2020年7月15日水曜日

第137回【ロシアの生理⑩】

2016年度の総括の講義のご紹介を続けます。

さて、それでは、ロシアとは何かについて考察してみましょう。
ロシアについてもっとも目立つ特徴は、露骨な「大国主義」であると思います。ロシアは自己認識として当然に自国を大国であると信じ、それ故、他国がロシアを大国として認識し処遇することを当然のことと思い、常にそのようであることを望んでいます。ロシアが必ずしも下に見られているようなことのない場合でも、one of themとして扱われることに不満を抱いているように見えます。たぶん、プーチンはG8にいてもなお、どこか不満だったのではないでしょうか。

この強烈な「大国主義」がどこから来るかを考察することが極めて重要です。私は、その背景には、「劣等感」と「臆病」が潜んでいると考えています。

ロシアの建国がいつかについては諸説あります。10世紀末(998年)の「ルーシの受洗」がロシアの始まりだという人もいれば、1380年のクリコヴォの戦いでの勝利による「タタールのくびき」からの開放をロシアの成立と考える人もいます。いずれにしても、長年に渡って繰り返し遊牧民からの侵略を受けることで、ロシア人の心の中には、ロシアの長い国境線を侵して外から常に敵が侵入してくるというイメージが根付いているのであり、それ故、そうした侵略に常に備えるために、自分たちは強くあらねばならないし、他国を簡単に信じてはならないと考えるようになったように思います。
14世紀に、ロシアがようやくタタールからの侵略の恐れにけりをつけた頃、ヨーロッパでは近代が徐々に芽生え始めていました。ロシアにとって、ヨーロッパのような近代化がそれ以後常に課題となります。それ故、ロシアにとってヨーロッパは常に憧れの存在でした。社交界ではロシア語ではなくフランス語が使われたほどです。サンクトペテルブルグは、ヨーロッパの都市をモデルにして作り上げた人工都市ですが、それは、ヨーロッパへの憧れを表すと同時に、ヨーロッパに向けて、自分たちの近代化された姿をアピールする存在でもあったのです。日本の鹿鳴館を思い出させます。

しかし、ロシアの近代化は、現在に至るまで成功していません。近代化の必要を痛感しながらなお、ロシアの土着性がその実現を阻んでいると言われています。この「近代化の失敗」が強烈なヨーロッパへの劣等感を生み出しています。

タタール=モンゴルからの侵略を退けた後にも、ロシアは西側から介入と侵略を受けてきました。ナポレオン戦争、ロシア革命への干渉、ヒトラー・ドイツの侵略などです。これらの介入・侵略に耐え、それを押し返したものこそ「ロシアの土着性」(これを描いたのがトルストイの『戦争と平和』でした)で、皮肉なことに「近代化の失敗」は近代的なヨーロッパからの侵略への盾となったのです。つまり、民衆や兵士の生命にまったく頓着せずに、ただ最終的に勝利することのみを目指した戦略がこれによって可能になったのです。後進性は、時に、強さに転換するのです。ベトナムがアメリカを退けたのも同じ理由からでした。

「近代化の失敗」が侵略に対しては有効に機能したとしても、ロシアがヨーロッパに憧れ近代化を求めていたことは確かです。ここに猛烈な「劣等感」が生まれます。心の奥底にある劣等感を少しでも拭うということが、ロシアの外に向けての行動に顕著に現れていると私は思います。今年のテーマについての仮説のひとつは、一個の国家をあたかも一個人が考え行動するかのように理解することができるはずだ、というものですが、個々の人間がそうであるように、国家も国民としての無意識の記憶に支配されながら行動をしていると考えられます。

ロシアの大国主義や外の世界に対する積極的な活動や、オリンピックを始めとするスポーツにおける実績、宇宙開発への意欲などはすべて、内なる劣等感に発するものと理解することができます。ロシアが、世界で大国として認められたいと熱望し、大国として認められる可能性のある活動を積極的に行おうとするのは、ロシアがナチュラルに大国だからなのではなく、内なる劣等感を克服するためなのです。

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2020年6月30日火曜日

第136回【ロシアの生理⑨】

外国を真に理解することはそもそも可能でしょうか。無理なのかもしれない、と常々私は思ってきました。ロシアのような「ひとつの世界」と言っていいような広くて深い対象であればなおさらのように思えます。たとえば、ブッシュ政権の前半4年で安全保障担当の補佐官をやり、後半4年で国務長官をやったコンドリーザ・ライスは、まさにソ連研究の専門家として有名だったわけですが、その8年間の中で、ロシアのことが分かっていないのではないかという場面が何度もありました。彼女のような専門家でもロシアを知ることは困難なのかと嘆息したものです。

