2019年7月15日月曜日

第113回【紛争のルーツ――植民地主義⑤】

2014年度は、植民地主義と現代の紛争をテーマとしました。

植民地とされた側ではなくて、植民地を持った側をテーマの中心としたゼミ生が何人かいました。なかでもイギリスをテーマとしたゼミ生が複数いました。先にご紹介しました「シエラレオネ」の論文もそのひとつです。また、オーストラリアをテーマとしたゼミ生、香港を取り上げたゼミ生、アイルランド支配を論じたゼミ生もいます。日本の台湾統治をテーマとしたゼミ生もいましたし、オランダの東インド会社を取り上げたゼミ生もいました。

これらの中でも、もっとも現在と接点があるのが「香港」であると思います。

香港は、1997年にイギリスにより中国に返還されました。「永遠」との意味もあるとされる「99年租借」を満了しての返還でした。

イギリスの香港に対する植民地政策は、経済的な成功としては例外的なものですが、政治的な民主化という点では中途半端で、しかし、イギリスの植民地政策としては一般的なものでした。つまり、イギリスは、インドがもっともいい例ですが、撤退前には植民地に「民主化の種」を残すのです。インドはその後、独自に民主化を成し遂げ、現在ではもっとも巨大な民主国家を現実のものとしています。

これに対して香港は、中国との返還交渉が始まるまでは民主化とは無縁で、イギリス人の総督の独裁体制だったのですが、中国への返還が避け難くなって後、イギリスは「民主化の種」を撒き始めます。それを考えると、香港の民主化の歴史はわずかに30年で、しかも、インドとは異なって、民主化を圧倒的な力で押しとどめようとする中国の存在により、制度としては民主化がむしろ後退する可能性が高いのです。

50年間の「一国二制度」が適用されている香港ですが、返還時に民主化が完成された状態ではなかったために、中国共産党の支配下においては、民主化の進展はなかなか難しいというのが実態です。しかしながら、そうであるが故に、イギリス支配の下では、豊かさを享受するのみで民主化などの政治制度にはほとんど関心を持たなかった香港市民が、現在では、真に民主化を求め、さらに進んで、自らが中国人であるのか香港人であるのかというような、アイデンティティの問題を問うようになっています。ゼミ生が指摘していることですが、困難な現状が市民の政治意識に火を点けていることは間違いのないことで、民主制を当然として受け止めて、逆に、政治に無関心となっている日本人が香港から学ぶことは案外多いと言えるのかもしれません。

イギリスの香港支配の評価として、ゼミ生は、経済的には資本主義を根付かせ豊かさをもたらし、政治的にも「民主化の種」を残したという点で高く評価できるとしていますが、「うまく逃げた」との評価もしており、確かに、そうかもしれないと私も思います。イギリスは、今後も、民主化の後退がうかがわれる場面では、それに対する抗議を行うものと思いますが、果たしてどこまで本気か疑われるところです。

植民地を持った側をテーマとしたゼミ生の中には、宗主国が植民地において行った教育について論じた者もいました。このゼミ生は、フランスの西アフリカにおける教育政策を中心として、イギリスにおけるインド、アメリカにおけるフィリピン、オランダにおけるインドネシア、スペインにおけるパナマでの教育政策を比較して、宗主国の植民地に対する教育政策を考察しました。

宗主国各国の教育政策は、各国の国内事情や国民性によって大きく異なっていることが分かるのですが、共通して言えることは、植民地時代の教育が、現地の言語や生活習慣、宗教などに巨大な影響を及ぼし続けているということです。簡単な例をあげますと、南米でもアフリカでもスペイン語やフランス語が公用語となっていますし、キリスト教が今でも大きな影響を社会生活に及ぼしています。

ただ、皮肉なことに、こうした教育の影響は、人々の独立の意思をも生み出しました。教育とは面白いもので、それが成功すればするほど、教育を受けた人間はより広い世界を求めるようになり、教育する側の手を離れて、思いもよらない方向へと走り出し成長していくのです。宗主国は、意図せず、植民地支配を通じて現地の人々に独立心を植え付け、教育を通じてそれに水をやり続けていたと言えるのかもしれません。

次回より、2014年度の私の総括の講義を再録致します。

 ※このブログは毎月15日、30日に更新されます。

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