2020年2月19日水曜日

第127回【戦争に負けるとはどういうことか⑪】

アメリカは、戦争に勝って、日本を民主化しました。私は、日本の側にも非常に大きな病的要素があったと信じていますが、日本の民主化は、アメリカから見ても、当の日本から見ても成功したように見えます。この成功体験が、後のアフガニスタンやイラクにおいても大きな影響を及ぼすわけですが、日本においてのようには成功を収めてはいません。アメリカは、日本においては、日本のアイデンティティに手を突っ込んで、それの改造に成功をしたわけですが、アフガンやイラクでは必ずしも成功しなかったわけです。

20世紀の敗者の悲惨の象徴が日本であると私は思います。日本はアメリカによってアイデンティティの改造までもなされました。19世紀までの戦争においては、戦争に負けたからといって、勝者によって露骨に国家体制の変革や国民性の改造までもなされた例はありませんでした。確かに、殺されたり犯されたりすることは悲劇です。しかし、ロボトミー手術がそうであるように、国民全体の頭の中を改造されることほどの悲劇があるでしょうか。アメリカが戦争に勝った後で敗戦国に押し付けようとするアメリカン・デモクラシーは、確かに、他の多くの政治制度に比較すれば、ましなものかもしれません。しかし、国家はそれを外から押し付けられてそれを採用するのではなく、自ら選び取って、しかも、自らに相応しい形に自ら変革をしながら根付かせなければいけません。アメリカがやるロボトミー手術では、それは絶対に歪むのです。

吉田茂は敗戦の時に「戦争に負けても、外交で勝った歴史はある」と言って、アメリカの占領に抗したとされ、一種の美談としてこのセリフが引用されることがあるのですが、果たして、それは正しいでしょうか。私は、日本が本当に負けたのは、戦後の外交においてではなかったかと繰り返し疑っています。

簡単に言えば、戦後日本はアメリカによって骨抜きにされました。勝手に書いた憲法を与えられ、軍隊を持つことを禁じられ、アメリカン・デモクラシーを植え付けられました。戦争で負けたからといって、どうしてこれらに抵抗ができなかったのでしょうか。あるいは、占領が終わった時点で、どうして赤んべーをしてチャラにできなかったのでしょうか。戦争で負けた悲惨が戦後の悲惨を生み出し、それが現在もまだ継続中の状況であるとは、まさに二重の悲惨であると思いますが、多くの国民はそれに気付いていないかのようにも見えます。まさに「愚者の楽園」で、その意味で悲劇は三重の構造からなると言ってもいいのかもしれません。

戦争に負けたことによって被る悲惨には様々なものがあるわけですが、私は、その最大のものを「強いられたアイデンティティの喪失」に求めました。その典型例が日本であると論じました。また、こうした性質はアメリカの国際社会への参入によってもたらされたとも論じました。その背景には、アメリカの建国の歴史が横たわっています。そして、この「強いられたアイデンティティの喪失」という悲劇は、まさに現代の「新しい戦争」にこそ付き纏い、さらに過激さを増していると思います。

私たちは、戦争をどのように戦い、どのように終わらせるべきでしょうか。科学技術の進歩が後戻りすることがない以上、昔に戻るという選択肢はありません。ひとまず考え続けるしかないと考えると、必ずしも未来は明るくないと思われれて憂鬱になります。仕方ないことですが。

以上、「ロボトミーの戦後」と題して行った2015年度の総括の講義をご紹介致しました。

次回から2016年度のゼミのご紹介を致します。2016年度が学習院柴田ゼミの最後の1年となります。最後までお付き合いいただければ幸甚です。

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2020年1月30日木曜日

第126回【戦争に負けるとはどういうことか⑩】

アメリカの原点において起きたこと、アメリカが出来るだけ忘れ去りたくて自分の無意識に押し込めようとしていること、これこそがその後のアメリカの思想と行動に最大の影響を及ぼしているはずです。それは何かと言えば、2つのことがあると考えられます。

ひとつは、自分たちの祖先がヨーロッパでは真っ当に生きていくことができず、新大陸に逃げてきた、ある意味で劣等な存在だったということであり、もうひとつは、ネイティヴ・アメリカンすなわちインディアンを絶滅させるほどに虐殺しまくったという事実です

