2018年1月15日月曜日

第78回【彼らはなぜ核兵器を持つか⑱】

さて、抑止のためには何が必要でしょうか。相矛盾する要素を次に列挙してみます。

①核抑止とは、核兵器をチャンスがあれば使いたくて使いたくて仕方のない敵国に対して、同じ核兵器で脅しをかけることでその使用を抑止する戦略・政策のことです。「使いたくて使いたくて」というところを実は証明することは不可能です。私は馬鹿げた想定だと思いますが、安全保障においては最悪の事態を想定するというのが定石で、それ故、敵国は核兵器を持っている以上チャンスがあれば使うに違いないと想定せざるを得ません。そのためには、必要が生じれば核兵器を使用する覚悟がなければならないということになります。本当は、核兵器は使えないということは分かっているのに、そのように考えてそのような行動を取らなければならないということです。

②核抑止戦略の核心には「相互確証破壊MAD(Mutual Assured Destruction)」という戦略が存在しています。敵が仮に自国を核攻撃してきた後にも生き残り、さらに相手国に報復できるような核兵器を保有するということです。すなわち、相互に確実に破滅的な被害を受けるような核兵器を双方が保有するというわけです。そうすれば、たとえ、使いたくて使いたくて仕方ない状態でも核兵器の使用を躊躇うはずだというのがこの戦略の発想です。病的な発想ではありますが、なるほどそうだよねという戦略でもあります。問題は、これを突き詰めてやっていくと過剰な量の核兵器が双方に保有される可能性が高いということで、こうした戦略の下で行動しながらも核兵器の保有量が過剰にならないようにしなければならないという課題が常に付きまといました。結局は過剰になってしまったのですが。


③核抑止戦略の少し変なところは、MADを有効に機能させるためには、本来の国家の機能を歪めざるを得ないということにあります。その第1は、自国の核兵器を徹底的には保護しないという行動に繋がりました。自国の核兵器が無敵であるとすれば、それは相手の核兵器が無力化されるということで、アメリカもソ連も自国の核兵器の保護を徹底はしませんでした。要するに、相互にMADを最優先の戦略としていたということです。第2に、アメリカもソ連も自国民を核兵器から徹底的に保護することを故意にしませんでした。ABM(ミサイル迎撃ミサイル)を国中に配備すれば(費用の問題はこの際無視しますが)、すべての国民を敵の核攻撃から守ることが可能になるわけですが(確率の問題はこの際無視します)、そうすれば、敵国の核兵器は無力化されることになります。こうしたことをしようとするだけで、敵国はそうなる前に攻撃を仕掛けようという誘惑にかられる可能性があります。これはMADの発想に反します。そこで、米ソ両国はABMの配備は国土の2か所までという条約をかわしました。国民の保護という国家最大の道義的使命よりもMADの戦略を優先したわけです。


④核戦争は確固たる戦争の意志から生まれるとは限りません。誤解により、あるいは偶発的な事件により核戦争が誘発される可能性は否定できません。そこで、それを防ぐためには、核保有国同士が誤解・誤認をしないようにするためのネットワークが必要になります。互いに平時から情報交換をすることで偶発的な核戦争を防ごうというわけで、それは麗しい気もするのですが、考えてみれば、これらの諸国は核兵器を突き付けあって対立をしているわけで、なぜこうしたネットワークが成立するのか、かなり謎めいています。アメリカとソ連の間では、ホットラインといって、アメリカの大統領とソ連の共産党の指導者が直接に電話で話ができるようになっていました。これはキューバ危機以降に出来上がったものですが、偶発的な核の使用を徹底的に排除するためにはこうしたことが必要とされたわけです。それにしても、アメリカとソ連は本当に対立していたのでしょうか。不思議な関係です。


⑤核保有国は、MAD最優先という発想からも分かるように、自国は断じて核兵器を使用しない、そして、他国にも使用させないということを肝に銘じて決意していました。そのためには自国民を守らないということを相手と合意する条約さえも締結したわけです。つまり、自国、そして、他国の核の先制攻撃につながるような核兵力を持たず、また、そうしたドクトリン、核兵器にまつわる政策を持たないことを固く決意していました。もちろん、何かあれば使う気だったのですが。


