2015年12月30日水曜日

【第29回】正しい戦争⑩

ゼミ2年目のこの年は、テーマが難しかったと考えたからか、あるいは、そのくせ時間が余ったからなのかどうか、今となっては思い出せませんが、まとめの講義を2回行いました。1つ目の講義は前回までにすでにご紹介済みですが、今回と次回で2つ目の講義をご紹介致します。タイトルは「『正義』のfloorとceiling」でした。

「正義」とは非常に捉え所のない代物です。「善」と「悪」とを区別することは非常に困難で、それらを区別する基準を提出することは不可能でないにしても、極めて難しいと言えます。

「善」と「悪」が明確に区別できないとはいかなることかと言えば、ある時に「悪」であることが、別の時に「善」であることもあるということです。社会全体に渡る重要なことになるにつれてこういうことがまま起きます。よかれと思ってしたことが最悪の事態をもたらすことがあり、また、悪意を以てしたことが事態の改善を促すということは珍しいことではありません。だから、「善」と「悪」は、実は、状況に依存しているとも考えることができます。

では、「正義」とは状況判断のことなのでしょうか。善意で始めたことが「悪」となり、悪意で始めたことが「善」たる結果に繋がることもあるとすれば、人間のなす行為はあたかも「メビウスの輪」のようだとも言えます。ならば、「善」「悪」には区別はなく、「正義」は存在しないのでしょうか。結論から言えば、答えは明確に「否」であって、間違いなく「正義」は存在しています。ただ、それを簡単には見いだせないということなのです。

「正義」をめぐって断じて避けなければならない態度が2つあります。
第1は、「正義」を確定してしまおうとすることです。つまり、「万能薬(panacea)」を見出そうとすることです。第2は、どうせ「正義」など存在しないと諦めて開き直ることです。価値相対主義と言いますが、所詮「絶対なもの」などない、すべて「相対的なもの」に過ぎないと考えるのがこの考え方で、行き着く先は「ニヒリズム(冷笑主義)」ということになります。

以上2つの態度に共通することは何でしょうか。
それは、ある時点で「考えること」をやめてしまうということです。第1の態度では、panaceaを見出したと思った時点でそれ以上考えようとしなくなります。あとは設定した図式に事実を載せてしまえばいいとなってしまうからです。第2の態度では、すでに諦めてしまっているわけですから、それ以上考えることは無駄であるということになってしまい、現に考えることをやめてしまいます。

人間がどんな動物であるかには様々な答えがあります。道具を使う動物であるとか、言語を操る動物であるとか、「考える葦」であるとか、そういったものです。
私は、人間とは「面倒くさがる動物」であると思っています。他のすべての動物は、ほとんどあらゆることを本能に従ってやるわけですが、ひとり人間のみは本能が壊れていますから理性に従って行動をします。それ故、動物は面倒くさがることをしませんが、人間はあらゆることを面倒くさがるわけです。とりわけ人間は考え続けるということが苦手ですから、考えることを適当に切り上げて、あるいは、問題を解決したことにして、それ以降できるだけそれについて考えずに済まそうとします。はっきりと言いますが、だから人生の極意は「面倒くさがらない」ことです。何であれ、面倒くさがってはいけません。

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2015年12月15日火曜日

【第28回】正しい戦争⑨

国際連盟の創立と不戦条約の締結に始まり、国連の発足に至る、戦争の違法化の歴史は、まさに戦争という絶対悪を根絶しようとする試みであると言えます。戦争の禁止は確かに誰にも反対のできない正義であると思います。しかし、武力を用いて世界に立ち向かう人間が現に存在する世界において、戦争を禁止することで平和がもたらされると単純に考えることができるでしょうか。

そもそも、第1次大戦の頃から戦争は国民全体を巻き込む「総力戦」の時代となり、前線と銃後の区別は曖昧となりました。それは時代が下るにつれてますますそうなっています。

2次大戦後には、独立戦争を始めとしてゲリラ戦が一般化しました。本来力のない者が大きな力を持つ者に対抗する手段としてゲリラ戦が採用されたわけですが、一般大衆と兵士との区別がつかないのがゲリラ戦の特色です。ゲリラは一般大衆の「海」を泳ぐ存在なのです。テロはそれがさらに進化した形であると考えられます。テロは敵の社会の一般大衆の中に混じって敵の社会の中で暴力を用います。味方の国民と敵のテロリストの区別がつかない時代が現代なのです。

性の分野で素人と玄人の区別がなくなったように、戦争においても、素人と玄人の区別は消滅してしまいました。兵士と民間人の区別は今や無きに等しいと言えます。それどころか、敵たるテロリストは味方の社会の大衆の「海」を泳いでいる可能性が高いのです。誰が味方で誰が敵かを見分けることが非常に難しい時代を私たちは生きているのです。

また、これは紛争の犠牲者についても言えることです。古典的な戦争においては、戦争の犠牲者は、敵でも味方でも概ね兵士だったわけですが、今では、民間人が戦争の犠牲者になることは珍しいことではありません。東京大空襲やヒロシマ・ナガサキを例に出すまでもないと思います。それどころか、現代では、戦争をしているわけでもないのに、いきなりテロの被害者となることだってあるのです。

つまり、戦争を禁止した時代において、昔だったら戦争でしかあり得なかったことが、日常生活で起きるようになっているのです。19世紀までの戦争では可能だった、戦争を限られた場所に封じ込め、限られた人間のみがそれに係わるというあり方は、現代においてまったく不可能になってしまいました。私たちは19世紀以前よりも文明的な生き方をしていると言えるでしょうか。

「性」と「戦争」の例で見てきたように、「悪」を根絶しようとする試みは、意図こそ完璧に正しいものの、意図とは正反対の結果を生み出しているように見えます。私たちは、善と悪についてもっとよく考えてみる必要があるのではないでしょうか。

