2019年11月30日土曜日

第122回【戦争に負けるとはどういうことか⑥】

大学生になると、高校までとは違って、こちらがまるで知らないことを勉強しだすという場合があります。柴田ゼミにおいても、私の予想外の、私がほとんど知らない地域や事象や人々をテーマに取り上げるゼミ生が何度も出てきました。これがゼミの楽しみのひとつです。

2015年度は「戦争に負けるとはどういうことか」というテーマで勉強をしましたが、意外性のあるテーマを取り上げたゼミ生が2人いました。偶然にもこの2人はニュージーランドの高校を卒業していました。ニュージーランドでの2人の繋がりはまったくなく、柴田ゼミで出会ったのは偶然だったのですが、あまり知られていない対象をテーマとして選んだのは偶然ではないように私には感じられました。学生はやはり多様な経験をすべきであると思います。

さて、ひとりは、リトアニアをテーマに取り上げました。
リトアニアは、第1次大戦後、ラトビア、エストニアとともに独立を果たしました。しかし、第2次大戦中にソ連に占領され、そのままソ連国家に編入されてしまいました。この背景には、独ソの密約が存在していました。

リトアニアは、ソ連編入に際して、事実上、戦うことをしませんでした。もちろん、戦ったとて詮無い事であったことは事実であると思います。戦いそれ自体の悲惨を避けたことはもしかしたら賢明だったのかもしれません。しかし、戦わなかったことは、もしかしたら、敗戦後に大きな影響があったのかもしれません。それは、ここで詳しくは論じられませんが、この時期に祖国のために徹底的にソ連と戦ったフィンランドの戦後との比較が有効であるように思います。

ソ連編入後、リトアニアは、ゼミ生によれば、ジェノサイドと言っていいようなソ連による過酷な支配を受けることになります。知識人や指導的立場にある人々の虐殺や収容所への移送、地下のパルチザン闘争への支援者たちのシベリアへの強制移住、さらに、ロシア語の強要や歴史・文化の否定。ソ連支配の下で、ゼミ生によれば、リトアニア国民のアイデンティティは完全に崩壊したと言います。もちろん、冷戦終結直後に目にしたように、リトアニア人のアイデンティティは、それでもなお脈々と受け継がれて、ソ連崩壊を前に独立を宣言し、むしろソ連の崩壊に棹差して一矢報いた感がありました。

実は、私はワルシャワ大学で教えている時に、バルト3国を訪問して各国のスカンセン(野外博物館、日本人にはイメージが湧きにくいものですが)を見学しました。スカンセンではそれぞれの民族の歴史的な建物や道具、つまり、長い歴史に渡る生活そのものが展示されているのですが、バルト諸国の展示は非常に印象的でした。つまり、ソ連による文化の徹底した破壊の中で、それらの教会や家や道具などを何とか保存して後世に伝えようと試みていたのです。ソ連支配下では、同じ展示でも「祖先は(今のソ連支配下の文化的な生活に比べて)このような貧しい生活をしていました」という解説文を付けていたということですが、独立後には「私たちの祖先はこのような豊かな文化を持っていたのだ」という解説に付け替えたということでした。涙なくしては見られない展示だったのを覚えています。

戦わずして他国の支配を受けることがいかに過酷であるかをリトアニアの例は示しているように思います。がしかし、それでは徹底的に戦えばいいかと言えば、必ずしもそうでない例をもうひとりのゼミ生が示してくれました。

もうひとりのゼミ生は、19世紀半ばの3国同盟戦争(または、パラグアイ戦争)後のパラグアイをテーマに取り上げました。パラグアイのこと、まして、150年も前の南米の戦争のことを知っている日本人が果たしてどれくらいいるでしょうか。

19世紀の半ば、ここではその経緯には触れませんが、南米の内陸国パラグアイは、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの3国同盟と血で血を洗う戦争をしました。少なく見積もっても人口の半分が死亡したと言われています。特に、成人男子のほとんどがこの戦争によって死にました。つまり、パラグアイの戦後は、男性のいない戦後となったのです。戦後のパラグアイの男女比は15になったと言われています。
ゼミ生は、戦後のこの特別な状況がいかにパラグアイ社会の女性差別へとつながっていったかを論じました。非常に興味深い視点であると思います。

