2020年8月15日土曜日

第139回【ロシアの生理⑫】

 冷戦後のNATOの東への拡大は、NATO側にそんな意図はなくても、ロシア側からはヨーロッパのロシアへの進撃の準備と受け止められます。臆病でヨーロッパに猛烈に劣等意識を持っているロシアは、ヨーロッパとの間に分厚い緩衝地帯を求めます。ポーランド、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ウクライナ、ベラルーシ、バルト3国、フィンランドなどをロシアに吸収できないのであれば、少なくとも、ヨーロッパに吸収されることだけは防ぎたいのです。そうでなければ安心ができないのです。

唐突ですが、冷戦後にソルジェニーツィンがロシアに帰国して、ソ連に対する猛烈な反体制派だった彼が、ソ連的な帝国を支持するような主張をし始めました。私には、これがまったく理解できませんでした。ソルジェニーツィンはソ連からアメリカに亡命して、アメリカの文化と社会の醜悪さに顔をしかめていたのは知っていましたし、それはそれでさもありなんと思ったのですが、帝国への回帰とは驚かされたものです。しかし、ロシアが近代化できない以上それに代わる何ものかが必要であることは間違いありません。


ロシア人は、極めて思想好きです。理想に対する過剰な思い入れが目立ち、イデオロギーなくしては生きられないと見えることがあります。近代化がうまくいかず、それでも自分たちの社会を肯定しなければならないとすれば、ヨーロッパの近代化とは異なったイデオロギーを生み出さねばなりません。共産主義はそうした、自分たちの言動を強化し裏付けるためのイデオロギーだったと考えられます。ソルジェニーツィンは、共産主義後のイデオロギーのヒントを与えたのかもしれません。共産主義時代に反体制派だったのだから、西側の私たちはてっきり彼が自由民主主義を選び取ると勘違いしていましたが、ロシアに対する理解と愛情の深いソルジュニーツィンは、ロシア土着の「帝国」しかないと考えたのだろうと今になって思います。共産主義に対する批判もここから来ていたのかもしれません。そう考えると、ソルジェニーツィンは何も変わっていなかったのです。


さきほど少し触れた「ユーラシアニズム」が次世代のイデオロギーの候補であることは間違いないと思います。ロシア人はこうしたイデオロギーなしに生きられないのです。現在のロシアでは、土着のロシア性を肯定した反西欧的なイデオロギーが出現していると考えなければならないのかもしれません。


ロシアの国際社会における多様な行動の奥底には、臆病と劣等感があると論じてきました。こうしたロシアをもっとも理解して、ロシアを世界秩序のどこに位置づけるかについて考えていたのが、私はジョージ・ケナンであったと考えます。過大評価でしょうか。しかし、NATOの拡大に反対した西側の知識人は、私の知る限り、ケナンしかいません。私たちは、ケナンほどにロシアを理解し、その上で、国際秩序を構想してきたでしょうか。


すでに手遅れの感が強くするのですが、私たち西側の人間は、冷戦の終焉直後に「ロシアとは何か」についてもっと真剣に考えるべきだったと思います。ロシアは、仮に冷戦の敗戦国であったとしても、依然として重要な大国でした。それを国際秩序の中にうまく位置づけなければ、混乱が起き、望まぬ秩序の流動が起きるのは仕方のないことでした。勝って謙虚に自己を変革することは確かに難しいことですが、冷戦後の西側諸国が行わねばならなかったのは、負けたロシアを新たな現状にしっかり受け入れるために自己を変革することであったように思います。


人も国家も実に厄介な存在です。人が、そして、国家が、この世界で平和に生きるためには、知的怠慢に陥らず、根気よく他人あるいは他国との付き合いをする以外にありません。そう、シーシュポスのように生きるしかないのです(この件については、『ウェストファリアは終わらない』参照)。


※このブログは毎月15日、30日に更新されます。


0 件のコメント:

コメントを投稿