2018年11月16日金曜日

第98回【20世紀の悪魔・民族自決⑱】

前回の最後に予告致しました通り、今回は「冒険」の番外編です。

2012年度は「20世紀の悪魔・民族自決」と題してゼミを1年間行いました。テーマの背景には、20世紀が人類の歴史でもっとも野蛮な世紀であって、なぜそんなことになってしまったのか、という関心が常に存在していました。

しかしながら、考えてみれば、20世紀がとりわけ野蛮であるということは、どこまでも印象論に過ぎないものでした。第1次大戦、ロシア革命からスターリンへ、そして、ナチスドイツの所業と第2次大戦、毛沢東による大躍進や文化大革命による自国民虐殺、ビルマ・ポルポトによる毛にならったかのような自国民の大虐殺、さらに、ルワンダなどの虐殺と、20世紀を振り返ると確かに億単位で人が殺されたわけで、これを「野蛮の世紀」と呼ばずしてどの時代を野蛮と呼ぶのかと考えてしまうのは当然のことです。しかしながら、統計的な考慮を勘案して人類の歴史を振り返ってみると、20世紀は、案外、印象ほど悪くないということが人類学者の間では常識であるということを最近になって知るようになりました。

ハーバード大学のスティーブン・ピンカー教授によれば、古代の狩猟採集社会、その後の部族社会から近代国家中心の現代までの戦争や暴力による死者数を推定して比較すると、人口10万人当たりの死者数は、国家の下にある場合の方が、それ以前の伝統的な社会よりもはるかに少ないということで、このことは、ピンカー教授の『暴力の人類史』に詳しく書かれています。日本語訳で上下2巻1200ページを超え、註と参考文献表だけでも100ページ以上になる大著です。

確かに、20世紀は戦争やその他の暴力によって多くの人命が失われたわけですが、死者を分子とし、人口を分母とする統計的な処理をすると、随分とその印象が変わります。そして、印象の変化以上に重要であることは、なぜそうした変化が起きたのか、つまり、印象とは違って、20世紀において理不尽な暴力による死者の割合が減ったのはなぜか、という疑問に対する答えであると思います。

ピンカー教授は、その答えを単一のものに求めてはいませんが、そのうちの最も重要なものとして主権国家の確立を挙げています。それが必ずしも民主的でないとしても、政府の管理下に入ることで、すなわち、法の支配を受け入れることで、殺人は激減するということは、文化人類学者の常識であるとのことです。残念ながら、政治学者の常識とはなっていませんが。

手前みそになりますが、私は自著『ウェストファリアは終わらない』において、未来の平和な世界を、民主的な主権国民国家による外交と国際法の世界として描きました。カント的な平和の発想であり、それはそれほど珍しい主張ではないのですが、ピンカー教授の証明する暴力の減少という現象と響きあうところがあります。国家が暴力を国内において独占することによって国内社会に平和を築き上げ、その国家がことごとく民主化されることによって、国家による対外的な暴力の使用が制限されるようになる世界こそ、私たちが望むことのできる最も平和な世界なのではないでしょうか。私は、20世紀が野蛮な世紀であると信じながらなお、その延長線上にしか平和は存在しないと考えたわけですが、ピンカー教授が提示しているように、20世紀が人類のそれまでの歴史に比較してそう悪くないものだとすれば、ますます希望が湧くというものです。

アフガニスタンやイラク、シリアの問題にしても、また、中米からアメリカへ徒歩で向かう移民の群れにしても、天文学的なインフレで多くの国民が国外に逃れているヴェネズエラの問題にしても、根本的な問題は、そこに民主的な主権国家が確立されていないということに尽きるように思います。20世紀の後半以来、主権国家の時代は終わり新しい時代がやって来るかのような言説が多く登場したのですが、それらは大いに間違っていたのではないでしょうか。21世紀の今もなお、民主的な主権国家による世界は未確立で、その確立こそがまさに現下と将来の課題なのではないでしょうか。