スペインによって植民地化された南米地域では、そもそも男尊女卑の弊が存在していました。それをマチスモ・マリアニスモ思想と言ったりすることがありますが、それはつまり、女性に対する男性の肉体的優位を絶対とし、女性には家庭内での良妻賢母を強いる思想と言うことができます。

戦争によってほとんどの成人男性がいなくなることによって、こうしたマチスモ・マリアニスモ思想は極端なまでに高められ強められました。男性が言わば「貴重品」となったためです。それにより男女差別が極限まで高まったのです。こうした差別は現代においてもなお、緩められたとはいえ、継続されているとゼミ生は論じます。敗戦の影響としては、もしかしたら非常に特異なものかもしれませんが、見逃せない重要な視点であると思います。

敗戦のより実質的な影響としては、アルゼンチンやブラジルに対する領土の割譲、河川の使用の制限、さらにイギリスの経済への介入の開始があげられます。パラグアイは、これより前、南米ではもっとも豊かで自立した経済を確立していて、唯一イギリスの介入を受けていない国家でした。アルゼンチン・ブラジルの背景で戦時にこれらの国を援助したイギリスは戦後、ついにパラグアイに介入するチャンスを得たのです。

パラグアイが正常と言える人口構成を取り戻すのに約半世紀を要したと言われています。戦争は、どうやら戦っても戦わなくても、戦いの中で、そして、戦いの後に、大きな負の遺産を残すようです。これらを最小限にするためには、仮に戦争が避けられないにしても、賢明な外交が必要になります。私は、要するに、勝負は外交にあるのだと確信しています。

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2019年11月17日日曜日

第121回【戦争に負けるとはどういうことか⑤】

ベトナム戦争の敗者は、確かに、アメリカでした。ベトナム後のアメリカをテーマとしたゼミ生がいました。

ベトナムでの敗戦はアメリカ社会に大きな影響を及ぼしました。ゼミ生は帰還兵に焦点を当てて論文を書きました。このゼミ生は高校時代に1年間アメリカに留学した経験があり、その時のホストファミリーのお父さんがベトナムからの帰還兵で、それに加えて、お父さんの友人の帰還兵からも話を聞き取りました。

ベトナム戦争後のアメリカ社会はベトナムでの戦争を間違った戦争と捉え直し、また、それに参戦していた兵士を非道徳な存在として排斥しました。ベトナム戦争はテレビカメラが戦場に入った最初の戦争で、アメリカ国民はその戦場の実態に強い拒絶反応を示しました。

その端的な表れが反戦運動でした。

こうした雰囲気は戦争から帰還した兵士たちへの反発と排斥という形で現れました。映画「ランボー」で描かれたのはこうしたアメリカの実態でした。ホストファミリーのお父さんは空軍に所属してベトナムのジャングルに枯葉剤などを撒いたりしていたことで、帰還後、様々な嫌がらせを職場や地域社会で受けたといいます。果ては、職を失い、再就職もままならず、田舎に引っ越し牧場を開いたということです。

また、その友人は海兵隊の兵士で、帰国後PTSDになり、これもまた職を失ったものの、戦場で最前線にいたことが同情を呼び、周囲の援助で農園を経営するようになったということです。PTSDの克服には非常に長い年月を要したといいます。

アメリカは、歴史上初めての敗戦をなかなか受け入れることができなかったせいか、この戦争からの帰還兵に極めて冷たく当たりました。それ以上にむしろ、彼らを自分たちの社会から排斥する雰囲気もあったのです。敗戦の影響は社会全体に渡ったことは間違いありませんが、最大のしわ寄せは個々の帰還兵に向かいました。

中国残留孤児の場合もそうでしたが、戦争と敗戦は末端の個人の人生と幸福に大きな負の影響を与えます。このゼミ生は、自分の知り合いとはいえ、具体的な個人にアプローチすることでテーマを自分のものとすることができました。

この他にも、様々な地域・国の戦後がゼミ生によって取り上げられました。4次にわたる中東戦争とその敗者エジプト、アヘン戦争後の中国、イギリスの支配を受けていたアイルランドなどです。

