2018年1月15日月曜日

第78回【彼らはなぜ核兵器を持つか⑱】

さて、抑止のためには何が必要でしょうか。相矛盾する要素を次に列挙してみます。

核抑止とは、核兵器をチャンスがあれば使いたくて使いたくて仕方のない敵国に対して、同じ核兵器で脅しをかけることでその使用を抑止する戦略・政策のことです。「使いたくて使いたくて」というところを実は証明することは不可能です。私は馬鹿げた想定だと思いますが、安全保障においては最悪の事態を想定するというのが定石で、それ故、敵国は核兵器を持っている以上チャンスがあれば使うに違いないと想定せざるを得ません。そのためには、必要が生じれば核兵器を使用する覚悟がなければならないということになります。本当は、核兵器は使えないということは分かっているのに、そのように考えてそのような行動を取らなければならないということです。

核抑止戦略の核心には「相互確証破壊MAD(Mutual Assured Destruction)」という戦略が存在しています。敵が仮に自国を核攻撃してきた後にも生き残り、さらに相手国に報復できるような核兵器を保有するということです。すなわち、相互に確実に破滅的な被害を受けるような核兵器を双方が保有するというわけです。そうすれば、たとえ、使いたくて使いたくて仕方ない状態でも核兵器の使用を躊躇うはずだというのがこの戦略の発想です。病的な発想ではありますが、なるほどそうだよねという戦略でもあります。問題は、これを突き詰めてやっていくと過剰な量の核兵器が双方に保有される可能性が高いということで、こうした戦略の下で行動しながらも核兵器の保有量が過剰にならないようにしなければならないという課題が常に付きまといました。結局は過剰になってしまったのですが。


核抑止戦略の少し変なところは、MADを有効に機能させるためには、本来の国家の機能を歪めざるを得ないということにあります。その第1は、自国の核兵器を徹底的には保護しないという行動に繋がりました。自国の核兵器が無敵であるとすれば、それは相手の核兵器が無力化されるということで、アメリカもソ連も自国の核兵器の保護を徹底はしませんでした。要するに、相互にMADを最優先の戦略としていたということです。第2に、アメリカもソ連も自国民を核兵器から徹底的に保護することを故意にしませんでした。ABM(ミサイル迎撃ミサイル)を国中に配備すれば(費用の問題はこの際無視しますが)、すべての国民を敵の核攻撃から守ることが可能になるわけですが(確率の問題はこの際無視します)、そうすれば、敵国の核兵器は無力化されることになります。こうしたことをしようとするだけで、敵国はそうなる前に攻撃を仕掛けようという誘惑にかられる可能性があります。これはMADの発想に反します。そこで、米ソ両国はABMの配備は国土の2か所までという条約をかわしました。国民の保護という国家最大の道義的使命よりもMADの戦略を優先したわけです。


核戦争は確固たる戦争の意志から生まれるとは限りません。誤解により、あるいは偶発的な事件により核戦争が誘発される可能性は否定できません。そこで、それを防ぐためには、核保有国同士が誤解・誤認をしないようにするためのネットワークが必要になります。互いに平時から情報交換をすることで偶発的な核戦争を防ごうというわけで、それは麗しい気もするのですが、考えてみれば、これらの諸国は核兵器を突き付けあって対立をしているわけで、なぜこうしたネットワークが成立するのか、かなり謎めいています。アメリカとソ連の間では、ホットラインといって、アメリカの大統領とソ連の共産党の指導者が直接に電話で話ができるようになっていました。これはキューバ危機以降に出来上がったものですが、偶発的な核の使用を徹底的に排除するためにはこうしたことが必要とされたわけです。それにしても、アメリカとソ連は本当に対立していたのでしょうか。不思議な関係です。


核保有国は、MAD最優先という発想からも分かるように、自国は断じて核兵器を使用しない、そして、他国にも使用させないということを肝に銘じて決意していました。そのためには自国民を守らないということを相手と合意する条約さえも締結したわけです。つまり、自国、そして、他国の核の先制攻撃につながるような核兵力を持たず、また、そうしたドクトリン、核兵器にまつわる政策を持たないことを固く決意していました。もちろん、何かあれば使う気だったのですが。


以上の多様な相矛盾する条件をいかにこなして核兵器の使用を抑止するかが核保有国に課せられた使命で、そのためには、少し普通ではない政治的な知恵が必要とされました。幸いにも、冷戦期間中、米ソはこれらの課題を何とかこなしてきたということが言えます。むしろ、米ソ対立なんて嘘っぱちで、彼らはグルで八百長をやっていたのではないかと思うほどです。東西のそれぞれの陣営の子分の国家に言うことを聞かせるために、親分同士が八百長で対立をして見せていたのではないかと思えるのです。こうした感想は、もちろん、正しくはないのですが、ちょっとだけ当たっているように私には思えます。



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