ウェストファリアは終わらない』において私は以上のような問題を考えました。20世紀への評価がピンカー教授の影響によって大いに変化したとしても、そこで論じたことについてはなんら影響を受けなかったことを喜ばしく感じています。今後も勉強をしなければと改めて思いました。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。




2018年10月26日金曜日

第97回【20世紀の悪魔・民族自決⑰】

21世紀を20世紀とは異なる平和な世紀とする鍵は、「寛容」と「独立自尊」であると私は考えるようになりました。
「人民」の自決を許す「寛容」。誰が人民の資格を持つかはその時々で検討をする以外にないものと思います。抽象的な定義はたぶんできないのです。しかしながら、ゼミで勉強した皆さんには分かると思いますが、自決をした「人民」は断じて「独立自尊」を果たさねばなりません。これを果たす気のない、あるいは、果たす能力のない集団は「人民」ではないのです。そういう集団はより大きな国家に依存して生きるべきです。独立など考える資格はありません。しかしながら、ある集団が「独立自尊」を果たすまで、いったい、どれくらい待つべきなのでしょうか。私は気長に待つべきだと思っているのですが、それにしても、どれくらいの期間、先進国は援助をし続けるべきなのでしょうか。たとえば、カリブ海の島国ハイチは、アメリカ大陸で2番目に早く独立を果たした国(ちなみに1番目はアメリカ合衆国)ですが、現在も「独立自尊」を全うしたとは言い難い状態にあります。独立後200年経ってなお「独立自尊」が果たせないとしたら・・200年は長いのでしょうか、それとも、まだまだ短いのでしょうか。

人民の自決を許すとすれば、世界には現在よりはるかに多くの主権国民国家が生まれざるを得ません。その中には、ハイチのような例がたくさん含まれる可能性が高いと思います。私が今年度のゼミで得た最大のアイディアは「自治」という民族の在り方でした。どの人民も独立せずとも「自治」によってより容易に「独立自尊」に到達できるかもしれないという考えです。もちろん、自治にも「独立自尊」の責任が伴います。そして、肝心なことは、自治を獲得する側だけでなく、自治を与える側の国家の成熟が非常に重要だということです。分離独立の問題を抱える国家の多くが、この成熟とは無縁であるかのような国家であることは大変に大きな問題ですが、それでもなお、する側とされる側にとって分離独立よりは自治という解決の方がより容易な解決法であるように思います。

21世紀において、現在よりもはるかに多くの主権国民国家が生まれざるを得ないと私は考えます。仮に、自治という中間的な解決方法が相当にうまくいっても独立でしか満足できない人民・民族が多数存在することは否定できません。これをどのようにして可能にするかが21世紀の「難問」のひとつであると思います。私は、「許す」ことと「非真面目」が21世紀を生きる人が身に付ける態度であると信じています。もちろん、それによって「難問」が解決されるわけではありません。しかし、その宙ぶらりんな状態を許しそれに甘んじることこそが平和に生きる道なのです。

私たちは、自決しようとする人民・民族にそれを「許す」必要があります。それは独立でも自治でも構いません。そして、「独立自尊=自立」に至るまで彼らに多くの時間を与えることを「許さ」ねばなりません。その時間は人の一生を超える時間になる可能性があります。国家づくりとはそのような試みであるのです。だから、長ーく援助をしなければならなくなるかもしれません。そして、何事についても熱狂的に信じるようなことをしてはいけません。それを私は「非真面目」と呼びます。20世紀の教訓には様々なものがありますが、真面目で勤勉な公務員こそが大量殺人の実行者になるのだ、というのがその最大のもののひとつで、私は、何に対しても熱狂的にならない「非真面目」の態度こそがそれに対する有効な解毒剤であると思います。「許す」ということを背景から支えるのもこの「非真面目」の態度であると思います。私たちは21世紀をあまり真面目に生きてはいけません。あらゆる変化を受け流し認め適応する「非真面目」な態度こそが21世紀を平和にしうる態度なのです。