次回は、日本ではあまり知られていない戦争をそれぞれ取り上げた2人のゼミ生の論文をご紹介致します。

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2019年10月27日日曜日

第120回【戦争に負けるとはどういうことか④】

現代の国際政治学の始まりは、第1次世界大戦と第2次世界大戦の間、すなわち、戦間期にあります。それまでの戦争とはまったく違った規模と犠牲を伴った第1次大戦を経験したにもかかわらず、ヨーロッパ諸国は確固たる平和を築き上げることに失敗しました。それが明らかになるに従って、なぜそうなってしまったのかについての考察がなされるようになったのです。E. H. カーの『危機の20年』がその典型で、この書物は第2次大戦直前に出版されました。要するに、ヨーロッパの戦勝諸国は、敗戦国ドイツの処遇に失敗したのです。

1次大戦後のドイツをテーマとしたゼミ生は2人でした。2人とも敗戦後のドイツの悲惨な側面——ハイパーインフレ、貧困化、社会規範の崩壊など——を指摘し、それがナチスドイツを生み、結局は、わずか20年の後に再び世界大戦を引き起こしたことに言及しています。

そのナチスドイツの占領下のギリシアをテーマとしたゼミ生もいました。特に、ギリシアにおけるユダヤ人をドイツがどのように扱ったかに焦点を当てました。ドイツは戦争の過程で占領をした地域において、ユダヤ人を強制的に排除し、収容所に送り、最終的には虐殺をしましたが、ギリシアにおいてもそれは例外ではありませんでした。

このゼミ生がギリシアに注目した理由が私には面白く思えました。最近のことですが、ギリシアが財政危機に陥ってEU、特にドイツから多大の援助を受けた時に、ギリシアはドイツからそのだらしなさを大いに批判されました。ギリシアのチプラス首相はその時に、第2次大戦中のドイツのギリシアに対する賠償が十分になされていないとしてドイツを逆に非難したのです。ゼミ生はこの発言に注目してテーマを決めたということです。

アメリカをテーマとした学生が2人いました。考えてみるとアメリカは第1次大戦以降のべつ戦争をしているように見えます。第2次大戦以降でも、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタンとイラクでの戦争、それに加えて、ソ連との「冷戦」を戦いました。しかしながら、アメリカが戦った戦争でもっとも多くの死者を出したのが内戦でもある南北戦争だったのです(戦死者62万人)。ゼミ生のひとりは、この南北戦争における敗者である南部の黒人に焦点を当てました。

このゼミ生も、最近の白人による人種差別をベースにした銃撃事件に触発されて南北戦争をテーマとしたということです。やはり学生は、現在起きていることに強い興味が湧くようです。

敗者の戦後がテーマではありますが、南北戦争は複雑で、内戦であるが故に、単純に勝者と敗者を分けることは不可能です。勝者の北軍は、確かに、奴隷解放をうたってはいましたが、「合衆国の保持」が第1の戦争の動機であって、奴隷解放後のプログラムが具体的にあったのではありません。それ故、戦争後に900万人いた南部の人口のうちの400万人の黒人奴隷が解放されたのですが、彼らには適切な職業教育も職それ自体も与えられないままとなりました。結局は路頭にさ迷ったり、奴隷時代に働かせられていた元のプランテーションに戻って働く黒人もたくさんいたのです。北部に移動した黒人たちによるスラムが形成された都市も存在しました。

南北戦争においては、敗者の半数近くを占める黒人が勝者と利益を共にするという捻じれ現象が存在していました。しかし、勝者北軍の戦った動機の中心は別の所にあったために、敗者の中の勝者と言ってもよい黒人奴隷たちは、自由は得たものの、多くは困窮し、しかも、人種差別は一向になくならないまま宙ぶらりんな状態に置かれました。結局は、元の鞘に収まって相変わらずのプランテーションでの生活を再度送る黒人も多かったのです。

人種差別は、確かに、その後100年をかけて制度的にはなくなったかもしれませんが、今もまだ残存しています。アメリカの歴史上最大の死者を出した南北戦争ですが、奴隷制の終焉には目途をつけたものの、それが必ずしも目的ではなかったために、人種差別には終止符を打つことはできなかったと言えます。

もう一人のゼミ生はベトナム戦争を取り上げました。確かに、この戦争においては、アメリカは敗者だったと言えます。これにつきましては、次回ご報告致します。

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2019年10月15日火曜日

第119回【戦争に負けるとはどういうことか③】

2次大戦敗戦後の日本をテーマとして取り上げたゼミ生が3人いました。

男子ゼミ生2人は、GHQによる情報の統制を通じての日本社会の洗脳を論じました。ひとりは占領下の映画の検閲をテーマにこれを論じ、もうひとりは現代の中国報道にその名残のあることを論じました。