「悪」には、「風の谷のナウシカ」における「王蟲」のように、ナウシカのみが気付き、私たちの多くが気付かないでいる重要な役割が実はあるのではないでしょうか。なかなか困難なことですが、「悪」を根絶することで失われるものは何であるかに想像力を働かせる必要があります。
「王蟲」の存在がそうであるように、「悪」が、隠れた「善」を守る働きを果たしているということはないでしょうか。なぜなら、「善」とは、「悪」によってしか守られないほどにはかないものだからです。

「悪」を根絶しようとすることは、その「悪」が、たとえば「天然痘」のように、完全に人間の外部にあるものである場合には成功することもあるわけですが、その「悪」が人間の内側から滲み出るようなものであるとすれば、そのことが却って「悪」を蔓延らせるきっかけになる場合があります。
「『戦争』と『売春』」あるいは「『暴力』と『性』」はまさに人間の本質に食い込んだ部分に存在するものなので、それらを根絶しようとする試みは、絶対に成功しないどころか、思ってみない結果をもたらすことになって、しかも、取り返しがつかないのです。

私たちは、「悪」との付き合い方に習熟する必要があります。「悪」を一定の領域に囲い込み飼いならすことこそ、私たちが身に付けなければならない術(わざ、art)なのです。

以上、数回に渡って書いてきた内容を1回の講義で話しました。1時間半の講義で話すことのできる内容は、文字で書いてみると意外なほどの分量になるものです。ゼミでは、学生の報告が中心で、講義はほとんどしませんが、大学のひとつの講義は通常年間25回ですので、このように考えると、かなりの厚みの話がなされていると実感できます。

この年度は、例外的に、2度まとめの講義をしました。次回からは、もうひとつのまとめの講義をご紹介致します。

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2015年11月30日月曜日

【第27回】正しい戦争⑧

さて、話をいよいよ戦争の方に持って行きましょう。
戦争を絶対的な悪として根絶しようという試みの最初は1928年の不戦条約だったのではないでしょうか。この不戦条約の文言がほぼそのまま日本国憲法第9条に反映しています。

不戦条約が結ばれる背景には第1次世界大戦の経験がありました。第1次世界大戦は、ヨーロッパがそれまで経験してきた戦争とまったくスケールが異なりました。想定外の若者が死に、あるいは、瀕死の状態になって帰ってきました。また、第1次大戦は国家を挙げての「総力戦」となりました。国民生活の隅々まで戦争が食い込んだ戦争は、歴史上初めてのものでした。戦争が終わってヨーロッパの人々が当時の戦争を深く反省し、同じことを二度と繰り返してはいけないと考えたのは尤もなことだと思います。国際連盟もその延長線上に出来上がったものです。

しかし、今ではすべての人が知っているように、このような試みはほとんど何の効果も持ちませんでした。ほんの20年後には、第1次大戦よりもはるかに広く大きな範囲で第2次世界大戦が起きることになったからです。第2次大戦は、ヨーロッパのみならず世界全体を巻き込み、第1次大戦と比較しても、さらに大きな被害を世界にもたらしました。もちろん、イギリスの戦死者は第1次大戦の方が多く、必ずしも第2次大戦があらゆる点でそれ以前の戦争の被害を凌駕していたわけではありません。ただ、全体として見れば、その被害は過去最大であったわけです。

1次大戦後と同様に第2次大戦後にも、戦争を抑止あるいは禁止しようとの試みがなされました。国際連合の結成がその典型です。私たちは、今も、不戦条約の延長線上を生きています。つまり、第2次大戦後、戦争は、より一層広い同意を得て、禁止されるようになりました。信じられない話ですが、私たちは現在、戦争が禁止されている世界で生きているのです。国連憲章には「戦争」の言葉は使われていません。なぜなら、それは禁止されて存在しないものとされているからです。戦争とは、この場合、国際紛争を解決する手段としての行為のことで、現代においては、何らかの紛争があれば、国家は外交、つまり、話し合いでその紛争を解決しなければなりません。19世紀までのように、紛争の決着を戦争で決めるというやり方は禁止されるようになったのです。それは、戦争があまりにも大規模で悲惨なものになり、制御不能のものとなったからです。

「武力の行使」は、それ故、次の2つしかないということになりました。ひとつは、不正な武力の行使たる侵略、そしてもうひとつが、侵略に対抗するための正当な武力の行使たる自衛です。武力の行使で正当なものは自衛のみということになりました。しかも、それはまだ実現していませんが、自衛としての武力行使も国連による武力介入までのつなぎであって、侵略への対処は、本来、国連が行うというのが当初の計画であったわけです。

つまり、国家は、侵略への反撃たる自衛を行うと同時に国連に訴えを起こし、それが安全保障理事会において侵略であると認められた場合は、国連が国連軍を組織し、侵略を受けた国家の自衛に代わって侵略を排除することになったのです。
冷戦の存在によって、こうした安全保障の在り方(これを集団安全保障と言います)は実現されなかったとされていますが、果たして、冷戦がなければ実現していたかどうか。私は所詮無理であったと思います。なぜなら、冷戦が終わった現在に至っても、国連による集団安全保障は実現しそうにないわけですから。

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2015年11月16日月曜日

【第26回】正しい戦争⑦

なかなか戦争と正義の問題にたどり着きませんが、今しばらくご辛抱願います。前回に引き続き、暴力同様、人間における取扱注意の危険物、性についてのお話です。

ところで、売春とは本当に絶対悪だったのでしょうか。売春に何か効用はなかったのでしょうか。もちろん、売春反対運動をしている女性にこういう議論が通用しないことは承知しています。しかし、今でも売春がなくなっていないという事実を別としても、赤線のような「売春特区」をなくすことで発生したマイナスはなかったのでしょうか。遊郭における文化が失われたなどということを、私は言おうとしているのではありません。

善と悪との話をしたいのです。

赤線がなくなった最大の影響は、素人と玄人の区別が消滅したことだと私は思います。昔は素人の女性はけっして玄人の真似をしませんでした。男も自分の妻や彼女に玄人がするようなことを絶対にさせませんでした。そういうことは遊郭に行ってすることで、自分の妻や彼女にそうしたことは望まなかったどころか、そうしたことをすること、させることをむしろ嫌いました。

