2017年2月28日火曜日

第57回【1989 時代は角を曲がるか⑫】

問題は、「時代」とは一様ではないということにあります。
私たちの実生活や心持ちは確かにポスト・モダンのそれかもしれませんが、その生活を底辺から支えているものは実は国家であって、すなわち、ポスト・モダンな生活を守っているのはモダンな国家の秩序なのです。ポスト・モダンの個人も依然として家族や親なくして大人とはなりえません。ポスト・モダンの家族や親子とはどのようなものでしょうか。そんなものあり得るのでしょうか。今はまだその答えはありません。

最大のズレは、すべての人類がポスト・モダンの時代を生きているわけではないということです。日本は間違いなくポスト・モダンを生きています。アメリカやカナダやオーストラリアやヨーロッパ諸国もポスト・モダンを生きているように思います。これらの国々の社会の抱える課題は、実は、驚くほど似通っています。それはその課題がそれぞれの国が直面している問題ではなくてポスト・モダンの社会が抱えている問題だからです。すでに近代化を終わって豊かな社会を築き上げた社会はどこも同じような問題を抱えて答えを探しているのです。

ただ、こうしたポスト・モダンの諸国は世界で圧倒的な少数派です。ほとんどの国は今まさにモダンを生きているのです。日本という国の特異性(あるいは、不幸と言ってもいいと思いますが)は、近隣にポスト・モダンの国がないということです。いつだってそうです。日本が近代化に突入して列強諸国に対抗した時も日本は孤独でした。中国や朝鮮はモダンに踏み出す勇気を持たず、いつまでもモダン以前に踏み止まろうとしました。最初にそれに踏み出し一気に走り去ったのが日本だったわけです。アジアで日本は今も孤独です。独りポスト・モダンの時代を迎えています。中国はようやくモダンを迎えて圧倒的なナショナリズムを謳歌しています。日本人から見ると、ああ、あんな時もあったなあ、という感じです。韓国も似たようなものです。北朝鮮のようなモダン以前の国が隣にあるせいで韓国はポスト・モダンに踏み出せそうもありません。中国とは尖閣列島、韓国とは竹島、それに、ロシアとは北方領土と、日本は領土問題を抱えていますが、ポスト・モダンに生きる日本人には領土問題が重要であるとは考えられません。諸国家が領土を奪い合っていたのがまさにモダンで、ポスト・モダンを生きる日本にはそれが重要なことだとは思えないのです。あんな島のためになんで戦争なんてしなければならないのか、というわけです。日本人には信じられないかもしれませんが、こうした日本人の感覚こそ中国人や韓国人には理解できないのです。

オリンピックの勝ち負けについても同じようなことが言えます。実はまもなく始まるワールドカップ(2010年ドイツワールドカップ)でも同様ですが、はっきり言ってどうでもいいのです。日本が勝てばそれなりに嬉しいのは事実なのですが、だからと言って、日本人は日本だけを応援することや日本の試合だけが放送されることに疑問を感じています。日本が勝つことも重要ですが、ロッベンが左足で生涯忘れられないようなボレーシュートを日本のゴールに決めたとしても、ああやっぱりオランダはすごいなあと思うのが日本人なのです(実際には、スナイデルにゴールを決められました)。フロンターレのファンが川崎のユニフォームでブラジル戦のチョン・テセ(在日の北朝鮮代表選手)を応援に行ってしまうのが現代の日本人なのです。私はそれをとても美しいことだと思っていますが、モダンに生きる国の人たちにはこうしたことは理解されません。不思議な連中だとか、アホかと思われるのが落ちです。それでも私たちはそうした時代を生きるようになってしまっています。アジアにおいて日本はつくづく孤独です。

こうした現代の日本の姿を知ろうと思えば、まずは、自分自身を分析することです。あるいは、小説を読むことです。小説家はそれを深く意識していない場合でも現代の空気やにおいに敏感です。漱石や鴎外の抱えていた課題と現代の小説家の抱えている問題は、もちろんどこかで共通している部分もあるに違いありませんが、決定的に異なっている部分もあります。漱石や鴎外は日本がひとり近代化を進めることの矛盾を論じたわけですが、現代の小説家は日本がひとり近代化を終えた果ての問題を論じているのです。私たちがどんな時代を生きているか、彼らは私たちと同じテーマに取り組んでいます。

