2019年10月27日日曜日

第120回【戦争に負けるとはどういうことか④】

現代の国際政治学の始まりは、第1次世界大戦と第2次世界大戦の間、すなわち、戦間期にあります。それまでの戦争とはまったく違った規模と犠牲を伴った第1次大戦を経験したにもかかわらず、ヨーロッパ諸国は確固たる平和を築き上げることに失敗しました。それが明らかになるに従って、なぜそうなってしまったのかについての考察がなされるようになったのです。E. H. カーの『危機の20年』がその典型で、この書物は第2次大戦直前に出版されました。要するに、ヨーロッパの戦勝諸国は、敗戦国ドイツの処遇に失敗したのです。

1次大戦後のドイツをテーマとしたゼミ生は2人でした。2人とも敗戦後のドイツの悲惨な側面——ハイパーインフレ、貧困化、社会規範の崩壊など——を指摘し、それがナチスドイツを生み、結局は、わずか20年の後に再び世界大戦を引き起こしたことに言及しています。

そのナチスドイツの占領下のギリシアをテーマとしたゼミ生もいました。特に、ギリシアにおけるユダヤ人をドイツがどのように扱ったかに焦点を当てました。ドイツは戦争の過程で占領をした地域において、ユダヤ人を強制的に排除し、収容所に送り、最終的には虐殺をしましたが、ギリシアにおいてもそれは例外ではありませんでした。

このゼミ生がギリシアに注目した理由が私には面白く思えました。最近のことですが、ギリシアが財政危機に陥ってEU、特にドイツから多大の援助を受けた時に、ギリシアはドイツからそのだらしなさを大いに批判されました。ギリシアのチプラス首相はその時に、第2次大戦中のドイツのギリシアに対する賠償が十分になされていないとしてドイツを逆に非難したのです。ゼミ生はこの発言に注目してテーマを決めたということです。

アメリカをテーマとした学生が2人いました。考えてみるとアメリカは第1次大戦以降のべつ戦争をしているように見えます。第2次大戦以降でも、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタンとイラクでの戦争、それに加えて、ソ連との「冷戦」を戦いました。しかしながら、アメリカが戦った戦争でもっとも多くの死者を出したのが内戦でもある南北戦争だったのです(戦死者62万人)。ゼミ生のひとりは、この南北戦争における敗者である南部の黒人に焦点を当てました。

このゼミ生も、最近の白人による人種差別をベースにした銃撃事件に触発されて南北戦争をテーマとしたということです。やはり学生は、現在起きていることに強い興味が湧くようです。

敗者の戦後がテーマではありますが、南北戦争は複雑で、内戦であるが故に、単純に勝者と敗者を分けることは不可能です。勝者の北軍は、確かに、奴隷解放をうたってはいましたが、「合衆国の保持」が第1の戦争の動機であって、奴隷解放後のプログラムが具体的にあったのではありません。それ故、戦争後に900万人いた南部の人口のうちの400万人の黒人奴隷が解放されたのですが、彼らには適切な職業教育も職それ自体も与えられないままとなりました。結局は路頭にさ迷ったり、奴隷時代に働かせられていた元のプランテーションに戻って働く黒人もたくさんいたのです。北部に移動した黒人たちによるスラムが形成された都市も存在しました。

南北戦争においては、敗者の半数近くを占める黒人が勝者と利益を共にするという捻じれ現象が存在していました。しかし、勝者北軍の戦った動機の中心は別の所にあったために、敗者の中の勝者と言ってもよい黒人奴隷たちは、自由は得たものの、多くは困窮し、しかも、人種差別は一向になくならないまま宙ぶらりんな状態に置かれました。結局は、元の鞘に収まって相変わらずのプランテーションでの生活を再度送る黒人も多かったのです。

人種差別は、確かに、その後100年をかけて制度的にはなくなったかもしれませんが、今もまだ残存しています。アメリカの歴史上最大の死者を出した南北戦争ですが、奴隷制の終焉には目途をつけたものの、それが必ずしも目的ではなかったために、人種差別には終止符を打つことはできなかったと言えます。

もう一人のゼミ生はベトナム戦争を取り上げました。確かに、この戦争においては、アメリカは敗者だったと言えます。これにつきましては、次回ご報告致します。

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2019年10月15日火曜日

第119回【戦争に負けるとはどういうことか③】

2次大戦敗戦後の日本をテーマとして取り上げたゼミ生が3人いました。

男子ゼミ生2人は、GHQによる情報の統制を通じての日本社会の洗脳を論じました。ひとりは占領下の映画の検閲をテーマにこれを論じ、もうひとりは現代の中国報道にその名残のあることを論じました。