昔言われた良家の子女は消滅しました。ほとんどの女性がどこか昔の娼婦のようになりました。大正時代の婦人雑誌の人生相談のコーナーなどを見ると、性の悩みが露わになされていることがあって非常に面白いのですが、現代の私たちから見ると、どこか微笑ましい感じがします。「昨夜夫の上にのってしまったのだけれど、自分は変態ではないか」というような相談が大真面目に、真剣にされているのです。

売春を限られた場所に封じ込めて、限られた人のみがそれに係り、そこで行われる様々から素人を守るという文明的な生き方は、売春防止法以降は不可能になりました。
しかし、仮に売春が絶対悪だったとしても、それが人間の本質の一部である限り、それを根絶することはできません。こうした「悪」を飼いならすことが文明であるとすれば、私たちが生きる現代は文明的でしょうか。
赤線の「赤」をなくしたために、普通の生活空間たる「白」は白ではいられなくなったと私は思います。すなわち、赤が社会全体に薄く広く広がっていったのです。だから、私たちが生きる今の世界は社会全体が「ピンク」なのです。
娼婦(悪)が良家の子女(善)を守っていたとは考えられないでしょうか。

次回、ようやく戦争と正義の話になります。



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2015年10月30日金曜日

【第25回】正しい戦争⑥

柴田ゼミ2年目は「正しい戦争」というテーマで1年間学生たちとの勉強をしてきたわけですが、1年間のまとめの講義を、私は、暴力と性、戦争と売春というテーマで行いました。学生たちには、大変に刺激的な講義だったようです。以下、前回の話を続けます。

こうした人間、つまり、不完全な部分を残さざるを得ない存在としての人間が、自己の暴力や性をコントロールしなければならないわけで、それは、実は、容易なことではありません。まずは、社会における「性」の問題から考えてみましょう。

日本では「性」の問題を、古い時代から、「必要悪」として、ある地域に封じ込めて管理しようという傾向が強くありました。「性」が仮に「悪」の側面を持つにしても、それは絶対悪ではないので、その存在を認めようという立場です。ただ、放っておくことのできない「取扱い注意」の代物なので、その範囲をできるだけ限定しようというわけです。私はこの考え方を非常に賢いものであると考えます。この際の「悪」の第1の意味は性病でした。不特定多数の異性と交わることで、取り返しのつかない病気に罹る可能性があるので、その可能性を局限しようとしたわけですが、もちろん、性病以外の多様な関心がそこにあったことも事実です。それは後で示唆します。

日本では、17世紀の初頭に「遊郭」が誕生しました。江戸時代の初期ということになります。吉原は1613年には、新宿は1698年には、賑わいをみせていたと言われています。いわゆる「粋」(九鬼周造『粋の構造』)の文化がここで花開きました。こうした花街の文化は江戸時代から20世紀の半ばまでほとんど変化がなかったと言えます。大きな変化があったとすれば関東大震災でしょうか。それでも、戦後の変化に比べればそれはまだ変化とは言えないものだったかもしれません。

ちなみに、言っておかないと分からない女性がいるので敢えて言っておきますが、男なら誰でもこうした遊郭に通うのが好きだと思ったら大間違いです。昔も今も、こういうところにいる女性のお世話になっても構わないと思っている男性は、たぶん、私の判断では半分くらいだと思います。残りの半分の男性はこういう場所もこういう所の女性も不潔で近寄る気がしないはずです。

日本の遊郭が特異であるのは、極めて優れた文化を生み出した点だと思います。これについては詳しくは論じませんが。
さて、第2次大戦後になると、遊郭に代わって「赤線」が登場しました。赤線と呼ばれるのは、警察署や交番にある地図でこうした地域が赤の線で囲われていたからだと言われています。戦争が終わってアメリカ軍の占領が開始されると、占領軍が最初に日本政府に命じた命令のひとつは、占領軍向けの女性を組織せよ、というものでした。すなわち、慰安婦です。韓国との間で問題になっていますが、男性が数万単位で居つくとすれば、女性問題は避けられない問題で、慰安婦という存在はそのひとつの有力な解決策でした。日本の主に地方政府(要するに、市町村)はアメリカ軍向けの慰安婦を募集して、それを限られた地域に住まわせ、アメリカ軍人向けの遊興施設を作ったのでした。これが赤線地帯です。東京だけでも約70か所に赤線がありました。私は、昔、八王子に住んでいたことがありましたが、駅から家まで歩く途中に非常に不思議な空間があって、ちょっと調べてみると、そこは昔の赤線地帯だったのでした。いきなり旅館があったりするんです。

新吉原、新宿、品川、千住、玉の井、亀戸、鳩の街(向島)、立川の錦町と羽衣町、八王子、調布などです。ちなみに、赤線とは、警察の監視の下での集娼地区のことで、特殊飲食店の指定がされていました。今のソープランドが特殊浴場として認可されているのと同様です。赤線の他にも、特殊飲食店の指定のない「青線」、完全にもぐりの「白線(パイセン)」というのもありました。白線は旅館などにしけこんで密かに売春を行うものでした。昔も今も売春はいけないものとされていたわけですが、赤線、青線の領域の中だけではそれが許されていたわけです。今の言い方で言えば「売春特区」でしょうか。

考えてみれば、繰り返しますが、売春はいけないものです。地域を限ればいいというものではありません。売春がいけないということは、だから、絶対的な正義の主張となります。占領が終わると、売春を禁止しようという機運が高まりました。当然のことかもしれません。そして、昭和32年(1957年)に「売春防止法」が施行され、売春は全面的に禁止されるようになりました。これにケチをつけるのはなかなか難しかったと思います。売春はあってもいいんじゃないの、とか、売春にも存在意義がある、とか、売春婦を差別するなと言った議論はなかなか難しかったのではないかと思うわけです。売春防止法施行においては、たぶん、売春という行為は絶対悪として取り扱われ、「悪」を根絶する試みと受け止められたはずで、それは今でもそのように考えられています。今でも売春肯定の議論は、確かに、しにくいものです。


