2017年5月30日火曜日

第63回【彼らはなぜ核兵器を持つか③】

K君のテーマの現状を少しお話しましょう。
現在では国連においても「保護する責任」という考え方が有力になってきています。クルド人救済の際には「人道的介入」という考え方がこの活動に援用されたのですが、現在では、それでは不十分であると考えられています。つまり、人道的な問題がある国家の内部で発生している場合には国際社会がこれに積極的に介入する必要がある、いや、義務があるというのがこの考え方ですが、この認定がなかなか難しい。あるいは、こうした理由で内政不干渉原則を侵していいのかという躊躇いが国際社会には依然としてあります。

ここからさらに一歩踏み込んだのが「保護する責任」という考え方になります。主権国家が主権国家として認められるためには、その主権国家は国民を最低限保護しなくてはならない。その最低限の保護がなされていない場合には、その国家は主権の責任を果たしていないとみなされて、言い換えると、主権国家の要件を満たしていないのだからそんなのは主権国家とは呼ぶことができず、雑に言えば、主権国家ではないとすれば干渉は構わないという考え方です。

主権国家が主権国家として果たさなければならない最低の責任を果たしているか否かを判定するのが国連であり、安全保障理事会ということになるわけですが、もちろん、ここにも問題はある。基準の問題がそうですし、国連や安保理自体にも問題がある。人権問題を考えてみれば、国際社会は中国に介入すべきではないか、ということにもなりかねないわけです。中国は安保理常任理事国で、脛に瑕がありますから、こうした介入に非常に懐疑的です。今回のリビアの問題でも決議に棄権しています。

これらの問題を扱ったのが4年目のゼミで、国連の報告書を英語で読みました。

要するに、問題は「主権」とは何か、という問題だということになります。主権とは近代になって登場した概念ですが、実体は人類の歴史とともにあります。それほどに古いものの考え方なのに近代になって初めて名前が付けられ議論されるようになったわけです。現在も議論されています。つまり、主権とは単純な定義をすることで済まされない捉え所のない概念だということです。あるいは、概念というよりは、捉え所のない実体を持つものと言った方がいいのかもしれません。そして、主権を担っているのが国家であるということがさらに重要です。すなわち、主権国家と主権国家からなる国際社会の問題なわけです。


それぞれの主権国家にはそれぞれに利害や価値があります。国際政治に「答え」が存在せず、「絶対」がありえないのはそのためです。映画の「羅生門」に正しく描かれていますが、真実はひとつではないのです。立場が変われば、同じ事象もまったく異なったものとなります。つまり、国際社会では(人間の世の中と言い換えてもいいですが)、事実は存在せず解釈のみが存在するのです。そして、解釈は無数に存在します。どの解釈がその時点でもっとも適切であるかが争われるわけで、それを決するのは残念ながら必ずしも正義ではありません。だから、「答え」がなく「絶対」が存在しないわけです。

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2017年5月15日月曜日

第62回【彼らはなぜ核兵器を持つか②】

ゼミクシィにおけるK君への回答を続けます。

K君の取り上げたクルド難民(国内避難民)救出問題は重要な問題で、重要な問題のほとんどがそうであるように、国際政治の根本問題に繋がっていました。

K君がゼミに所属していたこの年のテーマは「難民は夢を見るか」というものでしたが、そもそも難民とは、K君も言っている通り、国境を超えて他国に逃れ救出を求める人たちのことです。クルド人のほとんどは当時イラクの国境を超えることが出来ずイラク国内において難民的な状況に陥っていたのでした。

国際政治には重要な原則がいくつかありますが、そのひとつが「内政不干渉」原則で、内政に干渉しないことと難民を保護する義務とは実は同じコインの裏表になっています。逆に言えば、ある国家の内側でその国民がいかに悲惨な状況に置かれているとしても、それらの人々を保護するのはその国家の役割で、他国はこれに干渉してはならないわけです。人権といった普遍的な価値が真に普遍的であるとされる以前は、つまり、第2次大戦以前は、ある国家の内部でいかに悲惨なことがあっても他国はそのことに関与しませんでした。しかし、人道的な立場からしてそれではあんまりなので、そこから逃れ出てきた人たちは積極的に保護しなければならないとされていたのです。しかし、世界人権宣言のような、人権が国家にかかわらず普遍的なものだという価値観が国際社会で一般化してからは、仮に国境を出ていなくても非人道的なことが行われていれば諸国家は行動すべきではないかという考え方が徐々に広がってきました。今はまだ過渡期であると思います。

