2015年2月28日土曜日

【第9回】「今」はどんな時代か?④

近代のイデオロギーのすべてはヨーロッパ発でしたが、それがヨーロッパを超えて地球全体を対象にして優劣を争うようになったのは、19世紀終わり頃からだと考えられます。大きく分類すると、優劣を競ったイデオロギーには2つのものがありました。ひとつは、官僚統制をベースにする考え方、もうひとつが自由市場をベースにする考え方でした。

この世の中に政治が必要である理由は、人間にとって価値あるものが希少であるが故に、その配分を決定しなければならないからだと考えられます。
人間にとって価値あるものが無限にあって、各人が欲しいだけそれを得られるとすれば、それらの配分を決定するという困難な行為を行う必要はないわけですが、そうではないために、人間は希少な価値の配分を何らかの形で導かなければなりません。このプロセスが政治に他ならないわけです。こうした配分の意思決定をどのように行うかについての考え方こそが、理想の社会体制についてのアイディア、つまり、イデオロギーなのです。

官僚統制をベースにする考え方とは、共産主義がその典型ですが、その社会におけるもっとも有能な少数の人々が社会全体の幸福を実現するために価値の配分を決定するというものです。
こうした考え方は、プラトンの哲人政治以来、脈々と政治思想の中に息づいてきました。ナチスがフォルクスワーゲンをデザインしたのもそれが大衆にとって最適の自動車だと彼らが考えたからで、そうなると他のデザインは必要ないものとされたのでした。
ゴルバチョフが回顧していますが、ソ連共産党の政治局では、その年に必要なパンティストッキングの数までも決定していたのです。有能な少数の指導的官僚が最適な配分の意思決定をするという社会体制こそが、その社会に生きるすべての人をもっとも幸せにするという考え方がこうしたことの背景にあります。

これに対して、少数の人間ではなく、「見えざる手」、あるいは、社会の多数派に配分の意思決定を任せるやり方が自由市場をベースとした考え方です。
政治的には、自由な選挙によって政治指導者を選出し、それによって選ばれた人々に決定の権限を委任します。経済的には、自由市場に自由に参加したり退出したりする企業や個人の自由な意思決定から、あたかも「見えざる手」によって導かれるかのように、社会全体に必要なものが適正な価格で供給されると考えるわけです。

1次大戦も第2次大戦も、そして、冷戦も、その様相は多様ですが、人をもっとも幸せにする社会体制はどちらかということを問う側面が確かに存在していたのです。
フクヤマの主張の最大の特徴は、そうした百年単位のイデオロギー上の争いに勝負がついたと主張したことでした。つまり、自由市場をベースにした考え方、すなわち、自由市場民主政こそがイデオロギー上の最終的な勝者であって、イデオロギー上の争いは終わった、それ故、イデオロギーの側面では「歴史は終わったのだ」と主張したのでした。
たしかに、自由市場民主政の範囲においても無数の社会体制が考えられますし、その間において紛争は発生するに違いありません。しかし、それらの多様なバラエティはあくまで同じイデオロギー上の差異に過ぎないのです。

こうしたフクヤマの主張には世界中で賛否両論がありました。冷戦後も、ムスリムによる原理主義的な運動が活発に行われていて、たしかに、コーランをベースにした社会体制は、もうひとつの選択肢であると言えなくはありません。
また、急速に超大国への道を突っ走っているように見える中国の社会体制、すなわち、共産党主導の国家資本主義もまた別の選択肢であるということができるかもしれません。


フクヤマが以上のような議論を提出した時には、冷戦が終わって、いよいよ世界には平和な時代がやって来たという雰囲気がありました。しかし、そうした雰囲気は長続きしませんでした。人によっては、より平和な時代として冷戦の時代を懐かしむ場合もあるのです。世界はますます混沌としているように見えます。
イデオロギー上の争いはすでに終わっていると言っていいのでしょうか。それとも、イスラムモデルや中国モデルが自由民主政モデルに代わる選択肢になる可能性を秘めていると言えるのでしょうか。
ワルシャワの証券取引所のビル、1989年以前は共産党本部

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2015年2月15日日曜日

【第8回】「今」はどんな時代か?③

冷戦の終焉が1989年であったと考えると、昨年2014年は、冷戦が終了して25年、四半世紀が経った年だったことになります。
こんな風に奥歯にものが挟まったような言い方をするのは、冷戦の定義によってはそれがいつ始まりいつ終わったのかについて色々な説があり得るからで、それにつきましては、拙著『ウェストファリアは終わらない』の第3章第1節に論じました。

25年とは、しかし、随分と経ってしまったように思います。今では、学生たちのすべてが冷戦後生まれで、彼らにとってソ連とはオスマントルコのように歴史的な国なのです。

フランシス・フクヤマが「歴史の終り?」という論文をアメリカの雑誌National Interestに発表したのが1989年のことでした(3年後1992年にはこれを大きな本にして出版しました)。
前回紹介しましたトフラーの議論は、人類の歴史という超長期の視点による議論だったわけですが、フクヤマの議論は、冷戦の終わりをきっかけにした近代の終りの一側面をテーマとしたものです。トフラーの議論が千年単位の議論であったとすれば、フクヤマの議論は百年単位ということになります。

冷戦の終焉が何の終りであったのかを知ることは簡単ではありません。単純には、米ソの全面的な対立の終りを意味していたのだと思いますが、それでは、米ソは何をめぐって対立をしていたのでしょうか。
フクヤマはイデオロギーの対立に焦点を絞ります。

イデオロギーとは何でしょうか。
イデオロギーとは、人々を幸せにする社会体制のアイディアであると私は考えます。様々な諸国が自国の社会体制こそもっとも国民を幸せにできると考えて、おせっかいにもそれを他国にも広めようとすることで対立が起き、単なるイデオロギーの争いから軍事的な争いが生まれる場合もあったわけです。その始まりはフランス革命だったかもしれません。

米ソの冷戦とは、全面的な対立ではありましたが、その重要な部分では、確かに、イデオロギー、つまり、どちらの社会体制が国民をより豊かに幸せにできるか、の争いでもあったと言うことができます。

フクヤマの主張は、そのイデオロギー上の争いがついに終わったということであったのです。すなわち、人類は、人間をもっとも幸せにできる社会体制の最良のアイディアについに辿り着いた、これについては最終的な答えが出た、と論じたわけです。

本当でしょうか。

フクヤマの議論を私の言葉で言い換えて次回説明します。

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