2015年2月15日日曜日

【第8回】「今」はどんな時代か?③

冷戦の終焉が1989年であったと考えると、昨年2014年は、冷戦が終了して25年、四半世紀が経った年だったことになります。
こんな風に奥歯にものが挟まったような言い方をするのは、冷戦の定義によってはそれがいつ始まりいつ終わったのかについて色々な説があり得るからで、それにつきましては、拙著『ウェストファリアは終わらない』の第3章第1節に論じました。

25年とは、しかし、随分と経ってしまったように思います。今では、学生たちのすべてが冷戦後生まれで、彼らにとってソ連とはオスマントルコのように歴史的な国なのです。

フランシス・フクヤマが「歴史の終り?」という論文をアメリカの雑誌National Interestに発表したのが1989年のことでした(3年後1992年にはこれを大きな本にして出版しました)。
前回紹介しましたトフラーの議論は、人類の歴史という超長期の視点による議論だったわけですが、フクヤマの議論は、冷戦の終わりをきっかけにした近代の終りの一側面をテーマとしたものです。トフラーの議論が千年単位の議論であったとすれば、フクヤマの議論は百年単位ということになります。

冷戦の終焉が何の終りであったのかを知ることは簡単ではありません。単純には、米ソの全面的な対立の終りを意味していたのだと思いますが、それでは、米ソは何をめぐって対立をしていたのでしょうか。
フクヤマはイデオロギーの対立に焦点を絞ります。

イデオロギーとは何でしょうか。
イデオロギーとは、人々を幸せにする社会体制のアイディアであると私は考えます。様々な諸国が自国の社会体制こそもっとも国民を幸せにできると考えて、おせっかいにもそれを他国にも広めようとすることで対立が起き、単なるイデオロギーの争いから軍事的な争いが生まれる場合もあったわけです。その始まりはフランス革命だったかもしれません。

米ソの冷戦とは、全面的な対立ではありましたが、その重要な部分では、確かに、イデオロギー、つまり、どちらの社会体制が国民をより豊かに幸せにできるか、の争いでもあったと言うことができます。

フクヤマの主張は、そのイデオロギー上の争いがついに終わったということであったのです。すなわち、人類は、人間をもっとも幸せにできる社会体制の最良のアイディアについに辿り着いた、これについては最終的な答えが出た、と論じたわけです。

本当でしょうか。

フクヤマの議論を私の言葉で言い換えて次回説明します。

※このブログは毎月2回、15日・30日に更新されます。



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