2018年8月30日木曜日

第93回【20世紀の悪魔・民族自決⑬】

2012年度は、民族自決をテーマとしてゼミでの勉強をしてきましたが、1年を終えるにあたって、私は、「許す政治学、あるいは、醒ます政治学」と題して、以下のような総括の講義を致しました。

私は1959年生まれで、21世紀よりは20世紀の人間なのでなんとなく認めたくない気持ちもなくはないのですが、それでもやはり20世紀は人類史上とびぬけて野蛮な100年でした。私たちは自分たちが文明的な生活を送っているように錯覚していますが、実は、これほど野蛮な時代はこれまでの人類の歴史に存在しなかったと思います。何が野蛮かと言えば、人間が人間をもっともたくさん殺したということです。ひとがひとを殺すくらい野蛮なことはありません。20世紀の戦争と革命で死んだ人の数はたぶん億単位です。

さて、なぜ20世紀はこんな風にとてつもなく野蛮な世紀になってしまったのでしょうか。

まず第1に、武器や兵器が飛躍的に発展したことが挙げられます。その背景には科学技術の発展があることは言うまでもありません。20世紀に入って最初の大きな戦争は日露戦争でしたが、そこでは、第1次大戦でヨーロッパ諸国に甚大な被害を与える機関銃が登場しました。新しい武器・兵器の出現は、それに対する対応である防御がある程度確立されるまでの間は、それはそれは悲惨な結果をもたらします。それが日本の戦った日露戦争だったわけです。旅順における203高地での大量の戦死も、機関銃にどう対応すればよいかがまだ分からないところでの戦いだったから起きたことです。そして、それへの有効な手段が確立されずに第1次大戦が勃発し、その戦争中に飛行機や戦車が登場したのは、主に機関銃への対処であったということができます。第2次大戦になると、これらの兵器はさらに発展し、究極の兵器である核兵器が戦争末期には登場し、現に日本に対してそれが使用されました。核兵器に対する有効な兵器レベルでの防御は未だに確立されていません。核抑止政策という別の対処が長年されてきましたが、これに対する批判には非常に大きなものがあります。

核兵器を頂点とする軍拡競争は、人類を何度も滅亡させるほどの量の核兵器を地球上に蓄積させました。20世紀の人類は野蛮であるだけでなく、人類史上もっとも愚かでもあったのかもしれません。その延長線上に私たちは生きています。いずれにしても、武器・兵器が飛躍的に発展したために、一度に大量の人間の殺害が可能となりました。


第2に、この間、国際法は無力でした。国際法の原点がどこにあるかを確定することはなかなか難しいことですが、17世紀の半ば、つまり、近代の始まりとともに国際法が登場したと考えてそう間違いはないはずです。つまり、300年程度の歴史を持つ国際法は、20世紀において、ほとんど有効に機能しなかったということができます。主権国家は、国際法に平時は敬意を払っても、肝心な時には国際法よりも国益を優先してきたわけです。誤解してほしくありませんが、それでも私は国際法の発展にしか国際社会の未来はないと今は信じています。500年経てば、今とはずいぶん違うはずだと思います。まあ、500年というところが問題なんですが。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。


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