2016年9月30日金曜日

第47回 【1989 時代は角を曲がるか②】

2010年度のゼミ生に、私が最初に与えた課題は、ハーバード大学の教授で歴史学者のニーアル・ファーガソンの、ごく短い論文『世界史に真の転機をもたらした「1979年」』を読んでそれに論評を加えるというものでした。

ゼミでは、1989年という年が世界史の転換点であったか否かを検証するわけですが、ファーガソンは、その10年前にこそ出発点があると論じています。世界史が大きく転換するという場合には、少なくても20年や30年、あるいはそれよりも多くの年月必要とするのが普通で、それの出発点がいつであったかを論じるのと、変化の数十年の中でその変化を象徴するような事件の起きた年を特定することは、確かに、別のことで、ファーガソンの議論と私のゼミの設定とはその点でズレがあると言えます。ただ、出発点と言ってもいい時点で何があったかを知っておくことは重要であると思います。

ファーガソンが1979年こそ転換点であると論じるのは、この年に以下のようなことがあったからです。ソ連のアフガニスタン侵攻、イギリスの首相にサッチャーが就任、イランにおけるイスラム革命の成功、中国の改革開放路線の開始。これらの余波が現在も国際社会を翻弄しているわけで、ベルリンの壁の崩壊とは、そうした国際社会の大波がもたらした小さな事件に過ぎないというわけです。

確かに、アフガニスタンへの侵攻はソ連の崩壊を促し、さらに、イスラム革命と相俟って、その後の世界中で起きるイスラム原理主義によるテロの原点になり、「文明の衝突」という新しい時代を開いたように見えます。また、改革開放後の中国は順調に経済発展を果たし、アメリカに対抗する超大国として台頭してきています。サッチャー・レーガン流の新自由主義は、その後30年に渡って世界の経済に影響を及ぼしました。ベルリンの壁の崩壊は、こうした世界史の大きな波の中の、小さなエピソードに過ぎないというのがファーガソンの主張であると言えます。

世界を、あるいは、歴史をどう見るか、ということは、それを考える人の立つ場所によって、あるいは、関心の持ち方の角度によって、かなり幅のあるものです。私は、『ウェストファリアは終わらない』で、近代以降の国際政治構造という存在を前提に考えれば、冷戦の終焉という近年最大の国際政治上の変化も、システム上の変化という小波に過ぎないと論じたわけですが、ファーガソンの議論はそこまで射程の広いものではないようです。

20世紀後半に時間を限定して考えてみると、国際政治上の最大の事件は、やはり、ソ連の崩壊で、これに直接的な影響を及ぼしたのは、1985年に登場したゴルバチョフその人だったのではないかと思います。ゴルバチョフ登場から1991年のソ連邦の解体消滅までの6年間を象徴する事件は、やはり、ベルリンの壁の崩壊であると思います。サッチャーやレーガンが重要であるのは、こうしたソ連崩壊にまで行き着いてしまったゴルバチョフの改革路線を側面から支持し支援したことにあったように思います。もちろん、ゴルバチョフの意図していたことは、共産主義ソ連を立て直すことであったのですが。

ファーガソンは、もともと金融史の専門家ですから、サッチャー・レーガンと言えば、経済における新自由主義的改革の旗手としての役割がより重要と考えるのかもしれません。そうした視線からは、世界の見え方が、政治を専門とする私とは異なるのだろうと思います。


学生には、世界は、視点の置き場によって、まったく異なったものに見えることもあると強調しました。1989年が歴史の曲がり角であったか否かは、その視点をどこに置くかによって答えが異なってくる。それ故、議論の最重要点は、置いた視点の置き場所がいかに説得力を持つかということになるわけです。以上のようなことを頭の片隅において1989年を検証するよう話しました。

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