この話、もう少し続きます。戦争と善と悪の話になるまでご辛抱下さい。

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2015年10月15日木曜日

【第24回】正しい戦争⑤

2007年度のテーマは「正しい戦争」でした。大変に難しいテーマだったと思います。私は年度末のゼミの最後でゼミ生に対して2つの講義をしました。ひとつ目は「ナウシカの政治学―――悪の根絶を躊躇う政治学」というタイトルです。たぶん、これまででもっとも私らしい話になったと思うのですが、これを再現するのは大変難しい。以下、ゼミでの講義をできるだけ再現してみます。

講義の始めに、ヘーゲルの言葉を掲げました。「たとえ世界が滅ぶとも正義をなすべし」です。日本では表の顔としてこうしたことを平気で言う人がたくさんいます。もちろん、日本人は表と裏とを使い分けますから、口でこんなこと言っていても心の中ではこうしたことをまったく欠片も信じていないという例は珍しくありません。私は、悪の効用を論じる男ですから、こういう使い分けは原則としてしません。ただ、心のどこかに「たとえ世界が滅ぶとも正義をなすべし」という気持ちが存在していて、たま~にですが、それが顔を出すことがあります。

柴田ゼミは戦争を主たるテーマとしています。あるいは、暴力でしょうか。藪から棒ですが、戦争は売春に似ています。同様に、暴力は性と近親の関係にあります。

暴力と性は人間におけるいわば「取扱い注意」の対象で、しかも、それらは人間から切り離すことは不可能な人間の本質の一部です。そもそも、人間の脳において、暴力を司る部分と性を司る部分は隣り合っているそうで、人間の脳は生まれてから徐々に発達して完成に至るので、人によってはこれらが混線して異常を来たすことがあるようです。

たとえば、「サカキバラ事件」の犯人は、鳩や猫を殺してバラバラにするということを人を殺す前にしていたと言われますが、こうした場合、こういう性向の人間は、こういうことをしながら性的に興奮しているということです。つまり、勃起し射精するそうです。人を殺す際にもそうしたことがあったはずで、性的な興奮は鳩や猫を殺すよりも遥かに大きかったはずです。こういう人間がいる、こういう人間が形成されるということを私たちは肝に銘じて知らねばなりません。それは、人間がいかに不完全な形で生まれ、その後、完成された人間になるに際して相当の時間が掛り、しかも、その形成に失敗することがままあるということを知らねばならないということです。

戦争や暴力のことを考えようと思えば、人間とは何かを考えることが、当然のことながら、非常に重要になります。人間は非常に不完全な形で生まれます。三つ子の魂百までと言いますから、3歳くらいには人はすでにその人なのでしょうが、それでもやはり、きちんとした人間になるまでに15年や20年はかかるものです。その間に、親を最筆頭にして様々な周囲の影響を多大に受けながら成長し完成する存在、それが人間なわけです。生まれてすぐ立ち上がり走りだし群れについて行く馬とは相当に違った存在です。しかも、人間の厄介なところは、こうした成長のプロセスを本能によってはたどれないことだと思います。

他のすべての動物が本能によってこの世界に適応するのに対して、ひとり人間のみは本能とは異なったものによって世界を知りそれに適応するのです。つまり、人間の本能は機能していない、壊れていると考えられます。では、本能に代わって人間に世界を教え世界に適応させるものが何かと言えば、それこそが広い意味での「文化」ということになります。私たちは人として生まれるのではなく、生まれてから後、徐々に人になっていくのです。ですから、人間としてきちんと世界に適応し得るようになるまでには、様々な困難があるわけです。それ故、人が成長に失敗することは珍しくないのです。簡単に言えば、変態は案外いるということです。

さて、この後、暴力と性、戦争と売春、という人間にとっての「取扱い注意」の話が続くのですが、この講義は、卒業生が集まると今でも話題になるようなものになりました。長くなりますが、少し辛抱してお付き合い下さい。


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2015年9月30日水曜日

【第23回】正しい戦争④

コニーの問題を論文のテーマにした学生たちは、正義と平和の問題を中心として論文を書きました。仮に正義を全うできないとしても平和を選択せざるを得ない、そんな場合があるように思えるけれど、それが本当に正しいことなのかがそこでは問われました。

残りのゼミ生たちは、それぞれに戦争や紛争を取り上げ、そこにおける戦争と平和と正義の関係を考察しました。

この世には、間違いなく、対決せざるを得ない「悪」が存在します。たとえば、分かり易い例ですが、ナチス・ドイツと戦わない選択肢があったでしょうか。戦争を回避する道は存在したでしょうか。それが存在したとしてそれが正義に適っている可能性はどの程度あったでしょうか。答えは否定的たらざるを得ません。

ナチスほどの絶対悪に近い存在はそうあるものではありませんし、そのナチスにだって自ら掲げる「正義」は存在しました。だから、戦争は一方の正義と他方の正義が戦うことになってしまいますし、どちらの正義にも幾分かの正当性が存在します。ゼミ生たちは、2つの正義の間で戦われる戦争をどのようにして評価すればいいのか悩みました。

ゼミ生たちが取り上げたテーマは以下のようなものでした。911以後のアフガニスタンとイラクでのアメリカによる戦争、イラク戦争単独が4人、イラン・イラク戦争、スーダン内戦、ベトナム戦争、ボスニア紛争、太平洋戦争、コソボ紛争、そして、パキスタンにおけるブット首相暗殺です。

どんな戦争を取り上げるにしても、終わった戦争を振り返ってみると、その戦争が一方の側の正義一色ということはあり得ません。戦争は、その戦争が正義の戦いだったか否かにかかわらず、罪のない多くの人々に大きな傷を負わせないわけにはいきません。その意味で、戦争は常に悲惨なものです。