K君は、内政不干渉原則を絶対的と言っていますが、私はそうは思っていません。ちなみに、「国際政治に答えはない」を別の言葉で言えば、「国際政治に『絶対』はない」ということになります。

当時の国連難民高等弁務官は緒方貞子さんで、国境を超えて、つまり、内政不干渉原則を侵して、イラクのクルド国内避難民への援助を決断し、実際にそれを行いました。この行為はある人たちからは賞賛され、ある人たちからは批判に晒されました。私は、こうした行為がこれまでの国際政治の構造を変えるものとなるのではないか、と、正直言って、知的興奮を感じながら事態の推移を眺めました。

これらすべての問題は突き詰めると「主権」をいかに捉えるかという問題に収斂していきます。思い出してみましょう。柴田ゼミの初年度のテーマは「主権の再検討」でした。2年目が「正しい戦争」。3年目が「難民は夢を見るか」。4年目が「保護する責任」。この4年を通じて私が考えたかったのは、国家と戦争と主権と国民と人権の関係だったと思います。K君のテーマは柴田ゼミのツボだったと言えます。ちなみに、5年目の去年のテーマは「1989 時代は角を曲がるか」というもので、5年間を総括するものとなりました(ゼミ生とは関係ないですが)。私は、この5年でこの主権をめぐる問題に自分なりの答えを出したつもりです。今年の1月には現4年生に、そのまとめとなる、この500年の歴史の見取り図の話をしました。ここでそれを詳しく述べられませんが、500年前に角を曲がった人類の歴史はあと500年は角を曲がらない、最近曲がったように見えるのは表面だけの話だ、という話をしました。あれで、世界史に目が啓かれていればいいんですがねえ。(ぜひ『ウェストファリアは終わらない』を読んで下さい。)

さて、その「主権」です。主権国家は主権国家であるが故に、他国からの干渉は受けない、というのがこれまでの国際社会のルールでした。これは近代のヨーロッパに発したルールですが、第2次大戦後までは、ヨーロッパ以外に主権国家がほとんど存在しなかったために、ヨーロッパ以外の地域ではヨーロッパ諸国が好き勝手に振舞いました。それに楯突いたのが日本で、日本は見事に砕け散りましたが、しかし、その後の世界はそれまでの世界と一変し、アジア・アフリカ諸国が独立を果たし主権国家となり、ヨーロッパ諸国が作り出したルールをかつての植民国だったヨーロッパ諸国に強いるという関係が出現することになったわけです。つまり、独立した新興主権国家は、平和5原則や平和10原則に見られるように、ヨーロッパ諸国に対してヨーロッパで生まれた価値である内政不干渉原則を声高に浴びせるようになったわけです。

 しかし、世界を見渡せばすぐに分かることですが、内政干渉は日常茶飯事です。今起きているリビアの問題でも、イギリスやフランスはずぶずぶに干渉をしています(近くその作戦「人魚の夜明け」についてゼミクシィに書きます)。つまり、主権という原則や内政不干渉という原則は言うほどにもなく脆弱なのです。多くの弱小国が主権尊重や内政不干渉を事ある毎に叫びますが、それはそうしなければそれらが守られないか、そうしてもなお守られていないことの証明なのです。要するに、国際政治に「絶対」はないのです。絶対を目指せば、巨大な軍事力が必要となり、それが再び絶対を突き崩す事態を招く、つまり、絶対はない、というのが国際政治なのです。

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2017年4月30日日曜日

第61回【彼らはなぜ核兵器を持つか①】

柴田ゼミ6年目(2011年度)のテーマは「彼らはなぜ核兵器を持つか」というものでした。新学期の始まる直前に東日本大震災が起き、それに伴って、原発問題が大きな社会的テーマとなったために、核と原子力の問題は、ゼミのテーマを決めた時とは比較にならないくらい大きな目前の問題として私たちの前に立ち現れました。

入門として学生に最初に読ませた本は『核兵器のしくみ』という本だったのですが、核兵器の製造過程のほとんどは原子力発電の稼動の過程と重なっていて、私を含めたゼミ生の多くは、核兵器よりもむしろ原子力発電に関心が向きがちになってしまいました。

