2018年3月15日木曜日

第82回【20世紀の悪魔・民族自決②】

2012年度のテーマ「20世紀の悪魔・民族自決」のご報告を開始していきなり脱線というのも申し訳ありませんが、ご容赦下さい。

柴田ゼミには、以前にも触れたことがありますが、ゼミ生および卒業生のみがアクセスできるSNS「ゼミクシィ」があります。めったにないことですが、たまに、ゼミ生から私に挑戦状が突きつけられる場合があります。

2012年度は春の早い時期に4年生から挑戦がありました。前年度の「核兵器」のテーマでミャンマーを扱ったゼミ生です。彼は、開始まもなくのミャンマーの民主化の動きに懐疑的でした。それに対して、私は「ミャンマーの民主化は不可逆的である。根拠もある。でも、今は言わない。」とゼミで言いました。話せば長くなるからです。ゼミではあまり脱線はできません。新たな年度になって、その「根拠」を開示せよ、と迫られたのです。

2012年になると、誰もがミャンマーの民主化の後戻りはないと考えるようになっていました。予想が当たるのはいいことですが、重要なのは、根拠です。理論的な根拠を基に近い将来を予想し、当たろうが当たるまいが現実を観察して、理論にそれを反映するのが理論家の仕事です。

学生の挑戦に対して「ゼミクシィ」で以下のような文章を「国家を平和に導くもの」と題して書きました。国際政治を観る目を養うためにもためになると思いますので、少し長くなりますが、以下にご紹介致します。

ミャンマーの民主化をめぐる問題でM君から質問がありました。この問題は、4年生は知っていると思いますが、去年のテーマを勉強している時に、進んでいるように見えるミャンマーの民主化に懐疑的な意見に対して、私が「民主化に後戻りはない、私にはそれを裏付ける仮説がある、だけど、今は言わない」と言った、その問題です。現在のミャンマーを見れば、この予測はほぼ当たっていたわけで、種明かしをせよ、というのがM君の質問です。予想が当たるとか当たらないというのは、政治学においては実はそれほど重要ではありません。もちろん、当たった方がいいのは確かですが。真の問題は、なぜ当たったか、なぜ当たらなかったかの理由の方で、そこに仮説の検証と修正の作業の必要性が生まれます。重要なのは、理論的な仮説の有無であると思います。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。



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