリー国境経由」「中米安定に大きな一歩 コントラ解体合意」「トルコが国境閉鎖(ブルガリアからの流入阻止)」「銃をとらされた少年たち」「体感測定やめる 震度 機械実用化にめど」「原爆ドーム保存に熱い思い 募金運動へ反響多数」

8月」の日本の新聞は、かなりの量の「終戦」にまつわる記事を掲載します。「原爆ドーム」もそうですし、「銃をとらされた少年」というのも、実は、ワルシャワ蜂起やアフリカの少年兵の話ではなく、終戦直後の満州に攻め込んできたソ連軍に対する日本人少年の話題です。

今は難民と言えば、シリアやアフガニスタン、リビアなどからヨーロッパへ逃れようとする人たちのことを言いますが、この当時は、東欧諸国の人びとが、冷戦体制が緩んだせいでできた隙間から西側に逃げようとしていました。ハンガリー国境が開かれ、多くの東ドイツ人がここからオーストリアを経由して西ドイツに逃れました。ブルガリアでは、元々いたトルコ系の人たちがトルコへと逃れだし、その数があまりにも多いため国境が閉鎖されました。トルコは今も難民の最大の受け入れ先のひとつで、アジアとヨーロッパに跨る国土の故にそうであるのが運命であるのかどうかは分かりませんが、世界が何らかの激動を迎える際には注目をされる国であると言えます。

私は「8月」の記事として、22日に21周年を迎えたプラハの春を論じた「民主化圧殺のチェコ事件から21年」を取り上げました。東欧自由化の試みとその失敗としては、1956年のハンガリー事件、68年のプラハの春、80年のポーランドの自主労組連帯の運動があげられますが、89年の自由化の動きとしては、ポーランド、ハンガリーが先行し、チェコスロバキアは12月に入るまでなかなか自由化へとは向かいませんでした。それどころか、8月のこの時点では、ハンガリーやポーランドの変化に批判的ですらありました。1989年の変化がいかに急速であったかが分かります。

9月」にゼミ生たちは以下の記事を取り上げました。
「リトアニア共和国ルポ 衰えぬ『自立』の決意」「日中交流を積極再開」「日航ジャンボ墜落事故 20人全員不起訴へ」「ビデオ業界の自制求める 朝日社説」「チェルノブイリに研究所 世界の学者集い汚染に取り組み」「新生ポーランドと東欧 国民との溝克服図る 党側、生き残りかけ模策」

リトアニア、ポーランドは東欧の変化の話題。リトアニアが後にソ連の解体を促したことを思うと目の付け所として秀逸と言えます。ジャンボ墜落は1985年、チェルノブイリは86年のことです。ビデオの話は、「宮崎勤事件」の余波ですが、インターネット時代の今となっては無意味な話となってしまいました。1989年には、一般人にとっては、インターネットもパソコンも携帯電話もなかったということを忘れていけないと思います。時代は大きく変化したものです。

9月」に私は、「ガリレオの迫害誤りでした ローマ法王が名誉を回復」という記事を取り上げました。カトリック教会がガリレオの名誉を回復したわけですが、それに約4世紀の時間がかかりました。

私がこの記事を取り上げた理由は、カトリック教会のこの行為が果たして浮世離れした話題であるかどうか疑ってみる必要があると感じたからです。当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、歴史上初のポーランド人法王でした。ポーランドは敬虔なカトリック信者が95%を占める国ですが、法王は、祖国の「連帯」や民主化運動を当初から圧倒的にモラル・サポートしていました。ポーランドを始めとする東欧の民主化は法王のバックアップなしでは成立していなかったかもしれないくらいです。ガリレオの名誉を回復するというこの反省の姿勢は、ソ連に対して、過去の東欧諸国に対する圧制の反省を促すものと深読みすることができるかもしれないと私はゼミ生に話しました。

ゼミ生たちは「10月」に以下のような記事を取り上げました。
「世界のデザイン、ソニー(全面広告 パスポートサイズのハンディカムが登場)」「アンゴラ内戦の自主解決に自信」「熱田派の小屋全焼(成田建設反対派運動)」「侵害される子どもの人権」「少年犯罪報道めぐり論議 弁護士・市民とマスコミ側がシンポ」「7万人デモ 東独政権揺さぶる 内からも改革圧力」

