2020年8月30日日曜日

第140回【冒険のおわりに】

 2014年から約6年に渡りまして、学習院大学法学部の柴田ゼミにおける知的冒険についてご報告してきました。まさかこんなに長くなってしまうとは思ってもいませんでした。

最も実感したことは、大学の教育は馬鹿にできないなということです。ゼミは他の授業と同じように1年間で25回程度行われます。1回わずかに1時間半の授業に過ぎませんが、この連載でご報告しましたように、かなりの分厚い勉強が出来ることがお分かり頂けたのではないかと思います。どの講義でも教員から学生に伝えられる情報量はかなりのものになりますし、それを基に学生がテストやレポートの準備のためにする勉強を考慮致しますと大学生が学生時代に身に付ける(かもしれない)知識は相当の量になると考えられます。


私のゼミについての報告は、すべてのゼミ生たちのゼミ論(昔風に言うと「卒論」)が文書として残っていることと私の講義メモが詳細であることによって可能となりました。私はどのような授業でもその講義内容を事前に文章にしておくことを自分に課してきました。学生やゼミ生にはレジュメを渡しますが、私の手元にはスクリプトがあったのです。ただし、それを読むようなことをしたことはありません。講義はそれでは生きないからです。カンニングペーパーは作ればそれでお仕舞で、講義中にペーパーを見ることはしません。


学習院の柴田ゼミの場合、ミクシィ型のホームページがありましたから(今もあります)、講義の後にはそこにスクリプトを載せるようにしていました。それが今回の連載では生かされました。ホームページ上の文章は、もっと学生に語り掛けるようなくだけた調子も含まれていたのですが、連載では少し手を入れました。


この連載ですべてのゼミ生の論文をほんの少しでもご紹介できたことは成果でした。これを機にすべてのゼミ生のゼミ論を読み返せたこともとてもよかった。成績を付ける時に不十分に思えた論文も、時間を経て読んでみると、案外よく書けているように思えました。年を取って甘くなったのかもしれませんが。


11年を振り返って、私の関心が移ろったことも、そして、案外一貫していたことも分かりました。ゼミ開始当初は、国際政治システムがこれからどこへ向かうのかに関心がありました。このことに最も影響があったのは「主権国家は大きな問題には小さ過ぎ、小さな問題には大き過ぎる」というダニエル・ベルの有名なセリフでした。つまり、現代に生きる私たちが直面する諸問題に対処する主体として主権国家は適正な規模であるか、という問題です。


この問題については、ゼミでの議論が深まるにつれて、私の中で結論が導き出され、『ウェストファリアは終わらない』という本に結実しました。主権国家は時代遅れの存在であるという定説に対して、主権国家に取って代わる存在は今のところ見当たらない、故に、主権国家からなる国際政治の構造は当分の間(500年位か)変わらないというのが私の結論でした。当初は考えてもみなかった結論で、我ながら意外でしたが、今では確信の域にまで至っています。


この問題に結論を出してから数年間は「ひとを殺すハードとソフト」に関心が向きました。核兵器を始めとする兵器類の話やデモクラシーですら場合によってはひとを殺すソフトになるという話をゼミのテーマとしました。私は戦争と平和に関心があって国際政治の勉強を大学生の時に始めたわけで、ゼミのテーマがこのような方向に向かうのはある意味当然のことでした。


ゼミ最終年はロシアをテーマとしました。国際社会の平和を考える場合、実は、ロシアの位置づけが極めて重要で、冷戦時代はもちろんですが、冷戦後ますますその重要度は高まっているように思います。中国の台頭を考慮すると、ロシアを中国側にではなく、現状維持諸国の側に引き付ける必要がどうしてもあるように私には思えますが、これがうまくいっているようには思えません。それどころか、こうした認識がアメリカを始めとする現状維持諸国の間にきちんと存在しているかどうかも疑問です。最終年にロシアをテーマとしたことは、ロシアそれ自体への興味というよりは、国際社会をより平和に導くためのロシアの位置づけについて考えてみたいということが動機だったのです。


今年2020年はコロナの年として記憶されることは間違いないように思います。大学生の勉強の環境は大きく変化しつつあります。この「つつある」というところが問題で、行きついた先にはそれなりの環境が出来上がるのだと思いますが、現状は明らかに過渡期で不十分です。ロヒンギャ難民にゼミ生たちがインタビューに行ったり、その報告会を焼き肉屋でやったり、アフガニスタンの難民をテーマとしたゼミ生が皆を誘ってアフガン料理の店に食事に行ったりといったことが後々になっても忘れられない記憶なわけですが、こうしたことは今後気楽にできることではなくなる可能性もあります。


大学の4年間は、間違いなく、貴重な勉強の機会です。それは柴田ゼミの冒険を振り返ってみて確信できることです。これからも大学がそうした場を学生たちに提供し続けることを願ってやみません。


最後に、連載をお読み頂きました皆様、本当にありがとうございました。



2020年8月15日土曜日

第139回【ロシアの生理⑫】

 冷戦後のNATOの東への拡大は、NATO側にそんな意図はなくても、ロシア側からはヨーロッパのロシアへの進撃の準備と受け止められます。臆病でヨーロッパに猛烈に劣等意識を持っているロシアは、ヨーロッパとの間に分厚い緩衝地帯を求めます。ポーランド、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ウクライナ、ベラルーシ、バルト3国、フィンランドなどをロシアに吸収できないのであれば、少なくとも、ヨーロッパに吸収されることだけは防ぎたいのです。そうでなければ安心ができないのです。

唐突ですが、冷戦後にソルジェニーツィンがロシアに帰国して、ソ連に対する猛烈な反体制派だった彼が、ソ連的な帝国を支持するような主張をし始めました。私には、これがまったく理解できませんでした。ソルジェニーツィンはソ連からアメリカに亡命して、アメリカの文化と社会の醜悪さに顔をしかめていたのは知っていましたし、それはそれでさもありなんと思ったのですが、帝国への回帰とは驚かされたものです。しかし、ロシアが近代化できない以上それに代わる何ものかが必要であることは間違いありません。


ロシア人は、極めて思想好きです。理想に対する過剰な思い入れが目立ち、イデオロギーなくしては生きられないと見えることがあります。近代化がうまくいかず、それでも自分たちの社会を肯定しなければならないとすれば、ヨーロッパの近代化とは異なったイデオロギーを生み出さねばなりません。共産主義はそうした、自分たちの言動を強化し裏付けるためのイデオロギーだったと考えられます。ソルジェニーツィンは、共産主義後のイデオロギーのヒントを与えたのかもしれません。共産主義時代に反体制派だったのだから、西側の私たちはてっきり彼が自由民主主義を選び取ると勘違いしていましたが、ロシアに対する理解と愛情の深いソルジュニーツィンは、ロシア土着の「帝国」しかないと考えたのだろうと今になって思います。共産主義に対する批判もここから来ていたのかもしれません。そう考えると、ソルジェニーツィンは何も変わっていなかったのです。