以上、2012年度末にゼミ生を対象にしてした講義の内容を再録致しました。

通常ですと、次回は2013年度のテーマに移るところですが、2012年から6年経った現在、その後私もちょっとは勉強をしたわけで、その結果、大きく認識を変えた部分が出てきました。次回それにつきまして論じたいと思います。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。


2018年10月15日月曜日

第96回【20世紀の悪魔・民族自決⑯】

さて、以上のことを踏まえて21世紀を展望してみましょう。
20世紀を史上もっとも野蛮にした3つの要因はどうなったでしょうか、あるいは、どのようになる見込みでしょうか。
第1に、武器・兵器は依然として進化し続けています。たぶん、武器・兵器は今後もずっと発展し続けるのだと思います。つまり、より効率よくより大量に人を殺す道具が工夫され続けるということです。人類はどこまで愚かなのでしょうか。

しかし、これにはこれまでの発展と多少違う方向も観察されます。つまり、アメリカが典型ですが、敵はいくら死んでもいいけれども、味方つまりアメリカ人が死ぬのは耐えられない社会が出来つつあります。今はアメリカが典型ですが、いずれどこの国でもそうなっていくものと思います。つまり、敵を一気に大量に殺す技術を発展させると同時に、味方をいかに戦闘で死なせないかという方向の兵器の開発が行われるはずです。無人飛行機の偵察や攻撃が今注目されていますが、これがその典型です。いずれSF映画のように、ロボットの兵士が登場することは間違いないと思います。

第2に、国際法は今後も間違いなく発展していくものと思いますし、それを無視してまともな主権国家が行動し続けられるとは考えられません。どんな国家も何事か行動を起こす場合には国際法を視野に入れないわけにはいきません。ただし、その進歩の歩みは遅々としたもので、そして、時には無力で、国際法が十分に国家の行動を縛るようになるまでには数百年の時を費やさざるを得ないものと思います。何度でも言いますが、それでもなお、国際法の発展にしか国際社会の未来はありません。

第3に、イデオロギーとしての共産主義はさすがに実効性を失いましたが、しかし、共産主義に代わるイデオロギーの登場までもなくなったとは言えないものと思います。イスラムをベースにしたかのようなテロリスト集団の狂信性は、共産主義のイデオロギーを凌ぐもののようにすら感じられます。テロは21世紀の主要テーマとなった感があります。

民族自決というものの考え方は21世紀においても有効で紛争の重要な鍵になるものと思います。だからこそこれを2012年度のテーマとしました。民族自決というものの考え方は間違いなく正義に適っています。問題はその概念が曖昧で、この権利を行使する主体が誰なのかが明確でないということであるように思います。植民地主義の遺産はまだ清算されていません。現に今ある国家の枠組みはどこまでも暫定的ということができます。

何しろ、植民地から独立したわけではない西欧諸国においてすら民族独立を訴える分離主義が珍しくありません。スコットランド、ウェールズは長期的にはイギリスから独立するのではないでしょうか。ベルギーが2つに分裂する可能性はかなり高いと思います。カナダのケベックも分離独立の可能性を依然秘めています。共産主義から解き放たれたチェコスロバキアはすでにチェコとスロバキアに分離しました。バルセロナ有するカタルーニャやバスクはスペインから独立する道を選ぶのでしょうか。かなり成熟した西欧の主権国民国家においてすら現在の国家の枠組みは盤石とは言えないわけです。

まして、50年前、60年前に植民地から独立した諸国においては、現在の国家の枠組み、もっと分かり易く言うと、現在の国境は、むしろ虚構に近いと言ってもいい場合がざらなわけです。こうした諸国においては、無数と言っていいほどの分離独立運動が存在しています。重要なのは、私たちが民族自決が正義だと考えるのであれば、こうした運動を認めなければならないということです。それとも、民族自決というイデオロギーを否定することは可能でしょうか。私はこれを不可能だと考えています。なぜならば、民族自決という考え方は正義に適っていると考えるからです。もちろん、何度も言うように、この概念はあまりにも曖昧なので、もっと明確化しなければならないとは思います。しかし、まるごと否定することは不可能であると考えます。つまり、私たちは、民族自決を疑問の余地のないように定義しなければならないのです。「民族」とは何かという問題です。そして、実は、これこそがまさに困難な問題で、簡単には解決されないと思うわけです。20世紀の悪魔のひとり「民族自決」を21世紀に飼いならすためには、だから、言葉の定義の問題とともに以下のような態度を身に付ける必要があると私は考えます。
(第97回に続く)