世界は明らかにまだら模様です。モダン以前にいまだ停滞する国もあれば、モダン真っ盛りの国もあり、そして、日本のように近代化を終えてポスト・モダンを迎えた国もあります。それらの諸国が入り組んでいるが故に様々な問題が難しいわけです。ポスト・モダンの国とのみ付き合っていけたらどんなに楽でしょうか。

ポスト・モダンに私たちが生きていることはまず間違いありませんが、ポスト・モダンでの生き方が確立していないことが問題であるわけです。私たちはその意味で間違いなく過渡期に生きています。

それにしても、こんな時代が来るとは思っていませんでした。高度成長前は、豊かになったらどんなに幸せだろうと思ってみんな一所懸命働いたのです。そうして、冷蔵庫を買い、洗濯機を買い、テレビを買い、ついには自動車まで買って、それどころか、世界中からおいしいものを輸入して捨てるほど食って、一家にひとつどころか一人一台のテレビ、電話、車、どこまでも豊かになって…。そして、確かに豊かになってみたら、そこは天国ではなく、たとえ天国だとしても、なんと、天国には天国における悩みや問題がやっぱりあって、時々は貧しい時の方がよかったなあなんて考えたりする…。私たちは豊かになればてっきり幸せになれると思っていたのですが、豊かになれば豊かになったなりの問題が出現して、しかもそれは貧しい時に直面していた問題よりももっと複雑な問題だったりすることにようやく気付いたのです。そして、私たちの時代が新しいものであるために、答えが前の時代にはなかなか探せないというのが実情です。私たちは手探りで多くの課題に答えを見出さなければならないのかもしれません。大変な時代です。

ポスト・モダンのイメージが少しは浮かんだでしょうか。要するに、私たちの生きている時代がそれなのですが。私は新しい時代に否定的ではありません。どうせ後戻りはできません。自分の生きる時代を否定しても始まりません。あなたたち若者が答えを見出さねばなりません。

以上が4月にゼミ生たちにしたこの年度のテーマについてのヒントの講義でした。

次回より、年度末の最後の講義を再現致します。

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2017年2月15日水曜日

第56回【1989 時代は角を曲がるか⑪】

日本は明治維新によって近代化をスタートしました。もちろん、この近代化が他の諸国に比較して非常にうまくいった理由は、江戸期あるいはそれよりも前に培われた日本人の持つ特性が近代化と親和性を持っていたからだと考えることができますから、明治維新よりももっと前に近代化の始まりを設定することも可能だという議論には一理あります。ただ、これをやってしまうとどこかで線を引くということができなくなりますので、私はやはり日本の近代化は明治維新に発すると考えるのがひとまず適切ではないかと思います。

重要なことは、近代化はすでに終わったという事実です。これには賛否両論あると思いますが、私は70年代の早い時期に日本の近代化は終了したと考えています。つまり、60年代の高度成長が日本の近代化のラストステージであったと思うわけです。よく教科書にはオイルショックによって日本の高度成長は終わりを告げたなどと書かれていますが、私はそうは思っていません。偶然のタイミングでオイルショックが起きたことは事実ですが、日本の高度成長が終わったのはオイルショックが起きたためなどではなく、近代化が概ね終了したからだったのです。

高度成長を1955年から70年までの15年とすると、この15年をはさんだ時代の変化には驚くものがあります。すなわち、1950年の日本人の庶民の生活とは、70年以降の日本人の生活よりもはるかに江戸時代の日本人の生活に近かったものと思います。この時代は、一般の家庭にはまだテレビも冷蔵庫も洗濯機も自動車もありません。蛇口からお湯は出ません。江戸時代と違って確かに電気は通っていましたが、その電気を使う製品がほとんどなかったのです。たぶん明かりだけだったのではなでしょうか。だから今でも「電気をつける」とは明かりをつけることを意味するわけです。家庭にある機械はたぶんラジオくらいだったのではないでしょうか。そのラジオのない家庭も珍しくはありませんでした。