さきほど少し触れた「ユーラシアニズム」が次世代のイデオロギーの候補であることは間違いないと思います。ロシア人はこうしたイデオロギーなしに生きられないのです。現在のロシアでは、土着のロシア性を肯定した反西欧的なイデオロギーが出現していると考えなければならないのかもしれません。


ロシアの国際社会における多様な行動の奥底には、臆病と劣等感があると論じてきました。こうしたロシアをもっとも理解して、ロシアを世界秩序のどこに位置づけるかについて考えていたのが、私はジョージ・ケナンであったと考えます。過大評価でしょうか。しかし、NATOの拡大に反対した西側の知識人は、私の知る限り、ケナンしかいません。私たちは、ケナンほどにロシアを理解し、その上で、国際秩序を構想してきたでしょうか。


すでに手遅れの感が強くするのですが、私たち西側の人間は、冷戦の終焉直後に「ロシアとは何か」についてもっと真剣に考えるべきだったと思います。ロシアは、仮に冷戦の敗戦国であったとしても、依然として重要な大国でした。それを国際秩序の中にうまく位置づけなければ、混乱が起き、望まぬ秩序の流動が起きるのは仕方のないことでした。勝って謙虚に自己を変革することは確かに難しいことですが、冷戦後の西側諸国が行わねばならなかったのは、負けたロシアを新たな現状にしっかり受け入れるために自己を変革することであったように思います。


人も国家も実に厄介な存在です。人が、そして、国家が、この世界で平和に生きるためには、知的怠慢に陥らず、根気よく他人あるいは他国との付き合いをする以外にありません。そう、シーシュポスのように生きるしかないのです(この件については、『ウェストファリアは終わらない』参照)。


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2020年7月30日木曜日

第138回【ロシアの生理⑪】

この500年は明らかにヨーロッパ基準の時代でした。世界中のすべての国がヨーロッパの諸国に支配されるか、それをモデルとして国家作りをするという時代だったわけです。これを「近代化」と呼ぶとすれば、近代化に成功した国もあれば、失敗した国もあります。ロシアはかなり古くからヨーロッパを目指し、そして、それが実現しない代表的な国です。いつまでも近代以前の帝国的な土着性を拭うことが出来ずにいます。それに対して、日本は「近代化」にもっとも成功した国であると言えます。100年以上前の日露戦争の結果が日露の対照的な差を現したものだったのかもしれません。

現代のイスラムの活動は、この近代のヨーロッパ基準に対抗するものと理解できます。それ故、軍事力によっては雌雄は決しないと考えるべきです。社会とその社会を支える精神の魅力こそが勝負で、「戦う」ことの意味を私たちはよく考えねばなりません。

中国やロシアにも同じことが言えるかもしれません。中国についてはここでは詳しく論じませんし、中国の社会のあり方が近代ヨーロッパに発する社会のあり方に比較してどのように異なり、どこが優れているのかを中国自身がまだきちんと外の世界に向かって提出できているとは思えません。ロシアについては、最近、ユーラシアニズムという考え方が広く受け入れられるようになりつつあるように見えます。ロシアの拭い難い後進性の元凶こそ「帝国」的な国家のあり方なのですが、ヨーロッパに発するリベラリズムに対する防壁こそ「帝国」なのであり、リベラリズムの前進を停止させるためにもユーラシアに帝国を再び築かねばならないという議論が出てきています。ウクライナやベラルーシ、カザフスタンやウズベキスタンといった旧ソ連の諸国とより一体化しようとする最近のロシアの動きは、こうした主張を背景に持っているわけですが、こうした動きの背景にも、ロシアの心の中にあってけっして消え去ることのない劣等感と臆病とが交錯しているはずです。

大げさに言えば、ロシアの臆病と劣等感には1000年の歴史があります。たぶん、拭い去ることは出来ないDNAレベルのものと思います。ロシアはいつだって間違いなく大国なのですが、他国に自国を大国として認めさせたいと強烈に意識する大国主義は、けっして自国を満足に導くことなく、常に「舐められているのではないか」という不安を掻き立てます。その源泉が「臆病」と「劣等感」であることはすでに論じました。厄介な存在です。

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2020年7月15日水曜日

第137回【ロシアの生理⑩】

2016年度の総括の講義のご紹介を続けます。

さて、それでは、ロシアとは何かについて考察してみましょう。
ロシアについてもっとも目立つ特徴は、露骨な「大国主義」であると思います。ロシアは自己認識として当然に自国を大国であると信じ、それ故、他国がロシアを大国として認識し処遇することを当然のことと思い、常にそのようであることを望んでいます。ロシアが必ずしも下に見られているようなことのない場合でも、one of themとして扱われることに不満を抱いているように見えます。たぶん、プーチンはG8にいてもなお、どこか不満だったのではないでしょうか。

この強烈な「大国主義」がどこから来るかを考察することが極めて重要です。私は、その背景には、「劣等感」と「臆病」が潜んでいると考えています。

ロシアの建国がいつかについては諸説あります。10世紀末(998年)の「ルーシの受洗」がロシアの始まりだという人もいれば、1380年のクリコヴォの戦いでの勝利による「タタールのくびき」からの開放をロシアの成立と考える人もいます。いずれにしても、長年に渡って繰り返し遊牧民からの侵略を受けることで、ロシア人の心の中には、ロシアの長い国境線を侵して外から常に敵が侵入してくるというイメージが根付いているのであり、それ故、そうした侵略に常に備えるために、自分たちは強くあらねばならないし、他国を簡単に信じてはならないと考えるようになったように思います。
14世紀に、ロシアがようやくタタールからの侵略の恐れにけりをつけた頃、ヨーロッパでは近代が徐々に芽生え始めていました。ロシアにとって、ヨーロッパのような近代化がそれ以後常に課題となります。それ故、ロシアにとってヨーロッパは常に憧れの存在でした。社交界ではロシア語ではなくフランス語が使われたほどです。サンクトペテルブルグは、ヨーロッパの都市をモデルにして作り上げた人工都市ですが、それは、ヨーロッパへの憧れを表すと同時に、ヨーロッパに向けて、自分たちの近代化された姿をアピールする存在でもあったのです。日本の鹿鳴館を思い出させます。

しかし、ロシアの近代化は、現在に至るまで成功していません。近代化の必要を痛感しながらなお、ロシアの土着性がその実現を阻んでいると言われています。この「近代化の失敗」が強烈なヨーロッパへの劣等感を生み出しています。

タタール=モンゴルからの侵略を退けた後にも、ロシアは西側から介入と侵略を受けてきました。ナポレオン戦争、ロシア革命への干渉、ヒトラー・ドイツの侵略などです。これらの介入・侵略に耐え、それを押し返したものこそ「ロシアの土着性」(これを描いたのがトルストイの『戦争と平和』でした)で、皮肉なことに「近代化の失敗」は近代的なヨーロッパからの侵略への盾となったのです。つまり、民衆や兵士の生命にまったく頓着せずに、ただ最終的に勝利することのみを目指した戦略がこれによって可能になったのです。後進性は、時に、強さに転換するのです。ベトナムがアメリカを退けたのも同じ理由からでした。