過去の新聞を読むと、記事以上に広告が面白いことに気付かされます。企業広告はもちろんですが、雑誌や週刊誌の広告に興味深いものがたくさんあります。ソニーの広告に注目したゼミ生がいたのは、彼らにとってもコマーシャルは面白いのでしょう。

私は「10月」にルーマニアの大統領チャウシェスクについての記事を取り上げました。「波及したら困る?ポーランド介入呼びかけ」という記事です。8月にポーランドでは「連帯」のマゾビエツキが首相に就任したのですが、就任直前に、チャウシェスクが東欧各国の共産党にポーランドへの介入を呼びかけました。結局、ゴルバチョフがこれを拒否し、介入は実現しなかったという記事。

ルーマニアと言えば、独自の社会主義を唱え、ソ連からの介入を嫌い、「プラハの春」への介入にも反対した存在でした。この時の指導者もチャウシェスクだったのですが、今度は一転してポーランドへの介入を主張したわけです。チャウシェスクは、最後の最後まで民主化、自由化の改革に反対をし続けたのですが、チェコへの介入の反対とポーランドへの介入の主張とを結びつけるものは、自己保身以外には考えられません。それを指導者は「国益」と呼んだりするわけですが、時にそれは「保身」以外の何ものでもないのです。チャウシェスクの存在故に、ルーマニアは民主化、自由化がもっとも遅れて進む結果となりました。

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2016年12月15日木曜日

第52回【1989 時代は角を曲がるか⑦】

1989年」に戻ることにしましょう。
6月」では、ゼミ生たちは以下のような記事を取り上げました。

「早稲田沈んで慶応浮上」「ホームレスの家づくり手助け カーター大統領も参加」「交配種で自由化に備え(乳牛、和牛)」「小声で宇野首相『公の場では…』」「切符の裏使って最も小さな広告 JR東日本の新商法」「主犯の『19歳』に死刑(アベック殺人)」

1989年は、時代の大きな変化の渦中にあったことは間違いありません。もちろん、その変化の意味を考えることがこの年の課題でした。グローバリズムという言葉がこの時期に使われていたかどうか分かりませんが、レーガン・サッチャー流の自由化が加速していたことは間違いありません。農業の自由化への備えの記事や民営化後のJRの試行錯誤についての記事などは、まさにそうした時代の変化を窺わせるものと言えます。

私は「6月」に、65日の朝刊の記事をいくつかコラージュして学生に示しました。この日の第1面のトップ記事は、北京における天安門事件の発生を伝えるものでした。事件の詳細は不明としながらも、この事件が鄧小平体制に大きな影響を与える可能性を指摘しています。同じ1面の真ん中に小さい記事で、「ホメイニ師が死去」との見出しもあります。天安門事件がもし起きていなければ、この記事がトップにあったはずです。そして、国際面に、わずか500字程度の記事で、ポーランドにおける社会主義国での初めての自由選挙の投票の開始の記事があります。この記事は大変に小さな扱いとなっていますが、他に大きなニュースのない日であれば、間違いなく、1面のトップを飾る記事だと私は思います。
新聞には紙面の制約、テレビには時間の制約があります。ニュースらしいニュースのない日もあれば、この日のように、トップを飾っても不思議でない事件がいくつも重なる日もあります。北京での事件が紙面のほとんどを覆い尽くした結果、冷戦の終わりの最終章の始まりと言ってもいいようなポーランドの自由選挙の記事は小さなコラム程度のスペースとなってしまいました。その日その時に、未来から振り返ってその日の何がより重要であったかを感じ取ることは簡単なことではありません。逆に、ニュースを見、新聞を読む側からすると、記事のスペースの大小に惑わされず、ニュースの価値を見抜く目が必要になります。

7月」にゼミ生たちが取り上げた記事は以下のようなものでした。

「ソ連議長 仏知識人2000人と対話」「東欧難民の子ら救え あす東京で救援コンサート」「部下なし『部・課長』を大幅増」「国際事件簿 マフィアに挑む母親」「カラヤン氏死去 世界に君臨 大指揮者」「生体肝移植に成功 豪州邦人母子?経過は良好」

今から振り返ると、1989年は、世界だけでなく、日本の会社も大きな変化をし始めていました。バブル経済がこの時期の最大の特色ですが、それだけでなく、団塊の世代(昭和22年~24年生まれ)が40歳代になり、その人口の規模が社会の質を転換させざるを得なくなったのだと思います。その遥か前から、団塊の世代の年齢の変化とともに社会全体が変化をしてきたわけで、現在の少子高齢化の問題もその延長線上にあると言えます。

