2019年10月6日日曜日

第118回【戦争に負けるとはどういうことか②】

2015年度は「戦争に負けるとはどういうことか」をテーマとして1年間勉強しました。

皆さんが2015年度の柴田ゼミのゼミ生だったら、「戦後のどこか」に「どこ」を取り上げますか。私は、第1次大戦後のドイツ、第2次大戦後の日本とドイツ、中国に侵略され支配されたチベット、ナチス占領下のフランスなどを想定していました。

ところが、ゼミが始まってゼミ生が自分のテーマを検討し始めると、私が想定していないどころか、私の知らない戦争までがテーマとして取り上げられるということになりました。これが大学のゼミの面白いところです。大学生の興味関心は多様で、ひとりの教員ではカバーしきれないほどの幅と深さを持っているのが普通です。だからこそ学生の自主性が重要になるのです。

さて、以下、柴田ゼミのゼミ生が2015年度に取り上げたテーマを列挙してご紹介致します。次回以降、それぞれのテーマにつきまして具体的にご紹介していこうと思います。

 1 ナチス占領下のギリシア
 2 リトアニアにおけるソ連のジェノサイド
 3 ベトナム戦争後のアメリカ
 4 中国残留孤児
 5 第2次大戦後の日本 2
 6 第1次大戦後のドイツ 2
 7 アメリカ南北戦争
 8 中東戦争とエジプト
 9 イギリス植民地としてのアイルランド
 10 アヘン戦争後の中国

 11 三国同盟戦争後のパラグアイ

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2019年9月15日日曜日

第117回【戦争に負けるとはどういうことか①】

2015年度は「戦争に負けるとはどういうことか」をテーマとして1年間ゼミを行いました。以下、ゼミ生募集のために書いた文章です。学生はこのような文章を読んで、自分が所属したいゼミを選択しますが、ゼミには定員がありますので、場合によっては選考があり、2次募集に応募しなければならないということもあります。

半年くらい前に、「戦争になったらどうしますか」という質問に答える調査の結果が新聞に出ていました。詳しく憶えているわけでありませんが、確か、「自衛隊を助ける」「逃げる」「戦う」のような順に答えが出ていたように思います。昔と比べれば、「逃げる」の割合は減っているような気がしましたが、それでも、どこか腰の引けた感じの人が多いと感じました。もっとも、普通の人が「戦う」なんてことができるとは思えません。それにはいくらかの訓練が必要で、スイスは国民皆兵の国ですから、そうした訓練を成人男子のすべてに毎年行っています。

私がこの調査から感じたのは、戦争がいけないことだ、できればしない方がいい、と多くの人が考えてはいるけれど、実際に戦争になることについてはほとんどの人が真面目には考えていないということでした。それは、もしかしたら、そうした質問をした調査元にも言えるのではないかとも思いました。

柴田ゼミは国際政治のゼミですから、テーマは常に「戦争と平和」にかかわります。戦争とは何か、平和とは何か、戦争はなぜ起きるか、平和をどのようにして実現・維持するかというようなことが毎年のテーマの背景にはあります。

人間はこれまで、残念ながら、戦争をし続けてきました。戦争を好んでしようとする人は多くないはずなのに戦争はなくならないのです。国際政治の構造に諸国家に戦争をさせる何か特別の要因が組み込まれているのかもしれません。戦争は避けようがない何ものかであるのかもしれません。そうであるとすれば、日本だって戦争を再びせざるを得ないはめに陥ることがあるかもしれません。

戦争はやらないに越したことはありません。できることなら、全力を尽くして回避するべきものであるとは思います。しかし、戦争が避けられないものであるとすれば、何よりもまず言えることは勝たなければいけないということだと思います。あるいは、絶対に負けてはいけないと思います。逆に言えば、負ける戦争は絶対にしてはならないのです。なぜなら、戦争は確かに悲惨ですが、戦争に負けることは戦争それ自体を上回る悲劇だからです。

日本においては、戦争になりそうになったら、戦わずに降参すればいいとまで言う「平和主義者」がいて、そういう人は実は珍しくないのですが、それは戦争の悲惨さに目を奪われて、戦争に負ける悲劇に思いが至っていないのだと思います。何度も言いますが、確かに戦争はそれ自体で悲惨なものですが、負け戦の悲惨さはそれとは比較にならないほどのものであるのが普通です。だからこそ、負ける可能性のある戦争はとことん避けなければならないし(そして、すべての戦争は負ける可能性があります)、戦争になったら絶対に負けてはならないのです。