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。





2018年10月2日火曜日

第95回【20世紀の悪魔・民族自決⑮】

20世紀を人類史上もっとも野蛮にしたイデオロギーの東の横綱が共産主義でした。共産主義はまず第1に自国の国家内部の敵に向けた暴力へと繋がりました。それがさらに他国に対しても共産主義を広めなければならないということで外に対しても暴力が向かっていったわけです。共産主義という「正しい」思想・体制を世界に広めていくためには、必要ならば(そして必ず必要になるんですが)暴力に訴えてもそれは正しいと考えられたわけです。

対する西の横綱が、今年のテーマ、民族自決(人民の自決の権利)というイデオロギーであったと思います。厄介なのは、この人民の自決の権利というものの考え方が正しいということだと思います。そのくせ、人民とか民族とか自決といった重要な概念が極めて曖昧なのです。その結果、多くの紛争が引き起こされる結果となりました。これはこれから数百年続くものと思います。民族自決の考え方を背景に持った民族解放闘争・戦争が20世紀に盛んに行われました。植民地主義のことを考えれば、そして、植民地帝国が簡単に植民地の独立を認めなかったことを思えば、こうした闘争・戦争はたぶん不可避、あるいは、必要のあったものなのかもしれないとも思います。しかし、その結果、多くの人命が失われました。そして、重要なことは、そこで死んだ多くの人々が、独立のためであれば自分の命は失われても仕方ないと信じながら死んだということです。ひとは何かを信じれば確かに進んで死ぬ存在でもあるのです。しかし、だからといって人間が大量に死んでいいものでしょうか。たとえそれが正しいものの考え方であったとしても、民族自決は間違いなく、20世紀を野蛮な世紀に導いたのでした。

考えてみれば、ヨーロッパの18世紀ははるかに文明的であったと言えます。もちろん、20世紀とは違って、瞬時に大量の人間を殺すような技術がなかったことも幸いしていたことは否定できません。それでも、この時代と20世紀との違いは、ものの考え方の相違であったということも重要であると思います。

18世紀においては、戦争は正しい「何か」のために行われるのではなく、徹底して「利益」のために行われると信じられていました。戦争に伴う被害が戦争で得られる可能性のある利益を上回るようであっては馬鹿げているとすべての関係者が心から信じていました。だから、戦争は正義と悪魔の戦いではないということ、所詮一時の利害のためだということが肝に銘じられていました。こうした戦争は様式化せざるを得ません。つまり、一種のスポーツになるわけです。この時代の戦争は傭兵による戦争ですが、傭兵はもちろん金目当てで、死んでしまっては意味がありません。だからこそ、戦争はぬるく、場合によっては、兵士の展開の状況によって、戦わずして勝敗が決まったりしたわけです。


このようなスポーツとしての戦争の終わりがフランス革命に伴う戦争(ナポレオン戦争、それを終わらせたのが1815年ウィーン会議)で、この革命によってイデオロギーを背景にした戦いと傭兵ではない国民軍が登場し、それまでの戦争を一変させたのです。20世紀はまさに19世紀の延長線上に花開いた野蛮の世紀だったわけです。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。


2018年9月15日土曜日

第94回【20世紀の悪魔・民族自決⑭】

2012年度のゼミの総括の講義の再録を続けます。

20世紀の戦争においては、軍人よりも民間人の死者が圧倒的に多くなりました。その原因の大半は、都市に対する空爆が一般化したことが挙げられます。もちろん、これは国際法違反です。もっとも残酷と言っていい都市に対する空爆は、東京大空襲とドレスデン爆撃であったろうと思いますが、こうした民間人をターゲットにした攻撃が20世紀の大きな特色で、だからこそ人類史上もっとも野蛮な世紀であると言えるわけです。その極めつけが広島と長崎への原爆の投下でした。