学生たちの取り上げたテーマは様々ですが、彼らが共通して指摘していることは、戦争を戦う両者に、ある意味で、正義が存在しており、両者が戦争を通じて目指しているものは、自己の正義をベースにした「平和」であって、戦争と平和と正義の三者の関係を「平和的に」処理することは難しいということでした。

戦争には必ず「悪」が伴います。民間人が巻き込まれることは珍しくありませんし、捕虜が適切に処遇されるとは限りません。要するに、終わった戦争には、正義に反するものがまとわりつかざるを得ないのです。だから、戦後、戦前には厳然として存在するように見えた正義は、間違いなく、曇ってしまうのです。仮に正義の実現に向けて戦ったのだとしても、真面目であればあるほど、後悔の念が生まれます。戦争という悪を通過せずに正義を実現する道はないものか考えるようになるわけですが、その正義は一つではあり得ず、しかも、それらは相容れないのです。

ゼミ生の一部は、色々と考えた挙句、やはり戦争はどんな場合でもいけないという結論に達します。戦争に伴う悲惨が許せないわけです。また、別のゼミ生たちは、正義の観点からして戦わざるを得なかったという結論に達します。戦わなければ、悪がそこを支配する可能性が高いためです。もちろん、戦争がすべてを解決するわけはなく、新たな問題がそこから生まれることを承知の上でのことです。


ゼミ生たちに、以上のような課題を与えて論文を提出させたわけですが、戦争と平和と正義の問題について、私に明確な答えがあるわけではありません。学生たちと同じように、この濃いグレーの三角形の中でうろうろとしているというのが実際のところです。
私は、1年間のゼミの最後に、ゼミ生たちに2つの話をしました。その話を次回からご紹介致します。

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2015年9月15日火曜日

【第22回】正しい戦争③

今まで地球上に多くの残酷な人物が現れましたが、ジョセフ・コニーは、間違いなく、そうした人物のうちでも最悪の一人です。

90年代初頭にウガンダ北部で「神の抵抗軍」という反政府組織を作り、激しく内戦を戦いました。アフリカなどの発展途上国における内戦は、特段珍しいものではないのですが、コニーの戦った内戦は、コニー故に非常に残酷なものとなりました。ディカプリオ主演の映画「ブラッド・ダイヤモンド」は、コニーをモデルにしたものではありませんが、少年兵の調達と洗脳など、まさにコニーが行ったことが描かれています。

ウガンダの政府は、2003年に、発足間もないICC(国際刑事裁判所)に「人道に対する犯罪」でコニーを訴えました。ICCICPO(国際刑事警察機構)と協力して捜査をする最初の事案が、このコニーと「神の抵抗軍」の事案だったのです。

ただ、ウガンダ政府のコニーらの告発は単純なものではありませんでした。2003年のこの時期には、内戦は小康状態を迎え、政府と反政府軍の間には停戦交渉が進んでいたのです。政府は停戦交渉を有利に進めるひとつのカードとしてICCへの告発を行いました。政治とは、実に、厄介なものです。

コニーは、政府のICCへの告発に強く反発しました。停戦の合意は遠ざかり、激しい内戦が再発することも予想されました。コニーは、ICCへの告発を撤回することを停戦交渉の条件とするようになります。これに対して、政府は、告発の撤回をコニー側の譲歩に結び付けようと圧力を掛けます。

ICCが本来しようとすることは、国際的な場での犯罪行為を国際法によって裁くことで、正義を実現することです。しかし、自らが取り組む最初の事案であるウガンダにおいて、政府、反政府の両方の政治的駆け引きの材料とされてしまいました。

さらに問題を複雑にし、また、一連の事件の流れの中で、最も意外だったことは、被害者側である一般のウガンダ国民(特に、アチョリ人)がICCの関与をむしろ迷惑として捉えたことでした。

コニーの行った非人道的な行為の被害者たちは、コニーが公正な国際法廷において裁かれることを望んでいる、とICCを始めとする多くの人たちは考えました。私もそのように思っていました。しかし、10年以上に渡って、あまりにも悲惨な内戦を戦っていたウガンダ国民の望んでいたことは別のことでした。彼らが望んでいたのは「平和」だったのです。

では、この「平和」とは何でしょうか。コニーのような、歴史的にも特別に残虐な行為を多く行った人物が、政府と対等に和平を話し合い、罪らしい罪にも問われることなく、しかし、戦闘や残虐行為だけはなくなるような、そんなささやかな「平和」でしょうか。まさかそんなはずはない、というのが、私たち平和な社会に生きる人間の受け止め方なのですが、ウガンダの人々がまず手にしたいと考えたのは、こうしたささやかな、正義を欠いたままの平和だったのです。
彼らは、ICCが正義を実現しようとして、結局は逆に、再びあの残酷な内戦に戻ることを真に恐れたのでした。

正義の実現されない平和とは、はたして、「平和」でしょうか。戦いが止めば、悪人が大手を振って歩いていても構わないのでしょうか。ウガンダの人々は、まさに、それを望んだのですが、本当にそんなことでいいのでしょうか。正義と平和とをどのような関係で理解すればよいのでしょうか。

前回のブログでも書きましたように、約半数のゼミ生がこのテーマで論文を提出しました。コニーの行った残虐行為への驚きと怒り、正義と平和を両立させることの困難、正義よりもささやかな平和を望んだウガンダの人々。こうしたことの前でほとんどのゼミ生が立ち竦みました。

学生の多くは、ICCの正義を貫くよりは、ウガンダの人々のようやく手に入れたささやかな「平和」を優先することを選んだように見えます。しかし、「平和」とは、単に「戦争がないこと」ではないということを勉強してもいますので、こうした消極的な平和でいいのかとも悩み続けます。
いかにICCの掲げる正義がコニーの正義よりも正しいものだとしても、正義を貫くことが戦争の継続になってしまうとすれば、ウガンダの人々にとってあまりにも悲惨です。
学生たちは、正義を掲げた戦争と正義を欠く平和との間を行ったり来たりしながら、曖昧な結論として「平和」を優先したように思います。

