今まで地球上に多くの残酷な人物が現れましたが、ジョセフ・コニーは、間違いなく、そうした人物のうちでも最悪の一人です。
90年代初頭にウガンダ北部で「神の抵抗軍」という反政府組織を作り、激しく内戦を戦いました。アフリカなどの発展途上国における内戦は、特段珍しいものではないのですが、コニーの戦った内戦は、コニー故に非常に残酷なものとなりました。ディカプリオ主演の映画「ブラッド・ダイヤモンド」は、コニーをモデルにしたものではありませんが、少年兵の調達と洗脳など、まさにコニーが行ったことが描かれています。
ウガンダの政府は、2003年に、発足間もないICC(国際刑事裁判所)に「人道に対する犯罪」でコニーを訴えました。ICCがICPO(国際刑事警察機構)と協力して捜査をする最初の事案が、このコニーと「神の抵抗軍」の事案だったのです。
ただ、ウガンダ政府のコニーらの告発は単純なものではありませんでした。2003年のこの時期には、内戦は小康状態を迎え、政府と反政府軍の間には停戦交渉が進んでいたのです。政府は停戦交渉を有利に進めるひとつのカードとしてICCへの告発を行いました。政治とは、実に、厄介なものです。
コニーは、政府のICCへの告発に強く反発しました。停戦の合意は遠ざかり、激しい内戦が再発することも予想されました。コニーは、ICCへの告発を撤回することを停戦交渉の条件とするようになります。これに対して、政府は、告発の撤回をコニー側の譲歩に結び付けようと圧力を掛けます。
ICCが本来しようとすることは、国際的な場での犯罪行為を国際法によって裁くことで、正義を実現することです。しかし、自らが取り組む最初の事案であるウガンダにおいて、政府、反政府の両方の政治的駆け引きの材料とされてしまいました。
さらに問題を複雑にし、また、一連の事件の流れの中で、最も意外だったことは、被害者側である一般のウガンダ国民(特に、アチョリ人)がICCの関与をむしろ迷惑として捉えたことでした。
コニーの行った非人道的な行為の被害者たちは、コニーが公正な国際法廷において裁かれることを望んでいる、とICCを始めとする多くの人たちは考えました。私もそのように思っていました。しかし、10年以上に渡って、あまりにも悲惨な内戦を戦っていたウガンダ国民の望んでいたことは別のことでした。彼らが望んでいたのは「平和」だったのです。
では、この「平和」とは何でしょうか。コニーのような、歴史的にも特別に残虐な行為を多く行った人物が、政府と対等に和平を話し合い、罪らしい罪にも問われることなく、しかし、戦闘や残虐行為だけはなくなるような、そんなささやかな「平和」でしょうか。まさかそんなはずはない、というのが、私たち平和な社会に生きる人間の受け止め方なのですが、ウガンダの人々がまず手にしたいと考えたのは、こうしたささやかな、正義を欠いたままの平和だったのです。
彼らは、ICCが正義を実現しようとして、結局は逆に、再びあの残酷な内戦に戻ることを真に恐れたのでした。
正義の実現されない平和とは、はたして、「平和」でしょうか。戦いが止めば、悪人が大手を振って歩いていても構わないのでしょうか。ウガンダの人々は、まさに、それを望んだのですが、本当にそんなことでいいのでしょうか。正義と平和とをどのような関係で理解すればよいのでしょうか。
前回のブログでも書きましたように、約半数のゼミ生がこのテーマで論文を提出しました。コニーの行った残虐行為への驚きと怒り、正義と平和を両立させることの困難、正義よりもささやかな平和を望んだウガンダの人々。こうしたことの前でほとんどのゼミ生が立ち竦みました。
学生の多くは、ICCの正義を貫くよりは、ウガンダの人々のようやく手に入れたささやかな「平和」を優先することを選んだように見えます。しかし、「平和」とは、単に「戦争がないこと」ではないということを勉強してもいますので、こうした消極的な平和でいいのかとも悩み続けます。
いかにICCの掲げる正義がコニーの正義よりも正しいものだとしても、正義を貫くことが戦争の継続になってしまうとすれば、ウガンダの人々にとってあまりにも悲惨です。
学生たちは、正義を掲げた戦争と正義を欠く平和との間を行ったり来たりしながら、曖昧な結論として「平和」を優先したように思います。
私は思うのですが、こうして初めて人は私たちの生きる世界を考えるようになるのです。
次回は、他のテーマを取り上げた学生の論文をご紹介します。
※このブログは毎月15日、30日に更新されます。
柴田純志・著『ウェストファリアは終わらない』
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