国際法違反の戦闘でその他に代表的と思われるのがゲリラ戦です。戦争とは、ある国家の正規軍と他の対立する国家の正規軍の戦いで、その戦い方のルールが戦時国際法なのですが、そして、戦時と平時を区別することこそが現代の国際社会の大原則なのですが、20世紀においては、不正規軍(ゲリラ)がむしろ主力として戦う戦争が珍しくなくなりました。ベトナム戦争が典型的な例です。その結果、軍人と民間人の区別があいまいになりました。戦時と平時が混ざり合い区別が困難になりました。民間人が戦争に巻き込まれる確率が高くなり、兵士はあらゆる場面で気の抜けない戦いを強いられるようになりました。

まさに国際法が踏みにじられるような戦い方が一般的になったわけですが、それでも、私は国際法の発展にしか未来はないと思います。なぜなら、世界政府などというものは不可能だし不適切だと思うからです。これについての議論はここではしませんが。

第3に、大量に人間を殺すことを正当化するようなイデオロギーが20世紀においては蔓延りました。ひとを大量に殺すことは、実は、大変なことで、しかも、それを正気を失わずにやることは至難の業です。そのためには、人を大量に殺すことが正しいと信じることができる「何か」を熱狂的に信じなければなりません。あるいは、人を大量に殺すことに心を込めないような、つまり、毎日行っている単なる仕事=ルーティンにしてしまわなければなりません。後者が真面目な公務員の仕事と言えます。アウシュビッツに努めるドイツの公務員は、朝、妻や息子や娘と朝食を食べ、「行ってきます」と手を振り出掛け、仕事をきっちりとして、夕方「ただいま」と家に帰り、家族で夕食を食べ、夜は読書をしたり、音楽を聴いたり、たまには妻との勤めを果たして真面目に暮らしていたわけです。ただ、たまたまその仕事の内容が、ユダヤ人を500人とか1000人その日のうちに殺すことだっただけです。こういう公務員はいつでも存在します。犬や猫が大好きで獣医になり、そして、公務員になる。仕事は、野犬や野良猫の処理、ということはいくらでも起きるのです。気を付けないと、私たちは真面目にこういう仕事をしてしまうのです。真面目に生きてはいけません。

前者、つまり、人を大量に殺すことを正当化する「何か」ですが、これこそイデオロギーということになります。ある社会が狂信的にあるイデオロギーを信じるようになると、こういうことが起きます。20世紀はまさにイデオロギーの世紀だったと言えると思います。

ナチスのユダヤ人虐殺の背景には強烈な反ユダヤ主義が存在しました。ナチス・ドイツは戦争をしながら、あるいは、戦争を脇に置いて、ユダヤ人の絶滅に向けて虐殺を続けました。アメリカがアフガニスタンやイランなど世界中に介入し続け、そこで結局は人を大量に殺してしまう背景にはデモクラシーを世界に広げるのはいいことだと信じるイデオロギーが存在しています。ナチスと一緒にしたら怒る人もいるかもしれませんが、同じ病気の仲間だと私は思っています。デモクラシーでさえあまりにもそれを熱狂的に信じてはいけないのです。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。





2018年8月30日木曜日

第93回【20世紀の悪魔・民族自決⑬】

2012年度は、民族自決をテーマとしてゼミでの勉強をしてきましたが、1年を終えるにあたって、私は、「許す政治学、あるいは、醒ます政治学」と題して、以下のような総括の講義を致しました。

私は1959年生まれで、21世紀よりは20世紀の人間なのでなんとなく認めたくない気持ちもなくはないのですが、それでもやはり20世紀は人類史上とびぬけて野蛮な100年でした。私たちは自分たちが文明的な生活を送っているように錯覚していますが、実は、これほど野蛮な時代はこれまでの人類の歴史に存在しなかったと思います。何が野蛮かと言えば、人間が人間をもっともたくさん殺したということです。ひとがひとを殺すくらい野蛮なことはありません。20世紀の戦争と革命で死んだ人の数はたぶん億単位です。

