2018年6月17日日曜日

第88回【20世紀の悪魔・民族自決⑧】

テーマの絞込みに対する学生へのアドバイスを引き続きご報告します。

「自決」の〈現在〉
「自決」の現状を考えてみるのもテーマとしてはありうるものと思います。

「自決」というものの国際法上の位置づけとそれに伴う問題をテーマにすることが可能です。ここで確たることを言うつもりはありませんが、国際法上の「自決」は極めて曖昧であると思います。つまり、「自決」というきれいごとのみが存在して、それが現実にどのように適用されればよいのかの議論は不十分なままになっていると考えられます。つまり、文字通り「自決」がなされるようなことがあれば、世界は大混乱に陥るはずです。要するに、「自決」にはどこかで限界が設けられなくてはならないはずなのですが、その議論が不足しているはずです。そこを抉る議論には価値があると私は思います。

2次大戦後独立を果たしたアジア・アフリカ諸国にはその後50年経ってもまともに自立を果たせていない国が珍しくありません。50年という歳月が長いか短いかには議論があるところだとは思いますが(私は長くないと思っています)、「自立」できない「自決」は有効なのでしょうか。「自決」には資格があるのではないでしょうか。では、その資格とは何でしょうか。

「自決」の〈未来〉
2次大戦後の20年くらいは、アジア・アフリカ諸国が次々と独立を実現する、ある意味、それらの国々にとっては熱狂の歳月でした。しかし、これらの「自決」は、今そうした熱狂が醒めた時代から振り返ると、あまりにも不完全であったと思わざるを得ません。つまり、自決の主体とは人民(people)であり国民(nation)でなければならなかったはずですが、この時代に独立を果たした諸国の多くの自決は、植民地時代の国境・枠組みを前提にしたもので、「人民」「国民」が不在であったことは否めません。これが現在の、そして、将来の紛争の原因となるわけです。

そのように考えると、現在の諸国家はかなり不完全な状態にあると言えます。国家はさらに細分化されていくのでしょうか。つまり、さらなる「自決」へと世界は進むのでしょうか。こうした新たな自決は、かならず紛争や内戦を伴うと考えられます。チェコとスロバキアは紛争なく分離をしました。スコットランドやカナダのケベックも紛争なく分離する可能性を現在では大きくしています。しかし、これらは圧倒的な例外ではないでしょうか。東チモールは独立までにどれだけの犠牲を払ったでしょうか。南スーダンも然りです。
あるいは、国家はむしろ統合される方向に進むでしょうか。現在の主権国家が様々な不足を抱えていることは明らかで、より大きな主体を選択するということがあり得るでしょうか。よく出される例がEUです。「自決」以上に重要な価値、利益とは何でしょうか。統合に欠かせない価値は何でしょうか。私はそれは「寛容」であると考えますが、人間にそうした価値をとことん実現することが可能でしょうか。

2次大戦後に独立を果たした国家の多くの自決が不完全であったことは事実ですが、その国家の向かう方向は細分化のみではありません。「分裂」とは異なる方向も存在しています。国内の統合、すなわち、新しい国民の創出という方向があり得ます。国内に存在するいくつかの「民族(原則として「民族」という単語は使わないとゼミで明言しましたが、使わざるを得ない場合があるのが残念です)」がそれぞれを隔てる垣根を低くして統合に向かうわけです。現に、たとえば、スイスなどは4つの言語、3つの民族、2つの宗教が入り乱れた国民がまさにひとつの国家を作り上げています。こういう方向こそが未来なのでしょうか。その際にもキーとなる価値は、私は「寛容」であると思いますが、どうでしょうか。

以上、「自決」の過去・現在・未来と題してヒントを提出しました。今年のテーマは、やればやるほど裾野の広いいいテーマだということが分かりました(自画自賛!)。逆にいえば、うまく絞らないと論文になりません。皆さんは1月末には論文を提出しなくてはならないわけですから、「自分のテーマ」を早急に絞り込まなくてなりません。論文の出来の8割はこの絞り込みで決まります。これができれば後は力仕事です。


次回より、学生のゼミ論の紹介を致します。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。



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