2015年11月16日月曜日

【第26回】正しい戦争⑦

なかなか戦争と正義の問題にたどり着きませんが、今しばらくご辛抱願います。前回に引き続き、暴力同様、人間における取扱注意の危険物、性についてのお話です。

ところで、売春とは本当に絶対悪だったのでしょうか。売春に何か効用はなかったのでしょうか。もちろん、売春反対運動をしている女性にこういう議論が通用しないことは承知しています。しかし、今でも売春がなくなっていないという事実を別としても、赤線のような「売春特区」をなくすことで発生したマイナスはなかったのでしょうか。遊郭における文化が失われたなどということを、私は言おうとしているのではありません。

善と悪との話をしたいのです。

赤線がなくなった最大の影響は、素人と玄人の区別が消滅したことだと私は思います。昔は素人の女性はけっして玄人の真似をしませんでした。男も自分の妻や彼女に玄人がするようなことを絶対にさせませんでした。そういうことは遊郭に行ってすることで、自分の妻や彼女にそうしたことは望まなかったどころか、そうしたことをすること、させることをむしろ嫌いました。

昔言われた良家の子女は消滅しました。ほとんどの女性がどこか昔の娼婦のようになりました。大正時代の婦人雑誌の人生相談のコーナーなどを見ると、性の悩みが露わになされていることがあって非常に面白いのですが、現代の私たちから見ると、どこか微笑ましい感じがします。「昨夜夫の上にのってしまったのだけれど、自分は変態ではないか」というような相談が大真面目に、真剣にされているのです。

売春を限られた場所に封じ込めて、限られた人のみがそれに係り、そこで行われる様々から素人を守るという文明的な生き方は、売春防止法以降は不可能になりました。
しかし、仮に売春が絶対悪だったとしても、それが人間の本質の一部である限り、それを根絶することはできません。こうした「悪」を飼いならすことが文明であるとすれば、私たちが生きる現代は文明的でしょうか。
赤線の「赤」をなくしたために、普通の生活空間たる「白」は白ではいられなくなったと私は思います。すなわち、赤が社会全体に薄く広く広がっていったのです。だから、私たちが生きる今の世界は社会全体が「ピンク」なのです。
娼婦(悪)が良家の子女(善)を守っていたとは考えられないでしょうか。

次回、ようやく戦争と正義の話になります。



※このブログは毎月15日、30日に更新されます。


0 件のコメント:

コメントを投稿