ところで、6年目の内容に入る前に、柴田ゼミのSNSについてご紹介したいと思います。

柴田ゼミでは、ゼミ生や卒業生向けにSNSを設定して、自由に議論したり情報を交換したりできるようにしています。ミクシィのような、ゼミ生だけに閉じられたSNSなので私たちはこれを「ゼミクシィ」と呼んでいます。

ちょうどこの年、卒業をして4年目になる卒業生が「先生に挑戦」と言ってゼミクシィ上で国際政治についての議論を挑んできました。仮にK君とします。

K君は、「難民は夢を見るか」というテーマでの勉強の時に、イラクにおけるクルド人の国内避難民をテーマとして取り上げました。その時以来、難民や国内避難民の救済の必要とそこに立ちはだかる国家主権や内政不干渉原則のことを考え続けてきたと言います。私はゼミで繰り返し「国際政治に『絶対』はない」というようなことを言ってきているのですが、K君はこれについて自分なりの整理が出来たので聞いて欲しいということで、長文の書き込みをしてくれました。
難民救済や国内避難民に対する援助という人道的な支援は今や人類の絶対的な義務であることに間違いはないが、そこには、国際政治の絶対的と言ってもいいような原則「内政不干渉」が存在しており、さらにその背後には国家主権という絶対的なものが存在している。国際政治においては、絶対と絶対の対立が珍しくなく、どちらを優先させるかに確固たるルールは存在しない。それ故、国際政治には「絶対」はないのだ、とK君は論じました。

学生との、あるいは、卒業生とのこうした議論は、私の最大の喜びのひとつです。ゼミが彼らの知的関心に火を点けたと実感できるからです。

ゼミクシィ上で、私もかなりの長文の回答をしました。それを以下にご紹介致します。国際政治学の基礎となるフレームワークのひとつをそこでご紹介できるものと思います。

K君、コメントが遅くなって済まない。
真面目に学生時代の問題に向き合ってくれていて嬉しく思います。

さて、以下、たぶん、これでコメントになるだろうという文章を書きます。より大きく問題を扱う感じでしょうか。

「国際政治に答えはない」というセリフをもっと正確に言うと、「国際政治に最終的な答えといったものは存在しない」となるでしょうか。

問題の「解決」とよく言いますが、国際政治では、問題が「解決」されることはめったにありません。もちろん、まったくないとは言いません。「解決」するとは、その暁には問題が消滅するということでもあります。こうしたことは国際政治ではめったにありません。だから「解決」という言葉は本当は使わない方がいいのです。ほぼすべての国際問題は「放置」されるか「処理」されます。放置される問題は、問題自体が小さな問題でわざわざ波風を立てるのが馬鹿馬鹿しいか、あまりにも大きな問題でそれに触れると現状を大きく変える以外に処理の方法がないために触れないでおくような問題です。小さな問題の例をわざわざ挙げることはしませんが、大きな例としては、たとえば、アフリカ諸国の国境の画定の問題でしょうか。

 ほとんどの国際問題は、問題として常に関係諸国の間で取り上げられ続けるか、あるいは、運が良ければ「処理」されます。処理されるとは、利害の対立する両者が現状に鑑みて互いに利益・不利益を分け合って、ともに不満がありながら妥協が成立し、その後、いったんその問題が存在しなくなったかのように振舞うようになるということです。つまり、問題はいったん背景に退いたけれど、状況が変化すればまたいずれ現れる状態ということです。これを問題の解決ではなく処理と呼びます。

 重要な国際問題のほとんどすべては処理されるのみで解決されることは稀です。これを肝に銘じる必要があります。その理由は案外簡単で、諸国家の利害が完璧に一致するなどということは古今東西あり得ないからです。「国際政治に答えはない」というセリフの意味は以上のようなことを表しています。ま、人生も一緒だけどね。結局、人間と国家とはひと繋がりなのです。

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2017年4月15日土曜日

第60回【1989 時代は角を曲がるか⑮】

1989年に終わったと考えられるのは、冷戦という第2次世界大戦後の「システム」です。国際政治構造はまったく揺らいでいないと言えます。冷戦が終わった翌日(いつかは別にして)にも、主権国家は存在し、国益を追求し、主権国家間の関係は流動しています。その関係の様式が変化したに過ぎません。「システム」の変更はそれほど珍しい話ではありません。「システム」の変更を「時代が曲がり角を曲がった」と捉えるのは視野狭窄、あるいは、大げさであると言えます。国際政治の世界に本物の変化の兆しはまったくないと言っても過言ではないと私は考えます。

