2017年12月16日土曜日

第76回【彼らはなぜ核兵器を持つか⑯】

さて、そもそも核兵器とは何でしょうか。核兵器とは、もちろん、兵器なわけですが、他の兵器とは比較にならない破壊力を持っているために、単なる兵器ではなく、多様な側面を持つ兵器以上の何物かになってしまっています。

まず第1に、核兵器は、当然ながら、「武器」です。

武器は、一般に、攻撃、防御、強要、抑止の4つの機能を持っています。攻撃と防御は、実際に使用する場合の2側面という理解ができます。ただ、何が攻撃で何が防御かということはそれほど易しい問題ではありません。すべての戦争は防衛を理由にして始まることを考えてもそれは分かります。
それに対して、強要と抑止は、実際には武器を使用せず、武器の使用の脅しによって相手に影響力を及ぼそうとするものです。強要と抑止の違いは次のようなことです。強要とは、武器の使用の脅しによって、敵側に、そうしなければやらないであろうことをやらせる、すなわち、do somethingを強制することです。これに対して、抑止とは、放っておいたら敵側がやるかもしれないことを、武器の使用の脅しによってやらせない、つまり、do nothingを強制することです。

武器はこのように、使用することで、あるいは、使用するとの脅しによって4つの機能を果たすわけです。ただ、抑止については、この機能を検証することが困難です。すなわち、「動くな」と命令して相手が動かない、というのが抑止であるということができますが、相手にそもそも動く気がなければ、相手が動かないという事実は、抑止によってもたらされているのか、それと関係なく単に相手が動かないでいるだけなのかは区別がつきません。抑止とは、それが働いているかどうかを確かめにくい機能なのです。核兵器の抑止の場合にも同じことが言えます。

これまでの核兵器の歴史によって、核兵器は抑止にしか使用できない武器である、と核兵器保有国は信ずるようになりました。アメリカは広島・長崎への核兵器の投下の後にその被害について徹底的に調査しましたが、その結論は、核兵器は実際には使用できない、ということだったと言われています。核兵器が製造・使用された当初のこの結論は、今も有効であると考えられます。ただ、アメリカを始めとする核保有国は、自国が保有する核兵器によって相手国よりも常に優位に立とうとしていますから、抑止を超えた核兵器の使用を模索してきました。すなわち、実践で使える核兵器の開発が常に行われてきました。

一般に方向としては、開発は核兵器の小型化と正確化に向かいました。核兵器が使えない兵器であることの最大の理由は、威力が大きすぎるために目的(戦争によって実現しようとする国益)と手段(核兵器の使用)の釣り合いがとれないということです。これを核兵器の小型化によって埋めようというわけですが、ならば、通常兵器で十分で、なにも核兵器をわざわざ用いる理由はないということになります。また、戦争の際の法的義務の最大のものは非戦闘員と戦闘員の区別ですが、核兵器を軍事的ターゲットに正確に打ち込むことで非戦闘員の被害を最小限にしようというのが、正確性を求める開発ということになります。

武器としての核兵器は以上のように
、使えない兵器であるとの暗黙の合意の下で、使える兵器を模索するという歴史を歩んできました。今後も、核兵器の開発は、それを保有する以上続いていくものと思います。愚かなことですが。

2に、核兵器は「旗」であると言えます。これは国によって相当に異なるような気もしますが、たとえば、パキスタンにおいて、また北朝鮮において顕著であるように、核兵器が国民の統合の象徴となる場合があります。自国が最強の武器を手にしたこと、最先端の科学的成果をあげたことが国民の統合を促すのです。こうした国威発揚を必要とする国家が依然として現在の世界では多数派であるということができます。

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