「近代化の失敗」が侵略に対しては有効に機能したとしても、ロシアがヨーロッパに憧れ近代化を求めていたことは確かです。ここに猛烈な「劣等感」が生まれます。心の奥底にある劣等感を少しでも拭うということが、ロシアの外に向けての行動に顕著に現れていると私は思います。今年のテーマについての仮説のひとつは、一個の国家をあたかも一個人が考え行動するかのように理解することができるはずだ、というものですが、個々の人間がそうであるように、国家も国民としての無意識の記憶に支配されながら行動をしていると考えられます。

ロシアの大国主義や外の世界に対する積極的な活動や、オリンピックを始めとするスポーツにおける実績、宇宙開発への意欲などはすべて、内なる劣等感に発するものと理解することができます。ロシアが、世界で大国として認められたいと熱望し、大国として認められる可能性のある活動を積極的に行おうとするのは、ロシアがナチュラルに大国だからなのではなく、内なる劣等感を克服するためなのです。

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2020年6月30日火曜日

第136回【ロシアの生理⑨】

外国を真に理解することはそもそも可能でしょうか。無理なのかもしれない、と常々私は思ってきました。ロシアのような「ひとつの世界」と言っていいような広くて深い対象であればなおさらのように思えます。たとえば、ブッシュ政権の前半4年で安全保障担当の補佐官をやり、後半4年で国務長官をやったコンドリーザ・ライスは、まさにソ連研究の専門家として有名だったわけですが、その8年間の中で、ロシアのことが分かっていないのではないかという場面が何度もありました。彼女のような専門家でもロシアを知ることは困難なのかと嘆息したものです。

ロシアを真に理解した人物が誰かと言えば、私にはジョージ・ケナンがまず浮かびます。ケナンは、冷戦時のソ連の封じ込め政策を立案した人物として有名ですが(19462月のモスクワからの長文電報とそれをベースにしたForeign AffairsX論文がその基礎)、その封じ込め政策は、私が思うには、ケナンが思い描いたものとは似ても似つかないものであったと思います。ケナンは利用されたのであり、ケナンのソ連・ロシア理解はついにアメリカ人に理解されなかったのだと私は思います。

そうしたケナンのロシア理解とアメリカ人の無理解が冷戦後にも現れた場面があったのを私は鮮明に記憶しています。今から振り返ると、ここでもケナンは正しかったのではないかと思うのです。

19972月の新聞(New York Times)に、ケナンが短い論文を書いています。簡単に言うと、NATOが東ヨーロッパの旧共産主義諸国の加盟受け入れに踏み出すことが決まったけれど、ロシアの民主化の促進の重要性を思えば、再考するべきであるというものです。

冷戦が終わって、ワルシャワ条約機構が解散し、NATOはその存在意義を問われるようになったわけですが、その後の旧ユーゴなどの混乱への対処など、新たなNATOへの模索がなされていました。そうした中で、ソ連の支配を受けていた東欧の旧共産主義諸国は、NATOと、可能ならばEUへの加盟を強く望んでいました。私は1998年にポーランドに住んでいたのでよくわかりますが、ソ連から解き放たれた喜びと同時に、彼らは再びロシアが襲いかかってくる日がやってはこないかと内心びくびくしていました。それに対する最大の保険がNATOへの加盟で、NATOに加盟できれば、ロシアが攻めて来るようなことがあってもアメリカを始めとする「同盟国」が自分たちを守ってくれるとして、それを強く望んでいたのです。私はワルシャワで生活しながらそれをひしひしと感じました。ソ連の手から逃げ切るためのひとつのゴールラインがNATO加盟であったのです。

ですから、ケナンの主張はあまりにも冷たいものに思えました。旧東欧諸国をNATOとロシアの間の緩衝地帯にするという政策は、東欧諸国にとっては許しがたいものだったはずです。98年のポーランド滞在は私にそのことを確認させました。

1998年にNATOはポーランド、チェコ、ハンガリーを加盟国として正式に受け入れることを決定し、翌1999年初頭には加盟が実現しました。19985月には、アメリカの上院がそれについての承認を行ったのですが、その直後に、同じ新聞の「読者の声」の欄に(日本の新聞で言えば、ですが)、1年以上前のケナンの論文を批判する文章が載りました。『文明の衝突』で有名なサミュエル・ハンチントンの投稿です。ハンチントンは上院のNATO拡大の承認の決議の正しさについて述べて、ケナンはまたも間違ったと断じています。ケナンはNATOの創設に反対して間違い、再びNATOの拡大に反対して間違ったというわけです。

果たしてハンチントンは正しいのでしょうか。私には、どうもケナンの方が正しいのではないかと思えてなりません。アメリカは、第2次大戦後、国際秩序の中にソ連を位置づけることに失敗して冷戦を招きました。そして、冷戦後にもロシアを国際秩序に正しく位置づけることに失敗したのではないでしょうか。その最初の一歩がNATOの拡大であったとは言えないでしょうか。

ハンチントンは、たぶん、NATOの存在が冷戦の最終的な勝利を導いたひとつの要因であると考えているはずです。それは、たぶん、正しいのかもしれません。しかし、冷戦の開始当初にNATOを結成しないという道を西側諸国が歩み、しかも、国際秩序のありかたについて、ソ連との対話が十分になされたとしたら、もしかしたら冷戦はまったく異なったものとなったかもしれないのです。歴史にifは禁物ですが、同じ間違いを繰り返さないためには、ifを問うてみることは無駄ではありません。

私たちは、再び、ロシアを誤解し、あるいは、理解し切れず、ロシアを国際秩序に上手に位置づけることに失敗したのではないでしょうか。冷戦終焉直後に、私たちは「ロシアとは何か」ということについてもっと真剣に考えるべきだったのではないでしょうか。

現在すでに明らかですが、ロシアは現状維持勢力というよりは現状変革勢力となっています。冷戦後に、なぜ西側諸国はロシアを現状維持勢力として国際社会に迎え入れることができなかったのでしょうか。冷戦の勝者が西側諸国だったとしても、その後の国際秩序を描く際には、大国たるロシアを処遇した上で、勝った自分たちも変化しなければならなかったのではないでしょうか。西側諸国はそれを怠ったように思います。それは、たぶん、勝利から来る油断であり、人間に付き物の知的怠慢であったのだと思います。その付けを私たちは今突きつけられているのです。

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2020年6月19日金曜日

第135回【ロシアの生理⑧】

2016年度は、私にとって、学習院での最後の1年間でした。ゼミの最後の総括の講義は、学習院での22年間の授業と11年間のゼミのまさに最後の講義となったわけです。
私は「ロシアの生理と病理」と題して、以下のように、2016年度の総括の講義を行いました。