もちろん、システムの変化が重要でないわけではありません。新しいシステムへの過渡期には新しいシステムにおけるゲームのルールが模索されます。現在がその時期に当たっていることは議論のないものと思います。システムにおいてもっとも強力な存在となるのはこのルールの作成にもっとも影響を及ぼした存在です。この点からも日本は危ないと感じられます。ルールの作成から降りてしまっているような印象があります(TPPへの参加は、この点で、大きな修正となりました)。

現在の国際政治構造は、むしろ、完成された「ウェストファリア構造」への過渡期に過ぎないと私は考えています。つまり、「民主化された主権国民国家からなる多元的な国際政治構造」こそがこの構造の完成された姿なのであって、世界全体のまだ20%くらいしかこの条件を満たしていません(人口比なら10%かもしれません)。たとえば、中国が完全に民主化されるのはいつのことでしょうか。アフリカの全土を民主化された健全な主権国民国家が覆い尽くすようになるのはいつになるでしょうか。私は、これから500年をかけて、この完成された構造に向けて国際政治は変化していくことになると考えています。その間に、多くの「システム」が現れては消えることでしょう。しかし、それは実は本質的な変化ではなく、大きな過渡期に起きる表面上の変化に過ぎないのです。

500年後の完成されたウェストファリア構造に向けて私たちがやらなければならないことは、民主的で健全な主権国民国家を生み出すための援助を気長にやることに尽きます。これには時間がかかりますし、イラク戦争のような暴力は害あって利は少ないと思います。地道にnation buildingstate buildingを側面から援助する以外にありません。これは人の一生を超える事業で、人は自分の寿命よりも長い時間でものを考えることに慣れていませんから非常に難しい仕事になります。人類はこうした難しい作業に耐えうる存在でしょうか。(詳しくは『ウェストファリアは終わらない』でどうぞ!)

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2017年4月1日土曜日

第59回【1989 時代は角を曲がるか⑭】

国際政治構造とは、主権国家からなる構造のことです。主要な要素は主権国家であって、この要素と要素の関係を司るものが国際法と外交で、国際法はまだまだ非常に未熟な段階にあり、そして、外交には変化がつき物です。とはいえ、これが「構造」であると私は確信しています。国際政治構造が変化しつつあるということは、こうしたあり方が変化しつつあるということになります。

これに対して、国際政治システムとは、以上のような構造の上で様々に変化する要素と要素の、つまり、主権国家と主権国家の関係のあり方ということになります。近代以降の国際システムを振り返ると、1815年ウィーン会議以降に明確な国際政治システムがヨーロッパにおいて誕生しました。これを古典外交と呼ぶことがあります。19世紀半ば過ぎからは植民地獲得競争を行う帝国主義のシステムが第1次世界大戦まで続きました。ヨーロッパ諸国やアメリカが現在のような国民国家として確立されたのは19世紀半ばのことでした。イギリス・フランスはいち早く国民国家を築き上げましたが、ドイツは1870年の普仏戦争の勝利によって、アメリカは1861年から65年までの南北戦争後に国民国家としての統一を実現します。日本もそれほど遅れてはいません。明治維新が1868年ことです。日本もこれらの諸国とまったく同じようにこの時期に主権国民国家をスタートさせたわけです。アジア・アフリカでこれに成功したのは日本だけでした。

1次大戦から第2次大戦までの国際政治システムは「新しい外交」などと呼ばれました。そこでは、アメリカとソ連が台頭しました。第2次大戦以降1989年(あるいは1991年ソ連の消滅)までが冷戦システムの時代です。冷戦はあくまでシステムであって構造では断じてないということを知ることが重要です。冷戦以降の国際政治も何らかのシステムと考えられます。冷戦ほどに明確な特色は存在せず、故に、うまい名前が付けられませんが。

このように考えればわかるように、近代以降の国際政治システムはすべて主権国家の存在を前提としています。システムは頻繁に変化しますが、構造はかなり磐石です。

現代の国際構造の原点は、近代ヨーロッパにおける主権国家(国民国家)構造の成立です。これは1415世紀の西ヨーロッパに始まる国際政治構造です。つまり、近代的な主権国民国家を要素とし、国民国家間に国際法と外交による関係が結ばれる構造のことです。