アメリカが建国からほんの100年程度で世界の様々を左右するような強大な国家となった理由の最大のものは、アメリカがその歴史の原点で持っていたヨーロッパに対する劣等感だと私は思います。アメリカに渡って来た現代のアメリカ人の祖先とその子孫たちは、自分たちがヨーロッパでは通用しなかった人間で、負け犬として新大陸に渡って来たことを心のどこかではわかっていたはずです。しかし、人間はそうしたことを認めるよりは、それを心の隅に押しやって、そうではなかったこと、あるいは、そうではないことを証明してみせようとするものです。アメリカの歴史の一番奥底にある活力、バネみたいなものはこの劣等感に根ざす反発心だったように思います。自分たちが逃げてきたのではなく、腐敗し堕落しきった古いヨーロッパを捨てて(捨てられたのではなく)、まったく新しい清く正しい社会をまっさらな大地の上に作り出すためにアメリカにやって来たのだと彼らは考えたがったはずです。そして、それを実現して、実際にそうであることを証明してみせなければならなかったわけです。

そして、そうした試みが成功した暁に、アメリカはその体験を他所の国にもさせなければならない、というような余計なお節介を自らの使命であると考えて世界中の様々な場所に介入するようなことを始めてしまったのです。これも心の一番奥底にある劣等感の裏返しであると思います。このような行動を取っていないと無意識の心の奥底から劣等感が湧き出てくるような感じがしてならないのだと思います。これは一種の病気ですが、たぶん、不治の病です。それ故、この他人(アメリカですが)の不治の病と私たちはうまく付き合っていかなければならないのです。

アメリカ人の自己正当化によれば、アメリカ人の祖先は、腐敗堕落したヨーロッパを捨てて、新大陸で清く正しい社会を新しく打ち立てたことになっています。もちろん、これは自己正当化ですから、すなわち、自己欺瞞で、本当は、アメリカ大陸の原住民であったインディアンを殺しまくったのでした。そして、アメリカ人は、まさか殺しまくった事実を否定するわけにはいかないので、正義の社会を作るためには仕方なかったとしているのです。インディアンが白人の言うことを聞いて、キリスト教徒になり、アメリカ人の言う文明を受け入れさえすれば、殺すことはなかった、インディアンが文明を拒絶したが故に、あれ以外に仕方なかったのだ、というのがアメリカ人の捉え方です。どこか原爆投下の正当化に似ています。

以上の論理は自己欺瞞ですから、アメリカは常にこれが正しいと信じることに不安を感じています。そこで、同じことを繰返してはその不安を払拭し、この論理が正しいことを証明し続けようとするのです。一種の強迫神経症です。

アメリカのこのトラウマが猛烈に強烈なのは、このトラウマの出現したのが、アメリカの歴史の一番最初のところにあるからです。アメリカはこうしたトラウマから出発した国なのです。だからこそ、この「インディアン・コンプレックス」とも言えるものが、アメリカの国家のアイデンティティのもっとも深い部分にあると言えるわけです。

考えてみれば、アメリカの対外関係の歴史は、この反復強迫によってほとんど説明ができます。たとえば、最近のイラク戦争も一面ではまったく反復強迫以外の何ものでもありません。アメリカが戦争をしている理由は、イラクに民主主義という文明をもたらすためです。そして、その目的を共有できない、文明を理解しない連中は殺されても仕方ないのです。インディアンをほぼ皆殺しにしたように、あるいは、そうしたが故に、途中で妥協はできないのです。今ここで妥協したら、インディアンの時だって途中で妥協すべきだったということになってしまいます。それは自己否定になってしまいます。アメリカは途中で妥協することをしません。

妥協のなさが、戦争に反映すると、それは敵への無条件降伏の要求となります。アメリカにおいては、すでに南北戦争において、北軍が南軍に対して無条件降伏を求めました。アメリカが敵に無条件降伏を求めるのは、自分たちが100%正しいと考えるからで、勝った以上、敵に1%でも譲るのは間違いだということになるからです。しかも、インディアンの時にはそうしたように敵を皆殺しにするわけにはいきませんから、戦後、敵をアメリカ的なデモクラシーの国家へと改造しようとするわけです。そうしなければ、戦った意味がありませんし、インディアン・コンプレックスを拭い去ることができません。