私は「7月」に「『制限主権論』脱却鮮明に」という記事を取り上げました。制限主権論とは、一般にブレジネフ・ドクトリンと呼ばれていますが、1968年に、チェコスロバキアにおける自由化の動き(「プラハの春」)にワルシャワ条約機構軍(主力は圧倒的にソ連)が軍事介入をした際に、当時ソ連共産党書記長であったブレジネフが提示した考え方のことです。「共産主義陣営の利益のためには一国の主権は制限されうる」というものです。


1989年のポーランドにおける円卓会議以降、東欧諸国は自由化を恐る恐る進めてきました。ソ連から再びブレジネフ・ドクトリンをベースにした介入の動きがあり得るのではないかと考えていたからです。これに対して、ゴルバチョフは、すでに1985年に東欧諸国の自主性を認めるという発言をしていたのですが(この路線を「シナトラ・ドクトリン」と当時は呼んでいました)、誰もがこれに懐疑的でした。この記事は、ゴルバチョフがブカレストでの演説で、東欧諸国がそれぞれに改革を進めるよう「激励」の姿勢を示したと伝えています。次の半年で、東欧諸国のすべてが ”my wayを進むことになるとは、まだこの時誰も考えていませんでした。

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2016年11月30日水曜日

第51回【1989 時代は角を曲がるか⑥】

人間が、生まれて以後、外から取り入れる情報によって真の人間になっていかざるを得ないのは宿命と言ってよいものです。その結果、何らかの形で本当の世界(本当の世界とは、人間には知りようのないものと言えます)とずれてしまうのも仕方がないことです。しかしながら、その「ずれ」を最小限にする努力はすべきだと思います。この「ずれ」が尋常でないものとなった人を私たちは「狂人」と呼ぶのです。だから、取り入れる情報が適切であることが必要となります。私たちはそれに値する情報に取り囲まれていると言えるでしょうか。

そこで重要になるのは正しく情報を見分けることとなります。
以下、情報を見分けるポイントを簡単に述べます。
1 事実(ファクト)と解釈を区別する
2 信頼に足る1次情報と2次・3次の情報を区別し検証する
3 証拠なき解釈を常に疑う
4 同じ事実に直面しても複数の解釈があり得ることを知る
5 解釈に「常識」を働かせる

「常識」とは何かと言えば、長い歴史の中で積み重ねられ、試され生き残ってきた良識のことです。次に、どのようにして「常識」を知るかということが問題になりますが、それは真面目に生きること以外にありません。

そして、もうひとつ重要な心構えがあります。それは、この世のほとんどのあらゆる議論が「仮説」に過ぎないことを知ることです。私たちの周りには過去から未来永劫変わらぬ真実というものはほとんど存在していません。人間は元来面倒臭がる動物ですから常に考え続けるということをしたがりません。ですから、すべてを疑ってかかるということは極めて難しいことなのですが、あらゆることが実はあやふやなものだとして常に半分は疑ってみなければならないのです。

私たちを取り囲む情報の種類は以下のように分類できます。
1 正しい情報と正しい解釈
2 ステレオタイプ

人間は基本的に考えることを面倒臭がる動物なので、ステレオタイプは人間に考える面倒を省いてくれるものと言えます。これによってよく考えなくても多くの人が受け入れてくれる解釈が容易に得られることになります。
3 正しい情報と間違った解釈
4 間違った情報

人間は間違いを犯します。目の前で起きたことでさえ、時に、正しく認識できない場合があります。これは本当に驚くべきことです。

5 捏造された情報

人間の中には、嘘を平気でつく人たちが存在しています。嘘を病的に重ねる人、他人の目を自分に向けるために嘘をつき続ける人、自己の利益のためには嘘を躊躇わない人、嘘も百遍唱えれば本当になる場合があることを知っている人、こういう人たちが残念ながら私たちの世界には大勢います。だから、「真実はひとつだ」とか「真実が最後には勝つはずだ」とか「分かる人には分かる」というのは意味のない一種の精神論以外の何者でもありません。

私たちが生きている世界は真偽の定かでない多様な情報と実際には正しいかどうかわからない「仮説」から成り立っていると言えます。私たちの世界は実にあやふやな基盤の上に成立しているわけです。こうした世界で生きる私たちが身につけるべき態度として最も重要なのが、あらゆることを疑うことであると私は思います。ファクトを見極め、信じるに値する仮説や解釈を考え抜くことが重要です。その際に、人ではなく自分を信じて自分の頭で考えることが肝要です。