現在ではそれは神話ではないかと言われていますが、30年戦争後、1648年のウェストファリア会議(あるいは、条約)がその構造の始まりとされています。実際には、ウェストファリアよりもかなり前から徐々に主権国家が生まれつつあり、また、主権国家が西欧全体にわたって確立されるまでに数世紀の時間がかかっています。つまり、ウェストファリアとはシンボルなのであり、これが直接転換点を示すといったものではありません。

現代の国際政治構造は、西ヨーロッパに始まる主権国民国家構造が、数世紀を経て、世界全体に広がったものとして捉えることが適切であると私は考えます。

つまり、私たちは今、1516世紀頃に発し、西ヨーロッパにおいては19世紀後半にほぼ完成した「主権国民国家構造(ウェストファリア構造)」という国際構造の中で生きているのです。

ウェストファリア構造の特色とは何でしょうか。
  1 構造の主要な要素は「主権国民国家」である
  2 主要な要素間の関係を司るのが国際法であり、国際法は現状において発展途上である、つまり、要素間の関係次第で国際法は不断に形成される存在である
  3 主要な要素間の関係には外交が発生するが、これも原則としては国際法の下で行われることになる、ただし、関係が逆転して、外交の結果が法を形成する場合が珍しくない

ウェストファリア構造、すなわち、主権国家による構造は終焉しつつあるという有力な説が存在しています。主権国家は時代遅れで機能不全を起こしている、とか、主権国家以外に重要な主体(多国籍企業、NGO、国際組織など)が国際システムには登場しているとかいった主張がそれです。しかし、主権国家に代わる存在がどこにあるのでしょうか。主権国家に代わるものは現在まったく姿を現していないと私は思います。つまり、主権国家に代わって私たちの社会に秩序をもたらす存在はまったく実在していません。多国籍企業が、どこかのNGOが、あるいは、国際組織が、私たちの社会に国家に代わって秩序をもらすなどということが考えられるでしょうか。むしろ、それらの組織は主権国家が実現した秩序があって初めて存立しうる存在です。
ウェストファリア構造は終わりそうにないと考えるのが正しいと私は考えます。

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2017年3月15日水曜日

第58回【1989 時代は角を曲がるか⑬】

1年間のゼミの最後に恒例の講義を行いました。後に著書のタイトルにもなる「ウェストファリアは終わらない」は、この時のタイトルに使ったものです。以下、講義の内容をできるだけ実際に近い形で再録致します。

前口上があんまり長くなるのもなんですが、今年のゼミの位置づけを結果論的にお話しするところから話を始めます。

柴田ゼミは今年が5年目。5年間、テーマは変われども一貫して「国際システムは根底的に変化しつつあるのか」と問うてきました。最初はそんなつもりはなかったのですが、どうやら今年度で、この問題には結論が私なりに出たように思いますので、来年度からは、少し問題意識を変えていこうと考えています。

ちなみに、これまでのテーマを並べてみますと、「主権の再検討」「正しい戦争」「難民は夢を見るか」「保護する責任」そして「1989年」となります。私の根底的なテーマは突き詰めると、主権国家からなる国際政治構造が今変容しつつあるのか、それとも、変化なんかしていないのかということになると思います。私は、私なりの結論に達しました。変化なんかこれっぽっちもしていない!以上です。

ちなみに、国際政治学者の間では、これを正面切って言う人は多くないように思います。主権国家には問題が多いし、確かに変化しているように見える部分がたくさんあるしで、今は過渡期だというのが一種の定説のような感じになっています。私は、この定説を明確に否定します。(『ウェストファリアは終わらない』がまさにこれをテーマにしたものです。)

そこで、まず第一に、国際政治における「構造」とは何であり、「システム」とは何であるかということから話を始めましょう。

構造主義人類学の始祖であるレヴィ・ストロースによれば、構造(structure)とは「要素と要素間の関係とからなる全体のことであり、「この関係は、一連の変形過程を通じて不変の特性を保持する」というものです。これに対して、システム(system)とは「要素と要素間の関係とからなる全体」のことであり、「ただし、体系には変形が可能でない」とされています。分かり難いことこの上ありませんが、長くなるので説明はしません(『ウェストファリアは終わらない』をお読み下さい)。国際政治学においては「構造」と「システム」は専門用語としてきちんと区別して使われている例はないと思います。国際政治「システム」とか西欧国家「体系」とか冷戦「構造」とか言ったりしますが、構造とシステムをきちんと使い分けて使用している例を私は見たことがありません。