ロシアを真に理解した人物が誰かと言えば、私にはジョージ・ケナンがまず浮かびます。ケナンは、冷戦時のソ連の封じ込め政策を立案した人物として有名ですが(19462月のモスクワからの長文電報とそれをベースにしたForeign AffairsX論文がその基礎)、その封じ込め政策は、私が思うには、ケナンが思い描いたものとは似ても似つかないものであったと思います。ケナンは利用されたのであり、ケナンのソ連・ロシア理解はついにアメリカ人に理解されなかったのだと私は思います。

そうしたケナンのロシア理解とアメリカ人の無理解が冷戦後にも現れた場面があったのを私は鮮明に記憶しています。今から振り返ると、ここでもケナンは正しかったのではないかと思うのです。

19972月の新聞(New York Times)に、ケナンが短い論文を書いています。簡単に言うと、NATOが東ヨーロッパの旧共産主義諸国の加盟受け入れに踏み出すことが決まったけれど、ロシアの民主化の促進の重要性を思えば、再考するべきであるというものです。

冷戦が終わって、ワルシャワ条約機構が解散し、NATOはその存在意義を問われるようになったわけですが、その後の旧ユーゴなどの混乱への対処など、新たなNATOへの模索がなされていました。そうした中で、ソ連の支配を受けていた東欧の旧共産主義諸国は、NATOと、可能ならばEUへの加盟を強く望んでいました。私は1998年にポーランドに住んでいたのでよくわかりますが、ソ連から解き放たれた喜びと同時に、彼らは再びロシアが襲いかかってくる日がやってはこないかと内心びくびくしていました。それに対する最大の保険がNATOへの加盟で、NATOに加盟できれば、ロシアが攻めて来るようなことがあってもアメリカを始めとする「同盟国」が自分たちを守ってくれるとして、それを強く望んでいたのです。私はワルシャワで生活しながらそれをひしひしと感じました。ソ連の手から逃げ切るためのひとつのゴールラインがNATO加盟であったのです。

ですから、ケナンの主張はあまりにも冷たいものに思えました。旧東欧諸国をNATOとロシアの間の緩衝地帯にするという政策は、東欧諸国にとっては許しがたいものだったはずです。98年のポーランド滞在は私にそのことを確認させました。

1998年にNATOはポーランド、チェコ、ハンガリーを加盟国として正式に受け入れることを決定し、翌1999年初頭には加盟が実現しました。19985月には、アメリカの上院がそれについての承認を行ったのですが、その直後に、同じ新聞の「読者の声」の欄に(日本の新聞で言えば、ですが)、1年以上前のケナンの論文を批判する文章が載りました。『文明の衝突』で有名なサミュエル・ハンチントンの投稿です。ハンチントンは上院のNATO拡大の承認の決議の正しさについて述べて、ケナンはまたも間違ったと断じています。ケナンはNATOの創設に反対して間違い、再びNATOの拡大に反対して間違ったというわけです。

果たしてハンチントンは正しいのでしょうか。私には、どうもケナンの方が正しいのではないかと思えてなりません。アメリカは、第2次大戦後、国際秩序の中にソ連を位置づけることに失敗して冷戦を招きました。そして、冷戦後にもロシアを国際秩序に正しく位置づけることに失敗したのではないでしょうか。その最初の一歩がNATOの拡大であったとは言えないでしょうか。

ハンチントンは、たぶん、NATOの存在が冷戦の最終的な勝利を導いたひとつの要因であると考えているはずです。それは、たぶん、正しいのかもしれません。しかし、冷戦の開始当初にNATOを結成しないという道を西側諸国が歩み、しかも、国際秩序のありかたについて、ソ連との対話が十分になされたとしたら、もしかしたら冷戦はまったく異なったものとなったかもしれないのです。歴史にifは禁物ですが、同じ間違いを繰り返さないためには、ifを問うてみることは無駄ではありません。

私たちは、再び、ロシアを誤解し、あるいは、理解し切れず、ロシアを国際秩序に上手に位置づけることに失敗したのではないでしょうか。冷戦終焉直後に、私たちは「ロシアとは何か」ということについてもっと真剣に考えるべきだったのではないでしょうか。