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2020年1月18日土曜日

第125回【戦争に負けるとはどういうことか⑨】

アメリカを理解するために、ひとつの大きな仮説を設けます。

フロイトによれば、人間には自我があって、その自我の背景には膨大な無意識の世界が広がっています。人間は自分に不都合なことはこの無意識の世界に記憶や意識を押し込めてないものとして生きようとするわけですが、なかなかそうはいかず、無意識から非常に大きな影響を受けながら考えたり行動したりします。また、人間は過去や現在において自分を何らかの形で肯定する必要があります。自分がこの世界に存在することを正当化しようとするわけです。あるいは、これまでにしてきたことが間違っていなかったと考えたがったり、あるいは、間違っていないことを繰り返し証明しようとしたりします。

そして、ここからが重要なところで、かつ、間違っているかもしれないところですが、フロイトの最大の理解者と私が考えている岸田秀によれば、一個の人間に言えるこれらのことは人間の大きな集団でもある国家にも当てはまるのです。すなわち、ひとりの個人の履歴がその個人の考え方や行動を決定するのと同様に、ひとつの国家の歴史がその国のその後の行動を決定づけ、また逆に言うと、その国家の行動をそうした歴史から説明できるというわけです。そして、そのように考えると、国家にも自我と無意識が存在するはずです。これが私の言う仮説です。一個の人間に当てはまる理論が国家にも当てはまるとするということです。これが正しいとして(大いに疑問でもあるのですが)、以下の議論を進めます。

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2019年12月30日月曜日

第124回【戦争に負けるとはどういうことか⑧】

アメリカの国際政治参入までの近代の戦争においては、無差別戦争観が支配的でした。戦争とは、善と悪の戦いではなく、すなわち、交戦国間に正邪の区別はなく、戦争自体も紛解決手段として位置づけられ、まさに政治の延長として機能していたのです。戦争は自国の存在を賭けて戦うものではなく、具体的な争点の処理をめぐるものに過ぎなかったのです。

第1次大戦は、ヨーロッパの諸国がその存在を賭けて戦う戦争となってしまいました。戦争の帰趨を決定づけたのがアメリカの参戦で、これが世界の戦争の在り方を変えたと私は思います。だから、20世紀は、確かに、アメリカの世紀なのです。アメリカは戦争に善悪を持ち込みました。これ以後、戦争は正邪の戦いと変化しました。ある意味で、近代が終わり、中世に逆戻りしたかのような変化です。逆説的ですが、だからこそ、戦争は禁止されるようになったのです。1928年のいわゆる不戦条約によって戦争は禁止されるようになりましたが、それ故、戦争は、それが起きるとすれば、正義の、悪に対する戦いと位置づけられる以外に存在のしようがなくなりました。そして、正義は悪に妥協はできないのです。

日露戦争以降の戦争は、それ自体がそもそも大変に悲惨なものです。戦争を悲惨なものとしたのは、第1に、科学技術が発展し武器が限りなく進化し殺傷能力を高めたことによります。第2に、戦争が限定されたものでなく、国家のすべてを賭けた全面的なものとなりました。戦争があれば、国民のすべてが戦争から大きな影響を受ける時代となったのです。それ故、戦争の悲惨さは、誰もが知るところとなりました。しかし、戦争は、確かに悲惨ですが、敗戦はさらに悲惨であるということは必ずしも意識されていません。

近代の古典時代の戦争においては、必ずしも敗戦は悲惨ではありませんでした。もちろん、戦争自体が現代ほどに悲劇的な被害を及ぼすものではありませんでした。その時代の敗戦とは、紛争の争点における譲歩を意味するに過ぎませんでした。それとて一時的なもので、将来における戦争によって取り返しの出来る譲歩と位置づけられていました。勝者と敗者に正邪の区別はありませんでした。

それに対して、現代における敗戦が悲惨であるのはなぜでしょうか。

私は、それは、戦争に負けた側がアイデンティティの変更を迫られるからだと思います。つまり、現代においては、戦争は、単に戦争が終わって争点が処理されるだけでなく、敗者は過去とは異なったアイデンティティを求められるのです。言い方を変えれば、「アイデンティティの喪失が強いられる」のです。

