アメリカを理解するために、ひとつの大きな仮説を設けます。
フロイトによれば、人間には自我があって、その自我の背景には膨大な無意識の世界が広がっています。人間は自分に不都合なことはこの無意識の世界に記憶や意識を押し込めてないものとして生きようとするわけですが、なかなかそうはいかず、無意識から非常に大きな影響を受けながら考えたり行動したりします。また、人間は過去や現在において自分を何らかの形で肯定する必要があります。自分がこの世界に存在することを正当化しようとするわけです。あるいは、これまでにしてきたことが間違っていなかったと考えたがったり、あるいは、間違っていないことを繰り返し証明しようとしたりします。
そして、ここからが重要なところで、かつ、間違っているかもしれないところですが、フロイトの最大の理解者と私が考えている岸田秀によれば、一個の人間に言えるこれらのことは人間の大きな集団でもある国家にも当てはまるのです。すなわち、ひとりの個人の履歴がその個人の考え方や行動を決定するのと同様に、ひとつの国家の歴史がその国のその後の行動を決定づけ、また逆に言うと、その国家の行動をそうした歴史から説明できるというわけです。そして、そのように考えると、国家にも自我と無意識が存在するはずです。これが私の言う仮説です。一個の人間に当てはまる理論が国家にも当てはまるとするということです。これが正しいとして(大いに疑問でもあるのですが)、以下の議論を進めます。
※このブログは毎月15日、30日に更新されます。
柴田純志・著『ウェストファリアは終わらない』
0 件のコメント:
コメントを投稿