2017年4月30日日曜日

第61回【彼らはなぜ核兵器を持つか①】

柴田ゼミ6年目(2011年度)のテーマは「彼らはなぜ核兵器を持つか」というものでした。新学期の始まる直前に東日本大震災が起き、それに伴って、原発問題が大きな社会的テーマとなったために、核と原子力の問題は、ゼミのテーマを決めた時とは比較にならないくらい大きな目前の問題として私たちの前に立ち現れました。

入門として学生に最初に読ませた本は『核兵器のしくみ』という本だったのですが、核兵器の製造過程のほとんどは原子力発電の稼動の過程と重なっていて、私を含めたゼミ生の多くは、核兵器よりもむしろ原子力発電に関心が向きがちになってしまいました。

ところで、6年目の内容に入る前に、柴田ゼミのSNSについてご紹介したいと思います。

柴田ゼミでは、ゼミ生や卒業生向けにSNSを設定して、自由に議論したり情報を交換したりできるようにしています。ミクシィのような、ゼミ生だけに閉じられたSNSなので私たちはこれを「ゼミクシィ」と呼んでいます。

ちょうどこの年、卒業をして4年目になる卒業生が「先生に挑戦」と言ってゼミクシィ上で国際政治についての議論を挑んできました。仮にK君とします。

K君は、「難民は夢を見るか」というテーマでの勉強の時に、イラクにおけるクルド人の国内避難民をテーマとして取り上げました。その時以来、難民や国内避難民の救済の必要とそこに立ちはだかる国家主権や内政不干渉原則のことを考え続けてきたと言います。私はゼミで繰り返し「国際政治に『絶対』はない」というようなことを言ってきているのですが、K君はこれについて自分なりの整理が出来たので聞いて欲しいということで、長文の書き込みをしてくれました。
難民救済や国内避難民に対する援助という人道的な支援は今や人類の絶対的な義務であることに間違いはないが、そこには、国際政治の絶対的と言ってもいいような原則「内政不干渉」が存在しており、さらにその背後には国家主権という絶対的なものが存在している。国際政治においては、絶対と絶対の対立が珍しくなく、どちらを優先させるかに確固たるルールは存在しない。それ故、国際政治には「絶対」はないのだ、とK君は論じました。

学生との、あるいは、卒業生とのこうした議論は、私の最大の喜びのひとつです。ゼミが彼らの知的関心に火を点けたと実感できるからです。

ゼミクシィ上で、私もかなりの長文の回答をしました。それを以下にご紹介致します。国際政治学の基礎となるフレームワークのひとつをそこでご紹介できるものと思います。

K君、コメントが遅くなって済まない。
真面目に学生時代の問題に向き合ってくれていて嬉しく思います。

さて、以下、たぶん、これでコメントになるだろうという文章を書きます。より大きく問題を扱う感じでしょうか。

「国際政治に答えはない」というセリフをもっと正確に言うと、「国際政治に最終的な答えといったものは存在しない」となるでしょうか。

問題の「解決」とよく言いますが、国際政治では、問題が「解決」されることはめったにありません。もちろん、まったくないとは言いません。「解決」するとは、その暁には問題が消滅するということでもあります。こうしたことは国際政治ではめったにありません。だから「解決」という言葉は本当は使わない方がいいのです。ほぼすべての国際問題は「放置」されるか「処理」されます。放置される問題は、問題自体が小さな問題でわざわざ波風を立てるのが馬鹿馬鹿しいか、あまりにも大きな問題でそれに触れると現状を大きく変える以外に処理の方法がないために触れないでおくような問題です。小さな問題の例をわざわざ挙げることはしませんが、大きな例としては、たとえば、アフリカ諸国の国境の画定の問題でしょうか。

