2017年11月30日木曜日

第75回【彼らはなぜ核兵器を持つか⑮】

2011年度のテーマは「彼らはなぜ核兵器を持つか」でした。
年度末に、恒例の総括の講義を行いました。題して「舐め切る!政治学」。その内容を、これから再録致しますが、これは、2011年にした講義で、わずか56年で、核兵器を取り巻く環境がこれほどまでに変化するとは想像もしませんでした。引き返すことはまだ可能にも思えますが、それには相当の犠牲を払わなければなりません。
まずは、2011年の講義をそのままお伝えし、後ほど、現在の視点で補足を致します。


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年間、核兵器とは何か、なぜ核保有国は核兵器を保有し続けるのか、日本は核兵器を持つべきかを考えました。核兵器とは何かということは昔から考えてきたことだったので、それに付け加えるものは何ひとつなかったのですが、考えてみれば、たとえば、イギリスがなぜ核を保有しているのか、というようなことを真剣に考えてみることはなかったように思います。また、日本が核兵器を持つべきか否かということも、実は、自分の中で確固たる結論を出してこなかったように思います。これを機会にそれに答えを出せたのは非常によかったと考えています。

私たちは今、核時代を生きています。核兵器と原子力発電の時代です。原子力発電についてはよくわかりませんが、少なくとも核兵器については、これを完全に凌駕する威力の兵器が生まれない限り、私たちは核時代を生き続けることになります。核時代が終わる見通しは今のところありません。ゼロです。

核時代に生きる前提は、核兵器というものをなくすことはできないということです。これを見誤ってはいけません。核廃絶を猛烈に主張する人たちがいますが、彼らは本気で核兵器がなくなるとでも考えているのでしょうか。人類が核兵器のノウハウを知ってしまった以上、それをなくすことはできません。いかにそれがなかった昔が懐かしくても、私たちは昔に戻ることはできないのです。核兵器はなくならないということを肝に銘じて核兵器の問題を考え続けなくてはなりません。

それ故、核時代の最大の課題は、核兵器をなくすことではなく、いかにして核兵器が使われない状態を保つかということにならざるを得ません。この課題は永遠に続くものなので、いかにうまく対処しても、達成感が得られる可能性はないと言えます。それでもなお「虚しい」と思わずに課題に対処し続けることが要求されるわけで、これは誰にでもできる仕事ではないと私は思います。言い換えると、いかにそれに反発する人がいるとしても、核時代における最大の課題は「核兵器との共存」ということにならざるを得ません。私たちは、核兵器と共存し続けることができるでしょうか。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。


http://www.kohyusha.co.jp/books/item/978-4-7709-0059-3.html

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