2016年8月14日日曜日

第44回【保護する責任⑥】

国際政治の根源的な変化が、私たちの目の前で起きつつあるのか否か、それを考えることがこの年の真のテーマでした。国際政治における根本的変化とは、主権国家とは異なった権威が登場し、国際政治というゲームのルールが大きく変化するということで、内政不干渉原則がどのように変化するかということがその試金石であると私は思います。R2Pは内政不干渉原則に挑戦する概念かもしれないというのがこの年のゼミの問題意識でした。

こうした背景がありましたので、私の話は少し大きな話となりました。「国際政治にパラダイムチェンジはあるか」というタイトルでゼミ生に講義をしました。以下、その内容です。

「パラダイム」という言葉を聞いたことがあると思います。この語が今のように様々な場面で使われるようになった原点はトーマス・クーンの『科学革命の構造』という本です。この本は1962年出版されたものですが、私は故あって大学3年の時に東京工大の数学の天才たちと一緒にこの本の読書会に参加する機会に恵まれました。非常にエクサイティングな経験でした。

簡単に言うと、パラダイムとは、この世界の仕組みを説明するグランド・セオリーのことで、たとえば、物理学の世界では、ある時代まではニュートン力学がパラダイムであり、その後のパラダイムを提出したのがアインシュタインというわけです。パラダイムには詳細にこの世界のすべてをカバーする理論が網羅されているわけではありません。そうしたあらゆる理論の背景にあって、それらの理論を支え、さらにヒントを与え続けるものこそがパラダイムなのです。

クーンが提出したパラダイムに対応する概念が、クーンによれば「通常科学」というもので、これはパラダイムが提出する様々なヒントや仮説を証明してゆく営みで、普通の科学者の仕事がまさにこれに当たります。ところが、こうした普通の科学者の仕事の中から、パラダイムでは解答不能の様々な問題が発見されます。実は、パラダイムとは常に暫定的なもので、更なる疑問に答えを出すためには、新しいパラダイムの誕生が必要とされるようになります。新しいパラダイムを提出する存在こそまさに「天才」なわけです。

我々のゼミのテーマは、残念ながら、理系の、つまり、明確にパラダイムが存在する世界での話ではありません。国際政治学にはパラダイムが存在しません。あるいは、国際政治という人間の営みがパラダイムというひとつの大きな仮説では説明しきれないほどに複雑であるのかもしれません。人間の営みは、良くも悪くも、自然現象よりも複雑であるのです。
とはいえ、国際政治学も学問である以上、パラダイムめいたもの、あるいは、その候補ぐらいは存在しています。私はその最有力のものがリアリズム(現実主義)であると思います。リアリズムは国際政治学においても多様な批判をなされていますが、それでもなお国際政治という人間の営みをトータルに説明しようとする数少ない知的営為のひとつであると私は思います。

リアリズムは、国際政治の本質を、主権国家間のパワー・ゲームとして受け止めます。その思考の出発点は、国際社会とは政府の存在しない、つまり、その構成要素である主権国家が自分のことは自分で守り自分で自分の利益を増進する以外にはない場、すなわち、アナーキー(無政府状態)な世界だという認識にあります。

リアリズムには多くの批判があります。たとえば、リアリズムが主要な要素とする主権国家はすでに力を失いつつあるとか、主権国家以外の主体、たとえば、多国籍企業や国際機構、NGOなどが国際社会で力を持ちつつあるとか、国際社会は必ずしもアナーキーではないとか、国際社会には国内社会とは異なった秩序が存在している、などなど。これらの批判はどれも多かれ少なかれ正しいものであると思います。そうは言っても、リアリズムの提出するものの考え方のすべてを否定し去ることは不可能であると私は思います。そう考えるという点で、私は自分がリアリスト(現実主義者)であることを認めようと思っています。


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