現代の国際政治学の始まりは、第1次世界大戦と第2次世界大戦の間、すなわち、戦間期にあります。それまでの戦争とはまったく違った規模と犠牲を伴った第1次大戦を経験したにもかかわらず、ヨーロッパ諸国は確固たる平和を築き上げることに失敗しました。それが明らかになるに従って、なぜそうなってしまったのかについての考察がなされるようになったのです。E. H. カーの『危機の20年』がその典型で、この書物は第2次大戦直前に出版されました。要するに、ヨーロッパの戦勝諸国は、敗戦国ドイツの処遇に失敗したのです。
第1次大戦後のドイツをテーマとしたゼミ生は2人でした。2人とも敗戦後のドイツの悲惨な側面——ハイパーインフレ、貧困化、社会規範の崩壊など——を指摘し、それがナチスドイツを生み、結局は、わずか20年の後に再び世界大戦を引き起こしたことに言及しています。
そのナチスドイツの占領下のギリシアをテーマとしたゼミ生もいました。特に、ギリシアにおけるユダヤ人をドイツがどのように扱ったかに焦点を当てました。ドイツは戦争の過程で占領をした地域において、ユダヤ人を強制的に排除し、収容所に送り、最終的には虐殺をしましたが、ギリシアにおいてもそれは例外ではありませんでした。
このゼミ生がギリシアに注目した理由が私には面白く思えました。最近のことですが、ギリシアが財政危機に陥ってEU、特にドイツから多大の援助を受けた時に、ギリシアはドイツからそのだらしなさを大いに批判されました。ギリシアのチプラス首相はその時に、第2次大戦中のドイツのギリシアに対する賠償が十分になされていないとしてドイツを逆に非難したのです。ゼミ生はこの発言に注目してテーマを決めたということです。
アメリカをテーマとした学生が2人いました。考えてみるとアメリカは第1次大戦以降のべつ戦争をしているように見えます。第2次大戦以降でも、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタンとイラクでの戦争、それに加えて、ソ連との「冷戦」を戦いました。しかしながら、アメリカが戦った戦争でもっとも多くの死者を出したのが内戦でもある南北戦争だったのです(戦死者62万人)。ゼミ生のひとりは、この南北戦争における敗者である南部の黒人に焦点を当てました。
このゼミ生も、最近の白人による人種差別をベースにした銃撃事件に触発されて南北戦争をテーマとしたということです。やはり学生は、現在起きていることに強い興味が湧くようです。
敗者の戦後がテーマではありますが、南北戦争は複雑で、内戦であるが故に、単純に勝者と敗者を分けることは不可能です。勝者の北軍は、確かに、奴隷解放をうたってはいましたが、「合衆国の保持」が第1の戦争の動機であって、奴隷解放後のプログラムが具体的にあったのではありません。それ故、戦争後に900万人いた南部の人口のうちの400万人の黒人奴隷が解放されたのですが、彼らには適切な職業教育も職それ自体も与えられないままとなりました。結局は路頭にさ迷ったり、奴隷時代に働かせられていた元のプランテーションに戻って働く黒人もたくさんいたのです。北部に移動した黒人たちによるスラムが形成された都市も存在しました。
南北戦争においては、敗者の半数近くを占める黒人が勝者と利益を共にするという捻じれ現象が存在していました。しかし、勝者北軍の戦った動機の中心は別の所にあったために、敗者の中の勝者と言ってもよい黒人奴隷たちは、自由は得たものの、多くは困窮し、しかも、人種差別は一向になくならないまま宙ぶらりんな状態に置かれました。結局は、元の鞘に収まって相変わらずのプランテーションでの生活を再度送る黒人も多かったのです。
人種差別は、確かに、その後100年をかけて制度的にはなくなったかもしれませんが、今もまだ残存しています。アメリカの歴史上最大の死者を出した南北戦争ですが、奴隷制の終焉には目途をつけたものの、それが必ずしも目的ではなかったために、人種差別には終止符を打つことはできなかったと言えます。
もう一人のゼミ生はベトナム戦争を取り上げました。確かに、この戦争においては、アメリカは敗者だったと言えます。これにつきましては、次回ご報告致します。
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柴田純志・著『ウェストファリアは終わらない』