以上の多様な相矛盾する条件をいかにこなして核兵器の使用を抑止するかが核保有国に課せられた使命で、そのためには、少し普通ではない政治的な知恵が必要とされました。幸いにも、冷戦期間中、米ソはこれらの課題を何とかこなしてきたということが言えます。むしろ、米ソ対立なんて嘘っぱちで、彼らはグルで八百長をやっていたのではないかと思うほどです。東西のそれぞれの陣営の子分の国家に言うことを聞かせるために、親分同士が八百長で対立をして見せていたのではないかと思えるのです。こうした感想は、もちろん、正しくはないのですが、ちょっとだけ当たっているように私には思えます。



※このブログは毎月15日、30日に更新されます。


http://www.kohyusha.co.jp/books/item/978-4-7709-0059-3.html

2017年12月30日土曜日

第77回【彼らはなぜ核兵器を持つか⑰】

第3に、核兵器は「勲章」であると言えます。
核兵器を持つようになった国家、政府は核兵器を国民に対する権威付けの道具として利用する場合があります。国際的な反発をはねつけて核兵器を持つようになった政府の、国民に対する権威が上がるわけです。「旗」も「勲章」もどちらかと言えば、内向きの核兵器の効用ということができます。核兵器は単なる武器ではなく、政治的な道具でもあるのです。
第4に、これも内向きの機能ですが、核兵器は「餌」であると言えます。
どんな軍部でもそうですが、軍隊というものは核兵器に限らず一般に最新鋭の兵器をほしがるものです。核兵器の保有は多様な意味を持つので単純にそれを欲しがる軍隊ばかりとは言えませんが、それでも、最強の兵器を欲しがらない軍隊があるわけがありません。今の日本ではちょっと考えられないですが(戦前は一般的な課題だったのですが)、政府と軍の関係というのは案外微妙で、最新鋭の兵器の開発が軍部を手なずけるための道具として用いられることは珍しいことではありません。核兵器についても同じことが言えます。

第5に、核兵器は「ドレス」であると言えます。
「旗」も「勲章」も「餌」もみな国内向きの機能だったわけですが、北朝鮮に顕著なように、核兵器を他国に対する権力の誇示として使う場合があります。これは対外向けの機能と言えます。確かに、核兵器の威力は大きく、その被害は想像を超えるものなので、それを恐怖して妥協する国家があっても不思議ではありません。しかし、核兵器が使えない兵器であることを考えると、なぜそのような兵器を怖がらねばならないのか私には理解できません。これは後でもう一度議論します。

第6に、これも対外向けの機能となりますが、核兵器は「カード」であると言えます。
他国との外交交渉のための道具に核兵器を使うわけです。ただ、これはこれまでの世界ではあまり一般的ではありませんでした。これまた北朝鮮が典型的ですが、核兵器の使用を脅しとするのではなく、核兵器の存在や開発そのものをやめることを条件として外交交渉に臨む国家が出現しつつあります。たとえば、リビアは核兵器の開発を止めることで国際社会における孤立から脱却しました(北朝鮮は、その結果、カダフィのリビアが倒されたと理解しているようですが)。見ようによっては、北朝鮮もこれと似たようなことをしているように見えなくもありません。


私たちが問わなければならない最大の問いは以下のようなものだと思います。

「核兵器は実際に使用できるか?」

国益という言葉があります。核兵器を実際に使用して実現する国益とは何でしょうか。核兵器を実際に使用して、つまり、数十万、数百万の人間の命を奪ってまで実現しなければならない政治的目的とは何でしょうか。私はこれについてずいぶん考えましたが、そんなものはないと思います。仮に、核兵器を使用して何かある目的を達成したとしても、核兵器の使用による被害とその道義的マイナスでその目的は台なしになるというのが真実ではないでしょうか。

核兵器が実際には使用できない兵器であるとすると、その存在の意味・目的とは何でしょうか。核兵器の存在の唯一の意味とは、核兵器が存在する限り、つまり、永遠に、核戦争を抑止することです。これが核兵器の逆説で、核兵器を持つことの唯一の意味は、核兵器を使わせない、使わない(つまり「抑止」すること)ことなのです。今では、その点に少し不安を感じないわけにはいかないのですが、核兵器を保有するすべての国が、以上の核兵器という兵器の存在の持つ意味を理解していなくてはなりません。特に、「抑止」という考え方の持つ意味は重大であると言えます。なぜなら、抑止こそが核兵器が存在する唯一の意味だからです。「抑止」は単純な概念ではありません。それに伴う発想、政策は多くの矛盾を含みます。こうしたグレーゾーンで生き抜く知性なき国家が核兵器を持つことこそが人類最大の脅威なのです。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。


http://www.kohyusha.co.jp/books/item/978-4-7709-0059-3.html

2017年12月16日土曜日

第76回【彼らはなぜ核兵器を持つか⑯】

さて、そもそも核兵器とは何でしょうか。核兵器とは、もちろん、兵器なわけですが、他の兵器とは比較にならない破壊力を持っているために、単なる兵器ではなく、多様な側面を持つ兵器以上の何物かになってしまっています。