高度成長の15年間で日本人の生活は一変しました。1950年の日本人の生活が遠い祖先の生活と大差ないものであったのに対して、高度成長後の日本人の生活は、それとはまったく異なったものへと変貌しました。高度成長こそ明治維新以来の近代化の頂点であり、明治維新から1970年までの日本こそまさにモダン・ジャパンと呼べるものだったのです。ですから、それ以降の日本はそれより前の日本とは本質的にまったく異なった存在、何か別物であるわけです。これがポスト・モダン・ジャパンだと私は思うのです。

ポスト・モダンとは何か。これを定義することはなかなか難しいように思います。

ポスト・モダンとは何か。まず第一に、国家の役割の低下、あるいは、「国家の役割の低下という意識」を挙げることができると思います。私たちは心のどこかで、国家を強烈に意識することを忌避しようとしています。これがポスト・モダンのひとつの特色です。私たちはすでにナショナリズムの時代を遠く過ぎて、それとは異なった心持ちの中で生きています。

第二に、国家だけでなく、家族のような個人を強く縛り付ける社会組織と淡い関係しか取り結ばないような、個人がより中心的な役割を果たすような考え方を身に付けています。家族の崩壊とか親子関係の変化とか、あるいは、友人同士の関係の変化などが言われますが、これらの変化の根底には、ポスト・モダンへの移行が存在しています。私たちはモダンとはまったく異なった時代を生きているのです。そこにおける時代の構造や社会のルールや生き方のモデルがまだ確立されていないだけです。

私たちはモダンにおけるよりはるかにばらばらの人生を生きています。自由な生活を享受しています。便利な道具を身に纏っています。はっきり言いますが、後戻りはできません。私たちがやらねばならないことは、ポスト・モダンにおける新しい生き方を確立することなのです。つかみどころのないポスト・モダンの時代で私たちはどのようにしたらこれまでの時代を生きた人たちに勝るとも劣らないような幸せな生活をしていくことができるでしょうか。私は、この意味でなら、現代は明らかに過渡期であると断言します。


次回もこの講義を続けます。

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2017年1月30日月曜日

第55回【1989 時代は角を曲がるか⑩】

「1989年」を一年間掛けて振り返ったわけですが、ゼミ生たちには、最後のレポートとして、「1989 世界は確かに曲がり角を曲がった、なぜならば・・・」の「・・・」の部分を埋めて、それについて解説をしなさい、という課題を出しました。

6人のゼミ生のうち、3人が東欧諸国の民主化と自由化によって世界は大きく変化したと論じました。この時点ではまだ、ドイツの統一は不透明でしたし、まさかソ連が解体するとは誰も考えていませんでした。それでも、確かに、世界は明らかに変わったかのように当時も論じられましたし、毎日のニュースを見て聞いて、そのように感じられました。彼らもその点を捉えたのだと思います。

1人は「ゲームボーイというアイディアが登場したからだ」と論じました。トフラーの言う「第3の波」の真っ只中に今私たちが生きているのだとすれば、確かに、こうした「道具」の変化は、私たちの生活を根底から変える可能性がありますし、すでに私たちはそれを実感しています。こういう感じの最初は、たぶん、70年代終わりのソニーのウォークマンだったのではないでしょうか。

残りの二人は、日本の変化に着目しました。ひとりは「豊かで平和な日本が崩れ始めた」と論じ、もうひとりは「バブルを経て、日本は先進国からその先の何か別の領域に足を踏み入れた」と論じています。世界の変化はもちろん重要ですが、それが日本の変化と密接に関わりを持っているのだとすれば、日本の変化もまた世界の変化の現れであると考えられます。