さて、こうした関心から、今年度は「戦争に負けるとはどういうことか」ということをテーマとします。

20世紀になって、戦争が社会全体で戦う総力戦になって以降、戦争の処理も社会全体に影響を及ぼすようになりました。それによって、戦争の遂行それ自体が社会全体に大きな影響を及ぼし、また、勝者も敗者も戦争の帰趨から多大の影響を被るようになりました。特に、敗者の受ける傷は容易ではないものとなりました。そうした敗者の戦後の例を詳しく勉強してみたいと思います。具体的には、第1次大戦後のドイツ、ナチス占領下のフランス、第2次大戦後のドイツと日本を想定しています。

日本の第2次大戦後がいかに悲惨であるかについて日本人は薄々感じてはいるものの目を逸らしていると私は思います。これは戦後すぐのことを言っているのではありません。今年(2015年)は戦後70年だそうですが、戦後は続いていると私は思います。このままでは日本人としての私の人生のすべてが戦後の悲惨の中で送られることになりそうです。それほどに戦争に負けたことの影響は深く大きいのです。それにしても、明治の近代化以降、たった1度の敗戦でここまで「へたる」日本とは何でしょうか。こうしたことについても、できれば、深く考えてみたいと思います。

それを対象にするかどうかは追々考えてみたいと思いますが、現在のロシアも、その自覚がどれほどあるか疑問ですが、冷戦の敗者です。冷戦が戦争であったかどうか自体が議論のできるテーマですが、現在のロシアの様子が冷戦における敗北と関わりがないわけがないと思います。敗戦ほど社会に大きな影響を及ぼす事件はないからです。


以上のような問題意識の下、「戦争に負けるとはどういうことか」というテーマに2015年度は取り組みます。まずは、映画などを通じて、戦争の実際を知ってもらおうと思います。ま、ほんとは、イスラム国あたりに行って実戦に参加してみるというのが一番理解が深まるのですが、私には伝手がありませんし、行ったとたんに首を切られて勉強にならない可能性が高いので、映画やドキュメンタリーなどを利用しようと思います。具体的なテーマについては、初めてグループを組んでやらせてみようかとも思っていますが、さて、どうしますか。歩きながら考えようと思います。

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2019年9月1日日曜日

第116回【紛争のルーツ――植民地主義⑧】


「破綻国家」の問題にしても「新しい戦争」の問題にしても、究極的には、そうした地域にまともな国家を打ち立てなければならないという問題で、現在では、「保護する責任」であるとか「暫定統治」といったような処方箋が国際社会では出されて試されているのですが、考えてみれば、処方箋という言葉を使ったことからも分かるように、そこには「野蛮」という病理が存在するのであり、そうした病理にいかに対処するかが問題とされているわけです。

植民地統治について、現在から振り返ってそこに善意を見るのは少数派の立場だと思いますが、破綻国家に対する人道的介入や暫定統治については、それを肯定的に捉える人が多いように思います。しかし、両者の考え方の構造は案外似ているのではないでしょうか。

植民地主義においては、「文明」と「野蛮」が対比され、「文明」が「野蛮」を略奪する場面も珍しくはなかったとはいえ、「文明」が「野蛮」を文明化し、「野蛮」の下に置かれている人々を救済するという「人道主義」的な側面も存在していました。そこにおいては、文明化する主体と文明化される主体に明らかな非対称的な関係が存在していました。上下関係と言っても間違いではない関係です。

これと同じように、平和構築、人道的介入、暫定統治についても、そこには「略奪」の側面は存在しないにしても(あればそれは犯罪として処罰を受けます)、上下関係と言ってもいいような、明確な主体と客体の非対称的な関係が存在しており、「人道主義」という側面が前面に現れた活動であることは間違いないにしても、非対称的な構造については、植民地主義と変わることがないことは明らかです。

つまり、植民地主義のある側面と冷戦後の平和構築のある側面は、明らかに構造的に類似しているのであり、植民地主義を全否定しておきながら平和構築を肯定するのは難しいのではないかとも考えることができるのです。それとも、平和構築は必要悪なのでしょうか。それに携わっている人にそうした自覚はあるでしょうか。あるいは、植民地主義の人道的側面を再評価すべきでしょうか。なかなか難しい問題です。

こうした問題にただちに答えを出す必要はないのですが、植民地主義と平和構築(人道的介入、保護する責任、暫定統治)とには共通して底辺に「人道主義」が一貫して存在していたことは、やはり、見逃してはならないと思います。それを認めることで、植民地主義の役割をいくらか見直すのか、あるいは、平和構築の位置づけを見直すのかは、人によって答えが違うのだと思いますし、それぞれの国の歴史によってもその評価は異ならざるを得ないものと思います。しかし、国際社会における人道的な配慮をなくすわけにはいかないものと思います。もちろん、あらゆる干渉・介入をしない立場があるということは認めなければなりませんが、それにしても、現在の世界にはあまりにも悲惨なことが多すぎます。見て見ぬ振りをして済ますことほど非人道的なことはないわけで、それならば、以上述べたような知的困難があるとしても人道的立場から介入する道を私は選ばねばならないと考えます。