まず第1に、核兵器は、当然ながら、「武器」です。

武器は、一般に、攻撃、防御、強要、抑止の4つの機能を持っています。攻撃と防御は、実際に使用する場合の2側面という理解ができます。ただ、何が攻撃で何が防御かということはそれほど易しい問題ではありません。すべての戦争は防衛を理由にして始まることを考えてもそれは分かります。
それに対して、強要と抑止は、実際には武器を使用せず、武器の使用の脅しによって相手に影響力を及ぼそうとするものです。強要と抑止の違いは次のようなことです。強要とは、武器の使用の脅しによって、敵側に、そうしなければやらないであろうことをやらせる、すなわち、do somethingを強制することです。これに対して、抑止とは、放っておいたら敵側がやるかもしれないことを、武器の使用の脅しによってやらせない、つまり、do nothingを強制することです。

武器はこのように、使用することで、あるいは、使用するとの脅しによって4つの機能を果たすわけです。ただ、抑止については、この機能を検証することが困難です。すなわち、「動くな」と命令して相手が動かない、というのが抑止であるということができますが、相手にそもそも動く気がなければ、相手が動かないという事実は、抑止によってもたらされているのか、それと関係なく単に相手が動かないでいるだけなのかは区別がつきません。抑止とは、それが働いているかどうかを確かめにくい機能なのです。核兵器の抑止の場合にも同じことが言えます。

これまでの核兵器の歴史によって、核兵器は抑止にしか使用できない武器である、と核兵器保有国は信ずるようになりました。アメリカは広島・長崎への核兵器の投下の後にその被害について徹底的に調査しましたが、その結論は、核兵器は実際には使用できない、ということだったと言われています。核兵器が製造・使用された当初のこの結論は、今も有効であると考えられます。ただ、アメリカを始めとする核保有国は、自国が保有する核兵器によって相手国よりも常に優位に立とうとしていますから、抑止を超えた核兵器の使用を模索してきました。すなわち、実践で使える核兵器の開発が常に行われてきました。

一般に方向としては、開発は核兵器の小型化と正確化に向かいました。核兵器が使えない兵器であることの最大の理由は、威力が大きすぎるために目的(戦争によって実現しようとする国益)と手段(核兵器の使用)の釣り合いがとれないということです。これを核兵器の小型化によって埋めようというわけですが、ならば、通常兵器で十分で、なにも核兵器をわざわざ用いる理由はないということになります。また、戦争の際の法的義務の最大のものは非戦闘員と戦闘員の区別ですが、核兵器を軍事的ターゲットに正確に打ち込むことで非戦闘員の被害を最小限にしようというのが、正確性を求める開発ということになります。

武器としての核兵器は以上のように
、使えない兵器であるとの暗黙の合意の下で、使える兵器を模索するという歴史を歩んできました。今後も、核兵器の開発は、それを保有する以上続いていくものと思います。愚かなことですが。

第2に、核兵器は「旗」であると言えます。これは国によって相当に異なるような気もしますが、たとえば、パキスタンにおいて、また北朝鮮において顕著であるように、核兵器が国民の統合の象徴となる場合があります。自国が最強の武器を手にしたこと、最先端の科学的成果をあげたことが国民の統合を促すのです。こうした国威発揚を必要とする国家が依然として現在の世界では多数派であるということができます。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。


http://www.kohyusha.co.jp/books/item/978-4-7709-0059-3.html

2017年11月30日木曜日

第75回【彼らはなぜ核兵器を持つか⑮】

2011年度のテーマは「彼らはなぜ核兵器を持つか」でした。
年度末に、恒例の総括の講義を行いました。題して「舐め切る!政治学」。その内容を、これから再録致しますが、これは、2011年にした講義で、わずか5~6年で、核兵器を取り巻く環境がこれほどまでに変化するとは想像もしませんでした。引き返すことはまだ可能にも思えますが、それには相当の犠牲を払わなければなりません。
まずは、2011年の講義をそのままお伝えし、後ほど、現在の視点で補足を致します。