学生と同じ課題をこなした私も、日本の変化に着目しました。実は、4月にゼミの1コマを使って、ゼミ生たちに以下のような話をしておきました。この話とゼミの最後の課題とを繋げて私はゼミ生に報告をしたのですが、まずは、4月に話した内容(「私たちは今どこにいるのか」)をご紹介致します。

私たちは今どこにいるのか、というのが今年度の問題関心のひとつです。これと密接な関わりを持つ問いは、私たちはどこから来たのか、というものと、私たちはどこに行くのか、というものだと思います。

「私たちは今どこにいるのか」という問いは幾分漠然としているので、今年度は「私たちは過渡期に生きているのか」というような問題に少し焦点を絞りました。仮に過渡期に生きているとすると、いったい、その過渡期はいつ始まったのか、いつ終わりそうなのかを考えてみなければなりません。どこからどこへと言い換えてもいいかもしれません。

これだって様々な仮説があり得ます。そこで、今年度は、1989年がその分水嶺であったか否かを確かめようというわけです。言わずと知れたことですが、1989年は冷戦が終わったとされている年です。この年に冷戦が終わったとすると、冷戦とはいったい何であったのか、というような問題を次に設定することも可能かもしれません。とはいえ、別に、冷戦が今年度のゼミのテーマであるわけではありません。
時代が曲がり角を曲がるとはどういうことでしょうか。ある事件の前後で世界がガラッと変わるという風にイメージできますが、そんなことあり得るのでしょうか。個人の生活ならばそれはあり得ます。私は小学校・中学校で転校を繰り返しましたが、転校の前後では友達の総取っ替えですから、それは大きな変化で、曲がったという感覚が得られます。ところが、社会全体となるとそうはいきません。当然のことです。ただ、明治維新の前後や第2次大戦の前後はたぶんそうした感覚の得られる時代だったのだろうと思います。1989年はどうだったでしょうか。

時代が角を曲がったとするためには、何かそのための象徴的な事件を設定する必要があります。時代の変化とは普通数十年を要するものと思いますが、その数十年の中の、その変化を象徴する出来事がその変化の象徴となるわけです。1989年のベルリンの壁の崩壊はそのような象徴的な事件でしょうか。

4月に行った学生に対する講義を次回も続けます。

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2017年1月15日日曜日

第54回【1989 時代は角を曲がるか⑨】

「11月」にゼミ生たちは以下のような記事を取り上げました。
「ソ連ボクサー6人 日本でプロに転向 『ペレストロイカ』ここまで」「SDIの削減確定 米大統領、法案に署名」「鄧氏、党軍事委主席を辞任 後継に江総書記」「夢に見た『西』 よぎる不安」「セクシュアルハラスメント 法廷の論戦火ぶた」「『共産党』改名を イタリア 党で提案」
この月の9日はベルリンの壁崩壊の日とされています。ゼミでは、これ以外の記事で、という指示をしました。とはいえ、それと関連のある記事が選ばれているようにも思えます。無関係なのは「セクハラ」くらいでしょうか。ゼミ生は、中国の政権交代も世界の激動の影響として報告をしました。

私は「ミニとロング 仲良く共存」という記事を取り上げました。ミニスカートの女性とロングスカートの女性が仲良く並んで歩いている写真に、「はっきりとした流行がなくなってきた」というコメントが付けられています。
芸術家、特に、ファッションやフィクションを専門とするデザイナーや小説家は、時代のカナリアと言ってもいい人たちです。言葉に出して説明はできなくても、時代の変化のにおいを嗅ぎ取り、時代の変化の風を感じて、それを作品に表現するのがこうした芸術家なのです。80年代は、明らかに、日本が変化した時代でした。それが、ファッションやテレビ・コマーシャルなどに端的に現れてきていたと思います。ファッションにおいては、70年代までの画一的な感じから多様化が顕著になりました。誰もがミニスカートをはいた時代とバラバラに好みの服を着る時代の変化です。それに伴って、生産様式も大量生産から多品種少量生産へと変化しました。そして、迎えたのがバブル経済だったのです。