そして、最後に、最も重要なことを付け加えるとすれば、それは、自分自身をも疑うことです。信用ならない自分を信じて自分を含むあらゆることを疑ってかっかること。これを知るために7冊の本を読んでもらいました。

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2016年11月15日火曜日

第50回【1989 時代は角を曲がるか⑤】

2010年度は、課題図書として以下の7冊をゼミ生に読んでもらい、感想を提出させました。7冊も読ませるのは異例のことで、事情はすでにお話しました。

1 福田ますみ 『でっちあげ』 
2 菅原琢 『世論の曲解』 
3 川島博之 『「食糧危機」をあおってはいけない』 
4 森田浩之 『メディアスポーツ解体』  
5 黒木亮 『排出権商人』 
6 稲田朋美 『百人斬り事件から南京へ』 
7 工藤美代子 『関東大震災 「朝鮮人虐殺」の真実』

1年を通してこの7冊を読んでもらい、私は、「定説を疑え」と題してゼミ生に以下のような話をしました。

わざわざ本を読ませて感想を書かせるわけですからそこには意図があります。私の狙いはそれほど難しくも意外なものでもなかったと思います。問題は、それがどこまで身に着くかということです。少し話を大きくして私の狙いをお話します。

そもそも人間とはどんな存在でしょうか。これには無数の角度からアプローチが可能です。
人間とは、肉体と精神の両方からなる存在です。肉体は分かりやすいものですが、精神が何かを知ることはそれほど簡単ではないかもしれません。また、肉体と精神が渾然一体となったような領域があることも事実だと思います。肉体の構成物質は人による違いはありません。個人を特定できる物質はないということです。DNAによって個人を特定することが可能ですが、それは物質ではなく塩基の配列、つまり、情報による判別だと考えられます。

詳しくは論じませんが、精神とは、すなわち、メモリーのことです。メモリーは基本的に情報から成り立っています。ひとりひとりの人間が異なる存在であるのはメモリーの相違によるのであって、物質によるのではありません。つまり、私とは誰か、他人とは何が違うかと言えば、決定的な相違は私の中に記憶されたメモリー、情報の相違であるということが出来ます。メモリーにこそ私のアイデンティティが宿っているわけです。

ならば、自分の中に積み重なる情報こそが決定的に重要なものとなります。情報を自分の中に積み重ねていくことこそが成長であり、ある時点でようやく人は本来の人間になるわけです。情報で充分に満たされていない人は未熟児にとどまるわけです。なぜ勉強をしなければならないかと言えば、こどもに関しては、それは人間になるためと言うことができます。具体的には「立派な日本人」になるためです。人間にとって学習は欠かすことのできないものです。
人間が人間になるために、そして、自分自身になるために情報が必要だとして、人はどこから情報を得るでしょうか。人の成長ということを考慮して情報の出所を考えてみると以下のようになります。
  1 親の躾
  2 学校教育=教師と教科書と友人
  3 多様な情報環境
     現代であれば、マスコミ(テレビ、ラジオ、新聞、雑誌)、インターネット
このように考えると、親の躾はもちろん、マスコミと教科書の重要性が非常によくわかる
と思います。そこで、基本的な疑問をこれらのメディアに向けてしておくことにしましょ
う。今年読んだ7冊の本はどれもこれらの問いかけをして、それらのものが案外信ずるに
は足りないと主張しています。
マスコミが流す情報は信じるに値するか
教科書に書かれている事は信じられるか
専門家の言論は信じられるか
国会の議論は信じるに値するか
政府の言は信じられるか
  裁判の判決は正しいのか

私たちは何を信じて生きていけばいいのでしょうか。

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2016年11月1日火曜日

第49回【1989 時代は角を曲がるか④】

3月」にゼミ生たちは、以下のようなトピックを取り上げました。
「『非グルメ本』続々と」「増える情報誌の就業トラブル」「日朝改善にどう取り組むか」「女子高生拉致し、殺害」「『悪魔の詩』殺人 モスク院長らを射殺」「巨大な墳丘墓もあった 佐賀吉野ヶ里遺跡」
ゼミ生たちが、報告前にトピックが重ならないように相談をしていたわけではないのですが、面白いことに、複数のゼミ生が同じ記事を取り上げるということはありませんでした。1989年は、それにしても、色々なことがあった年です。バブル経済が背景にあったことを常に意識する必要があります。犯罪もそれ以前とは異なった様相を表してきています。前月には「宮崎勤事件」が取り上げられましたが、この月には、「女子高生コンクリート詰め事件」が取り上げられています。今となっては最重要と思われることが、当時はなぜか無視されているという指摘が北朝鮮問題で、この時期の日朝問題では拉致問題が登場しません。リクルート事件もこの年のことです。