では、国際政治における構造とは何であり、システムとは何でしょうか。私は、これをきちんと区別して用いようと思います。

地球全体として考えると、国際政治構造と呼べるものが登場したのは近代になって以後であると思います。それ以前は、細々とそれらが繋がっていたとはいえ、世界のいくつかの地域にばらばらに「一種の国際政治構造」が並存していたと考えられます。その代表的なものが西欧の神聖ローマ帝国とカトリック教会の2つの頂点をもつ構造とアジアの中国を中心とした冊封体制という構造です。これらをひとつに結び付けてばらばらの地域の歴史をひとつに繋いだのがモンゴルの征服で、ここに世界史の出発点があります。モンゴルこそが世界をひとつにしたのです。

近代になって、西欧は主権国家が誕生、成長し、その結果、その構造がまったく転換を成し遂げたのですが、それ以外の地域(アジア、インド、イスラム、アフリカ、南北アメリカなど)の構造は大きく変化しませんでした。西欧は、構造の変化を通じて力をつけ、他の地域を侵略、征服、植民地化していきました。そして、色々あったことは省きますが、第2次世界大戦を経て、西欧に発する主権国家からなる国際政治構造が全世界を覆い尽くすことになったわけです。

考えてみれば、植民地の独立を唱えて西欧諸国に挑んだ日本も、それに勝ったにもかかわらず植民地を手放した西欧諸国も、植民地から独立したアジア・アフリカ諸国も、結局は、近代に西欧で生まれた主権国家の構造を選び取り、世界全体が西欧で生まれた国際政治構造で覆われることになったのです。私たちは現在、西欧で生まれた主権国家による国際政治構造の上で生きています。例外はありません。それがいかに残念なことだとしても(私はそれほど残念ではありません)、私たちは西欧生まれの構造の中で生きています。

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2017年2月28日火曜日

第57回【1989 時代は角を曲がるか⑫】

問題は、「時代」とは一様ではないということにあります。
私たちの実生活や心持ちは確かにポスト・モダンのそれかもしれませんが、その生活を底辺から支えているものは実は国家であって、すなわち、ポスト・モダンな生活を守っているのはモダンな国家の秩序なのです。ポスト・モダンの個人も依然として家族や親なくして大人とはなりえません。ポスト・モダンの家族や親子とはどのようなものでしょうか。そんなものあり得るのでしょうか。今はまだその答えはありません。

最大のズレは、すべての人類がポスト・モダンの時代を生きているわけではないということです。日本は間違いなくポスト・モダンを生きています。アメリカやカナダやオーストラリアやヨーロッパ諸国もポスト・モダンを生きているように思います。これらの国々の社会の抱える課題は、実は、驚くほど似通っています。それはその課題がそれぞれの国が直面している問題ではなくてポスト・モダンの社会が抱えている問題だからです。すでに近代化を終わって豊かな社会を築き上げた社会はどこも同じような問題を抱えて答えを探しているのです。

ただ、こうしたポスト・モダンの諸国は世界で圧倒的な少数派です。ほとんどの国は今まさにモダンを生きているのです。日本という国の特異性(あるいは、不幸と言ってもいいと思いますが)は、近隣にポスト・モダンの国がないということです。いつだってそうです。日本が近代化に突入して列強諸国に対抗した時も日本は孤独でした。中国や朝鮮はモダンに踏み出す勇気を持たず、いつまでもモダン以前に踏み止まろうとしました。最初にそれに踏み出し一気に走り去ったのが日本だったわけです。アジアで日本は今も孤独です。独りポスト・モダンの時代を迎えています。中国はようやくモダンを迎えて圧倒的なナショナリズムを謳歌しています。日本人から見ると、ああ、あんな時もあったなあ、という感じです。韓国も似たようなものです。北朝鮮のようなモダン以前の国が隣にあるせいで韓国はポスト・モダンに踏み出せそうもありません。中国とは尖閣列島、韓国とは竹島、それに、ロシアとは北方領土と、日本は領土問題を抱えていますが、ポスト・モダンに生きる日本人には領土問題が重要であるとは考えられません。諸国家が領土を奪い合っていたのがまさにモダンで、ポスト・モダンを生きる日本にはそれが重要なことだとは思えないのです。あんな島のためになんで戦争なんてしなければならないのか、というわけです。日本人には信じられないかもしれませんが、こうした日本人の感覚こそ中国人や韓国人には理解できないのです。