私は思うのですが、こうして初めて人は私たちの生きる世界を考えるようになるのです。

次回は、他のテーマを取り上げた学生の論文をご紹介します。

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2015年8月30日日曜日

【第21回】正しい戦争②

2年目のゼミで、私が学生たちに考えてほしかったことは、正義と平和と戦争の関係についてでした。
特に、難しいのは、実は、正義と平和の関係です。私は、学年末に、以下のような課題を学生たちに出しました。

「正義」と「戦争」と「平和」の関係について熟考し、それについて論じなさい。論じ方については、以下の2つから選択すること。

1      この主題にかかわると考える事例を探し出し、それを材料にして論じなさい。
(1)   事例の説明は2000字程度。
(2)   それを基にした自分の論考は2000字程度。

2 「ジョセフ・コニー」について調べて、それを基にして、この主題について論じなさい。
  (1)「ジョセフ・コニー」についての説明は2000字程度。
①「ジョセフ・コニー」が何をしたかに簡単に触れること。
②特に、最近(2006年以来)のICCとのやり取りに注目すること。
ICC自体の内容に深入りしないように注意すること。
  
  (2)それを基にした自分の論考は2000字程度。

ゼミ生21人のうち、「コニー」を論じた学生が9人いました。ゼミにおいては「コニー」の話は一度もしたことがなかったですから、「コニーって誰だ?」というのが学生たちの反応でしたが、半分近くのゼミ生が「コニー」を選んでレポートを書きました。私が練りに練って引っ張り出した課題がこれで、多くの学生がその意図を理解してくれました。「コニー」については次回詳しくお話をします。

「コニー」以外の主題を選んだ学生が提出した主題は以下のようなものでした。

アメリカによるイラク戦争(911後のフセインを対象とした戦争)を取り上げた学生が4人いました。また、「911以後」というタイトルで、アメリカのアフガニスタンとイラクへの戦争を論じた学生もいました。

80年代のイラン・イラク戦争、60年代のベトナム戦争、日本とアメリカの太平洋戦争、冷戦後のヨーロッパにおけるボスニア紛争、同じく、コソボ紛争(これらが戦争でなく紛争と呼ばれるのは内戦だったからです)、そして、「コニー」とも幾分関係があるのですが、スーダンにおける紛争をテーマとした学生もいました。最後に、少し変わったものとして、パキスタンにおける「ブット暗殺」をテーマとした学生がいました。

「コニー」を選んだ学生は、どちらかと言うと、正義と平和を中心に考え、それ以外の学生は、正義と戦争について考えたと分類できるかもしれません。

「コニー」のような具体的なテーマを私が学生に対して与えたのは、この年だけのことなのですが、それは、そうしなければ、正義と平和を中心に据えてテーマを設定する学生がほとんどいないのではないかと考えたからです。案の定、その他の学生は、正義と戦争をテーマの中心にしてレポートを書きました。ただ、毎年思うことですが、学生が選ぶテーマは、実に多様です。それらを見るだけでも世界には様々なことが起こっているのだと実感させられます。


次回は、「コニー」について論じます。

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2015年8月15日土曜日

【第20回】正しい戦争①

ゼミ2年目のテーマは「正しい戦争」。
今の若い人たちは、小学校から高校まで、徹底して「戦争はいけない」と教えられるせいか、戦争を絶対的に悪いことと思っているらしく、このテーマは彼らにショックを与えたようです。
これには彼らを引き付ける未知の何かがあって、それ故柴田ゼミに応募したと2期生の卒業生の多くが言います。確かに、この年は、応募者が多く、定員の5倍の希望者が来て、仕方ないので定員の2倍のゼミ生を取りました。この10年で最多のゼミ生がゼミに所属することになりました。

私がこの年に考えたかったことは、戦争と平和と正義の関係でした。戦争のすべてが邪悪であり、平和のすべてが正義に適っているとすれば、何もこのテーマについて考える必要はありません。しかし、この世には、間違いなく、正義を蔑ろにした平和が存在し、正義のために已む無く戦わざるを得ない戦争が存在しています。こうしたことについて考えてみたかったのです。

学生には、まず第1に、戦争というものがいかに悲惨であるかということを知ってもらうために映像を見せました。映画「プライベート・ライアン」の冒頭30分とNHKのドキュメンタリー「映像の世紀」第2集です。

「プライベート・ライアン」はスピルバーグの作品で3時間を超える大作ですが、最初の30分は、19446月のノルマンディー上陸作戦の、まさに、戦闘場面です。私は色々な戦争映画を観てきましたが、これほどリアルな、それ故悲惨な戦闘の描写はないと思います。心底戦争はいけない、と思わせる30分です。

「映像の世紀」は全編見事な20世紀を見渡すドキュメンタリーですが、第2集は、非常に貴重な第1次大戦の映像をたくさん見せてくれます。
ようやく映画が出てきた時代に、実際の戦争をフィルムに撮ったわけですが、どれも非常に貴重なものです。特に、最後に出てくる戦争帰りの傷ついた若者たちの映像が胸を抉ります。義手も義足も義眼も、あるいは、傷を隠す仮面も、これらの若者たちのために、この時期、発達したのです。死者はもちろん、生きて帰っても戦争は大きな傷を多くの人に残します。何があっても、戦争はしてはいけないのでないかと思わせる映像です。

戦争は、しかし、どんな場合でも避ければいいかと言えば、必ずしもそうではありません。戦争がいかに悲惨なものかを心底分かった上で、それでも、戦わなければならない場面が、実は、あるのではないか、というのが、この年のゼミのテーマでした。

次に、私は、アウシュビッツのスライドをゼミ生に見せました。私は、ワルシャワに住んでいたことがありますので、アウシュビッツに2度行ったことがあります。その時に撮った写真をスライドにしてゼミ生に見せたのです。