私が取り上げた記事は「東独『東欧の改革』批判へ論陣」というものでした。東独は、東欧の優等生で、もっとも成功した共産主義国と言われていました。それ故なのか、ソ連を始めとする兄弟諸国における「改革」に猛烈に反対を唱えました。とはいえ、優等生との評価は過大評価であったことが冷戦後に判明したことを考えると、この時点で自国の抱える問題や「時代の変化」を感じ取ることができなかったことには疑問を感じます。ホーネッカーの最後の足掻きだったのかもしれません。

ゼミ生が「4月」に取り上げた記事は以下のようなものでした。
「消費税スタート」「血液凝固製剤完全国産化へ」「はやくも就職協定110番」「松下幸之助氏 死去」「資生堂と鐘紡、フロン使用スプレー全廃へ 1年以内に代替商品化」「軍縮進展へ課題浮き彫り 国連京都会議」
この月、消費税がスタートしました。日本では3%でのスタートでしたが、ポーランドは今23%、日本人の消費税に対するアレルギーには特別に注目すべきものがあると私は思います。この年は、昭和を代表するような人物が多く亡くなりました。昭和天皇に始まり、松下幸之助、手塚治、美空ひばり・・。

私が取り上げた記事は、読売新聞の「脱出ならず」というキャプションがついた写真でした。東ベルリンの2人の若者が西側への脱出を試みて走り出した瞬間の写真です。試みは失敗に終わり2人は逮捕されたようですが、半年我慢すれば、そんなことをしなくても壁はなくなったのだから皮肉なものです。この記事を取り上げて、東西に分かれたベルリンの歴史の話をゼミ生にしました。ちなみに、逃亡に成功した者は28年間で5000人あまり、192人が射殺されています。

5月」にゼミ生が取り上げたのは以下のような記事でした。
「捏造だったサンゴ取材」「煙たい少女増加の一途(あす、世界禁煙デー)」「ハンガリー、国境の壁撤去」「サッチャー主義貫き『鉄の政権』10周年」「液晶パソコンもカラーの時代に」「帰宅後に急性心不全で死亡 過労と労災認定」
今からわずか25年ほど前のことを振り返っているのですが、パソコンがブラウン管で白黒だったなど、思い出すこともできません。1989年、私は大学院生でしたが、論文は手書きで提出していました。過労死は今でも過去の問題とはなっていませんが、バブルのこの時期はとりわけ問題となっていた記憶があります。友人の妻は、毎日夫が何時に出社し何時に帰宅したかを記録していると言っていたのを覚えています。労災向けの準備だったはずです。

私が取り上げた記事は、「現代学生は『独文』嫌い?」というものでした。東大の独文科が、前年には志望者ゼロ、この年も7人で、この傾向が続いていたため定員を20人に減らされているという記事。世は英語の時代で、21世紀は英語の時代か、などと言われるわけですが、すでにそうなってしまっており、それにいかに向き合うかこそが問題であると思います。英語以外のすべての言語が直面している問題と言えます。ゼミ生たちには、水村美苗『日本語が亡びるとき』をぜひ読むように薦めました。


次回は、「1989」を少し離れて、この年の読書課題についてご紹介致します。

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2016年10月17日月曜日

第48回 【1989 時代は角を曲がるか③】

学生たちが、実際にどのような事件、事実をゼミで取り上げたかを見てみることにしましょう。

ちなみに、1989年は、彼らが生まれた年です。考えてみると、生まれた年に起きたこと、というのは、私自身のこととして考えてみると、昔々の出来事以外の何ものでもありません。今の大学生の中に、ソ連や冷戦を知らない者がいるのも仕方のないことなのかもしれません。