 ほとんどの国際問題は、問題として常に関係諸国の間で取り上げられ続けるか、あるいは、運が良ければ「処理」されます。処理されるとは、利害の対立する両者が現状に鑑みて互いに利益・不利益を分け合って、ともに不満がありながら妥協が成立し、その後、いったんその問題が存在しなくなったかのように振舞うようになるということです。つまり、問題はいったん背景に退いたけれど、状況が変化すればまたいずれ現れる状態ということです。これを問題の解決ではなく処理と呼びます。

 重要な国際問題のほとんどすべては処理されるのみで解決されることは稀です。これを肝に銘じる必要があります。その理由は案外簡単で、諸国家の利害が完璧に一致するなどということは古今東西あり得ないからです。「国際政治に答えはない」というセリフの意味は以上のようなことを表しています。ま、人生も一緒だけどね。結局、人間と国家とはひと繋がりなのです。

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2017年4月15日土曜日

第60回【1989 時代は角を曲がるか⑮】

1989年に終わったと考えられるのは、冷戦という第2次世界大戦後の「システム」です。国際政治構造はまったく揺らいでいないと言えます。冷戦が終わった翌日(いつかは別にして)にも、主権国家は存在し、国益を追求し、主権国家間の関係は流動しています。その関係の様式が変化したに過ぎません。「システム」の変更はそれほど珍しい話ではありません。「システム」の変更を「時代が曲がり角を曲がった」と捉えるのは視野狭窄、あるいは、大げさであると言えます。国際政治の世界に本物の変化の兆しはまったくないと言っても過言ではないと私は考えます。

もちろん、システムの変化が重要でないわけではありません。新しいシステムへの過渡期には新しいシステムにおけるゲームのルールが模索されます。現在がその時期に当たっていることは議論のないものと思います。システムにおいてもっとも強力な存在となるのはこのルールの作成にもっとも影響を及ぼした存在です。この点からも日本は危ないと感じられます。ルールの作成から降りてしまっているような印象があります(TPPへの参加は、この点で、大きな修正となりました)。

現在の国際政治構造は、むしろ、完成された「ウェストファリア構造」への過渡期に過ぎないと私は考えています。つまり、「民主化された主権国民国家からなる多元的な国際政治構造」こそがこの構造の完成された姿なのであって、世界全体のまだ20%くらいしかこの条件を満たしていません(人口比なら10%かもしれません)。たとえば、中国が完全に民主化されるのはいつのことでしょうか。アフリカの全土を民主化された健全な主権国民国家が覆い尽くすようになるのはいつになるでしょうか。私は、これから500年をかけて、この完成された構造に向けて国際政治は変化していくことになると考えています。その間に、多くの「システム」が現れては消えることでしょう。しかし、それは実は本質的な変化ではなく、大きな過渡期に起きる表面上の変化に過ぎないのです。

500年後の完成されたウェストファリア構造に向けて私たちがやらなければならないことは、民主的で健全な主権国民国家を生み出すための援助を気長にやることに尽きます。これには時間がかかりますし、イラク戦争のような暴力は害あって利は少ないと思います。地道にnation buildingstate buildingを側面から援助する以外にありません。これは人の一生を超える事業で、人は自分の寿命よりも長い時間でものを考えることに慣れていませんから非常に難しい仕事になります。人類はこうした難しい作業に耐えうる存在でしょうか。(詳しくは『ウェストファリアは終わらない』でどうぞ!)

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2017年4月1日土曜日

第59回【1989 時代は角を曲がるか⑭】

国際政治構造とは、主権国家からなる構造のことです。主要な要素は主権国家であって、この要素と要素の関係を司るものが国際法と外交で、国際法はまだまだ非常に未熟な段階にあり、そして、外交には変化がつき物です。とはいえ、これが「構造」であると私は確信しています。国際政治構造が変化しつつあるということは、こうしたあり方が変化しつつあるということになります。