2016年度のテーマは「ロシアの生理」でした。
実は、このテーマを思いついたのは3年前のことでした。どうにもロシアが気になる、そんな感じがしたのです。理由はよくわかりません。もしかしたら私がこの20年間ポーランドに滞在する機会が多かったからかもしれませんが、それならば、なぜもっと早くからそれを思わなかったのか不思議です。ただ、国際政治について真面目に考えれば考えるほど、ロシアの重要性について一度真剣に考えてみなくてはと思うようになったのです。

2002年に私はダブリンに滞在していました。そこには、EUの各国から勉強に来ている社会人がたくさんいて、フランス、イタリア、ベルギー、スペイン、ドイツ、チェコなどからの留学生(と言っても、皆社会人)と親しくなりました。加えて、ロシア人やベラルーシ人もその中にいました。ある時、カフェで皆でお茶をしていた時に、イタリアの軍人(彼はPKOでコソボにも行っていたのですが)が「ロシアもEUに入ればいいのに」と言ったのです。その時のロシア人(弁護士、女性)の反応が忘れられません。彼女は普段、過激な発言をする人ではまったくありませんでしたが、その時には、「何を言っているのか!ロシアがEUを飲み込んでやる」と真剣に言ったのです。非EUの人間は、その時、そのロシア人以外は私一人だったのですが、「そうでしょ、JUNJI」と言われて、少し呆然としながら「そうかもねえ」と答えました。

ロシアは、EUとは対等でも、その加盟国のone of themになろうとはこれっぽっちも考えていないということを私はその時痛感しました。「ああ、ロシアは本物の大国なのだ」と初めて心から思いました。単なる私の個人的なエピソードに過ぎないわけですが、たぶん、この感じには普遍性があるように私には思えます。ロシアとは何でしょうか。

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2020年5月30日土曜日

第134回【ロシアの生理⑦】

2016年度は「ロシアの生理」と題して国際政治上でのロシアの行動の背景に何があるのかを考察しました。ゼミ生たちは多様な題材からこのテーマにアプローチしました。

ロシアの建築に焦点を当てたゼミ生がいました。モスクワとサンクトペテルブルクの歴史的建築物を比較して、ロシア建築には、様々な特色があるものの、そこに住む人間よりもその建物が外からどう見えるかに重点を置くのがロシア人の特色であるとこのゼミ生は言います。ロシア人にとって他人の目が非常に重要だということです。こうした特色は、他の様々な分野においても共通することのように思います。

ロシアのマフィアを取り上げたゼミ生もいました。ロシアのマフィアの特色は、たとえば、日本のヤクザとは違って、ビジネスの世界に大々的に進出していることだと言えます。ロシアのGDP40%近くがマフィアがらみだという試算があるほどです。

ロシアの国旗・国歌・国章などのシンボルを取り上げて考察したゼミ生もいました。これらのすべてが現在ではロシア正教と密接なつながりを持っています。ソ連時代には無宗教国家だったロシアは、現在、正教会が非常に大きな影響力を持った社会となっています。正教を背景として「強いロシア」が国旗・国家・国章で表現されています。

そのロシア正教をテーマとしたゼミ生もいました。ロシアという国家の起源をロシア人は「ルーシの受洗」に求めます。すなわち、998年にロシア皇帝がクリミア半島においてキリスト教の洗礼を受けたことをロシア国家の始まりとしているわけです。このことからしてもロシアという国家の心髄にはロシア正教が存在していると言っても過言ではないと言えます。また、昨今のウクライナとの紛争におけるクリミア半島の重要性もこうしたところにあると認識する必要があります。

ロシア正教は、ソ連時代には非常に目立たない存在だったわけですが、現在では国家の支援の下で様々な活動を行っています。宗教活動は当然のことですが、ビジネスにも積極的に関与しています。この点、マフィアにも似た存在となっています。国家の支援が公然とある点がマフィアとの大きな違いですが、そのマフィアも背後では国家と太い結びつきを持っているわけで、宗教とマフィアが国家の陰(かげ)と陽(ひなた)であると言えるのかもしれません。

ロシアの広大な領土をテーマとしたゼミ生は、その礎を築いたピョートル1世に焦点を当てました。北方では当時有力だったスウェーデンを破り、黒海から地中海に向けて南方政策を実施したのが皇帝ピョートルで、その後のロシアの対外行動の基礎を作り上げました。このゼミ生は、プーチンはピョートルの再来ではないかと感想を述べています。ただ、その急速な領土拡大の背景には、不安に駆られた臆病者が存在しているように見えるとも述べています。鋭い観察であると私は思います。

ロシアの持つ兵器と戦術をテーマとしたゼミ生は、そこからロシアの勝利至上主義を指摘します。つまり、広い領土の内側に敵を誘い込む戦術がロシアの伝統的な戦争のやり方ですが、その際の大きな特色は、まともに守備をせず、国民の犠牲を一切気に掛けない焦土作戦であると言います。そして、時を得た時の攻撃のみが考慮されます。ロシアの持つ兵器の特色から、このゼミ生は、味方の犠牲をまったく厭わない最終的な勝利のみを目指す勝利至上主義こそがロシアの戦術であると指摘しています。勝利至上主義は、戦争ばかりではなく、すでにご紹介致しましたオリンピックといったスポーツやドーピングにおいても一貫したものということができます。

以上、簡単にではありますが、ゼミ生の論文をご紹介してきました。次回からは2016年度の総仕上げとして、また、11年に及んだ柴田ゼミの掉尾を飾る、総括の講義をご紹介致します。

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2020年5月16日土曜日

第133回【ロシアの生理⑥】

前回の終わりで、ロシアの、目的のためには手段を択ばないニヒルさという指摘を致しました。そうした実例をまったく別の分野で取り上げたゼミ生がいました。オリンピックと宇宙開発がそれです。

オリンピックを取り上げたゼミ生は2人いましたが、ひとりはロシアで2014年に行われたソチ・オリンピックを取り上げました。

ソチ・オリンピックは、プーチン大統領肝煎りで誘致したものでしたが、それにはいくつかの狙いがあったということです。第1に、前回のバンクーバー冬季オリンピックでの失敗を挽回すること。ロシアはバンクーバーで金メダルが3個だったのですが、ロシアにとってこれは屈辱的な結果だったようです。これを地元で挽回することが目標とされました。

また第2に、ソチが位置する北カフカスは、チェチェンなどを始めとする政治的不安定を代表する地域ですが、国際社会に対してそれが収束したことを知らしめることも大きな目標でした。ただ、オリンピック誘致の時期には収まっていたテロなどがオリンピックの時期には復活していて、史上最大と言ってもよいような警備の中でオリンピックは行われました。

そして第3に、何よりも国威発揚が目指されました。プーチンは「スポーツでの勝利は100の政治スローガンよりも国を団結させる」と述べ、「スポーツは模擬戦争である」とも言いました。それ故、勝つことが選手たちの至上命題であり、それがドーピング問題へとつながっていったのです。目的が手段を正当化した最近の例です。

もう一人のゼミ生は、そのドーピング問題を取り上げました。

ロシアのドーピング問題は2016年のリオデジャネイロ・オリンピック直前に発覚しました。直接的には、ソチ・オリンピックでの勝利至上主義がこれを招いたものとされていますが、より根の深いものと考えなければなりません。ロシアのドーピング事件は、選手個人が起こしたものではなく、ロシアという国家が組織的に行ったということに大きな特色があります。