テレビ・コマーシャルの変化は、お金の掛かったコマーシャルの登場人物のほとんどが外国人だった時代から、登場人物のすべてが日本人であるのに「カッコいい」コマーシャルへと変化したのが80年代だったと思います。コマーシャルには時代とその変化が深く刻印されているように思います。

いよいよ最後の「12月」、ゼミ生たちは以下のような記事を取り上げました。
「日本人狙われてます」「自衛隊 女性で“補強” 来春の採用、700人増へ」「東西融和で大幅上昇 今年の東証株価」「TV時評 肝心なところで及び腰」「『消費税廃止』参院で可決 衆院、きょう審議入り」「スーパードイツの誕生 『東方』と『通貨』が共鳴しパワー増大」

昭和天皇の崩御に始まり、ベルリンの壁の崩壊で幕を閉じた1989年でした。今振り返ってみても、1年にこれだけのことが起きた年はちょっと見当たりません。この年の最大の役者はゴルバチョフ、彼のひとつひとつの発言、行動が世界に多くの変化をもたらしました。ただ、変化の行方は、もちろん、まだ見通せませんでした。冷戦が終わったことで、世界はこれから平和になる、と多くの人びとは考えました。平和を実現すること、それはなかなか難しいもののようです。

「12月」に私は、「東欧各国洗った大激流」という写真を一面にコラージュした記事を取り上げ、おまけにNTTの一面広告を取り上げました。NTTの広告は、自動車電話とショルダーホン(肩から掛けて運べる電話)と携帯電話が330,000台になり、いよいよ移動電話の時代がやってくるとし、サービスエリアを全国に広げるというものです。携帯電話が当たり前になった今の時代の学生たちにとっては、一度読んだだけでは何を言っているのか理解が難しい広告です。写真の携帯電話も虎屋の羊羹の箱並みに大きくて、一見それが何だか分からないようなものです。時代は大きく変化しました。この25年でもっとも変化したのは、通信・情報の分野ではないでしょうか。その出発が1989年だったように思います。


ゼミ生たちには、この1年を振り返って、「1989 世界は確かに曲がり角を曲がった、なぜならば・・・」の「・・・」の部分を埋めてみなさいというレポートを提出してもらいました。ゼミ生たちがどのような点に着目したか、次回ご報告致します。

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2016年12月28日水曜日

第53回【1989 時代は角を曲がるか⑧】

「8月」にゼミ生は以下のような記事を取り上げました。
「東側から西側への脱出急増 ハンガリー国境経由」「中米安定に大きな一歩 コントラ解体合意」「トルコが国境閉鎖(ブルガリアからの流入阻止)」「銃をとらされた少年たち」「体感測定やめる 震度 機械実用化にめど」「原爆ドーム保存に熱い思い 募金運動へ反響多数」

「8月」の日本の新聞は、かなりの量の「終戦」にまつわる記事を掲載します。「原爆ドーム」もそうですし、「銃をとらされた少年」というのも、実は、ワルシャワ蜂起やアフリカの少年兵の話ではなく、終戦直後の満州に攻め込んできたソ連軍に対する日本人少年の話題です。

今は難民と言えば、シリアやアフガニスタン、リビアなどからヨーロッパへ逃れようとする人たちのことを言いますが、この当時は、東欧諸国の人びとが、冷戦体制が緩んだせいでできた隙間から西側に逃げようとしていました。ハンガリー国境が開かれ、多くの東ドイツ人がここからオーストリアを経由して西ドイツに逃れました。ブルガリアでは、元々いたトルコ系の人たちがトルコへと逃れだし、その数があまりにも多いため国境が閉鎖されました。トルコは今も難民の最大の受け入れ先のひとつで、アジアとヨーロッパに跨る国土の故にそうであるのが運命であるのかどうかは分かりませんが、世界が何らかの激動を迎える際には注目をされる国であると言えます。