現在すでに明らかですが、ロシアは現状維持勢力というよりは現状変革勢力となっています。冷戦後に、なぜ西側諸国はロシアを現状維持勢力として国際社会に迎え入れることができなかったのでしょうか。冷戦の勝者が西側諸国だったとしても、その後の国際秩序を描く際には、大国たるロシアを処遇した上で、勝った自分たちも変化しなければならなかったのではないでしょうか。西側諸国はそれを怠ったように思います。それは、たぶん、勝利から来る油断であり、人間に付き物の知的怠慢であったのだと思います。その付けを私たちは今突きつけられているのです。

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2020年6月19日金曜日

第135回【ロシアの生理⑧】

2016年度は、私にとって、学習院での最後の1年間でした。ゼミの最後の総括の講義は、学習院での22年間の授業と11年間のゼミのまさに最後の講義となったわけです。
私は「ロシアの生理と病理」と題して、以下のように、2016年度の総括の講義を行いました。

2016年度のテーマは「ロシアの生理」でした。
実は、このテーマを思いついたのは3年前のことでした。どうにもロシアが気になる、そんな感じがしたのです。理由はよくわかりません。もしかしたら私がこの20年間ポーランドに滞在する機会が多かったからかもしれませんが、それならば、なぜもっと早くからそれを思わなかったのか不思議です。ただ、国際政治について真面目に考えれば考えるほど、ロシアの重要性について一度真剣に考えてみなくてはと思うようになったのです。

2002年に私はダブリンに滞在していました。そこには、EUの各国から勉強に来ている社会人がたくさんいて、フランス、イタリア、ベルギー、スペイン、ドイツ、チェコなどからの留学生(と言っても、皆社会人)と親しくなりました。加えて、ロシア人やベラルーシ人もその中にいました。ある時、カフェで皆でお茶をしていた時に、イタリアの軍人(彼はPKOでコソボにも行っていたのですが)が「ロシアもEUに入ればいいのに」と言ったのです。その時のロシア人(弁護士、女性)の反応が忘れられません。彼女は普段、過激な発言をする人ではまったくありませんでしたが、その時には、「何を言っているのか!ロシアがEUを飲み込んでやる」と真剣に言ったのです。非EUの人間は、その時、そのロシア人以外は私一人だったのですが、「そうでしょ、JUNJI」と言われて、少し呆然としながら「そうかもねえ」と答えました。

ロシアは、EUとは対等でも、その加盟国のone of themになろうとはこれっぽっちも考えていないということを私はその時痛感しました。「ああ、ロシアは本物の大国なのだ」と初めて心から思いました。単なる私の個人的なエピソードに過ぎないわけですが、たぶん、この感じには普遍性があるように私には思えます。ロシアとは何でしょうか。

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2020年5月30日土曜日

第134回【ロシアの生理⑦】

2016年度は「ロシアの生理」と題して国際政治上でのロシアの行動の背景に何があるのかを考察しました。ゼミ生たちは多様な題材からこのテーマにアプローチしました。

ロシアの建築に焦点を当てたゼミ生がいました。モスクワとサンクトペテルブルクの歴史的建築物を比較して、ロシア建築には、様々な特色があるものの、そこに住む人間よりもその建物が外からどう見えるかに重点を置くのがロシア人の特色であるとこのゼミ生は言います。ロシア人にとって他人の目が非常に重要だということです。こうした特色は、他の様々な分野においても共通することのように思います。

ロシアのマフィアを取り上げたゼミ生もいました。ロシアのマフィアの特色は、たとえば、日本のヤクザとは違って、ビジネスの世界に大々的に進出していることだと言えます。ロシアのGDP40%近くがマフィアがらみだという試算があるほどです。

ロシアの国旗・国歌・国章などのシンボルを取り上げて考察したゼミ生もいました。これらのすべてが現在ではロシア正教と密接なつながりを持っています。ソ連時代には無宗教国家だったロシアは、現在、正教会が非常に大きな影響力を持った社会となっています。正教を背景として「強いロシア」が国旗・国家・国章で表現されています。

そのロシア正教をテーマとしたゼミ生もいました。ロシアという国家の起源をロシア人は「ルーシの受洗」に求めます。すなわち、998年にロシア皇帝がクリミア半島においてキリスト教の洗礼を受けたことをロシア国家の始まりとしているわけです。このことからしてもロシアという国家の心髄にはロシア正教が存在していると言っても過言ではないと言えます。また、昨今のウクライナとの紛争におけるクリミア半島の重要性もこうしたところにあると認識する必要があります。