オリンピックの勝ち負けについても同じようなことが言えます。実はまもなく始まるワールドカップ(2010年ドイツワールドカップ)でも同様ですが、はっきり言ってどうでもいいのです。日本が勝てばそれなりに嬉しいのは事実なのですが、だからと言って、日本人は日本だけを応援することや日本の試合だけが放送されることに疑問を感じています。日本が勝つことも重要ですが、ロッベンが左足で生涯忘れられないようなボレーシュートを日本のゴールに決めたとしても、ああやっぱりオランダはすごいなあと思うのが日本人なのです(実際には、スナイデルにゴールを決められました)。フロンターレのファンが川崎のユニフォームでブラジル戦のチョン・テセ(在日の北朝鮮代表選手)を応援に行ってしまうのが現代の日本人なのです。私はそれをとても美しいことだと思っていますが、モダンに生きる国の人たちにはこうしたことは理解されません。不思議な連中だとか、アホかと思われるのが落ちです。それでも私たちはそうした時代を生きるようになってしまっています。アジアにおいて日本はつくづく孤独です。

こうした現代の日本の姿を知ろうと思えば、まずは、自分自身を分析することです。あるいは、小説を読むことです。小説家はそれを深く意識していない場合でも現代の空気やにおいに敏感です。漱石や鴎外の抱えていた課題と現代の小説家の抱えている問題は、もちろんどこかで共通している部分もあるに違いありませんが、決定的に異なっている部分もあります。漱石や鴎外は日本がひとり近代化を進めることの矛盾を論じたわけですが、現代の小説家は日本がひとり近代化を終えた果ての問題を論じているのです。私たちがどんな時代を生きているか、彼らは私たちと同じテーマに取り組んでいます。

世界は明らかにまだら模様です。モダン以前にいまだ停滞する国もあれば、モダン真っ盛りの国もあり、そして、日本のように近代化を終えてポスト・モダンを迎えた国もあります。それらの諸国が入り組んでいるが故に様々な問題が難しいわけです。ポスト・モダンの国とのみ付き合っていけたらどんなに楽でしょうか。

ポスト・モダンに私たちが生きていることはまず間違いありませんが、ポスト・モダンでの生き方が確立していないことが問題であるわけです。私たちはその意味で間違いなく過渡期に生きています。

それにしても、こんな時代が来るとは思っていませんでした。高度成長前は、豊かになったらどんなに幸せだろうと思ってみんな一所懸命働いたのです。そうして、冷蔵庫を買い、洗濯機を買い、テレビを買い、ついには自動車まで買って、それどころか、世界中からおいしいものを輸入して捨てるほど食って、一家にひとつどころか一人一台のテレビ、電話、車、どこまでも豊かになって…。そして、確かに豊かになってみたら、そこは天国ではなく、たとえ天国だとしても、なんと、天国には天国における悩みや問題がやっぱりあって、時々は貧しい時の方がよかったなあなんて考えたりする…。私たちは豊かになればてっきり幸せになれると思っていたのですが、豊かになれば豊かになったなりの問題が出現して、しかもそれは貧しい時に直面していた問題よりももっと複雑な問題だったりすることにようやく気付いたのです。そして、私たちの時代が新しいものであるために、答えが前の時代にはなかなか探せないというのが実情です。私たちは手探りで多くの課題に答えを見出さなければならないのかもしれません。大変な時代です。

ポスト・モダンのイメージが少しは浮かんだでしょうか。要するに、私たちの生きている時代がそれなのですが。私は新しい時代に否定的ではありません。どうせ後戻りはできません。自分の生きる時代を否定しても始まりません。あなたたち若者が答えを見出さねばなりません。

以上が4月にゼミ生たちにしたこの年度のテーマについてのヒントの講義でした。

次回より、年度末の最後の講義を再現致します。

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