私は「8月」の記事として、22日に21周年を迎えたプラハの春を論じた「民主化圧殺のチェコ事件から21年」を取り上げました。東欧自由化の試みとその失敗としては、1956年のハンガリー事件、68年のプラハの春、80年のポーランドの自主労組連帯の運動があげられますが、89年の自由化の動きとしては、ポーランド、ハンガリーが先行し、チェコスロバキアは12月に入るまでなかなか自由化へとは向かいませんでした。それどころか、8月のこの時点では、ハンガリーやポーランドの変化に批判的ですらありました。1989年の変化がいかに急速であったかが分かります。

「9月」にゼミ生たちは以下の記事を取り上げました。
「リトアニア共和国ルポ 衰えぬ『自立』の決意」「日中交流を積極再開」「日航ジャンボ墜落事故 20人全員不起訴へ」「ビデオ業界の自制求める 朝日社説」「チェルノブイリに研究所 世界の学者集い汚染に取り組み」「新生ポーランドと東欧 国民との溝克服図る 党側、生き残りかけ模策」

リトアニア、ポーランドは東欧の変化の話題。リトアニアが後にソ連の解体を促したことを思うと目の付け所として秀逸と言えます。ジャンボ墜落は1985年、チェルノブイリは86年のことです。ビデオの話は、「宮崎勤事件」の余波ですが、インターネット時代の今となっては無意味な話となってしまいました。1989年には、一般人にとっては、インターネットもパソコンも携帯電話もなかったということを忘れていけないと思います。時代は大きく変化したものです。

「9月」に私は、「ガリレオの迫害誤りでした ローマ法王が名誉を回復」という記事を取り上げました。カトリック教会がガリレオの名誉を回復したわけですが、それに約4世紀の時間がかかりました。

私がこの記事を取り上げた理由は、カトリック教会のこの行為が果たして浮世離れした話題であるかどうか疑ってみる必要があると感じたからです。当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、歴史上初のポーランド人法王でした。ポーランドは敬虔なカトリック信者が95%を占める国ですが、法王は、祖国の「連帯」や民主化運動を当初から圧倒的にモラル・サポートしていました。ポーランドを始めとする東欧の民主化は法王のバックアップなしでは成立していなかったかもしれないくらいです。ガリレオの名誉を回復するというこの反省の姿勢は、ソ連に対して、過去の東欧諸国に対する圧制の反省を促すものと深読みすることができるかもしれないと私はゼミ生に話しました。

ゼミ生たちは「10月」に以下のような記事を取り上げました。
「世界のデザイン、ソニー(全面広告 パスポートサイズのハンディカムが登場)」「アンゴラ内戦の自主解決に自信」「熱田派の小屋全焼(成田建設反対派運動)」「侵害される子どもの人権」「少年犯罪報道めぐり論議 弁護士・市民とマスコミ側がシンポ」「7万人デモ 東独政権揺さぶる 内からも改革圧力」

過去の新聞を読むと、記事以上に広告が面白いことに気付かされます。企業広告はもちろんですが、雑誌や週刊誌の広告に興味深いものがたくさんあります。ソニーの広告に注目したゼミ生がいたのは、彼らにとってもコマーシャルは面白いのでしょう。

私は「10月」にルーマニアの大統領チャウシェスクについての記事を取り上げました。「波及したら困る?ポーランド介入呼びかけ」という記事です。8月にポーランドでは「連帯」のマゾビエツキが首相に就任したのですが、就任直前に、チャウシェスクが東欧各国の共産党にポーランドへの介入を呼びかけました。結局、ゴルバチョフがこれを拒否し、介入は実現しなかったという記事。

ルーマニアと言えば、独自の社会主義を唱え、ソ連からの介入を嫌い、「プラハの春」への介入にも反対した存在でした。この時の指導者もチャウシェスクだったのですが、今度は一転してポーランドへの介入を主張したわけです。チャウシェスクは、最後の最後まで民主化、自由化の改革に反対をし続けたのですが、チェコへの介入の反対とポーランドへの介入の主張とを結びつけるものは、自己保身以外には考えられません。それを指導者は「国益」と呼んだりするわけですが、時にそれは「保身」以外の何ものでもないのです。チャウシェスクの存在故に、ルーマニアは民主化、自由化がもっとも遅れて進む結果となりました。