ロシア正教は、ソ連時代には非常に目立たない存在だったわけですが、現在では国家の支援の下で様々な活動を行っています。宗教活動は当然のことですが、ビジネスにも積極的に関与しています。この点、マフィアにも似た存在となっています。国家の支援が公然とある点がマフィアとの大きな違いですが、そのマフィアも背後では国家と太い結びつきを持っているわけで、宗教とマフィアが国家の陰(かげ)と陽(ひなた)であると言えるのかもしれません。

ロシアの広大な領土をテーマとしたゼミ生は、その礎を築いたピョートル1世に焦点を当てました。北方では当時有力だったスウェーデンを破り、黒海から地中海に向けて南方政策を実施したのが皇帝ピョートルで、その後のロシアの対外行動の基礎を作り上げました。このゼミ生は、プーチンはピョートルの再来ではないかと感想を述べています。ただ、その急速な領土拡大の背景には、不安に駆られた臆病者が存在しているように見えるとも述べています。鋭い観察であると私は思います。

ロシアの持つ兵器と戦術をテーマとしたゼミ生は、そこからロシアの勝利至上主義を指摘します。つまり、広い領土の内側に敵を誘い込む戦術がロシアの伝統的な戦争のやり方ですが、その際の大きな特色は、まともに守備をせず、国民の犠牲を一切気に掛けない焦土作戦であると言います。そして、時を得た時の攻撃のみが考慮されます。ロシアの持つ兵器の特色から、このゼミ生は、味方の犠牲をまったく厭わない最終的な勝利のみを目指す勝利至上主義こそがロシアの戦術であると指摘しています。勝利至上主義は、戦争ばかりではなく、すでにご紹介致しましたオリンピックといったスポーツやドーピングにおいても一貫したものということができます。

以上、簡単にではありますが、ゼミ生の論文をご紹介してきました。次回からは2016年度の総仕上げとして、また、11年に及んだ柴田ゼミの掉尾を飾る、総括の講義をご紹介致します。

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2020年5月16日土曜日

第133回【ロシアの生理⑥】

前回の終わりで、ロシアの、目的のためには手段を択ばないニヒルさという指摘を致しました。そうした実例をまったく別の分野で取り上げたゼミ生がいました。オリンピックと宇宙開発がそれです。

オリンピックを取り上げたゼミ生は2人いましたが、ひとりはロシアで2014年に行われたソチ・オリンピックを取り上げました。

ソチ・オリンピックは、プーチン大統領肝煎りで誘致したものでしたが、それにはいくつかの狙いがあったということです。第1に、前回のバンクーバー冬季オリンピックでの失敗を挽回すること。ロシアはバンクーバーで金メダルが3個だったのですが、ロシアにとってこれは屈辱的な結果だったようです。これを地元で挽回することが目標とされました。

また第2に、ソチが位置する北カフカスは、チェチェンなどを始めとする政治的不安定を代表する地域ですが、国際社会に対してそれが収束したことを知らしめることも大きな目標でした。ただ、オリンピック誘致の時期には収まっていたテロなどがオリンピックの時期には復活していて、史上最大と言ってもよいような警備の中でオリンピックは行われました。

そして第3に、何よりも国威発揚が目指されました。プーチンは「スポーツでの勝利は100の政治スローガンよりも国を団結させる」と述べ、「スポーツは模擬戦争である」とも言いました。それ故、勝つことが選手たちの至上命題であり、それがドーピング問題へとつながっていったのです。目的が手段を正当化した最近の例です。

もう一人のゼミ生は、そのドーピング問題を取り上げました。

ロシアのドーピング問題は2016年のリオデジャネイロ・オリンピック直前に発覚しました。直接的には、ソチ・オリンピックでの勝利至上主義がこれを招いたものとされていますが、より根の深いものと考えなければなりません。ロシアのドーピング事件は、選手個人が起こしたものではなく、ロシアという国家が組織的に行ったということに大きな特色があります。

ゼミ生は、ロシアのドーピングとは、選手やコーチの利己的な勝利に対する欲望の表れという単純なものではなく、ロシアという国家の政治によるスポーツ利用の表れであると断じています。

