2019年10月15日火曜日

第119回【戦争に負けるとはどういうことか③】

2次大戦敗戦後の日本をテーマとして取り上げたゼミ生が3人いました。

男子ゼミ生2人は、GHQによる情報の統制を通じての日本社会の洗脳を論じました。ひとりは占領下の映画の検閲をテーマにこれを論じ、もうひとりは現代の中国報道にその名残のあることを論じました。

GHQの言論統制と検閲については今は広く議論がなされていますが、その嚆矢となったのは江藤淳氏の『閉ざされた言語空間』であったと思います。江藤氏がこの本を書いた当時、私は江藤氏が教授をしていた東工大の研究室(永井陽之助研究室)におりましたので、はっきりとその時の雰囲気を記憶しています。拒絶まではいかないにしても多くの人が違和感を持って受け止めていました。ところが、現在では江藤氏の研究を知らない人でもこれについて棹差すような議論をするようになっています。

大学生の卒論は、一般論を論じるだけでは自分の論文とはなりませんので、その「一般論のようなもの」を凝縮して感じさせるような個別の小さな、あるいは、狭いテーマを見つけるように私は指導しておりました。映画と中国報道に2人がそれぞれ議論をフォーカスしたのは、そんな事情からだったわけです。

もうひとりのゼミ生(女性)は、中国残留孤児をテーマとしました。
敗戦の間際に日本の軍隊に見捨てられ、逃げまどい、その中で多くの女性や子供たちが中国に留まる選択をしました。連れて逃げることのできない乳飲み子を後に養父母となる中国人に託して命からがら日本に逃げ帰った人も多くいたのです。そうして残されてきた子供たちが「中国残留孤児」です。

戦争が終わった後もこれらの孤児たちは、日中関係のはざまで放置され、80年代に入るまで自分が日本人であることを知らないまま中国で暮らしていた人もいたのです。これらの人たちの多くが数十年ぶりに日本に帰国を果たしましたが、簡単にブランクを埋められるわけもなく、日本語の壁やアイデンティティの危機に容易に直面したのでした。これらのすべては戦争、特に敗戦が生み出した負の影響だったのです。

以上のような事実は厚生省から出されている資料を読むだけでも分かることですが、私がこのゼミ生に課した課題は、必ず実際の残留孤児の人に会って話を聞いてくることでした。ゼミ生はNGOなどにコンタクトを取り、数人の残留孤児の方々と実際に数度に渡って会いインタビューをしました。そのうちの2人をこの論文で取り上げました。

大学生の卒論においては、こうした頭でっかちでない勉強が非常に重要で、このゼミ生の論文は、前半の歴史の部分と後半のインタビューを基にした「個人史」のコントラストが非常に効果的で、印象深いものとなりました。歴史を十分に勉強してからインタビューをしたことも重要なプロセスでした。知識のないインタビュアーにいいインタビューは望めません。

戦争、特に敗戦が国家や社会というレベルにとどまらず、末端の個々人の人生に大きな、取り返しのつかない傷跡を残すことがよく分かる非常にいい論文となりました。彼女はゼミの最後の報告の時にインタビューに応えてくれた残留孤児の方々のことを報告しながら、それらの人々の人生に思いを馳せて涙ぐんでいました。卒論の醍醐味だなあとつい私もうるうるとしたのを覚えています。

※このブログは毎月15日、30日に更新されます。

http://www.kohyusha.co.jp/books/item/978-4-7709-0059-3.html

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