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2016年12月15日木曜日

第52回【1989 時代は角を曲がるか⑦】

「1989年」に戻ることにしましょう。
「6月」では、ゼミ生たちは以下のような記事を取り上げました。

「早稲田沈んで慶応浮上」「ホームレスの家づくり手助け カーター大統領も参加」「交配種で自由化に備え(乳牛、和牛)」「小声で宇野首相『公の場では…』」「切符の裏使って最も小さな広告 JR東日本の新商法」「主犯の『19歳』に死刑(アベック殺人)」

1989年は、時代の大きな変化の渦中にあったことは間違いありません。もちろん、その変化の意味を考えることがこの年の課題でした。グローバリズムという言葉がこの時期に使われていたかどうか分かりませんが、レーガン・サッチャー流の自由化が加速していたことは間違いありません。農業の自由化への備えの記事や民営化後のJRの試行錯誤についての記事などは、まさにそうした時代の変化を窺わせるものと言えます。

私は「6月」に、6月5日の朝刊の記事をいくつかコラージュして学生に示しました。この日の第1面のトップ記事は、北京における天安門事件の発生を伝えるものでした。事件の詳細は不明としながらも、この事件が鄧小平体制に大きな影響を与える可能性を指摘しています。同じ1面の真ん中に小さい記事で、「ホメイニ師が死去」との見出しもあります。天安門事件がもし起きていなければ、この記事がトップにあったはずです。そして、国際面に、わずか500字程度の記事で、ポーランドにおける社会主義国での初めての自由選挙の投票の開始の記事があります。この記事は大変に小さな扱いとなっていますが、他に大きなニュースのない日であれば、間違いなく、1面のトップを飾る記事だと私は思います。
新聞には紙面の制約、テレビには時間の制約があります。ニュースらしいニュースのない日もあれば、この日のように、トップを飾っても不思議でない事件がいくつも重なる日もあります。北京での事件が紙面のほとんどを覆い尽くした結果、冷戦の終わりの最終章の始まりと言ってもいいようなポーランドの自由選挙の記事は小さなコラム程度のスペースとなってしまいました。その日その時に、未来から振り返ってその日の何がより重要であったかを感じ取ることは簡単なことではありません。逆に、ニュースを見、新聞を読む側からすると、記事のスペースの大小に惑わされず、ニュースの価値を見抜く目が必要になります。

「7月」にゼミ生たちが取り上げた記事は以下のようなものでした。

「ソ連議長 仏知識人2000人と対話」「東欧難民の子ら救え あす東京で救援コンサート」「部下なし『部・課長』を大幅増」「国際事件簿 マフィアに挑む母親」「カラヤン氏死去 世界に君臨 大指揮者」「生体肝移植に成功 豪州邦人母子?経過は良好」

今から振り返ると、1989年は、世界だけでなく、日本の会社も大きな変化をし始めていました。バブル経済がこの時期の最大の特色ですが、それだけでなく、団塊の世代(昭和22年~24年生まれ)が40歳代になり、その人口の規模が社会の質を転換させざるを得なくなったのだと思います。その遥か前から、団塊の世代の年齢の変化とともに社会全体が変化をしてきたわけで、現在の少子高齢化の問題もその延長線上にあると言えます。

私は「7月」に「『制限主権論』脱却鮮明に」という記事を取り上げました。制限主権論とは、一般にブレジネフ・ドクトリンと呼ばれていますが、1968年に、チェコスロバキアにおける自由化の動き(「プラハの春」)にワルシャワ条約機構軍(主力は圧倒的にソ連)が軍事介入をした際に、当時ソ連共産党書記長であったブレジネフが提示した考え方のことです。「共産主義陣営の利益のためには一国の主権は制限されうる」というものです。