ゼミ生たちは、「1月」に以下のようなものを取り上げました。
「ポケットにファミコン(ゲームボーイの登場)」「南北朝鮮 軍事協議は分断後初」「ゴルフ場建設ラッシュ」「国際事件簿 殴られた婦人警官」「化学兵器 ソ連が廃棄表明」「ブッシュ大統領就任」
1月には、昭和天皇の崩御という大ニュースがありましたが、これは取り上げないという約束で報告をしました。
ゼミ生たちの中には、犯罪マニアっぽいのがいたり、経済に関心の傾く者がいたり、少しズラして受けを狙い続ける者がいたりで、なかなか多様なトピックが毎回取り上げられました。

1月」に私が取り上げた記事は以下のようなものでした。1年を通じて考えてほしいテーマとしてゼミ生に提出しました。
2つの小さな記事を並べて報告をしました。ひとつは、朝日新聞の110日夕刊の記事で、アメリカのシュルツ国務長官が「冷戦は終わった」と発言したというものです。そして、もうひとつは、朝日新聞の123日夕刊の記事で、ブッシュ新政権のスコウクロフト国家安全保障担当補佐官が「冷戦は終わっていない」と発言したというものです。
19891月は、ゼミ生の一人が取り上げていますが、20日でレーガン大統領が退任し、副大統領だったブッシュ(父)が大統領に就任した月です。退任間近の国務長官が「冷戦は終わった」と発言し、就任直後の大統領補佐官がこうした楽観的な見方を退けたということになります。

ここに、冷戦の特色が如実に表れていると言えます。つまり、冷戦がいつ始まり、いつ終わったのかは、実は、はっきりとしないのです。それは、冷戦とは何か、がきちんとした形で定義されていないからです。『ウェストファリアは終わらない』で詳しく論じましたが、冷戦は定義によって、その始まりも終わりも変化してしまうのです。そのような中で、「1989年」は時代の転換の象徴的な年となりうるでしょうか。そもそも、冷戦とは何か。冷戦とは「戦争」なのか。いつ始まり、いつ終わったのか。「冷戦」とは、固有名詞なのか、それとも、普通名詞なのか。答えのないいくつもの疑問をゼミ生にぶつけて、今後こうした疑問を常に意識するように話しました。

ゼミ生たちは、「2月」に以下のようなものを取り上げました。
「いたずら電話 なくす決め手はなぜないのか」「スーダン内戦 和平模索する米」「中国の人口 今世紀末、13億突破か」「男性は中東 女性は日本へ」「『ひどすぎる』母親絶句 人骨入り段ボール箱」「夫婦別姓認めよう」
1989年という年は、今から振り返ると、色々なことのあった年でした。もちろん、この年のゼミのようにして振り返れば、どの年も色々あったのだと思いますが。1989年は、日本はバブル真っ盛りの年でした。4人目のゼミ生の取り上げた記事は、フィリピンの出稼ぎ事情の話ですが、確かに、女性ではフィリピン人が、男性ではイラン人が日本にたくさん来ていたと記憶しています。「1月」にあった「ゴルフ場建設ラッシュ」もバブルの一側面です。

冷戦が終わったかどうかという議論は脇に置くとしても、米ソの対立が緩み、また、共産諸国や途上国に対するソ連の影響力が弱体化したことは間違いのないことでした。冷戦という体制は、国際政治の様々な問題を冷凍保存したようなものだったと振り返って思いますが、冷戦が緩むにつれて、冷凍保存したはずの多様な問題が解凍され動き出しました。2人目のゼミ生が取り上げたスーダンの内戦などは、解凍された問題が動き出したひとつの例であると言えます。これ以後、数十年ぶりに動き出した諸問題に世界は翻弄され、今に至っているのです。

1989年は、日本の犯罪においても印象的な年でした。5人目のゼミ生が取り上げた事件は、有名な「宮崎勤事件」です。今後も、今でも記憶に残る事件が取り上げられます。
2月」に私は、「ポーランド 円卓会議始まる」を取り上げました。


冷戦の終わりが仮に1989年だったとして、ファーガソン流に考えて、その「終わりの始まり」がいつだったかと言えば、1980年のポーランドにおける自主労組「連帯」の結成であったと言うことができるかもしれません。「連帯」は約十年間の苦闘の末に、この円卓会議にたどり着き、6月には自由選挙が行われ、この年のうちにすべての東欧諸国が共産主義を廃し、自由化が達成されるのです。ポーランドは間違いなく新しい時代(これが新しい時代だったとして!)の先駆けとなったのです。

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