メアリー・カルドーは、「新しい戦争」という概念を提出して、現代の、以前とは異なった性質を持つ戦争を理解しようとしました。新しい戦争とは、アイデンティティを争う戦争で、現代におけるテロや内戦に特色的に現れているとしています。つまり、ある特定の地域に多様な価値を許さず、その地域を一つの価値観で塗り潰そうとする一種の運動を新しい戦争と考えるわけです。その地域に住む人々は、持ち込まれた自分たちとは異なった価値を受け入れて生き続けるか、あるいは、その土地を捨てて出て行かざるを得なくなるのです。現代の紛争が大量の難民や国内避難民を生んでいる理由がここにあります。

しかし、よくよく考えてみると、「アイデンティティ・ポリティクス」を中心とした「新しい戦争」は、最近になって現れたものでしょうか。私は、今年のテーマを1年間考え続けるうちに、これはけっして新しいものではなく、アメリカの国際政治への登場と共に現れた現象だったと思うようになりました。現代のテロや内戦の根本的な特色は、実は、アメリカ的であると思います。20世紀がアメリカの世紀であるのだとすれば、「新しい戦争」は突然に現れたものでなく、確かに、20世紀的な色彩を帯びているのです。

だから、20世紀における戦争の敗者の悲惨は、間違いなく、アメリカにルーツを持っています。敗者が悲惨な状況に置かれる理由は勝者の論理にこそあると考えられます。勝者としてのアメリカの論理には、どのような特色が、どのような病的な特色があるでしょうか。これこそが、20世紀において、戦争の敗者を必要以上に悲惨に追い込んだものなのです。アメリカを理解せずして20世紀を論じることはできません。

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2019年12月16日月曜日

第123回【戦争に負けるとはどういうことか⑦】

前回までゼミ生たちの論文をご紹介してきました。今回からは、年度末に私が学生たちに講義しました総括の講義の内容をご紹介致します。

今年度(2015年度)のテーマは「戦争に負けるとはどういうことか」でした。

「戦争になったらどうするか」というアンケートに対する日本人の答えの中でかなりの多数を占めるのが、「戦わずに降参する」というものです。日本人は戦争の悲惨さを今や知ってはいても、敗戦の悲惨さは知らないのではないでしょうか。戦争がいかに悲惨であるとしても、戦争に負けることは、戦おうと戦うまいと、戦争それ自体に負けず劣らず悲惨であるに違いありません。今年は、それを確認してみたいと思いました。例年のことですが、テーマに対する答えがあって、ゼミをスタートしたわけではありません。このテーマについて1年間考え続けた末に辿り着いた「仮説」をお話しします。

近代以前の戦争は、ヨーロッパにおいては主として、宗教戦争であり、それ故、善と悪の戦いでした。どちらが勝とうが負けようが戦争それ自体が極めて残酷なものでした。最大の宗教戦争であった30年戦争を終結させた1648年のウェストファリア条約が一つの目安となりますが(これについては、『ウェストファリアは終わらない』で詳しく論じました)、これ以後の近代においては、戦争とは、紛争を処理する政治の道具と位置づけられるようになりました。交戦国に正邪の区別はなく、紛争に見通しがつけば戦争をやめ、交戦諸国は日常に復帰したのです。

戦争の勝者は、紛争の争点に関して有利な処理をし、それ以上に敗戦国に求めることしませんでした。それ以前の、勝者が何をしても許される——たとえば、略奪をし、男を皆殺しにし、女を連れ去るというような——時代とはまったく異なった戦後だったのです。敗者は、紛争の争点については勝者に譲るにしても、戦争が終われば元の立場に戻り、その上で、争点について再び起こるかもしれない次の戦争に備えることとなります。

戦争をした両者が、まったく平等に戦後の国際政治に復帰し、何事もなかったようにとはいきませんが、あたかもそうであるかのように国際政治の日常が継続されたのでした。戦争と平和の結節点に平和条約が存在しました。平和条約においては、戦争において争われた争点の処理が明示され、条約締結以降は、その戦争についての責任を再び問うたり、そこに明示された以上の権利を戦勝国が求めたりということは戒められました。つまり、平和条約とは、戦争を完全に終わらせるだけでなく、戦前の国際政治と戦後の国際政治を改めて結び直すものだったのです。交戦諸国は、まさに、戦後、日常に復帰したのです。

こうした戦争の在り方は、概ね、日露戦争まで続いたのではないかと思います。すべてを変えたのが、第1次世界大戦で、戦争そのものの激しさもさることながら、「戦後の様相」を激変させるにあたって最も影響を及ぼしたのは、アメリカの国際政治への参入でした。現代の「戦後」を考えるためには、アメリカを考えないわけにはいきません。