必要ならば、「今一度植民地主義を」、「人道主義をベースにした植民地主義を」と訴えてもいいのではないかと思うわけです。もちろん、植民地主義を批判的に捉えつつ、平和構築を積極的に論じる視点を模索することは重要ですが、発想の構造が似ていることを思えば、そうした区別はなかなか難しいのではないかと思います。今にして分かる植民地統治という感を強くします。

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年勉強して、かなり意外な所に行きつきました。これが勉強の醍醐味であると断言します。

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2019年8月15日木曜日

第115回【紛争のルーツ――植民地主義⑦】

2014年度の総括の講義を続けます。

ところで、冷戦が終了して四半世紀を経た現在、国際社会が直面している最大の問題のひとつが「破綻国家」をどうするかという問題であると思います。植民地から独立を果たした地域が自国だけではどうにもまともな統治を確立できないという問題でもあるのですが、こうした問題は、冷戦時代には、冷凍保存されていたようにあまり表には出てこなかったのです。ところが、冷戦の終了と同時にほぼ解凍されて、今では多くの地域で、あたかも歴史が逆転したかのような様相を見せているのです。こうした「破綻国家」にとってまず第1に必要なものは強い国家そのもので、それの確立を自身ではできないというのが問題なわけです。そこからは極めて非合理的な、つまり、秩序ある社会に生きる我々にはほとんど理解できないような暴力や紛争が噴出しており、まさに人道的な危機が立ち現われています。

現在のこうした「破綻国家」に対する処方箋としては、国連を始めとする、ということは、つまり、先進国や先進国をベースとするNGOなどの外部アクターによる「平和構築活動」が中心となっています。しかしながら、ちょっと考えてみれば分かることですが、この「平和構築活動」とは、19世紀の、人道主義を語る「植民地主義」と極めて似た構造を持つ活動なのではないかと私には思えます。

冷戦後の世界のもう一つの脅威が「新しい戦争」と呼ばれる紛争です。具体的には、破綻国家における内戦やそこから生まれるテロを指すと考えればよいわけですが、これは「新しい野蛮」とも言い換えられるものです。「野蛮」ではあるけれど、そこで使用される武器などは近代的なもので、昔の野蛮とは相当に様相が異なっています。「新しい戦争」と呼ばれるこの戦争は、主権国家同士の従来の戦争とは違って、国家破綻の過程やその結果から生み出される内戦やそうした権力の空白におけるテロ集団の誕生と成長、そして、そのテロが海外で行われる可能性のすべてを指すものです。内戦による難民の流出や国内避難民の問題、そして溢れ出すテロの脅威は、すべてこうした地域に秩序を生み出すべき権力が確立できないことから発生しているわけで、「破綻国家」の問題と根は一緒ということができます。

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2019年7月30日火曜日

第114回【紛争のルーツ――植民地主義⑥】

2014年度は「紛争のルーツ――植民地主義」をテーマとしてゼミで1年間勉強をしました。年度の終わりに私の総括として「今再びの植民地主義」と題して講義を行いました。その講義を以下にご紹介致します。

今年は「植民地主義」をテーマとしました。なかなか難しいテーマであったと思います。イメージとしては、アジアやアフリカに今もある混乱のルーツが実は、植民地時代の遺産であり、そのルーツと今の紛争を結びつけるというものでした。しかし、ゼミで様々な植民地についての知識を得てみると、植民地から独立をして約半世紀が経ったにもかかわらず、そこにいまだにある紛争というものが、植民地時代に直結するという例は必ずしも多くないかもしれないと感じたかもしれません。

皆さんに課題として与えた本が、最初がラス・カサス(『インディアスの破壊についての簡潔な報告』岩波文庫)、次が日本の朝鮮統治についてのもの(ジョージ・アキタ『「日本の朝鮮統治」を検証する19101945』草思社)でした。今から振り返ると、この2冊の本は、植民地主義の2つの顔を象徴するものだったのかもしれません。

植民地統治の時代は15世紀から約5世紀続いたわけですが、その様相は必ずしも一様ではありません。概ね、植民地統治には2つの顔があったように思います。すなわち、ラス・カサスの著書に象徴されるような「略奪」の側面と、19世紀以降のイギリスや日本の植民地統治に確かに存在したような「人道主義」の側面です。

