2018年6月30日土曜日

第89回【20世紀の悪魔・民族自決⑨】

2012年度の柴田ゼミのテーマは「20世紀の悪魔 民族自決」だったのですが、ゼミ生たちは、様々な角度からこのテーマにアプローチしてくれました。
こうした国際政治の根幹にかかわるようなテーマの場合、学生たちの示す関心は拡散して多様な方向に行くのが普通ですが、2012年度の場合も、学生の選び出したテーマは多岐に渡りました。

まず第1に、民族自決という概念・理念それ自体をテーマとするゼミ生がいました。
ひとりは、理念としての「民族自決」がどのようにして国際政治の場に登場したのかを考察し、第1次大戦後のレーニンとウィルソンによるこの理念の提示を比較検討しました。第1次大戦前後から現在に至るまで、これら両国は国際政治を圧倒的に左右する力を示し続けているわけですが、民族自決のような理念の国際社会に対する提示には、内向きの作用と外向きの作用があります。
ロシア革命直後のソ連は、多様な民族をソ連という連邦国家に統合していかなければならないという内向きの大きな課題を抱えていました。レーニンの提案した民族自決は、国際社会に向けたものであると同時に、そして、それ以上の重要性をもって、ソ連という新生国家の、連邦を構成する諸民族に向けた国内向けの政治的デモンストレーションという傾きがありました。希望すれば、各民族は民族自決を果たして、独立国家としてソヴィエト連邦を離脱できるという寛容さを示すことを通じて、それとは逆の結果、つまり、ソ連への諸民族の統合を果たそうとしたのです。
興味深いことに、冷戦終結後に、この理念は一気に復活し、ソ連国内の各民族に独立を果たさせ、ソ連を解体に導いたのです。チェチェンに代表されるように、今でも分離独立の運動は続いています。
ウィルソンの民族自決の国際社会に対する提案は、レーニンのこうした動きに遅れまいとしたものと言えます。普遍的な価値の提案は、リーダーたるアメリカがなさねばならないし、それによって、国際社会におけるアメリカの威信を高めんとしたものと言えます。ウィルソンの民族自決の提案は、レーニンとはまったく異なって、圧倒的に外向きのベクトルを持っていたということができます。
そもそも、アメリカは、植民地から独立を果たした最初の国でした。こうした理念を国際社会に対して提案する存在としては、自らがもっとも相応しいと考えていたのです。ただ、依然として植民地を所有しているヨーロッパ諸国との関係から、この理念をとことん突き詰めて推し進める意志がアメリカにあったとは言えません。第1次大戦後の講和会議の中においても、アメリカの植民地独立に対する態度には腰の引けたものがありました。実際、この結果民族独立を実現したのは、ポーランドからブルガリアに至るヨーロッパ諸国のみで、アジア・アフリカにおける民族自決はまったく実現をしませんでした。
もちろん、確かに種は蒔かれたわけで、第2次大戦後に、この種は芽を出し実を実らせたのです。ただし、そこには、大量の血が流される場合が珍しくなかったのです。だから私は、これを「20世紀の悪魔」と呼んだわけです。
別のゼミ生は、民族自決の理念が、どのようにして国際法に取り入れられていったかを考察しました。

確かに、こうした理念・概念は、言いっぱなしでは国際正義として定着していかないわけで、「法化」されなければなりません。国内法とは違い、警察や裁判所があっても希薄な国際社会において「法化」することの意義を疑問視するような人もいなくはありませんが、こうした「正義」は反対するのが難しいだけに、いざという時には、案外多くの国家の行動を縛る場合があります。レーニンもウィルソンもどちらかと言えば、自国の国益のためにこうした「正義」を掲げたと言えると思いますが、徐々に「法化」されることで、自らもそれに縛られるようになります。国際社会の発展とはこのようにしてなされるのだと思います。「法化」を取り上げたのは、大変にいい視点であったと私は思います。

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