ロシアの宇宙開発もスポーツと同様に政治との関係は切っても切れないものです。ロシアの宇宙開発はアメリカとの闘争の中で行われてきたことは間違いありませんが、スプートニクの成功でアメリカのメディアが大騒ぎになるまではソ連のメディアや国民においては関心がかなり薄かったといいます。アメリカが大騒ぎして初めてソ連メディアがそれに反応し、そしてソ連国民が熱狂することになりました。日本人にも似たところがあるような気がしますが、ロシア人は外からの評価に非常に敏感であるようです。宇宙開発は、ソ連がアメリカと対等に競争する主要な分野のひとつとなりました(軍事とスポーツに加えて)。そのことがロシア人の大国意識を刺激したのです。

このゼミ生は、しかし、ロシア人の宇宙開発が単にアメリカに対する対抗心のようなものからのみ行われたわけではないことも指摘しています。つまり、極めて理想主義的なロマンがロシア人の心の中にあったことに目を向けています。ソ連の宇宙開発の初期に先頭に立ってそれを行った科学者の代表がコロリョフという人でしたが、コロリョフは「エチカ」という人類の遠い未来への希望を間違いなく胸に抱いていたと言います。「エチカ」とはツィオルコフスキーが1911年に言ったと言われる「地球は人類のゆりかごである。しかし人類はゆりかごにいつまでも留まっていないだろう」という予言をベースにする哲学です。

ロシア人のこうしたロマン主義は大変重要ではないかと思います。こうしたロマン主義と大国意識や西欧に対する劣等意識がロシアの国際社会での行動の奥底に存在するように考えられるからです。

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2020年4月30日木曜日

第132回【ロシアの生理⑤】

今回からゼミ生たちの論文をご紹介していこうと思います。例によってゼミ生たちは様々な主題を取り上げ、2016年度のテーマである、国際社会におけるロシアの行動の源泉には何があるのかを考察してくれました。

エネルギーアナリストである岩瀬昇氏は「ロシアは我々とは別のルールに則ってゲームをしている」とし、さらに「ではロシアが依って立っているのはどんなルールなのか、それが依然として漠としている」としていますが、ロシアを真に理解することは容易なことではありません。しかし、国際社会の未来を考察し、そこに平和を築き上げようと思えば、ロシアを理解することは必須のことのように思えます。

2000年の選挙で大統領に就任し、それ以来一貫してロシアの先頭に立ち続けているプーチン。そのプーチンをテーマに取り上げたゼミ生が複数いました。

ひとりのゼミ生はプーチンのエネルギー政策をテーマとしました。そもそもプーチンの学位論文のテーマが「資源論」と言ってもよいもので、この論文における政策論に基づいてその後のプーチンの政策は形成されたかのように見えます。それが発展して、旧ソ連諸国の経済再統合と言ってもよいようなユーラシアユニオンという構想につながっていきます。これらのすべてを通じて、ゼミ生は、ロシアの大国主義的言動と周辺諸国への積極的な干渉の姿勢を指摘します。こうしたロシアとプーチンの行動の背後には「臆病」があるのではないかとゼミ生は観察しています。自分を大きく見せることで周りから干渉されることを出来る限り避けたいとする自衛意識です。その背後には長いロシアの歴史が間違いなく関係しているはずです。

もう一人のゼミ生は、プーチンその人の生い立ちに着目しました。現在では、以前ほどの支持率を上げることができなくなっているとは言いながら、プーチンは高い支持を国民から受けているように見えます。プーチンのような一種独裁的な強権をロシア人が好むという指摘をする人もいます。ゼミ生もこうしたロシア人気質から、そもそも「皇帝待望論」があって、プーチンがそれにぴったりとはまっているのではないかという指摘をしています。「プーチンという人物そのものがロシアを擬人化した存在なのだ」というのがゼミ生の結論ですが、なるほどと思わされるものがあります。

別のゼミ生は、プーチンが首相を務め、プーチンが当選する最初の大統領選挙の直前に起きたリャザン事件を取り上げました。プーチンはこの事件をきっかけに、首相、大統領代行、そして大統領として第2次チェチェン紛争を戦うこととなりました。むしろ、この戦いを容赦なく徹底的に戦ったために国民の間で急速に支持率が上がり、圧倒的な国民の支持を受ける大統領になったのだと言えるくらいです。

リャザン事件は、1999922日にモスクワから200キロほど離れた地方都市のリャザンで起きたテロ未遂事件です。この翌日23日からロシアのチェチェンに対する空爆が開始されます。リャザン事件は今も未解決の不思議な事件です。テロによる爆破は地元警察によって防がれたのですが、その後、旧KGBであるFSBがこれは訓練であったという声明を出すなど今も謎に包まれています。

