ゼミ2年目のテーマは「正しい戦争」。
今の若い人たちは、小学校から高校まで、徹底して「戦争はいけない」と教えられるせいか、戦争を絶対的に悪いことと思っているらしく、このテーマは彼らにショックを与えたようです。
これには彼らを引き付ける未知の何かがあって、それ故柴田ゼミに応募したと2期生の卒業生の多くが言います。確かに、この年は、応募者が多く、定員の5倍の希望者が来て、仕方ないので定員の2倍のゼミ生を取りました。この10年で最多のゼミ生がゼミに所属することになりました。
私がこの年に考えたかったことは、戦争と平和と正義の関係でした。戦争のすべてが邪悪であり、平和のすべてが正義に適っているとすれば、何もこのテーマについて考える必要はありません。しかし、この世には、間違いなく、正義を蔑ろにした平和が存在し、正義のために已む無く戦わざるを得ない戦争が存在しています。こうしたことについて考えてみたかったのです。
学生には、まず第1に、戦争というものがいかに悲惨であるかということを知ってもらうために映像を見せました。映画「プライベート・ライアン」の冒頭30分とNHKのドキュメンタリー「映像の世紀」第2集です。
「プライベート・ライアン」はスピルバーグの作品で3時間を超える大作ですが、最初の30分は、1944年6月のノルマンディー上陸作戦の、まさに、戦闘場面です。私は色々な戦争映画を観てきましたが、これほどリアルな、それ故悲惨な戦闘の描写はないと思います。心底戦争はいけない、と思わせる30分です。
「映像の世紀」は全編見事な20世紀を見渡すドキュメンタリーですが、第2集は、非常に貴重な第1次大戦の映像をたくさん見せてくれます。
ようやく映画が出てきた時代に、実際の戦争をフィルムに撮ったわけですが、どれも非常に貴重なものです。特に、最後に出てくる戦争帰りの傷ついた若者たちの映像が胸を抉ります。義手も義足も義眼も、あるいは、傷を隠す仮面も、これらの若者たちのために、この時期、発達したのです。死者はもちろん、生きて帰っても戦争は大きな傷を多くの人に残します。何があっても、戦争はしてはいけないのでないかと思わせる映像です。
戦争は、しかし、どんな場合でも避ければいいかと言えば、必ずしもそうではありません。戦争がいかに悲惨なものかを心底分かった上で、それでも、戦わなければならない場面が、実は、あるのではないか、というのが、この年のゼミのテーマでした。
次に、私は、アウシュビッツのスライドをゼミ生に見せました。私は、ワルシャワに住んでいたことがありますので、アウシュビッツに2度行ったことがあります。その時に撮った写真をスライドにしてゼミ生に見せたのです。
私個人が行って撮った写真ですので、旅行のガイドブックに載っているような綺麗なものではありませんが、逆にそれが不思議な迫力を写真に与えていると思います。
スライドを見せながら、私は、ユダヤ人がいかに悲惨な目にあわされたかを伝えると同時に、ヨーロッパのナチス支配下にあった国の人たちが、事実上、ユダヤ人の虐殺を見て見ぬ振りをしていたことを伝えました。もちろん、それを批判することは簡単なことですが、もし批判するとすれば、私たちは、戦う覚悟を持たなければなりません。
私が学生に提出した問題は、こんな悲惨が目の前にあっても、私たちは戦わないのかということでした。私たちが、仮に、当事者であったとしても戦わないのか。ただ黙って死ぬのか。殺されるままにするのか。親や子や妻や友人や恋人を見殺しにするのか。いかに戦争が悲惨だとしても、こんな時にも戦わないのか、ということです。
戦争は悲惨だから徹底的に避けるべきだというのは簡単で、平和な中でそれを言うのはますます容易なわけですが、それがある線を超えると正義に反するのではないか、戦うことこそ正しいという場面があるのではなかということを考えるのが、この年のゼミのテーマだとゼミ生に伝えたのでした。
※このブログは毎月15日、30日に更新されます。
柴田純志・著『ウェストファリアは終わらない』
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