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2019年11月30日土曜日

第122回【戦争に負けるとはどういうことか⑥】

大学生になると、高校までとは違って、こちらがまるで知らないことを勉強しだすという場合があります。柴田ゼミにおいても、私の予想外の、私がほとんど知らない地域や事象や人々をテーマに取り上げるゼミ生が何度も出てきました。これがゼミの楽しみのひとつです。

2015年度は「戦争に負けるとはどういうことか」というテーマで勉強をしましたが、意外性のあるテーマを取り上げたゼミ生が2人いました。偶然にもこの2人はニュージーランドの高校を卒業していました。ニュージーランドでの2人の繋がりはまったくなく、柴田ゼミで出会ったのは偶然だったのですが、あまり知られていない対象をテーマとして選んだのは偶然ではないように私には感じられました。学生はやはり多様な経験をすべきであると思います。

さて、ひとりは、リトアニアをテーマに取り上げました。
リトアニアは、第1次大戦後、ラトビア、エストニアとともに独立を果たしました。しかし、第2次大戦中にソ連に占領され、そのままソ連国家に編入されてしまいました。この背景には、独ソの密約が存在していました。

リトアニアは、ソ連編入に際して、事実上、戦うことをしませんでした。もちろん、戦ったとて詮無い事であったことは事実であると思います。戦いそれ自体の悲惨を避けたことはもしかしたら賢明だったのかもしれません。しかし、戦わなかったことは、もしかしたら、敗戦後に大きな影響があったのかもしれません。それは、ここで詳しくは論じられませんが、この時期に祖国のために徹底的にソ連と戦ったフィンランドの戦後との比較が有効であるように思います。

ソ連編入後、リトアニアは、ゼミ生によれば、ジェノサイドと言っていいようなソ連による過酷な支配を受けることになります。知識人や指導的立場にある人々の虐殺や収容所への移送、地下のパルチザン闘争への支援者たちのシベリアへの強制移住、さらに、ロシア語の強要や歴史・文化の否定。ソ連支配の下で、ゼミ生によれば、リトアニア国民のアイデンティティは完全に崩壊したと言います。もちろん、冷戦終結直後に目にしたように、リトアニア人のアイデンティティは、それでもなお脈々と受け継がれて、ソ連崩壊を前に独立を宣言し、むしろソ連の崩壊に棹差して一矢報いた感がありました。

実は、私はワルシャワ大学で教えている時に、バルト3国を訪問して各国のスカンセン(野外博物館、日本人にはイメージが湧きにくいものですが)を見学しました。スカンセンではそれぞれの民族の歴史的な建物や道具、つまり、長い歴史に渡る生活そのものが展示されているのですが、バルト諸国の展示は非常に印象的でした。つまり、ソ連による文化の徹底した破壊の中で、それらの教会や家や道具などを何とか保存して後世に伝えようと試みていたのです。ソ連支配下では、同じ展示でも「祖先は(今のソ連支配下の文化的な生活に比べて)このような貧しい生活をしていました」という解説文を付けていたということですが、独立後には「私たちの祖先はこのような豊かな文化を持っていたのだ」という解説に付け替えたということでした。涙なくしては見られない展示だったのを覚えています。

戦わずして他国の支配を受けることがいかに過酷であるかをリトアニアの例は示しているように思います。がしかし、それでは徹底的に戦えばいいかと言えば、必ずしもそうでない例をもうひとりのゼミ生が示してくれました。

もうひとりのゼミ生は、19世紀半ばの3国同盟戦争(または、パラグアイ戦争)後のパラグアイをテーマに取り上げました。パラグアイのこと、まして、150年も前の南米の戦争のことを知っている日本人が果たしてどれくらいいるでしょうか。

19世紀の半ば、ここではその経緯には触れませんが、南米の内陸国パラグアイは、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの3国同盟と血で血を洗う戦争をしました。少なく見積もっても人口の半分が死亡したと言われています。特に、成人男子のほとんどがこの戦争によって死にました。つまり、パラグアイの戦後は、男性のいない戦後となったのです。戦後のパラグアイの男女比は1対5になったと言われています。
ゼミ生は、戦後のこの特別な状況がいかにパラグアイ社会の女性差別へとつながっていったかを論じました。非常に興味深い視点であると思います。

