2018年8月17日金曜日

第92回【20世紀の悪魔・民族自決⑫】

バルト海からボスニア湾に向かうちょうど入口の所、スウェーデンとフィンランドの中間地点にオーランド諸島があります。日本人でここを知る人はあまりいないかもしれませんが、このオーランド諸島の有り様を論文に取り上げたゼミ生がいました。

オーランドは、現在はフィンランドの一部となっていますが、歴史的にはスウェーデンとのかかわりが深く、島民は皆スウェーデン語を話します。スウェーデンからフィンランド、一時期はロシア、そしてまたフィンランドと、オーランドの帰属は変化してきました。オーランド島民がスウェーデン語を話し、オーランド旗がスウェーデンの国旗にそっくりなのを見てもスウェーデンへの帰属を望む人々が多いということが窺えます。ストックホルムからフィンランドのトゥルク行きのフェリーに乗ると、レストランのメニューがスウェーデン語とフィンランド語とロシア語で書かれていますが、以上の歴史がメニューに反映しているわけです。

ところで、オーランドを取り上げた学生が紹介しているのが「内的自決」という概念です。「内的自決」とは、独立は実際にはしないけれども、ひとつの主権国家の内部において「自治」を成立させることで自決が可能になるという考え方です。こうしたことは果たして可能でしょうか。また、それが可能だとして、果たしてそれは民族自決による主権国家の確立に代わるものたり得るでしょうか。どんな条件の下でなら、そのように言えるのでしょうか。

オーランド諸島は、その存在する位置の戦略的重要性から、長い年月、スウェーデンやフィンランドと深いかかわりを持ってきました。つまり、よくも悪くも歴史を共有してきたのです。ただ、オーランド諸島が人口が希少で十分な軍事的強さを持つことができないが故に、スウェーデンやフィンランドやロシアの保護下に置かれたわけです。その帰属は、周りの相対的な大国の力関係次第だったのです。その帰属に最終的な答えを与えたのが国際連盟でした。

オーランドは、1921年に、国際連盟の裁定によって大幅な自治を獲得しました。スウェーデンとフィンランドがともにオーランドの帰属を主張し、オーランドはスウェーデンへの帰属を希望していました。しかし、ロシアの支配を受ける前のオーランドはフィンランドに帰属しており、第1次大戦後のフィンランドの独立に際して、フィンランドがオーランドの帰属を自国に求めることは自然なことでした。スウェーデンはオーランドの戦略的に重要な位置から自国への帰属を主張しました。両国による交渉は暗礁に乗り上げ、国際連盟による裁定を求めることとなりました。この際、両国は、どのような裁定が出ようともその裁定に従うことを誓約しました。

国際連盟が出した裁定は絶妙なものだったということができます。まず第1に、オーランドへの主権はフィンランドに帰属するとされました。第2に、フィンランドに帰属することになったオーランドに住むスウェーデン語系フィンランド人(要するに、オーランド人)に対しては大幅な住民自治を保証しました。第3に、スウェーデンの意向に従い、オーランドを非武装中立の地域としました。つまり、フィンランドに主権、オーランドに自治権、スウェーデンに安全保障を与え、三者三様に不満を抱えながらも、受け入れ可能な妥協案が提出されたのです。

これにより、オーランドはフィンランドという主権国家の中で大幅な自治権を持つ地域として生きることとなったわけですが、現在では、この連盟の裁定自体が、オーランド住民のアイデンティティの中核になっていると言われています。オーランドは、こうした形で、確かに自決を果たし、フィンランドという主権国家の中で、小なりといえども確固たる自治を実現しているという意味で、前回紹介しましたダライ・ラマの「中道のアプローチ」を現実のものとした存在と言えるのだと思います。

これをフィンランド側から捉えると、それはフィンランドの選択というよりは連盟の裁定を認めざるを得なかったものということになるのですが、フィンランドの憲法を始めとする国内体制の中にオーランドを位置づけ、それを寛容に受け入れることを実現したということを考えると、フィンランドが裁定後はその裁定に従って主体的に自己の国家像を幾分変容させたということができるものと思います。

オーランドのような「内的自決」を実現させる条件とはどのようなものでしょうか。こうした「内的自決」は、私は21世紀における民族自決の問題の解決に重要なヒントを与えるものと思いますが、どこにでも成立するものとは考えられません。チベットが中国において「内的自決」を果たすことはたぶんできないのではないでしょうか。

ゼミ生は、これを実現するには2つの鍵があると主張しました。私は、それをまったく正しいことだと思っています。すなわち、第1に、自治地区を持つ主体、つまり、オーランドの場合はフィンランドということになりますが、この主体が十分に民主的に成熟していなければなりません。大幅な自治権を持つ主体を大らかに包み込む寛容さとそのためには自己変革も行うことができる柔軟性がなければなりません。20世紀の初頭に、フィンランドとスウェーデンは、すでにこうした段階に達する国家だったのだと評価できます。

第2に、自治地区とそれを抱える主体がともに歴史を共有しなければならないと言います。『ウェストファリアは終わらない』の第1章で強調したことですが、メモリーの共有こそが主権国家の核にあるもので、「内的自決」を実現する場合でも、メモリーの共有こそが鍵となるのです。

オーランド・モデルは21世紀において、もっと注目をされてよい国際政治の事例であると私は思います。このように、ゼミ生から教えられることがあるというのが大学のゼミの醍醐味であるとこの年私はまた確認したのでした。


来週から、2012年度の私の総括の講義を再録致します。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。


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