このリャザン事件の半月前ほどからモスクワなどで爆破テロが5件起き、約300人が死亡しており、その犯人はチェチェンの反政府勢力であるとされていました。このリャザン事件もそうした方向から捜査がされるはずでしたが、FSBの声明により多くのことがうやむやになりました。そもそも、これら一連のテロはロシア側の、チェチェンに対する怒りを掻き立てるための工作だったのではないかという疑いがあります。

この事件の背景を取材していたジャーナリストであるアンナ・ポリトコフスカヤは自宅アパートで暗殺されましたし、イギリスに亡命し、後にリャザン事件について、チェチェンに介入するための自作自演の事件であったという指摘をした元KGB職員アレクサンドル・リトヴィネンコも毒物によって暗殺されました。

チェチェン反政府軍への断固たる弾圧はプーチンの人気を不動のものとしましたが、その背景にはうかがい知れない闇が存在して可能性があります。ゼミ生が指摘するのは、ロシアの指導者の強烈な権力への執着とそのためには手段を択ばないニヒルさです。こうしたことが他の様々な分野に波及しているのではないかというのですが確かにそうかも知れません。

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2020年4月15日水曜日

第131回【ロシアの生理④】

2016年度は、現状変革国の代表のひとつ、ロシアを対象としますが、その理由は、冷戦時代の現状変革国の親分であるソ連の中核をなしていたロシアが、現在、何を考え何をするかは依然として重要であると考えられるからです。ロシアは、明らかに、自分たちは他の諸国とは違うと考えているように見えます。つまり、強烈な大国意識が今も健在です。ロシアが目指す国際社会とはどういう姿でしょうか。そして、その源泉には何が存在しているのでしょうか。たぶん、それは、帝政ロシア、ソ連、そして、今のロシアにおいても変わらない何かなのではないでしょうか。そして、ロシアに言えることは、他の多くの諸国にもまた言えることと考えられます。同じやり方で、イランやトルコやインドネシアの奥底にあるものにも触れることができるのではないでしょうか。

2016年度は、ロシアを取り上げますが、以下、私は「2つの仮説」を採用します。それについて説明をします。

1 
ひとつの国家は、あたかもそれが一人の人間であるかのように考え行動すると仮定します。それ故、ロシアの記憶(歴史)がロシアを形作っていますし、現在の思考と行動に大きな影響を及ぼしています。アメリカや日本がそうであるように、ロシアも過去の記憶が現在のロシアを形作っていますし、国際社会との関係に大きな影響を及ぼしています。一人の人間に精神分析をするように、同じ手法で国家についても精神分析的な解釈が適用できるはずです。

2 
人も国家も、内面の拘束から逃れることはできず、外に現れる行動から遡って必ず内面に到達することが可能です。それ故、実は、心の中で何を考えているかを実際に聞きださなくても、分厚く行動を観察すれば、その人や国家の内面を伺うことが可能となります。

今年のゼミの到達点は、多様なロシアの国際社会での行動の源泉に何があるかということを知ることです。それに到達するために、プーチン時代のロシアの国際社会での行動を「虫の目」で眺めることにします。それらを繋ぎ合わせて解釈を加えることで、最初の一滴(ひとしずく)に到達したいというのが今年度の野心です。

以下、どのように「虫の目」を持つかの方法を述べます。

1 
新聞の縮刷版で、ロシアに関する記事を徹底的にフォローします。プーチンの登場からスタートします。たとえば、2000年の12ヶ月を12人で1ヶ月ずつ分担し、ゼミで報告します。新聞は『読売』を使用します。理由は出版数が1番だからです。他意はありません。

2 
新聞で「事実」に近いものをフォローするのと同時に、ロシアを専門とする研究者がロシアの行動をどのように解釈しているかを知る必要があります。月間の総合雑誌で取り上げられたロシアに関する言説をフォローし、ロシアの行動の理解に利用します。総合雑誌には、以下のようなものがあります。世界、中央公論、文芸春秋、VOICEThis is 読売、諸君、論座、WILL、正論。新聞の12ヶ月を担当する12人以外の人は、これら総合雑誌をサーベイして報告します。

繰り返し論じている通り、2016年度は、ロシアの対外行動を観察し、それに対する言説を参照することで、ロシアの行動の源泉に迫るのが目標です。
それに伴って、国際社会の変化や変化の見通しなどにも気付かされるかもしれません。しかし、そうしたことは、あくまでも副産物に過ぎません。

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