2020年8月30日日曜日

第140回【冒険のおわりに】

 2014年から約6年に渡りまして、学習院大学法学部の柴田ゼミにおける知的冒険についてご報告してきました。まさかこんなに長くなってしまうとは思ってもいませんでした。

最も実感したことは、大学の教育は馬鹿にできないなということです。ゼミは他の授業と同じように1年間で25回程度行われます。1回わずかに1時間半の授業に過ぎませんが、この連載でご報告しましたように、かなりの分厚い勉強が出来ることがお分かり頂けたのではないかと思います。どの講義でも教員から学生に伝えられる情報量はかなりのものになりますし、それを基に学生がテストやレポートの準備のためにする勉強を考慮致しますと大学生が学生時代に身に付ける(かもしれない)知識は相当の量になると考えられます。


私のゼミについての報告は、すべてのゼミ生たちのゼミ論(昔風に言うと「卒論」)が文書として残っていることと私の講義メモが詳細であることによって可能となりました。私はどのような授業でもその講義内容を事前に文章にしておくことを自分に課してきました。学生やゼミ生にはレジュメを渡しますが、私の手元にはスクリプトがあったのです。ただし、それを読むようなことをしたことはありません。講義はそれでは生きないからです。カンニングペーパーは作ればそれでお仕舞で、講義中にペーパーを見ることはしません。


学習院の柴田ゼミの場合、ミクシィ型のホームページがありましたから(今もあります)、講義の後にはそこにスクリプトを載せるようにしていました。それが今回の連載では生かされました。ホームページ上の文章は、もっと学生に語り掛けるようなくだけた調子も含まれていたのですが、連載では少し手を入れました。


この連載ですべてのゼミ生の論文をほんの少しでもご紹介できたことは成果でした。これを機にすべてのゼミ生のゼミ論を読み返せたこともとてもよかった。成績を付ける時に不十分に思えた論文も、時間を経て読んでみると、案外よく書けているように思えました。年を取って甘くなったのかもしれませんが。


11年を振り返って、私の関心が移ろったことも、そして、案外一貫していたことも分かりました。ゼミ開始当初は、国際政治システムがこれからどこへ向かうのかに関心がありました。このことに最も影響があったのは「主権国家は大きな問題には小さ過ぎ、小さな問題には大き過ぎる」というダニエル・ベルの有名なセリフでした。つまり、現代に生きる私たちが直面する諸問題に対処する主体として主権国家は適正な規模であるか、という問題です。


この問題については、ゼミでの議論が深まるにつれて、私の中で結論が導き出され、『ウェストファリアは終わらない』という本に結実しました。主権国家は時代遅れの存在であるという定説に対して、主権国家に取って代わる存在は今のところ見当たらない、故に、主権国家からなる国際政治の構造は当分の間(500年位か)変わらないというのが私の結論でした。当初は考えてもみなかった結論で、我ながら意外でしたが、今では確信の域にまで至っています。


この問題に結論を出してから数年間は「ひとを殺すハードとソフト」に関心が向きました。核兵器を始めとする兵器類の話やデモクラシーですら場合によってはひとを殺すソフトになるという話をゼミのテーマとしました。私は戦争と平和に関心があって国際政治の勉強を大学生の時に始めたわけで、ゼミのテーマがこのような方向に向かうのはある意味当然のことでした。


ゼミ最終年はロシアをテーマとしました。国際社会の平和を考える場合、実は、ロシアの位置づけが極めて重要で、冷戦時代はもちろんですが、冷戦後ますますその重要度は高まっているように思います。中国の台頭を考慮すると、ロシアを中国側にではなく、現状維持諸国の側に引き付ける必要がどうしてもあるように私には思えますが、これがうまくいっているようには思えません。それどころか、こうした認識がアメリカを始めとする現状維持諸国の間にきちんと存在しているかどうかも疑問です。最終年にロシアをテーマとしたことは、ロシアそれ自体への興味というよりは、国際社会をより平和に導くためのロシアの位置づけについて考えてみたいということが動機だったのです。


今年2020年はコロナの年として記憶されることは間違いないように思います。大学生の勉強の環境は大きく変化しつつあります。この「つつある」というところが問題で、行きついた先にはそれなりの環境が出来上がるのだと思いますが、現状は明らかに過渡期で不十分です。ロヒンギャ難民にゼミ生たちがインタビューに行ったり、その報告会を焼き肉屋でやったり、アフガニスタンの難民をテーマとしたゼミ生が皆を誘ってアフガン料理の店に食事に行ったりといったことが後々になっても忘れられない記憶なわけですが、こうしたことは今後気楽にできることではなくなる可能性もあります。


