「自分たちが今どんな時代を生きているか」をゼミ生に考えさせるために、毎年4冊の本を紹介して議論をします。「今」とはいったいどんな時代でしょうか。
サミュエル・ハンチントンが『文明の衝突?』という論文をForeign Affairsというアメリカの雑誌に書いたのが1993年のことでした。その後1996年に、この論文をベースに大きな本として出版されました。
冷戦が終わり(1989年11月)、ドイツの統一が成り(1990年10月)、ソ連が崩壊して消滅(1991年12月)した後の議論ということになります。
前に紹介しましたフランシス・フクヤマの『歴史の終り』に反論するかのような印象がありました。先生から弟子への反論ということになります。
フクヤマの議論は本人の意図とは別に、冷戦が終わり世界に平和がやって来るかのような印象を多くの人々に与えました。ところが、冷戦の直後には湾岸戦争が勃発し(1990年8月から1991年2月まで)、冷戦が終わっても牧歌的な平和はやはりやって来ないということを私たちに痛感させました。
しかし、湾岸戦争においては、冷戦時代とは違って、国連が紛争解決の主導権を握りました。それ故、いよいよ国連が結成時(1945年10月)に意図したような機能を果たすようになるのではないかという希望を抱かせました。
そもそも、あまり意識されていませんが、現代は戦争が禁止された時代です。国連憲章によれば、国際問題を解決する手段としての武力の行使は禁止されています。
それ故、現代においては、武力が行使される機会というのは、それが不正に使用される場合は侵略、正当に使用される場合は自衛ということになります。この正・不正を判断するのが安全保障理事会(安保理)なのですが、冷戦時代は、米ソの対立によって、安保理が機能しませんでした。
建前を述べれば、不正と思われる武力の行使が行われた場合、それに対抗する側は自衛としての武力の行使でそれに対処すると同時に、国連に相手の武力行使が不正であるとの訴えを起こします。
安保理がそれを不正の武力行使であると認めれば、当事国の自衛のための武力の行使に代わって、集団安全保障が機能して国連の構成国による国連軍が結成され、不正の武力行使を国連軍が排除することとなります。
こうした国連の理想は、冷戦により一度も機能したことがないわけですが(例外的な事例として朝鮮戦争があるのですが、ここでは触れません)、湾岸戦争の時には、これに似た手続きが取られたために、国連が活性化し、また、多くの人々がその後の国連に期待を寄せるようになりました。
湾岸戦争は、確かに、冷戦が終わったからと言って自動的に平和がやって来るわけではないということを私たちに知らせることになったわけですが、冷戦時代とは違って、紛争が国連を中心に解決されるようになるかもしれないという希望も抱かせたのです。
ハンチントンの『文明の衝突』は、冷戦が終わったからといって平和はやって来ない、また新しい別の対立が生まれるに過ぎないとして、その新しい対立がどこから生まれるかを考察したものでした。
※このブログは毎月2回、15日・30日に更新されます。
柴田純志・著『ウェストファリアは終わらない』
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