1989年のポーランドにおける円卓会議以降、東欧諸国は自由化を恐る恐る進めてきました。ソ連から再びブレジネフ・ドクトリンをベースにした介入の動きがあり得るのではないかと考えていたからです。これに対して、ゴルバチョフは、すでに1985年に東欧諸国の自主性を認めるという発言をしていたのですが(この路線を「シナトラ・ドクトリン」と当時は呼んでいました)、誰もがこれに懐疑的でした。この記事は、ゴルバチョフがブカレストでの演説で、東欧諸国がそれぞれに改革を進めるよう「激励」の姿勢を示したと伝えています。次の半年で、東欧諸国のすべてが ”my way♪” を進むことになるとは、まだこの時誰も考えていませんでした。

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2016年11月30日水曜日

第51回【1989 時代は角を曲がるか⑥】

人間が、生まれて以後、外から取り入れる情報によって真の人間になっていかざるを得ないのは宿命と言ってよいものです。その結果、何らかの形で本当の世界(本当の世界とは、人間には知りようのないものと言えます)とずれてしまうのも仕方がないことです。しかしながら、その「ずれ」を最小限にする努力はすべきだと思います。この「ずれ」が尋常でないものとなった人を私たちは「狂人」と呼ぶのです。だから、取り入れる情報が適切であることが必要となります。私たちはそれに値する情報に取り囲まれていると言えるでしょうか。

そこで重要になるのは正しく情報を見分けることとなります。
以下、情報を見分けるポイントを簡単に述べます。
1 事実(ファクト)と解釈を区別する
2 信頼に足る1次情報と2次・3次の情報を区別し検証する
3 証拠なき解釈を常に疑う
4 同じ事実に直面しても複数の解釈があり得ることを知る
5 解釈に「常識」を働かせる

「常識」とは何かと言えば、長い歴史の中で積み重ねられ、試され生き残ってきた良識のことです。次に、どのようにして「常識」を知るかということが問題になりますが、それは真面目に生きること以外にありません。

そして、もうひとつ重要な心構えがあります。それは、この世のほとんどのあらゆる議論が「仮説」に過ぎないことを知ることです。私たちの周りには過去から未来永劫変わらぬ真実というものはほとんど存在していません。人間は元来面倒臭がる動物ですから常に考え続けるということをしたがりません。ですから、すべてを疑ってかかるということは極めて難しいことなのですが、あらゆることが実はあやふやなものだとして常に半分は疑ってみなければならないのです。

私たちを取り囲む情報の種類は以下のように分類できます。
1 正しい情報と正しい解釈
2 ステレオタイプ

人間は基本的に考えることを面倒臭がる動物なので、ステレオタイプは人間に考える面倒を省いてくれるものと言えます。これによってよく考えなくても多くの人が受け入れてくれる解釈が容易に得られることになります。
3 正しい情報と間違った解釈
4 間違った情報

人間は間違いを犯します。目の前で起きたことでさえ、時に、正しく認識できない場合があります。これは本当に驚くべきことです。

5 捏造された情報

人間の中には、嘘を平気でつく人たちが存在しています。嘘を病的に重ねる人、他人の目を自分に向けるために嘘をつき続ける人、自己の利益のためには嘘を躊躇わない人、嘘も百遍唱えれば本当になる場合があることを知っている人、こういう人たちが残念ながら私たちの世界には大勢います。だから、「真実はひとつだ」とか「真実が最後には勝つはずだ」とか「分かる人には分かる」というのは意味のない一種の精神論以外の何者でもありません。

私たちが生きている世界は真偽の定かでない多様な情報と実際には正しいかどうかわからない「仮説」から成り立っていると言えます。私たちの世界は実にあやふやな基盤の上に成立しているわけです。こうした世界で生きる私たちが身につけるべき態度として最も重要なのが、あらゆることを疑うことであると私は思います。ファクトを見極め、信じるに値する仮説や解釈を考え抜くことが重要です。その際に、人ではなく自分を信じて自分の頭で考えることが肝要です。

そして、最後に、最も重要なことを付け加えるとすれば、それは、自分自身をも疑うことです。信用ならない自分を信じて自分を含むあらゆることを疑ってかっかること。これを知るために7冊の本を読んでもらいました。

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