GHQの言論統制と検閲については今は広く議論がなされていますが、その嚆矢となったのは江藤淳氏の『閉ざされた言語空間』であったと思います。江藤氏がこの本を書いた当時、私は江藤氏が教授をしていた東工大の研究室(永井陽之助研究室)におりましたので、はっきりとその時の雰囲気を記憶しています。拒絶まではいかないにしても多くの人が違和感を持って受け止めていました。ところが、現在では江藤氏の研究を知らない人でもこれについて棹差すような議論をするようになっています。

大学生の卒論は、一般論を論じるだけでは自分の論文とはなりませんので、その「一般論のようなもの」を凝縮して感じさせるような個別の小さな、あるいは、狭いテーマを見つけるように私は指導しておりました。映画と中国報道に2人がそれぞれ議論をフォーカスしたのは、そんな事情からだったわけです。

もうひとりのゼミ生(女性)は、中国残留孤児をテーマとしました。
敗戦の間際に日本の軍隊に見捨てられ、逃げまどい、その中で多くの女性や子供たちが中国に留まる選択をしました。連れて逃げることのできない乳飲み子を後に養父母となる中国人に託して命からがら日本に逃げ帰った人も多くいたのです。そうして残されてきた子供たちが「中国残留孤児」です。

戦争が終わった後もこれらの孤児たちは、日中関係のはざまで放置され、80年代に入るまで自分が日本人であることを知らないまま中国で暮らしていた人もいたのです。これらの人たちの多くが数十年ぶりに日本に帰国を果たしましたが、簡単にブランクを埋められるわけもなく、日本語の壁やアイデンティティの危機に容易に直面したのでした。これらのすべては戦争、特に敗戦が生み出した負の影響だったのです。

以上のような事実は厚生省から出されている資料を読むだけでも分かることですが、私がこのゼミ生に課した課題は、必ず実際の残留孤児の人に会って話を聞いてくることでした。ゼミ生はNGOなどにコンタクトを取り、数人の残留孤児の方々と実際に数度に渡って会いインタビューをしました。そのうちの2人をこの論文で取り上げました。

大学生の卒論においては、こうした頭でっかちでない勉強が非常に重要で、このゼミ生の論文は、前半の歴史の部分と後半のインタビューを基にした「個人史」のコントラストが非常に効果的で、印象深いものとなりました。歴史を十分に勉強してからインタビューをしたことも重要なプロセスでした。知識のないインタビュアーにいいインタビューは望めません。

戦争、特に敗戦が国家や社会というレベルにとどまらず、末端の個々人の人生に大きな、取り返しのつかない傷跡を残すことがよく分かる非常にいい論文となりました。彼女はゼミの最後の報告の時にインタビューに応えてくれた残留孤児の方々のことを報告しながら、それらの人々の人生に思いを馳せて涙ぐんでいました。卒論の醍醐味だなあとつい私もうるうるとしたのを覚えています。

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2019年10月6日日曜日

第118回【戦争に負けるとはどういうことか②】

2015年度は「戦争に負けるとはどういうことか」をテーマとして1年間勉強しました。

皆さんが2015年度の柴田ゼミのゼミ生だったら、「戦後のどこか」に「どこ」を取り上げますか。私は、第1次大戦後のドイツ、第2次大戦後の日本とドイツ、中国に侵略され支配されたチベット、ナチス占領下のフランスなどを想定していました。

ところが、ゼミが始まってゼミ生が自分のテーマを検討し始めると、私が想定していないどころか、私の知らない戦争までがテーマとして取り上げられるということになりました。これが大学のゼミの面白いところです。大学生の興味関心は多様で、ひとりの教員ではカバーしきれないほどの幅と深さを持っているのが普通です。だからこそ学生の自主性が重要になるのです。

さて、以下、柴田ゼミのゼミ生が2015年度に取り上げたテーマを列挙してご紹介致します。次回以降、それぞれのテーマにつきまして具体的にご紹介していこうと思います。

 1 ナチス占領下のギリシア
 2 リトアニアにおけるソ連のジェノサイド
 3 ベトナム戦争後のアメリカ
 4 中国残留孤児
 5 第2次大戦後の日本 2
 6 第1次大戦後のドイツ 2
 7 アメリカ南北戦争
 8 中東戦争とエジプト
 9 イギリス植民地としてのアイルランド
 10 アヘン戦争後の中国

