2020年5月30日土曜日

第134回【ロシアの生理⑦】

2016年度は「ロシアの生理」と題して国際政治上でのロシアの行動の背景に何があるのかを考察しました。ゼミ生たちは多様な題材からこのテーマにアプローチしました。

ロシアの建築に焦点を当てたゼミ生がいました。モスクワとサンクトペテルブルクの歴史的建築物を比較して、ロシア建築には、様々な特色があるものの、そこに住む人間よりもその建物が外からどう見えるかに重点を置くのがロシア人の特色であるとこのゼミ生は言います。ロシア人にとって他人の目が非常に重要だということです。こうした特色は、他の様々な分野においても共通することのように思います。

ロシアのマフィアを取り上げたゼミ生もいました。ロシアのマフィアの特色は、たとえば、日本のヤクザとは違って、ビジネスの世界に大々的に進出していることだと言えます。ロシアのGDP40%近くがマフィアがらみだという試算があるほどです。

ロシアの国旗・国歌・国章などのシンボルを取り上げて考察したゼミ生もいました。これらのすべてが現在ではロシア正教と密接なつながりを持っています。ソ連時代には無宗教国家だったロシアは、現在、正教会が非常に大きな影響力を持った社会となっています。正教を背景として「強いロシア」が国旗・国家・国章で表現されています。

そのロシア正教をテーマとしたゼミ生もいました。ロシアという国家の起源をロシア人は「ルーシの受洗」に求めます。すなわち、998年にロシア皇帝がクリミア半島においてキリスト教の洗礼を受けたことをロシア国家の始まりとしているわけです。このことからしてもロシアという国家の心髄にはロシア正教が存在していると言っても過言ではないと言えます。また、昨今のウクライナとの紛争におけるクリミア半島の重要性もこうしたところにあると認識する必要があります。

ロシア正教は、ソ連時代には非常に目立たない存在だったわけですが、現在では国家の支援の下で様々な活動を行っています。宗教活動は当然のことですが、ビジネスにも積極的に関与しています。この点、マフィアにも似た存在となっています。国家の支援が公然とある点がマフィアとの大きな違いですが、そのマフィアも背後では国家と太い結びつきを持っているわけで、宗教とマフィアが国家の陰(かげ)と陽(ひなた)であると言えるのかもしれません。

ロシアの広大な領土をテーマとしたゼミ生は、その礎を築いたピョートル1世に焦点を当てました。北方では当時有力だったスウェーデンを破り、黒海から地中海に向けて南方政策を実施したのが皇帝ピョートルで、その後のロシアの対外行動の基礎を作り上げました。このゼミ生は、プーチンはピョートルの再来ではないかと感想を述べています。ただ、その急速な領土拡大の背景には、不安に駆られた臆病者が存在しているように見えるとも述べています。鋭い観察であると私は思います。

ロシアの持つ兵器と戦術をテーマとしたゼミ生は、そこからロシアの勝利至上主義を指摘します。つまり、広い領土の内側に敵を誘い込む戦術がロシアの伝統的な戦争のやり方ですが、その際の大きな特色は、まともに守備をせず、国民の犠牲を一切気に掛けない焦土作戦であると言います。そして、時を得た時の攻撃のみが考慮されます。ロシアの持つ兵器の特色から、このゼミ生は、味方の犠牲をまったく厭わない最終的な勝利のみを目指す勝利至上主義こそがロシアの戦術であると指摘しています。勝利至上主義は、戦争ばかりではなく、すでにご紹介致しましたオリンピックといったスポーツやドーピングにおいても一貫したものということができます。

以上、簡単にではありますが、ゼミ生の論文をご紹介してきました。次回からは2016年度の総仕上げとして、また、11年に及んだ柴田ゼミの掉尾を飾る、総括の講義をご紹介致します。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。




2020年5月16日土曜日

第133回【ロシアの生理⑥】

前回の終わりで、ロシアの、目的のためには手段を択ばないニヒルさという指摘を致しました。そうした実例をまったく別の分野で取り上げたゼミ生がいました。オリンピックと宇宙開発がそれです。

オリンピックを取り上げたゼミ生は2人いましたが、ひとりはロシアで2014年に行われたソチ・オリンピックを取り上げました。

ソチ・オリンピックは、プーチン大統領肝煎りで誘致したものでしたが、それにはいくつかの狙いがあったということです。第1に、前回のバンクーバー冬季オリンピックでの失敗を挽回すること。ロシアはバンクーバーで金メダルが3個だったのですが、ロシアにとってこれは屈辱的な結果だったようです。これを地元で挽回することが目標とされました。

また第2に、ソチが位置する北カフカスは、チェチェンなどを始めとする政治的不安定を代表する地域ですが、国際社会に対してそれが収束したことを知らしめることも大きな目標でした。ただ、オリンピック誘致の時期には収まっていたテロなどがオリンピックの時期には復活していて、史上最大と言ってもよいような警備の中でオリンピックは行われました。

そして第3に、何よりも国威発揚が目指されました。プーチンは「スポーツでの勝利は100の政治スローガンよりも国を団結させる」と述べ、「スポーツは模擬戦争である」とも言いました。それ故、勝つことが選手たちの至上命題であり、それがドーピング問題へとつながっていったのです。目的が手段を正当化した最近の例です。

もう一人のゼミ生は、そのドーピング問題を取り上げました。

ロシアのドーピング問題は2016年のリオデジャネイロ・オリンピック直前に発覚しました。直接的には、ソチ・オリンピックでの勝利至上主義がこれを招いたものとされていますが、より根の深いものと考えなければなりません。ロシアのドーピング事件は、選手個人が起こしたものではなく、ロシアという国家が組織的に行ったということに大きな特色があります。

ゼミ生は、ロシアのドーピングとは、選手やコーチの利己的な勝利に対する欲望の表れという単純なものではなく、ロシアという国家の政治によるスポーツ利用の表れであると断じています。

ロシアの宇宙開発もスポーツと同様に政治との関係は切っても切れないものです。ロシアの宇宙開発はアメリカとの闘争の中で行われてきたことは間違いありませんが、スプートニクの成功でアメリカのメディアが大騒ぎになるまではソ連のメディアや国民においては関心がかなり薄かったといいます。アメリカが大騒ぎして初めてソ連メディアがそれに反応し、そしてソ連国民が熱狂することになりました。日本人にも似たところがあるような気がしますが、ロシア人は外からの評価に非常に敏感であるようです。宇宙開発は、ソ連がアメリカと対等に競争する主要な分野のひとつとなりました(軍事とスポーツに加えて)。そのことがロシア人の大国意識を刺激したのです。

このゼミ生は、しかし、ロシア人の宇宙開発が単にアメリカに対する対抗心のようなものからのみ行われたわけではないことも指摘しています。つまり、極めて理想主義的なロマンがロシア人の心の中にあったことに目を向けています。ソ連の宇宙開発の初期に先頭に立ってそれを行った科学者の代表がコロリョフという人でしたが、コロリョフは「エチカ」という人類の遠い未来への希望を間違いなく胸に抱いていたと言います。「エチカ」とはツィオルコフスキーが1911年に言ったと言われる「地球は人類のゆりかごである。しかし人類はゆりかごにいつまでも留まっていないだろう」という予言をベースにする哲学です。

ロシア人のこうしたロマン主義は大変重要ではないかと思います。こうしたロマン主義と大国意識や西欧に対する劣等意識がロシアの国際社会での行動の奥底に存在するように考えられるからです。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。