どちらにしても、植民地主義とは、先進国が劣った地域を「野蛮」であるとか「非文明的」であるとかの観点から、つまり、上から見下ろしたものであることは間違いがありません。植民地にされた地域は「野蛮」「非文明」「無秩序」とされ、そこに「文明」と「秩序」を与えるのが先進国・文明国の役割とされたわけです。もちろん、こうした人道主義的な言説は「略奪」を覆い隠す言い訳とされた場合もあったと考えられます。

先進国が植民地とした地域の地誌や歴史に詳しかったわけではありません。それ故、そこに「文明」をもたらすどころか、植民地統治が却ってその地域を無秩序にする例があったことは間違いがありません。さらに、その当時の境界線が今も独立後の国境として守られている例が多い故に、多様な紛争の元を絶てないということがあることを考えると、植民地主義の遺産とは確かに現在も継続されていると言わざるを得ません。

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2019年7月15日月曜日

第113回【紛争のルーツ――植民地主義⑤】

2014年度は、植民地主義と現代の紛争をテーマとしました。

植民地とされた側ではなくて、植民地を持った側をテーマの中心としたゼミ生が何人かいました。なかでもイギリスをテーマとしたゼミ生が複数いました。先にご紹介しました「シエラレオネ」の論文もそのひとつです。また、オーストラリアをテーマとしたゼミ生、香港を取り上げたゼミ生、アイルランド支配を論じたゼミ生もいます。日本の台湾統治をテーマとしたゼミ生もいましたし、オランダの東インド会社を取り上げたゼミ生もいました。

これらの中でも、もっとも現在と接点があるのが「香港」であると思います。

香港は、1997年にイギリスにより中国に返還されました。「永遠」との意味もあるとされる「99年租借」を満了しての返還でした。

イギリスの香港に対する植民地政策は、経済的な成功としては例外的なものですが、政治的な民主化という点では中途半端で、しかし、イギリスの植民地政策としては一般的なものでした。つまり、イギリスは、インドがもっともいい例ですが、撤退前には植民地に「民主化の種」を残すのです。インドはその後、独自に民主化を成し遂げ、現在ではもっとも巨大な民主国家を現実のものとしています。

これに対して香港は、中国との返還交渉が始まるまでは民主化とは無縁で、イギリス人の総督の独裁体制だったのですが、中国への返還が避け難くなって後、イギリスは「民主化の種」を撒き始めます。それを考えると、香港の民主化の歴史はわずかに30年で、しかも、インドとは異なって、民主化を圧倒的な力で押しとどめようとする中国の存在により、制度としては民主化がむしろ後退する可能性が高いのです。

50年間の「一国二制度」が適用されている香港ですが、返還時に民主化が完成された状態ではなかったために、中国共産党の支配下においては、民主化の進展はなかなか難しいというのが実態です。しかしながら、そうであるが故に、イギリス支配の下では、豊かさを享受するのみで民主化などの政治制度にはほとんど関心を持たなかった香港市民が、現在では、真に民主化を求め、さらに進んで、自らが中国人であるのか香港人であるのかというような、アイデンティティの問題を問うようになっています。ゼミ生が指摘していることですが、困難な現状が市民の政治意識に火を点けていることは間違いのないことで、民主制を当然として受け止めて、逆に、政治に無関心となっている日本人が香港から学ぶことは案外多いと言えるのかもしれません。

イギリスの香港支配の評価として、ゼミ生は、経済的には資本主義を根付かせ豊かさをもたらし、政治的にも「民主化の種」を残したという点で高く評価できるとしていますが、「うまく逃げた」との評価もしており、確かに、そうかもしれないと私も思います。イギリスは、今後も、民主化の後退がうかがわれる場面では、それに対する抗議を行うものと思いますが、果たしてどこまで本気か疑われるところです。

植民地を持った側をテーマとしたゼミ生の中には、宗主国が植民地において行った教育について論じた者もいました。このゼミ生は、フランスの西アフリカにおける教育政策を中心として、イギリスにおけるインド、アメリカにおけるフィリピン、オランダにおけるインドネシア、スペインにおけるパナマでの教育政策を比較して、宗主国の植民地に対する教育政策を考察しました。

宗主国各国の教育政策は、各国の国内事情や国民性によって大きく異なっていることが分かるのですが、共通して言えることは、植民地時代の教育が、現地の言語や生活習慣、宗教などに巨大な影響を及ぼし続けているということです。簡単な例をあげますと、南米でもアフリカでもスペイン語やフランス語が公用語となっていますし、キリスト教が今でも大きな影響を社会生活に及ぼしています。