GHQの言論統制と検閲については今は広く議論がなされていますが、その嚆矢となったのは江藤淳氏の『閉ざされた言語空間』であったと思います。江藤氏がこの本を書いた当時、私は江藤氏が教授をしていた東工大の研究室(永井陽之助研究室)におりましたので、はっきりとその時の雰囲気を記憶しています。拒絶まではいかないにしても多くの人が違和感を持って受け止めていました。ところが、現在では江藤氏の研究を知らない人でもこれについて棹差すような議論をするようになっています。

大学生の卒論は、一般論を論じるだけでは自分の論文とはなりませんので、その「一般論のようなもの」を凝縮して感じさせるような個別の小さな、あるいは、狭いテーマを見つけるように私は指導しておりました。映画と中国報道に2人がそれぞれ議論をフォーカスしたのは、そんな事情からだったわけです。

もうひとりのゼミ生(女性)は、中国残留孤児をテーマとしました。
敗戦の間際に日本の軍隊に見捨てられ、逃げまどい、その中で多くの女性や子供たちが中国に留まる選択をしました。連れて逃げることのできない乳飲み子を後に養父母となる中国人に託して命からがら日本に逃げ帰った人も多くいたのです。そうして残されてきた子供たちが「中国残留孤児」です。

戦争が終わった後もこれらの孤児たちは、日中関係のはざまで放置され、80年代に入るまで自分が日本人であることを知らないまま中国で暮らしていた人もいたのです。これらの人たちの多くが数十年ぶりに日本に帰国を果たしましたが、簡単にブランクを埋められるわけもなく、日本語の壁やアイデンティティの危機に容易に直面したのでした。これらのすべては戦争、特に敗戦が生み出した負の影響だったのです。

以上のような事実は厚生省から出されている資料を読むだけでも分かることですが、私がこのゼミ生に課した課題は、必ず実際の残留孤児の人に会って話を聞いてくることでした。ゼミ生はNGOなどにコンタクトを取り、数人の残留孤児の方々と実際に数度に渡って会いインタビューをしました。そのうちの2人をこの論文で取り上げました。

大学生の卒論においては、こうした頭でっかちでない勉強が非常に重要で、このゼミ生の論文は、前半の歴史の部分と後半のインタビューを基にした「個人史」のコントラストが非常に効果的で、印象深いものとなりました。歴史を十分に勉強してからインタビューをしたことも重要なプロセスでした。知識のないインタビュアーにいいインタビューは望めません。

戦争、特に敗戦が国家や社会というレベルにとどまらず、末端の個々人の人生に大きな、取り返しのつかない傷跡を残すことがよく分かる非常にいい論文となりました。彼女はゼミの最後の報告の時にインタビューに応えてくれた残留孤児の方々のことを報告しながら、それらの人々の人生に思いを馳せて涙ぐんでいました。卒論の醍醐味だなあとつい私もうるうるとしたのを覚えています。

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2019年10月6日日曜日

第118回【戦争に負けるとはどういうことか②】

2015年度は「戦争に負けるとはどういうことか」をテーマとして1年間勉強しました。

皆さんが2015年度の柴田ゼミのゼミ生だったら、「戦後のどこか」に「どこ」を取り上げますか。私は、第1次大戦後のドイツ、第2次大戦後の日本とドイツ、中国に侵略され支配されたチベット、ナチス占領下のフランスなどを想定していました。

ところが、ゼミが始まってゼミ生が自分のテーマを検討し始めると、私が想定していないどころか、私の知らない戦争までがテーマとして取り上げられるということになりました。これが大学のゼミの面白いところです。大学生の興味関心は多様で、ひとりの教員ではカバーしきれないほどの幅と深さを持っているのが普通です。だからこそ学生の自主性が重要になるのです。

さて、以下、柴田ゼミのゼミ生が2015年度に取り上げたテーマを列挙してご紹介致します。次回以降、それぞれのテーマにつきまして具体的にご紹介していこうと思います。

 1 ナチス占領下のギリシア
 2 リトアニアにおけるソ連のジェノサイド
 3 ベトナム戦争後のアメリカ
 4 中国残留孤児
 5 第2次大戦後の日本 2
 6 第1次大戦後のドイツ 2
 7 アメリカ南北戦争
 8 中東戦争とエジプト
 9 イギリス植民地としてのアイルランド
 10 アヘン戦争後の中国

 11 三国同盟戦争後のパラグアイ

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