2015年11月30日月曜日

【第27回】正しい戦争⑧

さて、話をいよいよ戦争の方に持って行きましょう。
戦争を絶対的な悪として根絶しようという試みの最初は1928年の不戦条約だったのではないでしょうか。この不戦条約の文言がほぼそのまま日本国憲法第9条に反映しています。

不戦条約が結ばれる背景には第1次世界大戦の経験がありました。第1次世界大戦は、ヨーロッパがそれまで経験してきた戦争とまったくスケールが異なりました。想定外の若者が死に、あるいは、瀕死の状態になって帰ってきました。また、第1次大戦は国家を挙げての「総力戦」となりました。国民生活の隅々まで戦争が食い込んだ戦争は、歴史上初めてのものでした。戦争が終わってヨーロッパの人々が当時の戦争を深く反省し、同じことを二度と繰り返してはいけないと考えたのは尤もなことだと思います。国際連盟もその延長線上に出来上がったものです。

しかし、今ではすべての人が知っているように、このような試みはほとんど何の効果も持ちませんでした。ほんの20年後には、第1次大戦よりもはるかに広く大きな範囲で第2次世界大戦が起きることになったからです。第2次大戦は、ヨーロッパのみならず世界全体を巻き込み、第1次大戦と比較しても、さらに大きな被害を世界にもたらしました。もちろん、イギリスの戦死者は第1次大戦の方が多く、必ずしも第2次大戦があらゆる点でそれ以前の戦争の被害を凌駕していたわけではありません。ただ、全体として見れば、その被害は過去最大であったわけです。

1次大戦後と同様に第2次大戦後にも、戦争を抑止あるいは禁止しようとの試みがなされました。国際連合の結成がその典型です。私たちは、今も、不戦条約の延長線上を生きています。つまり、第2次大戦後、戦争は、より一層広い同意を得て、禁止されるようになりました。信じられない話ですが、私たちは現在、戦争が禁止されている世界で生きているのです。国連憲章には「戦争」の言葉は使われていません。なぜなら、それは禁止されて存在しないものとされているからです。戦争とは、この場合、国際紛争を解決する手段としての行為のことで、現代においては、何らかの紛争があれば、国家は外交、つまり、話し合いでその紛争を解決しなければなりません。19世紀までのように、紛争の決着を戦争で決めるというやり方は禁止されるようになったのです。それは、戦争があまりにも大規模で悲惨なものになり、制御不能のものとなったからです。

「武力の行使」は、それ故、次の2つしかないということになりました。ひとつは、不正な武力の行使たる侵略、そしてもうひとつが、侵略に対抗するための正当な武力の行使たる自衛です。武力の行使で正当なものは自衛のみということになりました。しかも、それはまだ実現していませんが、自衛としての武力行使も国連による武力介入までのつなぎであって、侵略への対処は、本来、国連が行うというのが当初の計画であったわけです。

つまり、国家は、侵略への反撃たる自衛を行うと同時に国連に訴えを起こし、それが安全保障理事会において侵略であると認められた場合は、国連が国連軍を組織し、侵略を受けた国家の自衛に代わって侵略を排除することになったのです。
冷戦の存在によって、こうした安全保障の在り方(これを集団安全保障と言います)は実現されなかったとされていますが、果たして、冷戦がなければ実現していたかどうか。私は所詮無理であったと思います。なぜなら、冷戦が終わった現在に至っても、国連による集団安全保障は実現しそうにないわけですから。

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