2020年6月30日火曜日

第136回【ロシアの生理⑨】

外国を真に理解することはそもそも可能でしょうか。無理なのかもしれない、と常々私は思ってきました。ロシアのような「ひとつの世界」と言っていいような広くて深い対象であればなおさらのように思えます。たとえば、ブッシュ政権の前半4年で安全保障担当の補佐官をやり、後半4年で国務長官をやったコンドリーザ・ライスは、まさにソ連研究の専門家として有名だったわけですが、その8年間の中で、ロシアのことが分かっていないのではないかという場面が何度もありました。彼女のような専門家でもロシアを知ることは困難なのかと嘆息したものです。

ロシアを真に理解した人物が誰かと言えば、私にはジョージ・ケナンがまず浮かびます。ケナンは、冷戦時のソ連の封じ込め政策を立案した人物として有名ですが(19462月のモスクワからの長文電報とそれをベースにしたForeign AffairsX論文がその基礎)、その封じ込め政策は、私が思うには、ケナンが思い描いたものとは似ても似つかないものであったと思います。ケナンは利用されたのであり、ケナンのソ連・ロシア理解はついにアメリカ人に理解されなかったのだと私は思います。

そうしたケナンのロシア理解とアメリカ人の無理解が冷戦後にも現れた場面があったのを私は鮮明に記憶しています。今から振り返ると、ここでもケナンは正しかったのではないかと思うのです。

19972月の新聞(New York Times)に、ケナンが短い論文を書いています。簡単に言うと、NATOが東ヨーロッパの旧共産主義諸国の加盟受け入れに踏み出すことが決まったけれど、ロシアの民主化の促進の重要性を思えば、再考するべきであるというものです。

冷戦が終わって、ワルシャワ条約機構が解散し、NATOはその存在意義を問われるようになったわけですが、その後の旧ユーゴなどの混乱への対処など、新たなNATOへの模索がなされていました。そうした中で、ソ連の支配を受けていた東欧の旧共産主義諸国は、NATOと、可能ならばEUへの加盟を強く望んでいました。私は1998年にポーランドに住んでいたのでよくわかりますが、ソ連から解き放たれた喜びと同時に、彼らは再びロシアが襲いかかってくる日がやってはこないかと内心びくびくしていました。それに対する最大の保険がNATOへの加盟で、NATOに加盟できれば、ロシアが攻めて来るようなことがあってもアメリカを始めとする「同盟国」が自分たちを守ってくれるとして、それを強く望んでいたのです。私はワルシャワで生活しながらそれをひしひしと感じました。ソ連の手から逃げ切るためのひとつのゴールラインがNATO加盟であったのです。

ですから、ケナンの主張はあまりにも冷たいものに思えました。旧東欧諸国をNATOとロシアの間の緩衝地帯にするという政策は、東欧諸国にとっては許しがたいものだったはずです。98年のポーランド滞在は私にそのことを確認させました。

1998年にNATOはポーランド、チェコ、ハンガリーを加盟国として正式に受け入れることを決定し、翌1999年初頭には加盟が実現しました。19985月には、アメリカの上院がそれについての承認を行ったのですが、その直後に、同じ新聞の「読者の声」の欄に(日本の新聞で言えば、ですが)、1年以上前のケナンの論文を批判する文章が載りました。『文明の衝突』で有名なサミュエル・ハンチントンの投稿です。ハンチントンは上院のNATO拡大の承認の決議の正しさについて述べて、ケナンはまたも間違ったと断じています。ケナンはNATOの創設に反対して間違い、再びNATOの拡大に反対して間違ったというわけです。

果たしてハンチントンは正しいのでしょうか。私には、どうもケナンの方が正しいのではないかと思えてなりません。アメリカは、第2次大戦後、国際秩序の中にソ連を位置づけることに失敗して冷戦を招きました。そして、冷戦後にもロシアを国際秩序に正しく位置づけることに失敗したのではないでしょうか。その最初の一歩がNATOの拡大であったとは言えないでしょうか。

ハンチントンは、たぶん、NATOの存在が冷戦の最終的な勝利を導いたひとつの要因であると考えているはずです。それは、たぶん、正しいのかもしれません。しかし、冷戦の開始当初にNATOを結成しないという道を西側諸国が歩み、しかも、国際秩序のありかたについて、ソ連との対話が十分になされたとしたら、もしかしたら冷戦はまったく異なったものとなったかもしれないのです。歴史にifは禁物ですが、同じ間違いを繰り返さないためには、ifを問うてみることは無駄ではありません。

私たちは、再び、ロシアを誤解し、あるいは、理解し切れず、ロシアを国際秩序に上手に位置づけることに失敗したのではないでしょうか。冷戦終焉直後に、私たちは「ロシアとは何か」ということについてもっと真剣に考えるべきだったのではないでしょうか。

現在すでに明らかですが、ロシアは現状維持勢力というよりは現状変革勢力となっています。冷戦後に、なぜ西側諸国はロシアを現状維持勢力として国際社会に迎え入れることができなかったのでしょうか。冷戦の勝者が西側諸国だったとしても、その後の国際秩序を描く際には、大国たるロシアを処遇した上で、勝った自分たちも変化しなければならなかったのではないでしょうか。西側諸国はそれを怠ったように思います。それは、たぶん、勝利から来る油断であり、人間に付き物の知的怠慢であったのだと思います。その付けを私たちは今突きつけられているのです。

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2020年6月19日金曜日

第135回【ロシアの生理⑧】

2016年度は、私にとって、学習院での最後の1年間でした。ゼミの最後の総括の講義は、学習院での22年間の授業と11年間のゼミのまさに最後の講義となったわけです。
私は「ロシアの生理と病理」と題して、以下のように、2016年度の総括の講義を行いました。

2016年度のテーマは「ロシアの生理」でした。
実は、このテーマを思いついたのは3年前のことでした。どうにもロシアが気になる、そんな感じがしたのです。理由はよくわかりません。もしかしたら私がこの20年間ポーランドに滞在する機会が多かったからかもしれませんが、それならば、なぜもっと早くからそれを思わなかったのか不思議です。ただ、国際政治について真面目に考えれば考えるほど、ロシアの重要性について一度真剣に考えてみなくてはと思うようになったのです。

2002年に私はダブリンに滞在していました。そこには、EUの各国から勉強に来ている社会人がたくさんいて、フランス、イタリア、ベルギー、スペイン、ドイツ、チェコなどからの留学生(と言っても、皆社会人)と親しくなりました。加えて、ロシア人やベラルーシ人もその中にいました。ある時、カフェで皆でお茶をしていた時に、イタリアの軍人(彼はPKOでコソボにも行っていたのですが)が「ロシアもEUに入ればいいのに」と言ったのです。その時のロシア人(弁護士、女性)の反応が忘れられません。彼女は普段、過激な発言をする人ではまったくありませんでしたが、その時には、「何を言っているのか!ロシアがEUを飲み込んでやる」と真剣に言ったのです。非EUの人間は、その時、そのロシア人以外は私一人だったのですが、「そうでしょ、JUNJI」と言われて、少し呆然としながら「そうかもねえ」と答えました。

ロシアは、EUとは対等でも、その加盟国のone of themになろうとはこれっぽっちも考えていないということを私はその時痛感しました。「ああ、ロシアは本物の大国なのだ」と初めて心から思いました。単なる私の個人的なエピソードに過ぎないわけですが、たぶん、この感じには普遍性があるように私には思えます。ロシアとは何でしょうか。

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