1
年間、核兵器とは何か、なぜ核保有国は核兵器を保有し続けるのか、日本は核兵器を持つべきかを考えました。核兵器とは何かということは昔から考えてきたことだったので、それに付け加えるものは何ひとつなかったのですが、考えてみれば、たとえば、イギリスがなぜ核を保有しているのか、というようなことを真剣に考えてみることはなかったように思います。また、日本が核兵器を持つべきか否かということも、実は、自分の中で確固たる結論を出してこなかったように思います。これを機会にそれに答えを出せたのは非常によかったと考えています。

私たちは今、核時代を生きています。核兵器と原子力発電の時代です。原子力発電についてはよくわかりませんが、少なくとも核兵器については、これを完全に凌駕する威力の兵器が生まれない限り、私たちは核時代を生き続けることになります。核時代が終わる見通しは今のところありません。ゼロです。

核時代に生きる前提は、核兵器というものをなくすことはできないということです。これを見誤ってはいけません。核廃絶を猛烈に主張する人たちがいますが、彼らは本気で核兵器がなくなるとでも考えているのでしょうか。人類が核兵器のノウハウを知ってしまった以上、それをなくすことはできません。いかにそれがなかった昔が懐かしくても、私たちは昔に戻ることはできないのです。核兵器はなくならないということを肝に銘じて核兵器の問題を考え続けなくてはなりません。

それ故、核時代の最大の課題は、核兵器をなくすことではなく、いかにして核兵器が使われない状態を保つかということにならざるを得ません。この課題は永遠に続くものなので、いかにうまく対処しても、達成感が得られる可能性はないと言えます。それでもなお「虚しい」と思わずに課題に対処し続けることが要求されるわけで、これは誰にでもできる仕事ではないと私は思います。言い換えると、いかにそれに反発する人がいるとしても、核時代における最大の課題は「核兵器との共存」ということにならざるを得ません。私たちは、核兵器と共存し続けることができるでしょうか。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。


http://www.kohyusha.co.jp/books/item/978-4-7709-0059-3.html

2017年11月17日金曜日

第74回【彼らはなぜ核兵器を持つか⑭】

イスラエルは、核兵器の保有を認めていませんが、否定もしていません。核については「あいまい戦略」を取っています。アラブ諸国のすべてがNPTに加盟しており、国際的な核管理体制の下にありますが、イスラエルは、周辺国が核兵器を獲得することを非常に恐れています。アラブ諸国が核兵器を持っていないことを考えると、イスラエルの核兵器は抑止を目的としたものではないと考えられます。それではなぜ、イスラエルは核兵器を保有しているのでしょうか。ちなみに、イスラエルは200発の核弾頭を保有しているとされています。これはイギリスやフランスに匹敵する数字です。

イスラエルを取り上げたゼミ生はひとりでしたが、イスラエルの核保有の意図について、かなり頭を痛めたようです。
抑止が目的でないとすれば、そして、アラブ諸国が核兵器を保有していない以上、当然抑止ということはあり得ないのですが、ならばイスラエルの核兵器はどこに向けたものなのでしょうか。ゼミ生の説は、それはアメリカに向けられたものだというものです。私は、これは妥当な説であると思いました。

イスラエルとアメリカは極めて緊密な同盟国であると一般には考えられています。また、アメリカ国内には有力なユダヤ人グループが多様に存在していて、常にイスラエルを陰に日向に援助しています。しかし、中東でのアメリカの国益は非常に複雑に絡み合っていて、どんな時にも一方的にイスラエルを支持し続けるわけにはいきません。最近のシリアの内戦やISによるテロとの戦いやサウジアラビアやイランとの関係を考えてみても、利害の絡まり具合は半端でなく複雑であることが分かります。