 11 三国同盟戦争後のパラグアイ

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2019年9月15日日曜日

第117回【戦争に負けるとはどういうことか①】

2015年度は「戦争に負けるとはどういうことか」をテーマとして1年間ゼミを行いました。以下、ゼミ生募集のために書いた文章です。学生はこのような文章を読んで、自分が所属したいゼミを選択しますが、ゼミには定員がありますので、場合によっては選考があり、2次募集に応募しなければならないということもあります。

半年くらい前に、「戦争になったらどうしますか」という質問に答える調査の結果が新聞に出ていました。詳しく憶えているわけでありませんが、確か、「自衛隊を助ける」「逃げる」「戦う」のような順に答えが出ていたように思います。昔と比べれば、「逃げる」の割合は減っているような気がしましたが、それでも、どこか腰の引けた感じの人が多いと感じました。もっとも、普通の人が「戦う」なんてことができるとは思えません。それにはいくらかの訓練が必要で、スイスは国民皆兵の国ですから、そうした訓練を成人男子のすべてに毎年行っています。

私がこの調査から感じたのは、戦争がいけないことだ、できればしない方がいい、と多くの人が考えてはいるけれど、実際に戦争になることについてはほとんどの人が真面目には考えていないということでした。それは、もしかしたら、そうした質問をした調査元にも言えるのではないかとも思いました。

柴田ゼミは国際政治のゼミですから、テーマは常に「戦争と平和」にかかわります。戦争とは何か、平和とは何か、戦争はなぜ起きるか、平和をどのようにして実現・維持するかというようなことが毎年のテーマの背景にはあります。

人間はこれまで、残念ながら、戦争をし続けてきました。戦争を好んでしようとする人は多くないはずなのに戦争はなくならないのです。国際政治の構造に諸国家に戦争をさせる何か特別の要因が組み込まれているのかもしれません。戦争は避けようがない何ものかであるのかもしれません。そうであるとすれば、日本だって戦争を再びせざるを得ないはめに陥ることがあるかもしれません。

戦争はやらないに越したことはありません。できることなら、全力を尽くして回避するべきものであるとは思います。しかし、戦争が避けられないものであるとすれば、何よりもまず言えることは勝たなければいけないということだと思います。あるいは、絶対に負けてはいけないと思います。逆に言えば、負ける戦争は絶対にしてはならないのです。なぜなら、戦争は確かに悲惨ですが、戦争に負けることは戦争それ自体を上回る悲劇だからです。

日本においては、戦争になりそうになったら、戦わずに降参すればいいとまで言う「平和主義者」がいて、そういう人は実は珍しくないのですが、それは戦争の悲惨さに目を奪われて、戦争に負ける悲劇に思いが至っていないのだと思います。何度も言いますが、確かに戦争はそれ自体で悲惨なものですが、負け戦の悲惨さはそれとは比較にならないほどのものであるのが普通です。だからこそ、負ける可能性のある戦争はとことん避けなければならないし(そして、すべての戦争は負ける可能性があります)、戦争になったら絶対に負けてはならないのです。

さて、こうした関心から、今年度は「戦争に負けるとはどういうことか」ということをテーマとします。

20世紀になって、戦争が社会全体で戦う総力戦になって以降、戦争の処理も社会全体に影響を及ぼすようになりました。それによって、戦争の遂行それ自体が社会全体に大きな影響を及ぼし、また、勝者も敗者も戦争の帰趨から多大の影響を被るようになりました。特に、敗者の受ける傷は容易ではないものとなりました。そうした敗者の戦後の例を詳しく勉強してみたいと思います。具体的には、第1次大戦後のドイツ、ナチス占領下のフランス、第2次大戦後のドイツと日本を想定しています。

日本の第2次大戦後がいかに悲惨であるかについて日本人は薄々感じてはいるものの目を逸らしていると私は思います。これは戦後すぐのことを言っているのではありません。今年(2015年)は戦後70年だそうですが、戦後は続いていると私は思います。このままでは日本人としての私の人生のすべてが戦後の悲惨の中で送られることになりそうです。それほどに戦争に負けたことの影響は深く大きいのです。それにしても、明治の近代化以降、たった1度の敗戦でここまで「へたる」日本とは何でしょうか。こうしたことについても、できれば、深く考えてみたいと思います。

