2020年1月30日木曜日

第126回【戦争に負けるとはどういうことか⑩】

アメリカの原点において起きたこと、アメリカが出来るだけ忘れ去りたくて自分の無意識に押し込めようとしていること、これこそがその後のアメリカの思想と行動に最大の影響を及ぼしているはずです。それは何かと言えば、2つのことがあると考えられます。

ひとつは、自分たちの祖先がヨーロッパでは真っ当に生きていくことができず、新大陸に逃げてきた、ある意味で劣等な存在だったということであり、もうひとつは、ネイティヴ・アメリカンすなわちインディアンを絶滅させるほどに虐殺しまくったという事実です

アメリカが建国からほんの100年程度で世界の様々を左右するような強大な国家となった理由の最大のものは、アメリカがその歴史の原点で持っていたヨーロッパに対する劣等感だと私は思います。アメリカに渡って来た現代のアメリカ人の祖先とその子孫たちは、自分たちがヨーロッパでは通用しなかった人間で、負け犬として新大陸に渡って来たことを心のどこかではわかっていたはずです。しかし、人間はそうしたことを認めるよりは、それを心の隅に押しやって、そうではなかったこと、あるいは、そうではないことを証明してみせようとするものです。アメリカの歴史の一番奥底にある活力、バネみたいなものはこの劣等感に根ざす反発心だったように思います。自分たちが逃げてきたのではなく、腐敗し堕落しきった古いヨーロッパを捨てて(捨てられたのではなく)、まったく新しい清く正しい社会をまっさらな大地の上に作り出すためにアメリカにやって来たのだと彼らは考えたがったはずです。そして、それを実現して、実際にそうであることを証明してみせなければならなかったわけです。

そして、そうした試みが成功した暁に、アメリカはその体験を他所の国にもさせなければならない、というような余計なお節介を自らの使命であると考えて世界中の様々な場所に介入するようなことを始めてしまったのです。これも心の一番奥底にある劣等感の裏返しであると思います。このような行動を取っていないと無意識の心の奥底から劣等感が湧き出てくるような感じがしてならないのだと思います。これは一種の病気ですが、たぶん、不治の病です。それ故、この他人(アメリカですが)の不治の病と私たちはうまく付き合っていかなければならないのです。

アメリカ人の自己正当化によれば、アメリカ人の祖先は、腐敗堕落したヨーロッパを捨てて、新大陸で清く正しい社会を新しく打ち立てたことになっています。もちろん、これは自己正当化ですから、すなわち、自己欺瞞で、本当は、アメリカ大陸の原住民であったインディアンを殺しまくったのでした。そして、アメリカ人は、まさか殺しまくった事実を否定するわけにはいかないので、正義の社会を作るためには仕方なかったとしているのです。インディアンが白人の言うことを聞いて、キリスト教徒になり、アメリカ人の言う文明を受け入れさえすれば、殺すことはなかった、インディアンが文明を拒絶したが故に、あれ以外に仕方なかったのだ、というのがアメリカ人の捉え方です。どこか原爆投下の正当化に似ています。

以上の論理は自己欺瞞ですから、アメリカは常にこれが正しいと信じることに不安を感じています。そこで、同じことを繰返してはその不安を払拭し、この論理が正しいことを証明し続けようとするのです。一種の強迫神経症です。

アメリカのこのトラウマが猛烈に強烈なのは、このトラウマの出現したのが、アメリカの歴史の一番最初のところにあるからです。アメリカはこうしたトラウマから出発した国なのです。だからこそ、この「インディアン・コンプレックス」とも言えるものが、アメリカの国家のアイデンティティのもっとも深い部分にあると言えるわけです。

考えてみれば、アメリカの対外関係の歴史は、この反復強迫によってほとんど説明ができます。たとえば、最近のイラク戦争も一面ではまったく反復強迫以外の何ものでもありません。アメリカが戦争をしている理由は、イラクに民主主義という文明をもたらすためです。そして、その目的を共有できない、文明を理解しない連中は殺されても仕方ないのです。インディアンをほぼ皆殺しにしたように、あるいは、そうしたが故に、途中で妥協はできないのです。今ここで妥協したら、インディアンの時だって途中で妥協すべきだったということになってしまいます。それは自己否定になってしまいます。アメリカは途中で妥協することをしません。

妥協のなさが、戦争に反映すると、それは敵への無条件降伏の要求となります。アメリカにおいては、すでに南北戦争において、北軍が南軍に対して無条件降伏を求めました。アメリカが敵に無条件降伏を求めるのは、自分たちが100%正しいと考えるからで、勝った以上、敵に1%でも譲るのは間違いだということになるからです。しかも、インディアンの時にはそうしたように敵を皆殺しにするわけにはいきませんから、戦後、敵をアメリカ的なデモクラシーの国家へと改造しようとするわけです。そうしなければ、戦った意味がありませんし、インディアン・コンプレックスを拭い去ることができません。

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2020年1月18日土曜日

第125回【戦争に負けるとはどういうことか⑨】

アメリカを理解するために、ひとつの大きな仮説を設けます。

フロイトによれば、人間には自我があって、その自我の背景には膨大な無意識の世界が広がっています。人間は自分に不都合なことはこの無意識の世界に記憶や意識を押し込めてないものとして生きようとするわけですが、なかなかそうはいかず、無意識から非常に大きな影響を受けながら考えたり行動したりします。また、人間は過去や現在において自分を何らかの形で肯定する必要があります。自分がこの世界に存在することを正当化しようとするわけです。あるいは、これまでにしてきたことが間違っていなかったと考えたがったり、あるいは、間違っていないことを繰り返し証明しようとしたりします。

そして、ここからが重要なところで、かつ、間違っているかもしれないところですが、フロイトの最大の理解者と私が考えている岸田秀によれば、一個の人間に言えるこれらのことは人間の大きな集団でもある国家にも当てはまるのです。すなわち、ひとりの個人の履歴がその個人の考え方や行動を決定するのと同様に、ひとつの国家の歴史がその国のその後の行動を決定づけ、また逆に言うと、その国家の行動をそうした歴史から説明できるというわけです。そして、そのように考えると、国家にも自我と無意識が存在するはずです。これが私の言う仮説です。一個の人間に当てはまる理論が国家にも当てはまるとするということです。これが正しいとして(大いに疑問でもあるのですが)、以下の議論を進めます。

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