イスラエルは、こうしたことを心底理解していますから、イスラエルにとって非常に重大な局面においても、アメリカがイスラエルを全面的に援助するわけではないことを知っています。アメリカを究極的なところでは信用していないと言っていいのかもしれません。ゼミ生の議論は、こうした重大な場面でアメリカがイスラエルに手を貸しそうにない時に、自国の核を使用するという選択肢をアメリカに示すことでアメリカに脅しをかける可能性があると言います。つまり、イスラエルの核兵器は、同盟国のアメリカが自国を援助し続けさせるための究極的な脅しとして使用することを考慮しているものだというわけです。通常は、イスラエルがアラブ諸国に対して核兵器を使用することを懸念するわけですが、イスラエルは、核兵器の不使用性を理解しており、その保有は徹底的に政治的なものだと考えるのです。

これに対して、イスラエルの核への反発から核開発を開始したと考えられるのが、イランです。イランはNPT加盟国ですが、核兵器の開発を着々と行ってきたと信じられています。NPT体制の下でも平和的な核開発は許容されているわけですが、イランの行っている様々な行為は核の平和利用を明らかに逸脱しているように思えます。のらりくらりと国際機関の非難や査察を誤魔化し続けているのは、北朝鮮に似ているように思いますが、イランの核開発には、北朝鮮の影がちらついています。国際的に孤立した両者が、核開発において様々に協力をし合っているということは、国際社会では常識です。

イランを取り上げたゼミ生はひとりでしたが、そのゼミ生が指摘したイランの核開発の動機の最たるものはアメリカへの反発であると言います。1979年のイラン革命以来、アメリカとイランは限りなく対立を続けており、近年のオバマ政権における協定の成立後もこの対立は必ずしも解けていません。
イランのアメリカへの反発は、単なるアメリカへの反発ではありません。むしろ、イスラエルの核について、黙認ないしは容認しているアメリカに対する反発と理解するほうが適切です。つまり、イランは、核兵器について言えば、アメリカ自体に対抗する意志はなく、むしろ、中東におけるイスラエルとの争いやそれを通じたアラブ諸国との関係に関心が向いているのです。ただ、そこにアメリカの影響力が多様に及んでいるためにアメリカに対抗する必要が生まれるわけです。核を持ったり、持とうしたりすること自体が政治的な状況に影響を及ぼすわけで、核兵器の政治的側面がここでも重要になります。

イランの核開発には北朝鮮の協力が不可欠であったと思いますが、やはり、北朝鮮絡みで核開発が疑われたのがミャンマーです。今では、この事件自体真偽不明で、ほとんど忘れられていますが、ミャンマーの核疑惑を取り上げたゼミ生は2人でした。

2009年にオーストラリアの新聞にミャンマーの核兵器開発の疑惑の記事が掲載されました。北朝鮮がこれに協力し2014年には核兵器の保有を目指すとされていました。イランにしてもそうですが、北朝鮮もこれ以前のミャンマーも国際的孤立が大きな特色でした。アパルトヘイト時代の南アフリカもそうですが、国際的孤立は自業自得ですが、孤立した国家同士がこういう形で結び合う例は珍しくないことを考えると、国際的あるいは地域的に孤立をいかにして解消するかということは、緊張を緩和する重要な鍵であると思います。問題は、それをどのようにしてもたらすかではあるのですが。

ミャンマーの核開発は情報も少なく、謎に包まれています。ゼミ生のひとりは、南アフリカがそうであったように、大国の関与の誘い水として核疑惑を利用したという説を唱えました。また、不確定な情報ではありますが、麻薬ビジネスの延長線上で北朝鮮からの売込みがあったとも論じています。もうひとりのゼミ生は、国際的孤立からの脱却を目指して、核兵器を保有することで、ミャンマーの国際的地位の向上を目指したのではないかと論じています。どちらも、当時のミャンマーが軍事政権であったことを考えるとあり得る話であると思います。

その後ミャンマーは、一気に民主化の方向に舵を切りました。このゼミが行われた2011年は、民主化がまさに始まった時期で、多くの専門家は、民主化が本物となるかどうかということに、どちらかと言うと悲観的な眼を向けていました。アウン・サン・スー・チーの軟禁は解かれたとはいえ、政治的活動は禁止されるなど、どちらに転ぶか分からない時期でした。とはいえ、ミャンマーが民主化を、ゆっくりながらも、進めていたことは事実で、そうした中で、核兵器開発のうわさは消えていったのでした。

2人のゼミ生は民主化に懐疑的で、民主化が結局は進まず揺り戻しがあった時には、北朝鮮の援助の下に再び核開発が行われるかもしれないと危惧を表明しています。これに対して、私は「民主化の後戻りはない」と断言して反論をしましたが、ゼミ生の懐疑的な感じは払拭されませんでした。