それを対象にするかどうかは追々考えてみたいと思いますが、現在のロシアも、その自覚がどれほどあるか疑問ですが、冷戦の敗者です。冷戦が戦争であったかどうか自体が議論のできるテーマですが、現在のロシアの様子が冷戦における敗北と関わりがないわけがないと思います。敗戦ほど社会に大きな影響を及ぼす事件はないからです。


以上のような問題意識の下、「戦争に負けるとはどういうことか」というテーマに2015年度は取り組みます。まずは、映画などを通じて、戦争の実際を知ってもらおうと思います。ま、ほんとは、イスラム国あたりに行って実戦に参加してみるというのが一番理解が深まるのですが、私には伝手がありませんし、行ったとたんに首を切られて勉強にならない可能性が高いので、映画やドキュメンタリーなどを利用しようと思います。具体的なテーマについては、初めてグループを組んでやらせてみようかとも思っていますが、さて、どうしますか。歩きながら考えようと思います。

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2019年9月1日日曜日

第116回【紛争のルーツ――植民地主義⑧】


「破綻国家」の問題にしても「新しい戦争」の問題にしても、究極的には、そうした地域にまともな国家を打ち立てなければならないという問題で、現在では、「保護する責任」であるとか「暫定統治」といったような処方箋が国際社会では出されて試されているのですが、考えてみれば、処方箋という言葉を使ったことからも分かるように、そこには「野蛮」という病理が存在するのであり、そうした病理にいかに対処するかが問題とされているわけです。

植民地統治について、現在から振り返ってそこに善意を見るのは少数派の立場だと思いますが、破綻国家に対する人道的介入や暫定統治については、それを肯定的に捉える人が多いように思います。しかし、両者の考え方の構造は案外似ているのではないでしょうか。

植民地主義においては、「文明」と「野蛮」が対比され、「文明」が「野蛮」を略奪する場面も珍しくはなかったとはいえ、「文明」が「野蛮」を文明化し、「野蛮」の下に置かれている人々を救済するという「人道主義」的な側面も存在していました。そこにおいては、文明化する主体と文明化される主体に明らかな非対称的な関係が存在していました。上下関係と言っても間違いではない関係です。

これと同じように、平和構築、人道的介入、暫定統治についても、そこには「略奪」の側面は存在しないにしても(あればそれは犯罪として処罰を受けます)、上下関係と言ってもいいような、明確な主体と客体の非対称的な関係が存在しており、「人道主義」という側面が前面に現れた活動であることは間違いないにしても、非対称的な構造については、植民地主義と変わることがないことは明らかです。

つまり、植民地主義のある側面と冷戦後の平和構築のある側面は、明らかに構造的に類似しているのであり、植民地主義を全否定しておきながら平和構築を肯定するのは難しいのではないかとも考えることができるのです。それとも、平和構築は必要悪なのでしょうか。それに携わっている人にそうした自覚はあるでしょうか。あるいは、植民地主義の人道的側面を再評価すべきでしょうか。なかなか難しい問題です。

こうした問題にただちに答えを出す必要はないのですが、植民地主義と平和構築(人道的介入、保護する責任、暫定統治)とには共通して底辺に「人道主義」が一貫して存在していたことは、やはり、見逃してはならないと思います。それを認めることで、植民地主義の役割をいくらか見直すのか、あるいは、平和構築の位置づけを見直すのかは、人によって答えが違うのだと思いますし、それぞれの国の歴史によってもその評価は異ならざるを得ないものと思います。しかし、国際社会における人道的な配慮をなくすわけにはいかないものと思います。もちろん、あらゆる干渉・介入をしない立場があるということは認めなければなりませんが、それにしても、現在の世界にはあまりにも悲惨なことが多すぎます。見て見ぬ振りをして済ますことほど非人道的なことはないわけで、それならば、以上述べたような知的困難があるとしても人道的立場から介入する道を私は選ばねばならないと考えます。

必要ならば、「今一度植民地主義を」、「人道主義をベースにした植民地主義を」と訴えてもいいのではないかと思うわけです。もちろん、植民地主義を批判的に捉えつつ、平和構築を積極的に論じる視点を模索することは重要ですが、発想の構造が似ていることを思えば、そうした区別はなかなか難しいのではないかと思います。今にして分かる植民地統治という感を強くします。

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年勉強して、かなり意外な所に行きつきました。これが勉強の醍醐味であると断言します。

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