ゼミ生は、ロシアのドーピングとは、選手やコーチの利己的な勝利に対する欲望の表れという単純なものではなく、ロシアという国家の政治によるスポーツ利用の表れであると断じています。

ロシアの宇宙開発もスポーツと同様に政治との関係は切っても切れないものです。ロシアの宇宙開発はアメリカとの闘争の中で行われてきたことは間違いありませんが、スプートニクの成功でアメリカのメディアが大騒ぎになるまではソ連のメディアや国民においては関心がかなり薄かったといいます。アメリカが大騒ぎして初めてソ連メディアがそれに反応し、そしてソ連国民が熱狂することになりました。日本人にも似たところがあるような気がしますが、ロシア人は外からの評価に非常に敏感であるようです。宇宙開発は、ソ連がアメリカと対等に競争する主要な分野のひとつとなりました(軍事とスポーツに加えて)。そのことがロシア人の大国意識を刺激したのです。

このゼミ生は、しかし、ロシア人の宇宙開発が単にアメリカに対する対抗心のようなものからのみ行われたわけではないことも指摘しています。つまり、極めて理想主義的なロマンがロシア人の心の中にあったことに目を向けています。ソ連の宇宙開発の初期に先頭に立ってそれを行った科学者の代表がコロリョフという人でしたが、コロリョフは「エチカ」という人類の遠い未来への希望を間違いなく胸に抱いていたと言います。「エチカ」とはツィオルコフスキーが1911年に言ったと言われる「地球は人類のゆりかごである。しかし人類はゆりかごにいつまでも留まっていないだろう」という予言をベースにする哲学です。

ロシア人のこうしたロマン主義は大変重要ではないかと思います。こうしたロマン主義と大国意識や西欧に対する劣等意識がロシアの国際社会での行動の奥底に存在するように考えられるからです。

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2020年4月30日木曜日

第132回【ロシアの生理⑤】

今回からゼミ生たちの論文をご紹介していこうと思います。例によってゼミ生たちは様々な主題を取り上げ、2016年度のテーマである、国際社会におけるロシアの行動の源泉には何があるのかを考察してくれました。

エネルギーアナリストである岩瀬昇氏は「ロシアは我々とは別のルールに則ってゲームをしている」とし、さらに「ではロシアが依って立っているのはどんなルールなのか、それが依然として漠としている」としていますが、ロシアを真に理解することは容易なことではありません。しかし、国際社会の未来を考察し、そこに平和を築き上げようと思えば、ロシアを理解することは必須のことのように思えます。

2000年の選挙で大統領に就任し、それ以来一貫してロシアの先頭に立ち続けているプーチン。そのプーチンをテーマに取り上げたゼミ生が複数いました。

ひとりのゼミ生はプーチンのエネルギー政策をテーマとしました。そもそもプーチンの学位論文のテーマが「資源論」と言ってもよいもので、この論文における政策論に基づいてその後のプーチンの政策は形成されたかのように見えます。それが発展して、旧ソ連諸国の経済再統合と言ってもよいようなユーラシアユニオンという構想につながっていきます。これらのすべてを通じて、ゼミ生は、ロシアの大国主義的言動と周辺諸国への積極的な干渉の姿勢を指摘します。こうしたロシアとプーチンの行動の背後には「臆病」があるのではないかとゼミ生は観察しています。自分を大きく見せることで周りから干渉されることを出来る限り避けたいとする自衛意識です。その背後には長いロシアの歴史が間違いなく関係しているはずです。

もう一人のゼミ生は、プーチンその人の生い立ちに着目しました。現在では、以前ほどの支持率を上げることができなくなっているとは言いながら、プーチンは高い支持を国民から受けているように見えます。プーチンのような一種独裁的な強権をロシア人が好むという指摘をする人もいます。ゼミ生もこうしたロシア人気質から、そもそも「皇帝待望論」があって、プーチンがそれにぴったりとはまっているのではないかという指摘をしています。「プーチンという人物そのものがロシアを擬人化した存在なのだ」というのがゼミ生の結論ですが、なるほどと思わされるものがあります。

別のゼミ生は、プーチンが首相を務め、プーチンが当選する最初の大統領選挙の直前に起きたリャザン事件を取り上げました。プーチンはこの事件をきっかけに、首相、大統領代行、そして大統領として第2次チェチェン紛争を戦うこととなりました。むしろ、この戦いを容赦なく徹底的に戦ったために国民の間で急速に支持率が上がり、圧倒的な国民の支持を受ける大統領になったのだと言えるくらいです。

リャザン事件は、1999922日にモスクワから200キロほど離れた地方都市のリャザンで起きたテロ未遂事件です。この翌日23日からロシアのチェチェンに対する空爆が開始されます。リャザン事件は今も未解決の不思議な事件です。テロによる爆破は地元警察によって防がれたのですが、その後、旧KGBであるFSBがこれは訓練であったという声明を出すなど今も謎に包まれています。

このリャザン事件の半月前ほどからモスクワなどで爆破テロが5件起き、約300人が死亡しており、その犯人はチェチェンの反政府勢力であるとされていました。このリャザン事件もそうした方向から捜査がされるはずでしたが、FSBの声明により多くのことがうやむやになりました。そもそも、これら一連のテロはロシア側の、チェチェンに対する怒りを掻き立てるための工作だったのではないかという疑いがあります。

この事件の背景を取材していたジャーナリストであるアンナ・ポリトコフスカヤは自宅アパートで暗殺されましたし、イギリスに亡命し、後にリャザン事件について、チェチェンに介入するための自作自演の事件であったという指摘をした元KGB職員アレクサンドル・リトヴィネンコも毒物によって暗殺されました。

チェチェン反政府軍への断固たる弾圧はプーチンの人気を不動のものとしましたが、その背景にはうかがい知れない闇が存在して可能性があります。ゼミ生が指摘するのは、ロシアの指導者の強烈な権力への執着とそのためには手段を択ばないニヒルさです。こうしたことが他の様々な分野に波及しているのではないかというのですが確かにそうかも知れません。

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2020年4月15日水曜日

第131回【ロシアの生理④】

2016年度は、現状変革国の代表のひとつ、ロシアを対象としますが、その理由は、冷戦時代の現状変革国の親分であるソ連の中核をなしていたロシアが、現在、何を考え何をするかは依然として重要であると考えられるからです。ロシアは、明らかに、自分たちは他の諸国とは違うと考えているように見えます。つまり、強烈な大国意識が今も健在です。ロシアが目指す国際社会とはどういう姿でしょうか。そして、その源泉には何が存在しているのでしょうか。たぶん、それは、帝政ロシア、ソ連、そして、今のロシアにおいても変わらない何かなのではないでしょうか。そして、ロシアに言えることは、他の多くの諸国にもまた言えることと考えられます。同じやり方で、イランやトルコやインドネシアの奥底にあるものにも触れることができるのではないでしょうか。