核兵器保有国とその保有・開発が疑われる国家についての学生たちの論文についてご紹介をしました。次回より、私がこの年度の総括として学生たちにした講義を再録致します。


※このブログは毎月15日、30日に更新されます。





2017年10月30日月曜日

第73回【彼らはなぜ核兵器を持つか⑬】

これまで、自他共に核兵器の保有を認める諸国を取り上げてきました。

この他に、核兵器の保有が疑われる国がいくつかあります。疑われるといっても、それが確実視されているイスラエルから、核兵器開発の情報が都市伝説的に現れて、まもなく消えて行ったミャンマーのような存在もあります。

そんな中で、南アフリカはかなり特別な存在です。いったん保有した核兵器を廃棄した唯一の国家です。とはいえ、南アフリカの核兵器の保有は、南アフリカ政府が廃棄を公表するまで誰も気が付きませんでした。核実験は行わず、製造・保有・廃棄を秘密裏に行ったというのです。保有核弾頭数は6個、運搬手段は戦闘機であったとされています。南アフリカを取り上げたゼミ生は2人でしたが、南アフリカが誰にも気付かれることなく廃棄までを行ったため、情報が少なく、かなり苦労した様子でした。

南アフリカは、1991年に核兵器の廃棄を完了し、核の国際的管理のための条約であるNPT(核拡散防止条約)に加盟しました。それにしても、南アフリカはなぜ核兵器を持ったのでしょうか。そして、なぜそれを廃棄したのでしょうか。2人のゼミ生の考察をご紹介致します。

南アフリカが核兵器を持った理由としては、ゼミ生は4つの可能性をあげています。第1に、アンゴラの内戦向けという説があります。アンゴラの内戦では、ソ連の援助を受けたキューバ兵がこれに参戦していました。しかし、アンゴラを始めとする近隣諸国への核兵器の威嚇や使用は、逆効果でしょうし、敵の脅威がゲリラであるような場合にはますますそうです。第2に、その背後にいるソ連向けということも考えられるわけですが、わずか6個の核兵器ではまったく無意味であることは言うまでもありません。第3に、対黒人向けの兵器とする説があるわけですが、そうなると、自国の領域での核の使用となるわけで、あまりにも愚かな選択肢ということになります。南アフリカが核兵器を持つ理由はなかなか明確にならないのですが、第4の説は、核兵器という武器の性質を考える上でも興味深いものです。

すなわち、核兵器を威嚇に用いたり、実際に使用する意図は最初からなくて、もっぱら交渉の道具として使うつもりだったという「廃棄前提説」です。アパルトヘイト政策のために南アフリカは、国際的に孤立していました。この孤立を打破することが南アフリカ政府の最大の課題だったわけですが、アパルトヘイトを廃止することなしには孤立を解消することは困難でした。とはいえ、南アフリカ政府としては、アパルトヘイトを廃止することもまた困難で、そのために、核兵器を利用することを考えたのです。核兵器を廃棄することで、国際社会から譲歩を引き出し、孤立状態からの脱却を考えたというわけです。

秘密裏に獲得した核兵器の廃棄を条件として国際的孤立の突破を図ろうとしたという説ですが、正直言いまして、俄かには信じられません。ただ、こうした説が出てくるくらいに、南アフリカの核兵器獲得の意図は謎なのです。そして、獲得だけでなく、核兵器の廃棄の理由も明らかにはされていません。廃棄の理由については、2人のゼミ生は揃って同じ結論に達しています。冷戦が終了し、90年代に入ると、マンデラの釈放が検討され、アパルトヘイトは廃止が決まりました。アパルトヘイト廃止後の民主的な選挙においては、黒人勢力が政治権力を握ることは確実でした。そんな中で、核兵器の獲得と廃棄の発表がなされたのですが、白人の南アフリカ政府は、黒人の手に核兵器を渡したくなかったのだと2人は論じます。

南アフリカの核兵器獲得と廃棄の真偽は定かではありませんが、こうしたことからも、核兵器が実際に使用される武器としてよりは、政治的な存在として利用され得る兵器であることが実感できます。南アフリカの核兵器が、実際の使用ではなく取引の材料として、廃棄を前提として製造され保有されていたとすれば、その典型的な例であったと考えられます。北朝鮮の場合は果たしてどうでしょうか。