さて、なぜ20世紀はこんな風にとてつもなく野蛮な世紀になってしまったのでしょうか。

まず第1に、武器や兵器が飛躍的に発展したことが挙げられます。その背景には科学技術の発展があることは言うまでもありません。20世紀に入って最初の大きな戦争は日露戦争でしたが、そこでは、第1次大戦でヨーロッパ諸国に甚大な被害を与える機関銃が登場しました。新しい武器・兵器の出現は、それに対する対応である防御がある程度確立されるまでの間は、それはそれは悲惨な結果をもたらします。それが日本の戦った日露戦争だったわけです。旅順における203高地での大量の戦死も、機関銃にどう対応すればよいかがまだ分からないところでの戦いだったから起きたことです。そして、それへの有効な手段が確立されずに第1次大戦が勃発し、その戦争中に飛行機や戦車が登場したのは、主に機関銃への対処であったということができます。第2次大戦になると、これらの兵器はさらに発展し、究極の兵器である核兵器が戦争末期には登場し、現に日本に対してそれが使用されました。核兵器に対する有効な兵器レベルでの防御は未だに確立されていません。核抑止政策という別の対処が長年されてきましたが、これに対する批判には非常に大きなものがあります。

核兵器を頂点とする軍拡競争は、人類を何度も滅亡させるほどの量の核兵器を地球上に蓄積させました。20世紀の人類は野蛮であるだけでなく、人類史上もっとも愚かでもあったのかもしれません。その延長線上に私たちは生きています。いずれにしても、武器・兵器が飛躍的に発展したために、一度に大量の人間の殺害が可能となりました。


第2に、この間、国際法は無力でした。国際法の原点がどこにあるかを確定することはなかなか難しいことですが、17世紀の半ば、つまり、近代の始まりとともに国際法が登場したと考えてそう間違いはないはずです。つまり、300年程度の歴史を持つ国際法は、20世紀において、ほとんど有効に機能しなかったということができます。主権国家は、国際法に平時は敬意を払っても、肝心な時には国際法よりも国益を優先してきたわけです。誤解してほしくありませんが、それでも私は国際法の発展にしか国際社会の未来はないと今は信じています。500年経てば、今とはずいぶん違うはずだと思います。まあ、500年というところが問題なんですが。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。


2018年8月17日金曜日

第92回【20世紀の悪魔・民族自決⑫】

バルト海からボスニア湾に向かうちょうど入口の所、スウェーデンとフィンランドの中間地点にオーランド諸島があります。日本人でここを知る人はあまりいないかもしれませんが、このオーランド諸島の有り様を論文に取り上げたゼミ生がいました。

オーランドは、現在はフィンランドの一部となっていますが、歴史的にはスウェーデンとのかかわりが深く、島民は皆スウェーデン語を話します。スウェーデンからフィンランド、一時期はロシア、そしてまたフィンランドと、オーランドの帰属は変化してきました。オーランド島民がスウェーデン語を話し、オーランド旗がスウェーデンの国旗にそっくりなのを見てもスウェーデンへの帰属を望む人々が多いということが窺えます。ストックホルムからフィンランドのトゥルク行きのフェリーに乗ると、レストランのメニューがスウェーデン語とフィンランド語とロシア語で書かれていますが、以上の歴史がメニューに反映しているわけです。

ところで、オーランドを取り上げた学生が紹介しているのが「内的自決」という概念です。「内的自決」とは、独立は実際にはしないけれども、ひとつの主権国家の内部において「自治」を成立させることで自決が可能になるという考え方です。こうしたことは果たして可能でしょうか。また、それが可能だとして、果たしてそれは民族自決による主権国家の確立に代わるものたり得るでしょうか。どんな条件の下でなら、そのように言えるのでしょうか。