2016年度は、ロシアを取り上げますが、以下、私は「2つの仮説」を採用します。それについて説明をします。

1 
ひとつの国家は、あたかもそれが一人の人間であるかのように考え行動すると仮定します。それ故、ロシアの記憶(歴史)がロシアを形作っていますし、現在の思考と行動に大きな影響を及ぼしています。アメリカや日本がそうであるように、ロシアも過去の記憶が現在のロシアを形作っていますし、国際社会との関係に大きな影響を及ぼしています。一人の人間に精神分析をするように、同じ手法で国家についても精神分析的な解釈が適用できるはずです。

2 
人も国家も、内面の拘束から逃れることはできず、外に現れる行動から遡って必ず内面に到達することが可能です。それ故、実は、心の中で何を考えているかを実際に聞きださなくても、分厚く行動を観察すれば、その人や国家の内面を伺うことが可能となります。

今年のゼミの到達点は、多様なロシアの国際社会での行動の源泉に何があるかということを知ることです。それに到達するために、プーチン時代のロシアの国際社会での行動を「虫の目」で眺めることにします。それらを繋ぎ合わせて解釈を加えることで、最初の一滴(ひとしずく)に到達したいというのが今年度の野心です。

以下、どのように「虫の目」を持つかの方法を述べます。

1 
新聞の縮刷版で、ロシアに関する記事を徹底的にフォローします。プーチンの登場からスタートします。たとえば、2000年の12ヶ月を12人で1ヶ月ずつ分担し、ゼミで報告します。新聞は『読売』を使用します。理由は出版数が1番だからです。他意はありません。

2 
新聞で「事実」に近いものをフォローするのと同時に、ロシアを専門とする研究者がロシアの行動をどのように解釈しているかを知る必要があります。月間の総合雑誌で取り上げられたロシアに関する言説をフォローし、ロシアの行動の理解に利用します。総合雑誌には、以下のようなものがあります。世界、中央公論、文芸春秋、VOICEThis is 読売、諸君、論座、WILL、正論。新聞の12ヶ月を担当する12人以外の人は、これら総合雑誌をサーベイして報告します。

繰り返し論じている通り、2016年度は、ロシアの対外行動を観察し、それに対する言説を参照することで、ロシアの行動の源泉に迫るのが目標です。
それに伴って、国際社会の変化や変化の見通しなどにも気付かされるかもしれません。しかし、そうしたことは、あくまでも副産物に過ぎません。

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2020年3月30日月曜日

第130回【ロシアの生理③】

ゼミ生に対して、テーマの設定に加えて、「2つの仮説と2つの手法」と題してさらに講義をしました。「手法」は実にささやかなものですが、「仮説」はどちらかと言うと大胆な仮説で、これには批判があるかもしれません。ゼミ生からは特に批判は出ませんでしたが。以下に、その講義を再録致します。

2016年度は、ロシアを取り上げて、国際政治におけるロシアの存在の意味とロシアの行動の源泉を考えてみたいと思います。

現在、国際政治は明らかに流動的な状態です。四半世紀前に終焉を迎えた冷戦の時代は、今から振り返ると、国際政治ははるかに固定的で予見可能性が高かったと言えます。しかし、それは、冷戦時代がむしろ例外だったのであって、現在の流動的な国際政治の方がむしろ常態なのです。

流動性を増す国際社会において、諸国家をまず2つに分けることができます。すなわち、現状維持的な国家と現状変革的な国家です。現状維持的な国家の代表がアメリカを始めとする西側先進国です。こうした諸国は、現在の国際政治や経済のあり方に既得の利益を持っており、変化に対応しながらも、それらを失わないように行動をしています。

これに対して、現状変革的な諸国は、現在の国際政治や経済のあり方に大きな不満を持っており、それを大きく変革することに利益を感じています。当然ながら、彼らの言う変革が成就した暁には、現在既得利益を享受している現状維持的な諸国は、そうした変化から損失を被ることになります。

現状変革的な諸国の代表が、中国であると考えられます。中国の国際政治上の様々な動きは、中国に有利な、あるいは、現在の不利な状況から脱することのできる国際政治システムの構築を目指していると解釈できます。

国際政治上に作用と反作用があるとすれば、作用とは、現状変革的な諸国のシステムを変革しようとする動きであり、反作用とは、そうした作用を押し止めようとする現状維持緒国の動きということになります。こうした作用と反作用の押し合いへしあいの結果、国際政治は変化し続けるのです。

冷戦時代がなぜ固定的であったかといえば、東西陣営の親分であるアメリカとソ連のうち、アメリカが現状維持国として変化をどちらかというと嫌ったのは当然としても、現状変革的な(あるいは、革命的な)国家であるソ連が、単純に現状変革的であったのではなく、自陣営に向かっては徹底的に現状維持的であったことが最大の理由であると考えられます。ソ連は、自陣営の諸国(衛星国)に変化することをまったく許しませんでした。

作用と反作用の力関係が国際政治の行方を決定することになるわけですが、重要なことは、作用と反作用がある以上、国際政治は必ず変化し続けるということです。

現在、作用の力を発揮している諸国にはどのような国家があるでしょうか。まずは中国が上げられます。ロシア、イランが第2グループと位置づけられます。以下、北朝鮮、キューバといった小国やブラジルや南アフリカといった大国も作用の国と言えます。

これに加えて、国際社会の大多数の国家は、ある時は現状維持側(反作用)に付き、また、ある時は変革側(作用)に味方するというように、状況依存的に立場を変えていくと考えられます。作用側に付くか、反作用側に付くかの判断を決定付けるものが「国益」です

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2020年3月17日火曜日

第129回【ロシアの生理②】

年度初めにゼミ生にしたこの年度のテーマの設定についての話を続けます。

今年度(2016年度)は、1年という限界の中ですので、プーチン時代を対象として取り上げます。プーチンはエリツィンに引き立てられて登場したわけですが、エリツィンが傾けたロシアを、良くも悪くも引き締めて立て直しました。だから、プーチンの前のエリツィンの時代との比較が重要になるのですが、そこまで遡る時間はたぶんないと思います。また、エリツィンの前には、それをまったく意図していなかったのだとしても、冷戦を終わらせ、ソ連を分裂の方向に持っていったゴルバチョフがいます。彼こそ、冷戦の終焉の最大の功労者であると思いますが、もちろん、そこまで遡ることはできません。1年のゼミでは無理と思います。

ゴルバチョフが登場したのが1985年のことですが、スターリン以後の30年も勉強できたらどんなにいいかと思います。西側に一気に追いつくかと思われた時期もありましたが、そうはならずに停滞し、結局はゴルバチョフの改革に到達するわけですが、この時代もたぶん重要だと思います。

考えてみれば当たり前のことですが、1917年のロシア革命以後のソ連の歴史すべてが、今年度の勉強にとっては、実は、必要であるのです。レーニンを経てスターリンへ。その間、西側諸国の革命への干渉あり、ナチスのソ連侵略に始まる第2次大戦ありです。