今回は、ミャンマーやイスラエルも取り上げるつもりでしたが、それらは次回に。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。




2017年10月15日日曜日

第72回【彼らはなぜ核兵器を持つか⑫】

国連の安全保障理事会の常任理事国のすべての国が核兵器を保有しています。すでにアメリカ、ロシア、中国を取り上げましたが、フランスとイギリスはなぜ核兵器を保有しているのでしょうか。フランス、イギリスともに2人のゼミ生がこれをテーマとしました。

イギリスは、第2次大戦中のアメリカの核兵器開発に参加していました。しかし、イギリス自体が核兵器を保有することについては、戦後、アメリカの援助を得られませんでした。2人のゼミ生の一致した意見は、イギリスに核兵器を開発し保有させた最大の動機は「大国意識」であるということでした。

イギリスは、戦後、多くの植民地を失い、戦争による疲弊もかなりのものでした。戦後の苦しい財政状況の中で核兵器開発を行った背景には、それに対する強い意志が存在したことは間違いないのですが、その強い意志はどこに由来するのでしょうか。それこそが「大国の意地とプライド」だとゼミ生は論じます。失った広大な植民地に代わる何かを核兵器に見ていたのかもしれません。

イギリスは、核兵器をすべて潜水艦に載せて運用していますが、NATOにおけるアメリカの核兵器の存在を考えると、ソ連・ロシアへの核抑止において、どれほどの意味を持っているかと言えば、ほとんど影響力がないものと考えられます。アメリカの核の傘に対して、後ほど論じるフランスほどに不信感があるかと言えば、必ずしもそうではなく、そもそもイギリスの核兵器の運用自体がアメリカと不可分に結びついているのが実体です。

さらに、冷戦が終結し、ソ連が消滅しロシアが誕生しても、そして、ロシアがアメリカとともに核兵器の削減を行った場合にも、これらの外的事実の変化はイギリスの核保有に影響を及ぼしたようには見えません。ひとりのゼミ生は、ここから、イギリスの核兵器の保有の理由は、むしろ、国内要因によるのではないかと論じています。しかも、核戦略といったものも必ずしも明確でなく、ただ持っているだけに見えるとも論じています。

それでもなお、イギリスが核兵器を保有するのは、核兵器が「大国意識」を支えるものであり、自国を大国であると見せる手段であり、大国である(あるいは、あった)プライドを満たすためであると論じています。

なかなか厳しい見方であると思いますが、確かに、イギリスが核兵器を保有する積極的な理由は、対外関係からは見出せません。しかも、米ロの核バランスにイギリスの核戦力が影響を及ぼす可能性はまったくありません。そのように考えると、イギリスの核兵器は、実は、内向きなのだという説には説得力があります。イギリスの首相は、就任時に、自国が核攻撃を受けた場合の対処の選択肢を示され、軍にそれを命じるのが最初の仕事なのですが、それは、自国が大国であることを首相自らに刷り込むための儀式なのかもしれません。

大国意識と言えば、それが世界でももっとも強烈であるのがフランスかもしれません。フランスを取り上げた2人のゼミ生は、揃ってフランスの大国意識を指摘しています。

フランスが核兵器を独自に開発し獲得した過程においてもっとも影響が大きかったのは、アメリカに対する不信であったと思います。ドゴール大統領は、米英の核独占を批判し、核開発に進みますが、その背景には、フランスがソ連から核攻撃を受けた場合にアメリカがフランスのために報復をしてくれるとは信じられないという対米不信が存在しています。フランスは、1960年に最初の核実験を行いますが、66年にはNATOを脱退しています。

日本やNATO諸国は、アメリカの核の傘が機能すると信じて、あるいは、信じた振りをして核兵器の保有を思い止まっているのですが、フランスは、自国の大国意識と相俟って、アメリカの核の傘を信じることはしません。つまり、フランスは、アメリカの核の傘に入ることを潔しとしないのです。なぜならば、フランスは、自己意識としてアメリカと同じ大国なのであり、大国ならば、自国の政策の選択肢を最大限に広くするために核兵器を持つべきだからです。「偉大なるフランス」というドゴール主義は、単なるスローガンではなく、フランスのあらゆる政策を導く物差しなのです。


次回、南アフリカ、ミャンマー、イスラエルを取り上げたゼミ生の論文をご紹介します。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。