ただ、皮肉なことに、こうした教育の影響は、人々の独立の意思をも生み出しました。教育とは面白いもので、それが成功すればするほど、教育を受けた人間はより広い世界を求めるようになり、教育する側の手を離れて、思いもよらない方向へと走り出し成長していくのです。宗主国は、意図せず、植民地支配を通じて現地の人々に独立心を植え付け、教育を通じてそれに水をやり続けていたと言えるのかもしれません。

次回より、2014年度の私の総括の講義を再録致します。

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2019年7月1日月曜日

第112回【紛争のルーツ――植民地主義④】

アフリカを対象に論文を書いたもうひとりのゼミ生は、エリトリアを取り上げました。

エリトリアは、日本ではほとんど話題になることのない国です。しかし、地中海を小さな船で渡ろうとする難民にエリトリア人が多く含まれていることが知られています。難民の多くが紛争や内戦の結果祖国を後にするのに対して、エリトリアにおいては、国の独裁体制と貧困が国民、特に、若者を難民として海外に押し出してしまっています。

エリトリアは、もともとはイタリアの植民地、第2次大戦途中からイギリスがこれを引き継ぎ、戦後はエチオピアに合邦されました。1993年にエチオピアからの独立を果たしますが、2001年のエチオピアとの国境紛争以来、独裁体制と孤立主義が顕著になり、「アフリカの北朝鮮」とまで言われるようになっています。ゼミ生は、現在のこうしたエリトリアの独裁体制が植民地経験の影響と言えるかどうかを論文で考察し、植民地時代のトラウマは確かに存在しているとしています。

ゼミでも議論を戦わせましたが、私にはどうにもそうは思われませんでした。アフリカの経験した植民地経験は、確かに、広く深く現在まで影響を残していることは確かです。民族・部族の存在をおよそ無視した国境線は今でも紛争の種となっています。しかし、独裁的な政治体制やその政権の腐敗の多くは、アフリカ自身の責任であると私は思います。先進国にもアフリカにも、あらゆることを植民地時代の悪影響のように言う人がいますが、本当でしょうか。むしろ、そうした議論は、アフリカの人々をどこか馬鹿にしていると言えないでしょうか。また、自分たちの腐敗堕落をいまだに植民地時代のヨーロッパ諸国の責任とすることは、それ自体、さらなる精神の腐敗堕落を招くと言えるのではないでしょうか。
2014年度は、現在の国際紛争のルーツの多くが植民地時代の負の遺産にあるとの仮説でテーマを選び、議論をしたのですが、エリトリアの現状が植民地時代の直接的な影響を受けていると私には思われませんでした。

アフリカの他に、カリブ海の島国セント・クリストファー・ネービスをテーマとしたゼミ生もいましたが、東南アジアをテーマとしたゼミ生が案外多くいました。インドネシア、東ティモール、マレーシアに加えて、植民地にならなかった例としてタイを取り上げたゼミ生がいました。

タイは、日本と同様に、アジアで植民地にならなかった例外的な国です。最近即位したラーマ10世の直接の祖先であるラーマ4世・5世の時代のことです。

インドを植民地とし、さらに、ビルマを植民地化したイギリスが西からタイに進出しようとしました。また、東側では、ベトナム、ラオス、カンボジアを植民地化したフランスがタイに迫っていました。こうした状況において、東南アジアの真ん中に位置するタイは、ヨーロッパの植民地大国の、いわば、緩衝地帯となったのです。もちろん、ラーマ4世・5世を先頭にしての、タイの巧みな外交と国内における近代化政策も見逃すわけにはいきません。

このように考えてみると、タイの置かれた状況は、案外、日本の状況に似ていたように思えます。薩長の背後にはイギリスが控え、フランスが幕府を支援する。大きな内戦なしに維新を実現し、その後は一気に近代化に走る。地理的にも、日本は海に囲まれ介入のし難い環境でした。

植民地にされなかった地域自体の、あるいは、それが置かれた状況の特色を一般化することは困難です。しかしながら、その地域の、巧みな外交の存在と、国内における近代化政策の成否は鍵であると思います。ヨーロッパの大国の多様な要求をのらりくらりとかわしながら、ヨーロッパ型の国家作りをスタートさせ、大国の介入をできるだけ避ける。それがタイの成功の要因であったことは間違いありません。インド以西のほとんどすべての地域がこれに成功せず、タイのみがこれを実現したことは極めて印象的なことでした。


次回以降も、ゼミ生の論文のご紹介を続けます。

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