私個人が行って撮った写真ですので、旅行のガイドブックに載っているような綺麗なものではありませんが、逆にそれが不思議な迫力を写真に与えていると思います。

スライドを見せながら、私は、ユダヤ人がいかに悲惨な目にあわされたかを伝えると同時に、ヨーロッパのナチス支配下にあった国の人たちが、事実上、ユダヤ人の虐殺を見て見ぬ振りをしていたことを伝えました。もちろん、それを批判することは簡単なことですが、もし批判するとすれば、私たちは、戦う覚悟を持たなければなりません。

私が学生に提出した問題は、こんな悲惨が目の前にあっても、私たちは戦わないのかということでした。私たちが、仮に、当事者であったとしても戦わないのか。ただ黙って死ぬのか。殺されるままにするのか。親や子や妻や友人や恋人を見殺しにするのか。いかに戦争が悲惨だとしても、こんな時にも戦わないのか、ということです。

戦争は悲惨だから徹底的に避けるべきだというのは簡単で、平和な中でそれを言うのはますます容易なわけですが、それがある線を超えると正義に反するのではないか、戦うことこそ正しいという場面があるのではなかということを考えるのが、この年のゼミのテーマだとゼミ生に伝えたのでした。

毎年、学年末には、ゼミ生に論文を提出させるのですが、この年はテーマが難しかったせいか、学生に与える課題を考えるのに私自身が相当に苦労をしました。そのあたりを含めて、学生の論文を中心に次回お伝えします。

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2015年7月29日水曜日

【第19回】主権の再検討⑤

これまで、主権の行使を委託された政府の役割について考えてきましたが、そもそも主権が確立しているとはどういうことでしょうか。
現代においては、主権の担い手は国民であることに疑問の余地はありません。ただ、国民が主権を保持していることに疑問のある国家が多数存在していることも事実です。
これはどういうことでしょうか。それは、潜在的には主権は国民に存するものの、それを実際に機能させる仕組みが存在しないということなのです。その仕組みが民主政(デモクラシー)です。

主権確立の条件とは、以下の2つになると思われます。

1に、国民に正当に選ばれた「政府」が存在しなくてはなりません。国民が保持する主権が正当な方法で選ばれた政府に委託されないとすれば、主権は正しく行使されているとは言えません。重要なことは、政府が民主的に選ばれるということで、現代の主権国家においては、国民主権と同様に民主政が欠かせない主権確立の条件になっていると考えられます。

2に、主権を国民から委託された政府は政府としての「最低限の役割」を果たさなければなりません。主権を託した政府が最低限の役割を果たさないとすれば、国民は選挙によって主権の委託先である政府を変更しなければなりません。
主権が確立しているということは、国民によって正当に選ばれた政府が治安を維持し独立を保持しているということです。
ただ、先にも論じたように、この「最低限」のハードルは現代においては高くなりつつあります。少なくても政府は、秩序維持と独立保持に加えて、最低限の人権の保障を国内において実現しなければならなりません。また、国民の福祉の向上を目指さなくてはなりません。つまり、現代においては、単に秩序を維持するだけでは不十分なのです。

以上が主権確立の条件であるとすると、逆に、以上の条件が喪失されているとすれば、主権はまだ確立されていないか、失われていると考えることができます。
まず、主権が正当に政府に委託されていない場合が考えられます。つまり、民主政が実現していない場合が典型です。次に、政府がまともに機能していない場合が考えられます。どちらもそこにおいては主権が確立されているとは言えないのです。

主権が確立されていない場合、そこに生きる住民は不十分な条件の下で生きていかざるを得ません。人道的な危機が存在する場合もあるかもしれません。
それにしても、このような主権の確立されていない状態というものを誰が判断すればいいでしょうか。
なかなか難しい問題です。
また、主権が機能していない場合、政府に成り代わって国際機関などが介入することは許されるでしょうか。こうした場合、内政不干渉原則は棚上げして構わないのでしょうか。そもそも主権が確立していないわけですから、それに対する干渉は内政不干渉には当たらないとも考えられますが、どうでしょうか。干渉する主体は国際組織なら許されるでしょうか。あるいは、他の主権国家でも構わないでしょうか。問題は意図でしょうか、それとも、何らかの資格でしょうか。

主権とはなかなか捉えどころのない概念です。
しかし、どうやら現代における主権を考える場合には、国民主権を出発点として、主権がいかにして正しく確立されるかを考慮することが有効であるように思います。
そのように考えると、現代の国際社会は、非常に不十分な段階にあると言えます。現代とは、主権国家が過剰になって、それが他の何かに変容する過渡期ではなく、主権国家が実は不足していて、主権国家がよりきちんと確立しつつあるという意味での過渡期であるのかもしれません。
そうなると、現代の位置づけは非常に大きく異なってくるように思います。現代とは、主権国家からなる国際システムが主権国家とはまったく異なった主体からなるシステムへの過渡期なのではなく、主権国家からなる国際システムが遠い完成に向かいつつあるという意味での過渡期なのかもしれません。

この報告を1期生にした時には、私は小心者ですので、主権確立の条件からすると、中国はどうなるのか、という質問が出たらどうしようか、と真剣にビクビクしていたのですが、幸い、というか、残念ながら、そういう質問は出ませんでした。
正直に言いますと、そうしたことを考えると、私の提出した主権論はどこか違っている可能性がある、つまり、自信がなかったのですが、今ならはっきりと言えます。
私の主権の概念、つまり、21世紀の主権の概念に照らし合わせれば、中国は主権国家以前の国家であると。早く立派な主権国家になりなさいと言ってやらねばなりません。

ウェストファリアは終わらない』では、この時以上にきちんと概念構築を行って第2章第2節において「21世紀の主権」概念を提出しました。ゼミ生の前で自説を述べたこの時、そのアイディアが生まれたのです。