大学の4年間は、間違いなく、貴重な勉強の機会です。それは柴田ゼミの冒険を振り返ってみて確信できることです。これからも大学がそうした場を学生たちに提供し続けることを願ってやみません。


最後に、連載をお読み頂きました皆様、本当にありがとうございました。



2020年8月15日土曜日

第139回【ロシアの生理⑫】

 冷戦後のNATOの東への拡大は、NATO側にそんな意図はなくても、ロシア側からはヨーロッパのロシアへの進撃の準備と受け止められます。臆病でヨーロッパに猛烈に劣等意識を持っているロシアは、ヨーロッパとの間に分厚い緩衝地帯を求めます。ポーランド、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ウクライナ、ベラルーシ、バルト3国、フィンランドなどをロシアに吸収できないのであれば、少なくとも、ヨーロッパに吸収されることだけは防ぎたいのです。そうでなければ安心ができないのです。

唐突ですが、冷戦後にソルジェニーツィンがロシアに帰国して、ソ連に対する猛烈な反体制派だった彼が、ソ連的な帝国を支持するような主張をし始めました。私には、これがまったく理解できませんでした。ソルジェニーツィンはソ連からアメリカに亡命して、アメリカの文化と社会の醜悪さに顔をしかめていたのは知っていましたし、それはそれでさもありなんと思ったのですが、帝国への回帰とは驚かされたものです。しかし、ロシアが近代化できない以上それに代わる何ものかが必要であることは間違いありません。


ロシア人は、極めて思想好きです。理想に対する過剰な思い入れが目立ち、イデオロギーなくしては生きられないと見えることがあります。近代化がうまくいかず、それでも自分たちの社会を肯定しなければならないとすれば、ヨーロッパの近代化とは異なったイデオロギーを生み出さねばなりません。共産主義はそうした、自分たちの言動を強化し裏付けるためのイデオロギーだったと考えられます。ソルジェニーツィンは、共産主義後のイデオロギーのヒントを与えたのかもしれません。共産主義時代に反体制派だったのだから、西側の私たちはてっきり彼が自由民主主義を選び取ると勘違いしていましたが、ロシアに対する理解と愛情の深いソルジュニーツィンは、ロシア土着の「帝国」しかないと考えたのだろうと今になって思います。共産主義に対する批判もここから来ていたのかもしれません。そう考えると、ソルジェニーツィンは何も変わっていなかったのです。


さきほど少し触れた「ユーラシアニズム」が次世代のイデオロギーの候補であることは間違いないと思います。ロシア人はこうしたイデオロギーなしに生きられないのです。現在のロシアでは、土着のロシア性を肯定した反西欧的なイデオロギーが出現していると考えなければならないのかもしれません。


ロシアの国際社会における多様な行動の奥底には、臆病と劣等感があると論じてきました。こうしたロシアをもっとも理解して、ロシアを世界秩序のどこに位置づけるかについて考えていたのが、私はジョージ・ケナンであったと考えます。過大評価でしょうか。しかし、NATOの拡大に反対した西側の知識人は、私の知る限り、ケナンしかいません。私たちは、ケナンほどにロシアを理解し、その上で、国際秩序を構想してきたでしょうか。


すでに手遅れの感が強くするのですが、私たち西側の人間は、冷戦の終焉直後に「ロシアとは何か」についてもっと真剣に考えるべきだったと思います。ロシアは、仮に冷戦の敗戦国であったとしても、依然として重要な大国でした。それを国際秩序の中にうまく位置づけなければ、混乱が起き、望まぬ秩序の流動が起きるのは仕方のないことでした。勝って謙虚に自己を変革することは確かに難しいことですが、冷戦後の西側諸国が行わねばならなかったのは、負けたロシアを新たな現状にしっかり受け入れるために自己を変革することであったように思います。


人も国家も実に厄介な存在です。人が、そして、国家が、この世界で平和に生きるためには、知的怠慢に陥らず、根気よく他人あるいは他国との付き合いをする以外にありません。そう、シーシュポスのように生きるしかないのです(この件については、『ウェストファリアは終わらない』参照)。


※このブログは毎月15日、30日に更新されます。