2019年5月20日月曜日

第109回【紛争のルーツ――植民地主義①】

2014年度、柴田ゼミでは「植民地主義」をテーマとしました。

今更という感じもしなくはないのですが、世界の紛争の多くの淵源が今も植民地時代の様々な出来事に求められることから、紛争の現代的な表面だけでなく、歴史を遡る必要を常々痛感してきました。2014年度は、そうした問題意識から「紛争のルーツ――植民地主義」と題してゼミを行いました。以下、2014年度のご報告を致します。

ゼミ生には、以下のように、私の問題意識を伝えました。

世界では日々紛争が起きています。それが武器を用いた軍事的な紛争や戦争に発展することもありますが、現代では、国家間の戦争よりも国内の内戦の方が深刻な問題となっています。テロも同様に問題ですが、これも国家間の問題というよりは、ある意味、国内問題という感じもします。むしろ、「国家間」とか、「国内」という表現よりは、「国境を超えた問題」というのが一番正解に近いのかもしれません。

紛争が起きると、その原因について様々な解説がなされます。それらを見ていると、そもそもの紛争の原点が、過去を遡って、ヨーロッパ諸国の植民地主義にたどり着くことが珍しくありません。いかにも21世紀型の紛争のように見えて、実は、そのルーツは20世紀以前にあるという例がよくあるわけです。私たちは依然として20世紀よりも前の時代の延長線上に生きているのではないでしょうか。

私たちの生まれ生きる日本は、幸い、植民地にされる経験をしませんでした。アジア・アフリカ諸国で唯一植民地にならなかった国と言っていいと思います。ですから、「植民地となる」ということがどういうことであるのかということについて、幸いなことに、私たちは骨身に沁みては知らないことになります。

よく、ある国は昔どこそこの(ヨーロッパ諸国のどこか)植民地だった、というようなことを言います。たとえば、シンガポールは昔イギリスの植民地だったことは多くの人が知っています。しかし、それは本当でしょうか。もちろん、間違いではないのですが、話はそんなに単純でしょうか。実は、シンガポールはそもそもはオランダの植民地だったのです。そのオランダがナポレオン戦争で敗れて独立を失った時に、植民地の管理をイギリスに委ねたのです。独立を回復したら返還するという条件付きで。長い時間が掛りましたが、イギリスを始めとする諸国がナポレオンのフランスに勝利したのが1815年、その講和の条件を話し合ったのがウィーン会議でした。約束通りイギリスがオランダに植民地を返還したかと言えば、そうはいきません。イギリスの世界支配にとって重要と思われる場所は結局返還されずイギリスの植民地となったのでした。オランダはすでに落ち目だったのでこれを飲まざるを得ませんでした。だから、シンガポールが単純にイギリスの植民地だったと考えるのは、たぶん、間違っているのです。オランダ時代の影響も残っているに違いない、と考えなければならないと思います。

要するに、私たちは、植民地主義がヨーロッパ以外の地域にどのような影響を与え、今も与え続けているかについて無知なわけです。これで世界中で起きている紛争が真に理解できるわけがありません。まずは、ヨーロッパ諸国の植民地主義がいかなるもので、他の地域にいかなる影響を及ぼしたかについて勉強してみようと思います。

植民地主義の実態とその影響という、2014年度の柴田ゼミのプロジェクトは、どう考えても複雑で膨大になる可能性があります。それらをどう整理してゼミで勉強できるように加工するか(すなわち、どこを取りどこを捨てるか、つまり、いかに絞るか)が私の腕の見せ所となるのですが、もしかしたら、このプロジェクトは1年間のゼミとしては野心的過ぎるかもしれません。


ヨーロッパ以外の地域のすべてがヨーロッパ諸国の植民地になったわけですし(考えてみれば、これは凄い話です)、その歴史はコロンブスの時代にまで遡ります。これを勉強するのはなかなか大変なことです。時代を区切るか、地域を区切るか、様々な方法があると思います。2014年度のゼミの準備のために、私は、でっかい世界地図を買いました。これに這いつくばって色々の地域を見ながら、どうしようか考えようと思っています。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。

http://www.kohyusha.co.jp/books/item/978-4-7709-0059-3.html

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