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2015年7月15日水曜日

【第18回】主権の再検討④

さて、国民から主権を委託され、それを行使する政府の役割とはいかなるものでしょうか。この役割を最低限の役割とそれを超える役割に分けて考えてみましょう。

政府の最低限の役割のうち対内的なものは「秩序」の維持です。警察や裁判所、刑務所に代表される役割がそれです。

政府は主権を行使して国内に秩序をもたらさねばなりません。言い換えると、治安維持が政府の最低限の役割と言えます。
また、政府の最低限の役割のうち対外的なものは「独立」の保持です。外交や軍隊が担う役割と言えます。政府は外国からの侵略を跳ね返し、干渉を斥けなければなりません。国家の防衛こそ政府の最低限の役割です。

以上のように、国家主権(国民から政府に委託された主権のこと)を担う政府が果たさなければならない最低限の役割が治安維持と防衛というわけです。

19世紀のヨーロッパの国家はこの最低限の役割のみを果たすに過ぎなかったとして「夜警国家」と呼ばれ、後に批判を受けました。20世紀の福祉国家を基準とすれば、確かに、この時期の国家の役割は非常に小さかったと言えます。

19世紀も終わりに近づき、ビスマルクのドイツなどでは、後の福祉国家の方向へ政府の役割が拡大する傾向が見られるようになりましたが、それが決定的になるのが1929年に始まる大恐慌以降の時代です。国家は最低限の役割を超えた役割を果たすようになります。

現実には多様な制約があるものの、論理的には、際限なく国家の役割は拡大する傾向があります。20世紀は、国家の役割が、ある意味、無限に拡大した100年だったと言えるかもしれません。
対内的には、「福祉」の向上に政府は努めるようになります。最低限の人権の保障から限りない豊かな生活の実現まで、あらゆる分野に国家が介入をするようになります。福祉国家の実現がその目標となります。社会主義、共産主義はその究極の姿ということが言えると思います。

対外的には、国家が主導して「国益」の増進に努めるようになります。軍事的、経済的、あるいは、国家の名声という点で、国家が対外的に活発に活動をするようになります。

こうした最低限の役割を超えた政府の活動には限界があります。国民をどこまでも豊かにできる政府は存在しませんし、国際社会において、自国の国益のみを次々増進させることのできる政府も存在しません。必ず限界があります。

また、国家が国民生活のあらゆる側面に介入することがいいことだとは言えません。
古来、大きな政府か小さな政府かという議論がありますが、政府の適正な規模の問題には普遍的な答えはありません。国によって異なりますし、同じ国でも時代が違えば正解は違ってくるのが普通です。

国民から政府に委託された国家主権とは、以上のような機能を果たすわけですが、全体に渡って、原則として、内政不干渉原則が適用されます。国家主権とは最高至高の権力なので他からの干渉を受けないのです。
現在の国際政治秩序においては、この内政不干渉原則は、国家間関係における最重要の原則のひとつとされています。ただ、現実の国家には、その力において非常に大きな格差が存在していますから、内政不干渉原則が常に守られているということはありません。むしろ、常時破られている原則だと言ってもいいくらいです。

政府は、以上のように、国民から託された国家主権を、国民に成り代わって行使することで「秩序」を維持し、「独立」を守り、「福祉」の向上に努め、「国益」を追及しているのです。
このような国家を主権国家、あるいは、国民国家と呼びます。
主権国家という言い方は、他からのあらゆる干渉を斥けるというイメージを喚起する呼び名、国民国家とは、民主政によって主権が政府に委託され、その政府と国民が一体をなしているというイメージを表す呼び名であると思います。
現代においては、これらがさらに融合した形で国家が存立しているので、主権国民国家と呼ぶのが適切であると考えます。
次回、主権確立の要件について論じ、私なりの結論に達したいと思います。

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2015年6月30日火曜日

【第17回】主権の再検討③

ゼミ初年度の最後の講義として私が学生に示した主権論がベースとなり、それが発展してウェストファリは終わらない』の第2章となりました。伝統的な主権の概念を少し超えたものとなりました。
以下、その内容です。

主権について多様な議論が昔から存在していますが、もっとも重要なポイントは何かと言えば、その担い手は誰かということだと思います。
フランス革命以前の主権者は王でした。それがフランス革命以降、国民となったわけです。
現代では主権者は紛れもなく国民で、これが変更されることは考えられないものと思います。主権という概念は、主権者が王から国民に変化したように、多様に変容する概念ではありますが、主権者が国民ということは今後も永遠に変わらないものであると思います。要するに、この点では概念として行き着く所まで行き着いたのだと私は思います。
もちろん、以下で論じるように、担い手の部分を除けば、これからも主権の概念は様々に変化することは間違いありません。

ルソーが言うように、主権者たる国民は主権を自分自身で行使する主体ではありません。国民が主権を行使する瞬間というのは、選挙の投票をする一瞬だけのことで、国民が「主権を持っている」というのはFictionに過ぎません。ただ、このFictionは重大な事実です。

主権者たる国民は政府に主権の行使を委託します。この政府を選ぶのが選挙で、主権者たる国民が選挙で政府を選ぶとすれば、これはまさに民主政ということが言えます。つまり、国民主権であるとすれば、そこにおける政府は民主政によって選ばれなければならないわけです。つまり、国民主権と民主政は一体のものということができます。

主権者たる国民の、主権者として最も重要な、あるいは、根源的な機能は、主権を委託する主体、すなわち、政府を選択するということになります。
主権者たる国民と主権の行使を委託された政府の束が主権国家=国民国家で、民主政こそが主権者たる国民と主権を行使する政府を結ぶ接着剤になっていると考えることができます。
逆に言えば、民主政なきところでは、国民と政府とはばらばらで一体のものとはなり得ないと考えることができます。
これは現代の、あるいは、将来の主権国家を考える場合に非常に重要な考え方であると思います。


主権者たる国民が主権を託した政府の果たす役割について、次回、論じます。

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