スペインによって植民地化された南米地域では、そもそも男尊女卑の弊が存在していました。それをマチスモ・マリアニスモ思想と言ったりすることがありますが、それはつまり、女性に対する男性の肉体的優位を絶対とし、女性には家庭内での良妻賢母を強いる思想と言うことができます。

戦争によってほとんどの成人男性がいなくなることによって、こうしたマチスモ・マリアニスモ思想は極端なまでに高められ強められました。男性が言わば「貴重品」となったためです。それにより男女差別が極限まで高まったのです。こうした差別は現代においてもなお、緩められたとはいえ、継続されているとゼミ生は論じます。敗戦の影響としては、もしかしたら非常に特異なものかもしれませんが、見逃せない重要な視点であると思います。

敗戦のより実質的な影響としては、アルゼンチンやブラジルに対する領土の割譲、河川の使用の制限、さらにイギリスの経済への介入の開始があげられます。パラグアイは、これより前、南米ではもっとも豊かで自立した経済を確立していて、唯一イギリスの介入を受けていない国家でした。アルゼンチン・ブラジルの背景で戦時にこれらの国を援助したイギリスは戦後、ついにパラグアイに介入するチャンスを得たのです。

パラグアイが正常と言える人口構成を取り戻すのに約半世紀を要したと言われています。戦争は、どうやら戦っても戦わなくても、戦いの中で、そして、戦いの後に、大きな負の遺産を残すようです。これらを最小限にするためには、仮に戦争が避けられないにしても、賢明な外交が必要になります。私は、要するに、勝負は外交にあるのだと確信しています。

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2019年11月17日日曜日

第121回【戦争に負けるとはどういうことか⑤】

ベトナム戦争の敗者は、確かに、アメリカでした。ベトナム後のアメリカをテーマとしたゼミ生がいました。

ベトナムでの敗戦はアメリカ社会に大きな影響を及ぼしました。ゼミ生は帰還兵に焦点を当てて論文を書きました。このゼミ生は高校時代に1年間アメリカに留学した経験があり、その時のホストファミリーのお父さんがベトナムからの帰還兵で、それに加えて、お父さんの友人の帰還兵からも話を聞き取りました。

ベトナム戦争後のアメリカ社会はベトナムでの戦争を間違った戦争と捉え直し、また、それに参戦していた兵士を非道徳な存在として排斥しました。ベトナム戦争はテレビカメラが戦場に入った最初の戦争で、アメリカ国民はその戦場の実態に強い拒絶反応を示しました。

その端的な表れが反戦運動でした。

こうした雰囲気は戦争から帰還した兵士たちへの反発と排斥という形で現れました。映画「ランボー」で描かれたのはこうしたアメリカの実態でした。ホストファミリーのお父さんは空軍に所属してベトナムのジャングルに枯葉剤などを撒いたりしていたことで、帰還後、様々な嫌がらせを職場や地域社会で受けたといいます。果ては、職を失い、再就職もままならず、田舎に引っ越し牧場を開いたということです。

また、その友人は海兵隊の兵士で、帰国後PTSDになり、これもまた職を失ったものの、戦場で最前線にいたことが同情を呼び、周囲の援助で農園を経営するようになったということです。PTSDの克服には非常に長い年月を要したといいます。

アメリカは、歴史上初めての敗戦をなかなか受け入れることができなかったせいか、この戦争からの帰還兵に極めて冷たく当たりました。それ以上にむしろ、彼らを自分たちの社会から排斥する雰囲気もあったのです。敗戦の影響は社会全体に渡ったことは間違いありませんが、最大のしわ寄せは個々の帰還兵に向かいました。

中国残留孤児の場合もそうでしたが、戦争と敗戦は末端の個人の人生と幸福に大きな負の影響を与えます。このゼミ生は、自分の知り合いとはいえ、具体的な個人にアプローチすることでテーマを自分のものとすることができました。

この他にも、様々な地域・国の戦後がゼミ生によって取り上げられました。4次にわたる中東戦争とその敗者エジプト、アヘン戦争後の中国、イギリスの支配を受けていたアイルランドなどです。

次回は、日本ではあまり知られていない戦争をそれぞれ取り上げた2人のゼミ生の論文をご紹介致します。

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