現在のロシアは、たぶん、70年余りに渡る共産主義ソ連の濃厚な影響を受けているものと思います。今もまだ指導者のほとんどはそうした共産主義の文化の下で生きた人たちです。しかし、さらに遡って、帝政ロシア時代から引き継いだDNAが現在のロシアにないかと言えば、それは脈々と生き続けているのだと思います。それは、私たち人間のDNAに、生物の進化の刻印があるのと同じだと思います。そうした古い古い、思い出そうとしても思い出せない、自分個人の経験を超えた記憶・memoryが現在の私たちを拘束しているように、長い長いロシアの歴史が、今のロシアを拘束しているに違いないのです。それは何か、を私は知りたい。

2016年度は、プーチン時代のロシアの国際政治上での様々な動きを新聞などで追いかけながら、その背後にある、変わっても変わっても変わらないロシアの核に触れてみたいと考えています。

以前、アメリカと日本を論じて、どちらも病んでいるのだと言ったことがあります。たぶん、ロシアも病んでいることは間違いない。アメリカが脅迫神経症を、日本が自我の分裂症を患っていると診断したのですが、果たして、ロシアは。私なりの診断は、もちろん、ありますが、それは1年の勉強で大きく変化するかもしれませんし、変化しないかもしれない。1年後に報告をしますので、それまで楽しみに待っていて下さい。

それにしても、柴田ゼミの最後のテーマがロシアとは!

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2020年3月2日月曜日

第128回【ロシアの生理①】

2016年度は、22年間に渡って行ってきた学習院での授業の最後の年となりました。最後だからと言って何か特別なものを取り上げるのではなく、例年通り、私の興味関心からテーマを設定しました。

2016年度、柴田ゼミ最後のテーマは「ロシアの生理」でした。ゼミ生には、年度初めに、このテーマについて以下のような話をしました。

そもそも国家というものには、それぞれ性格があります。たとえば、ポーランドが蛮勇を奮う国だとすれば、チェコが臆病な国であるというように。こうした性格付けは必ずしも正しくはないわけですが、しかし、一面の真理を表してもいます。つまり、やはり、国家には一定の性格、あるいは、行動における傾向が存在しているのです。

人間の性格を形作っているのがmemoryであるとすれば、国家の性格を決めるものは歴史であると考えられます(このあたり、ぜひ『ウェストファリアは終わらない』をお読み下さい)。もちろん、もっと遡って、人間においてDNAを問題にすることも可能です。人間におけるDNAに当たるものは国家においては何でしょうか。国家においては、それでもやはり歴史こそがDNAに相当するものであるような気がします。国家にとって歴史はそれほどに重要なのです。

とはいえ、今年度は、ロシアの歴史を勉強するわけではありません。ロシアの表面に現れる行動からその内面を垣間見るのが今年の目標です。

国際政治にとって、ロシアは極めて重要な国家です。アメリカが最重要であることは間違いのないところですが、台頭著しい中国に劣らず、国際政治に多大の影響を与え続けているのがロシアです。

言うまでもなく、ロシアは旧ソ連であり、冷戦時代の東側陣営の雄でした。東側諸国を完全に制圧し、共産主義のイデオロギーを掲げ、それを世界中に広めることを使命としていました。冷戦終焉と同時にソ連は十数カ国に分裂し、ソ連の内政・外交を継承したのがロシアです。人口は半分になり、国土も小さくなりました。多民族国家だったソ連は、分裂して相当にスケールダウンしましたが、それでもなおロシアは多民族国家です。

腐っても鯛、と言いますが、ロシアこそまさにそれ、今でも冷戦時代と同様に国際政治で重要な位置を占めています。もちろん、パワーという観点から見れば、ロシアは衰えました。しかし、自国が他とは異なる大国であると信じる大国意識を持ち続けている点で、明らかにロシアは今も昔と同様に大国であり、大国として国際社会で行動をし続けています。
ひとつひとつに触れることはしませんが(それをやるのが今年のテーマです)、ロシアは現在も国際政治上で多様な行動をしていますが、その背景の一番奥底に潜んでいるのは、いったい何でしょうか。それに触れるのが今年の目標になります。

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2020年2月19日水曜日

第127回【戦争に負けるとはどういうことか⑪】

アメリカは、戦争に勝って、日本を民主化しました。私は、日本の側にも非常に大きな病的要素があったと信じていますが、日本の民主化は、アメリカから見ても、当の日本から見ても成功したように見えます。この成功体験が、後のアフガニスタンやイラクにおいても大きな影響を及ぼすわけですが、日本においてのようには成功を収めてはいません。アメリカは、日本においては、日本のアイデンティティに手を突っ込んで、それの改造に成功をしたわけですが、アフガンやイラクでは必ずしも成功しなかったわけです。

20世紀の敗者の悲惨の象徴が日本であると私は思います。日本はアメリカによってアイデンティティの改造までもなされました。19世紀までの戦争においては、戦争に負けたからといって、勝者によって露骨に国家体制の変革や国民性の改造までもなされた例はありませんでした。確かに、殺されたり犯されたりすることは悲劇です。しかし、ロボトミー手術がそうであるように、国民全体の頭の中を改造されることほどの悲劇があるでしょうか。アメリカが戦争に勝った後で敗戦国に押し付けようとするアメリカン・デモクラシーは、確かに、他の多くの政治制度に比較すれば、ましなものかもしれません。しかし、国家はそれを外から押し付けられてそれを採用するのではなく、自ら選び取って、しかも、自らに相応しい形に自ら変革をしながら根付かせなければいけません。アメリカがやるロボトミー手術では、それは絶対に歪むのです。

吉田茂は敗戦の時に「戦争に負けても、外交で勝った歴史はある」と言って、アメリカの占領に抗したとされ、一種の美談としてこのセリフが引用されることがあるのですが、果たして、それは正しいでしょうか。私は、日本が本当に負けたのは、戦後の外交においてではなかったかと繰り返し疑っています。

簡単に言えば、戦後日本はアメリカによって骨抜きにされました。勝手に書いた憲法を与えられ、軍隊を持つことを禁じられ、アメリカン・デモクラシーを植え付けられました。戦争で負けたからといって、どうしてこれらに抵抗ができなかったのでしょうか。あるいは、占領が終わった時点で、どうして赤んべーをしてチャラにできなかったのでしょうか。戦争で負けた悲惨が戦後の悲惨を生み出し、それが現在もまだ継続中の状況であるとは、まさに二重の悲惨であると思いますが、多くの国民はそれに気付いていないかのようにも見えます。まさに「愚者の楽園」で、その意味で悲劇は三重の構造からなると言ってもいいのかもしれません。

戦争に負けたことによって被る悲惨には様々なものがあるわけですが、私は、その最大のものを「強いられたアイデンティティの喪失」に求めました。その典型例が日本であると論じました。また、こうした性質はアメリカの国際社会への参入によってもたらされたとも論じました。その背景には、アメリカの建国の歴史が横たわっています。そして、この「強いられたアイデンティティの喪失」という悲劇は、まさに現代の「新しい戦争」にこそ付き纏い、さらに過激さを増していると思います。