オーランド諸島は、その存在する位置の戦略的重要性から、長い年月、スウェーデンやフィンランドと深いかかわりを持ってきました。つまり、よくも悪くも歴史を共有してきたのです。ただ、オーランド諸島が人口が希少で十分な軍事的強さを持つことができないが故に、スウェーデンやフィンランドやロシアの保護下に置かれたわけです。その帰属は、周りの相対的な大国の力関係次第だったのです。その帰属に最終的な答えを与えたのが国際連盟でした。

オーランドは、1921年に、国際連盟の裁定によって大幅な自治を獲得しました。スウェーデンとフィンランドがともにオーランドの帰属を主張し、オーランドはスウェーデンへの帰属を希望していました。しかし、ロシアの支配を受ける前のオーランドはフィンランドに帰属しており、第1次大戦後のフィンランドの独立に際して、フィンランドがオーランドの帰属を自国に求めることは自然なことでした。スウェーデンはオーランドの戦略的に重要な位置から自国への帰属を主張しました。両国による交渉は暗礁に乗り上げ、国際連盟による裁定を求めることとなりました。この際、両国は、どのような裁定が出ようともその裁定に従うことを誓約しました。

国際連盟が出した裁定は絶妙なものだったということができます。まず第1に、オーランドへの主権はフィンランドに帰属するとされました。第2に、フィンランドに帰属することになったオーランドに住むスウェーデン語系フィンランド人(要するに、オーランド人)に対しては大幅な住民自治を保証しました。第3に、スウェーデンの意向に従い、オーランドを非武装中立の地域としました。つまり、フィンランドに主権、オーランドに自治権、スウェーデンに安全保障を与え、三者三様に不満を抱えながらも、受け入れ可能な妥協案が提出されたのです。

これにより、オーランドはフィンランドという主権国家の中で大幅な自治権を持つ地域として生きることとなったわけですが、現在では、この連盟の裁定自体が、オーランド住民のアイデンティティの中核になっていると言われています。オーランドは、こうした形で、確かに自決を果たし、フィンランドという主権国家の中で、小なりといえども確固たる自治を実現しているという意味で、前回紹介しましたダライ・ラマの「中道のアプローチ」を現実のものとした存在と言えるのだと思います。

これをフィンランド側から捉えると、それはフィンランドの選択というよりは連盟の裁定を認めざるを得なかったものということになるのですが、フィンランドの憲法を始めとする国内体制の中にオーランドを位置づけ、それを寛容に受け入れることを実現したということを考えると、フィンランドが裁定後はその裁定に従って主体的に自己の国家像を幾分変容させたということができるものと思います。

オーランドのような「内的自決」を実現させる条件とはどのようなものでしょうか。こうした「内的自決」は、私は21世紀における民族自決の問題の解決に重要なヒントを与えるものと思いますが、どこにでも成立するものとは考えられません。チベットが中国において「内的自決」を果たすことはたぶんできないのではないでしょうか。

ゼミ生は、これを実現するには2つの鍵があると主張しました。私は、それをまったく正しいことだと思っています。すなわち、第1に、自治地区を持つ主体、つまり、オーランドの場合はフィンランドということになりますが、この主体が十分に民主的に成熟していなければなりません。大幅な自治権を持つ主体を大らかに包み込む寛容さとそのためには自己変革も行うことができる柔軟性がなければなりません。20世紀の初頭に、フィンランドとスウェーデンは、すでにこうした段階に達する国家だったのだと評価できます。

第2に、自治地区とそれを抱える主体がともに歴史を共有しなければならないと言います。『ウェストファリアは終わらない』の第1章で強調したことですが、メモリーの共有こそが主権国家の核にあるもので、「内的自決」を実現する場合でも、メモリーの共有こそが鍵となるのです。

オーランド・モデルは21世紀において、もっと注目をされてよい国際政治の事例であると私は思います。このように、ゼミ生から教えられることがあるというのが大学のゼミの醍醐味であるとこの年私はまた確認したのでした。


来週から、2012年度の私の総括の講義を再録致します。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。