これに対して、国際政治システムとは、以上のような構造の上で様々に変化する要素と要素の、つまり、主権国家と主権国家の関係のあり方ということになります。近代以降の国際システムを振り返ると、1815年ウィーン会議以降に明確な国際政治システムがヨーロッパにおいて誕生しました。これを古典外交と呼ぶことがあります。19世紀半ば過ぎからは植民地獲得競争を行う帝国主義のシステムが第1次世界大戦まで続きました。ヨーロッパ諸国やアメリカが現在のような国民国家として確立されたのは19世紀半ばのことでした。イギリス・フランスはいち早く国民国家を築き上げましたが、ドイツは1870年の普仏戦争の勝利によって、アメリカは1861年から65年までの南北戦争後に国民国家としての統一を実現します。日本もそれほど遅れてはいません。明治維新が1868年ことです。日本もこれらの諸国とまったく同じようにこの時期に主権国民国家をスタートさせたわけです。アジア・アフリカでこれに成功したのは日本だけでした。

1次大戦から第2次大戦までの国際政治システムは「新しい外交」などと呼ばれました。そこでは、アメリカとソ連が台頭しました。第2次大戦以降1989年(あるいは1991年ソ連の消滅)までが冷戦システムの時代です。冷戦はあくまでシステムであって構造では断じてないということを知ることが重要です。冷戦以降の国際政治も何らかのシステムと考えられます。冷戦ほどに明確な特色は存在せず、故に、うまい名前が付けられませんが。

このように考えればわかるように、近代以降の国際政治システムはすべて主権国家の存在を前提としています。システムは頻繁に変化しますが、構造はかなり磐石です。

現代の国際構造の原点は、近代ヨーロッパにおける主権国家(国民国家)構造の成立です。これは1415世紀の西ヨーロッパに始まる国際政治構造です。つまり、近代的な主権国民国家を要素とし、国民国家間に国際法と外交による関係が結ばれる構造のことです。

現在ではそれは神話ではないかと言われていますが、30年戦争後、1648年のウェストファリア会議(あるいは、条約)がその構造の始まりとされています。実際には、ウェストファリアよりもかなり前から徐々に主権国家が生まれつつあり、また、主権国家が西欧全体にわたって確立されるまでに数世紀の時間がかかっています。つまり、ウェストファリアとはシンボルなのであり、これが直接転換点を示すといったものではありません。

現代の国際政治構造は、西ヨーロッパに始まる主権国民国家構造が、数世紀を経て、世界全体に広がったものとして捉えることが適切であると私は考えます。

つまり、私たちは今、1516世紀頃に発し、西ヨーロッパにおいては19世紀後半にほぼ完成した「主権国民国家構造(ウェストファリア構造)」という国際構造の中で生きているのです。

ウェストファリア構造の特色とは何でしょうか。
  1 構造の主要な要素は「主権国民国家」である
  2 主要な要素間の関係を司るのが国際法であり、国際法は現状において発展途上である、つまり、要素間の関係次第で国際法は不断に形成される存在である
  3 主要な要素間の関係には外交が発生するが、これも原則としては国際法の下で行われることになる、ただし、関係が逆転して、外交の結果が法を形成する場合が珍しくない

ウェストファリア構造、すなわち、主権国家による構造は終焉しつつあるという有力な説が存在しています。主権国家は時代遅れで機能不全を起こしている、とか、主権国家以外に重要な主体(多国籍企業、NGO、国際組織など)が国際システムには登場しているとかいった主張がそれです。しかし、主権国家に代わる存在がどこにあるのでしょうか。主権国家に代わるものは現在まったく姿を現していないと私は思います。つまり、主権国家に代わって私たちの社会に秩序をもたらす存在はまったく実在していません。多国籍企業が、どこかのNGOが、あるいは、国際組織が、私たちの社会に国家に代わって秩序をもらすなどということが考えられるでしょうか。むしろ、それらの組織は主権国家が実現した秩序があって初めて存立しうる存在です。
ウェストファリア構造は終わりそうにないと考えるのが正しいと私は考えます。

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