私たちは、戦争をどのように戦い、どのように終わらせるべきでしょうか。科学技術の進歩が後戻りすることがない以上、昔に戻るという選択肢はありません。ひとまず考え続けるしかないと考えると、必ずしも未来は明るくないと思われれて憂鬱になります。仕方ないことですが。

以上、「ロボトミーの戦後」と題して行った2015年度の総括の講義をご紹介致しました。

次回から2016年度のゼミのご紹介を致します。2016年度が学習院柴田ゼミの最後の1年となります。最後までお付き合いいただければ幸甚です。

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2020年1月30日木曜日

第126回【戦争に負けるとはどういうことか⑩】

アメリカの原点において起きたこと、アメリカが出来るだけ忘れ去りたくて自分の無意識に押し込めようとしていること、これこそがその後のアメリカの思想と行動に最大の影響を及ぼしているはずです。それは何かと言えば、2つのことがあると考えられます。

ひとつは、自分たちの祖先がヨーロッパでは真っ当に生きていくことができず、新大陸に逃げてきた、ある意味で劣等な存在だったということであり、もうひとつは、ネイティヴ・アメリカンすなわちインディアンを絶滅させるほどに虐殺しまくったという事実です

アメリカが建国からほんの100年程度で世界の様々を左右するような強大な国家となった理由の最大のものは、アメリカがその歴史の原点で持っていたヨーロッパに対する劣等感だと私は思います。アメリカに渡って来た現代のアメリカ人の祖先とその子孫たちは、自分たちがヨーロッパでは通用しなかった人間で、負け犬として新大陸に渡って来たことを心のどこかではわかっていたはずです。しかし、人間はそうしたことを認めるよりは、それを心の隅に押しやって、そうではなかったこと、あるいは、そうではないことを証明してみせようとするものです。アメリカの歴史の一番奥底にある活力、バネみたいなものはこの劣等感に根ざす反発心だったように思います。自分たちが逃げてきたのではなく、腐敗し堕落しきった古いヨーロッパを捨てて(捨てられたのではなく)、まったく新しい清く正しい社会をまっさらな大地の上に作り出すためにアメリカにやって来たのだと彼らは考えたがったはずです。そして、それを実現して、実際にそうであることを証明してみせなければならなかったわけです。

そして、そうした試みが成功した暁に、アメリカはその体験を他所の国にもさせなければならない、というような余計なお節介を自らの使命であると考えて世界中の様々な場所に介入するようなことを始めてしまったのです。これも心の一番奥底にある劣等感の裏返しであると思います。このような行動を取っていないと無意識の心の奥底から劣等感が湧き出てくるような感じがしてならないのだと思います。これは一種の病気ですが、たぶん、不治の病です。それ故、この他人(アメリカですが)の不治の病と私たちはうまく付き合っていかなければならないのです。

アメリカ人の自己正当化によれば、アメリカ人の祖先は、腐敗堕落したヨーロッパを捨てて、新大陸で清く正しい社会を新しく打ち立てたことになっています。もちろん、これは自己正当化ですから、すなわち、自己欺瞞で、本当は、アメリカ大陸の原住民であったインディアンを殺しまくったのでした。そして、アメリカ人は、まさか殺しまくった事実を否定するわけにはいかないので、正義の社会を作るためには仕方なかったとしているのです。インディアンが白人の言うことを聞いて、キリスト教徒になり、アメリカ人の言う文明を受け入れさえすれば、殺すことはなかった、インディアンが文明を拒絶したが故に、あれ以外に仕方なかったのだ、というのがアメリカ人の捉え方です。どこか原爆投下の正当化に似ています。

以上の論理は自己欺瞞ですから、アメリカは常にこれが正しいと信じることに不安を感じています。そこで、同じことを繰返してはその不安を払拭し、この論理が正しいことを証明し続けようとするのです。一種の強迫神経症です。

アメリカのこのトラウマが猛烈に強烈なのは、このトラウマの出現したのが、アメリカの歴史の一番最初のところにあるからです。アメリカはこうしたトラウマから出発した国なのです。だからこそ、この「インディアン・コンプレックス」とも言えるものが、アメリカの国家のアイデンティティのもっとも深い部分にあると言えるわけです。

考えてみれば、アメリカの対外関係の歴史は、この反復強迫によってほとんど説明ができます。たとえば、最近のイラク戦争も一面ではまったく反復強迫以外の何ものでもありません。アメリカが戦争をしている理由は、イラクに民主主義という文明をもたらすためです。そして、その目的を共有できない、文明を理解しない連中は殺されても仕方ないのです。インディアンをほぼ皆殺しにしたように、あるいは、そうしたが故に、途中で妥協はできないのです。今ここで妥協したら、インディアンの時だって途中で妥協すべきだったということになってしまいます。それは自己否定になってしまいます。アメリカは途中で妥協することをしません。

妥協のなさが、戦争に反映すると、それは敵への無条件降伏の要求となります。アメリカにおいては、すでに南北戦争において、北軍が南軍に対して無条件降伏を求めました。アメリカが敵に無条件降伏を求めるのは、自分たちが100%正しいと考えるからで、勝った以上、敵に1%でも譲るのは間違いだということになるからです。しかも、インディアンの時にはそうしたように敵を皆殺しにするわけにはいきませんから、戦後、敵をアメリカ的なデモクラシーの国家へと改造しようとするわけです。そうしなければ、戦った意味がありませんし、インディアン・コンプレックスを拭い去ることができません。

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2020年1月18日土曜日

第125回【戦争に負けるとはどういうことか⑨】

アメリカを理解するために、ひとつの大きな仮説を設けます。

フロイトによれば、人間には自我があって、その自我の背景には膨大な無意識の世界が広がっています。人間は自分に不都合なことはこの無意識の世界に記憶や意識を押し込めてないものとして生きようとするわけですが、なかなかそうはいかず、無意識から非常に大きな影響を受けながら考えたり行動したりします。また、人間は過去や現在において自分を何らかの形で肯定する必要があります。自分がこの世界に存在することを正当化しようとするわけです。あるいは、これまでにしてきたことが間違っていなかったと考えたがったり、あるいは、間違っていないことを繰り返し証明しようとしたりします。

そして、ここからが重要なところで、かつ、間違っているかもしれないところですが、フロイトの最大の理解者と私が考えている岸田秀によれば、一個の人間に言えるこれらのことは人間の大きな集団でもある国家にも当てはまるのです。すなわち、ひとりの個人の履歴がその個人の考え方や行動を決定するのと同様に、ひとつの国家の歴史がその国のその後の行動を決定づけ、また逆に言うと、その国家の行動をそうした歴史から説明できるというわけです。そして、そのように考えると、国家にも自我と無意識が存在するはずです。これが私の言う仮説です。一個の人間に当てはまる理論が国家にも当てはまるとするということです。これが正しいとして(大いに疑問でもあるのですが)、以下の議論を進めます。

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